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14 嚆矢

 カトレアは少しばかり困った顔をしています。そして、「憶えているのもなにも、アウンタールを離れてまだ3週間ほどでございますし……」と口を開きました。


「3週間?」

 私と妹では、記憶が戻った時間に差があるのでしょうか。


「え、えぇ。アウンタールの領地と王都では、場所の移動で3週間ほどの距離です」


 どうも話が噛み合いません。殿下やネモフィラも少しだけ表情が硬いように思います。


「あなたのお姉様のお名前を伺っても良いかしら?」


「ルピナスという名の姉でございます。もしかして、ピアニー様は私の姉をご存じなのですか?」


 ルピナス? それは誰? 黒部春子という名前を、もしくはピアニーという名前がカトレアの口から出ることを私は期待していました。


「いえ……。存じ上げないわ……」と私は答えます。社交会で出会った事のあるご令嬢なら大体お名前を記憶しています。ですが、アウンタール子爵家の方とお会いしたことはありません。


「私もお会いしたことないですね」とネモフィラが言います。


「僕もお会いしたことはないな。失礼だけど、君と幾つ離れているんだい?」と殿下が会話に入って来られます。


「3才です」


 奇しくも、私と秋子の年の差と同じです。妹に、自分ではない姉がいるというのは不思議な心境です。ルピナスさん……。どういう方なのでしょうか。


「3才さであれば、社交会でお会いしたことがあっても良いのに、お会いしたことがない。カトレア嬢の姉君は、深窓のご令嬢かな?」

 殿下のご冗談でしょうか。王都に屋敷を構える貴族は、たとえ年少であっても舞踏会などに参加いたします。早く社交会に慣れさせるという早期教育の意味合いよりも、婚約者を早々に決めてしまいたい親の意向の方が大きいですが……。


 私自身、ピアニーの記憶でも、お茶をしている母親たちから少し離れた所で殿下と一緒に鞠を蹴ったものです。もしかしたら、私と殿下の相性などを、お母様たちは見ていたのかも知れません。仲の良い友達であったと思っていたウィリアム王子が、私の婚約者になったと知らされ、結婚というものが分かっていなかったピアニー。

 ただ、『友達よりもずっと仲が良いの。今以上に殿下と仲良くなれるのよ』とお母様が婚約というものを説明してくださって、それを聞いて嬉しいと感じたピアニー。

 私はすでに、黒部春子であると同時に、ピアニー・シュピリアールでもある。二つの人格が混じり合ってしまっている。殿下との思い出が、ピアニーの淡い恋心が、私に強く訴えかけます。嵐の夜に窓がガタガタと強風で音を立てるように、このまま殿下と幸せでいたいと訴えかけてきます。


「実は、姉のルピナスも、アウンタール当主である兄のストックも、王立学園には通っていないのです。二人とも王都に一度も来たことがないのです」


「貴族の子息子女が学園に通わないのは珍しいですわね」と、ポーリアが口を開きます。殿下と、ネモフィラと私という侯爵家が参加するお茶会ですので、どうしても子爵であるポーリアの口数は減ってしまいます。

 ポーリアは、私たちのカップの紅茶の量と、そして紅茶が温くなっていないかに気を配らせ、侍女にさり気なく紅茶を注ぎに来るようにと指示を出していました。今日はこの席のホストであるネモフィラを支える裏方に徹していると思っていたのですが、そうではなかったようです。

 一般的に、貴族の子息子女は王立学園に通うことになっているので、ポーリアは無難なところで会話に参加したということでしょうか。


「恥ずかしながら、我が家には学園に通わせるだけのお金が無く……。兄は父の執務の手伝いをするということで実務を憶え、戦を学びました。姉も学園に通うことを固辞して……」


「そういうご事情でいらしたのね。私の失言でございました。お許しください」とポーリアが謝罪をしました。


「いえ……。我が家が普通ではないということは自覚しております。跡継ぎである兄のストックが本来学園に通うべきであることも。どうして末娘の私が学園に通うことになったのかも不思議でした」


「たしかに」

「そうですわね」と、カトレアの言葉に皆が同意します。この世界は、男尊女卑とまでは申しませんが、貴族の跡継ぎは長男という厳格なルールがあります。女は爵位を継ぐことはありません。ちなみに、次男も爵位は継ぐことはできません。長男が親の全てを受け継ぐという世界です。教育の優先順位も自ずと決まってきます。


 ちなみに、我がシュピルタール家は、私しか子どもがおりません。このまま新しい跡継ぎをお母様が産めば良し。ただ、そうならなかった場合は、爵位を返上するという形になります。シュピルアール家は、お父様の代で終わりとなります。ただ、隔世継承特権をシュピルアール家は有しています。

 つまり、私が殿下と結婚をして、男子を産めば、その息子はやがては王様に。そして、二人目の男子を産んだとき、隔世継承特権により、シュピルアール家の全てがその次男に与えられます。もっと正確に言えば、殿下と私の間に生まれた長男が無事に王位を継いだときに、アウンタール公爵兼第二王位継承王子から、アウンタール侯爵当主となります。いささか複雑ではありますが、システマチックな分だけ、私情を挟む余地はなく、すんなりと決まります。

 ちなみに、正室、側室、妾などというような習慣はこの世界にはないようです。なんでも、主神ディオニュソス様が禁止されたそうなのです。私が裁判所のような場所であったあの悪神の名前もディオニュソスでした。同一の神様なのか分かりません。


「父が、私は王立学園に行けと、強く勧めたのです。そしてそれがそのまま父の遺言ともなりました。今思えば、アウンタール領が戦場になる可能性を父は危惧し、安全な場所に私を行かせようとしていたのかも知れません」


 あるいは、悪神の悪戯か……と、私はどうしても考えてしまいます。でも、私は言わなければなりません。


「安全な場所にいて欲しいということであれば、カトレア様はずっと王都にいらっしゃれば良いのではないですか? 学園を卒業された後もずっと。王都なら安全でございますし、それこそ亡きお父様のご意思ということではないでしょうか?」


「ピアニー。君の気持ちは分からないではないが、それは少しばかり……」と殿下が歯切れ悪く話しに割って入って来ました。


 そうです。殿下のご指摘の通りです。

 寄親、寄子の関係ではない貴族は、他の貴族の家のことに口出しをしてはいけません。アウンタール家令嬢のことは、アウンタール家が決めるべき事です。


 カトレアの将来のことについて、今日会ったばかりの私が口を挟むというのは無礼なことです。それに、会ったことも無いカトレアのお父様の、それこそ安全がご意思では? などということは失礼千万のことです。


 もちろん、私もそれを承知の上でカトレアに言っています。ずっと、王都にいればよいではないかと。

 そうすれば、アウンタール領は北方騎馬民族に滅ぼされようとも、カトレアは、私の妹は生き残ることができます。生きてこそ、です。


「王都は、噂通りの素敵な所だと思います。ですが、私はアウンタールへ帰らなければならないのです」と、カトレアはきっぱりと言いました。


 普段は優柔不断なくせに、一度決めたら梃子でも動かないのが、黒部秋子、私の妹でした。その妹の姿とカトレアの真っ直ぐな瞳が重なります。いつも仲が良かったというわけではありませんでしたね。口喧嘩もしましたね。


「帰らなければならない理由をお伺いしても? アウンタール家の前当主が、あなたにはアウンタール領を離れて欲しい、安全な場所にいて欲しいと願っていた。それはあなたも分かっていることです。この学園を卒業する頃、アウンタールが平穏無事な場所となっているならそれでもよいでしょう。ですが、あなたの言い方ですと、たとえ戦火のアウンタールにでさえ、帰ろうとしているように思えました。それは、あなたのお父様のご意思に反することではありませんか?」と、私はカトレアに対して(まく)し立てます。


「ピアニー? 新しい学友の安全を考える君の優しさは十分に理解しているつもりだ。だけど、少しばかり感情的になっていないかな? 気分が悪いなら、これで僕等は失礼しようか? 急ぎ馬車を呼ぶよ?」


 ネモフィラもポーリアも気まずそうにしています。このお茶会のホストであるネモフィラには後日、丁重に謝罪しなければなりませんね。しかし……


「殿下、殿方が危険を顧みず戦地に赴くのは勇敢であると賞賛されましょう。ですが、前アウンタール当主が命を代価とし、現当主も安全な場所にいて欲しいと願っているのに関わらず、戦火の中に戻ろうとする令嬢を、じゃじゃ馬呼ばわりしたとしても、私の誇りは傷つくとは思いませんわ」


「ピアニー? さすがに、そこまで言うのはどうかと思いますわ。きっとこの席に何か至らぬ事があったのね。それが何かは分からないのだけれど、ここは私の顔に免じておさめていただけないかしら?」


 ネモフィラは、お茶会のホストとして、仲裁を始めてしまいました。この場では、私達は客人です。その客人同士の争いが起こってしまったら、ホスト役として仲裁をしようとするのは正しい行為です。

 それに、ポーリアなどは自分に矛先が向かないように、俯き、テーブルに視線を向けたまま動かない石像のようになっています。まるで私が、気まぐれに雷を落とす、荒々しいゼウス神の化身になったかのような対応ですね。ですが、私はポーリアに何か言うつもりなどはありません。すべては妹のためにです。すべては、妹が生きる為にです。


「た、たしかに私は自分勝手なのかも知れません。王都でずっと余生を過ごして欲しいというのが亡き父の、そして家族の願いなのかもしれません。しかし、私には夢があるのです。その為に私は王立学園にも、不本意でしたが来ることにしました。そして、学ぶことにしたのです。私は、アウンタールに帰ります。これは、アウンタール家の、貴族に生まれた私の矜持でもあります。ピアニー様に、じゃじゃ馬呼ばわりされる謂われはありません」


「カトレア様? さすがに御家のお名前を持ち出されては……」とネモフィラは困り顔です。家名を持ち出されると、個人の争いでは無くなってしまいます。


「面白いですね。では、その辺境の子爵風情の矜持とやらを、私、シュピリアール家の——「——そこまでだ。この場は、王位継承権第一位を有する私が預かる。我が名において命じる。このいざこざについては、この場にいる全員が忘れ、わだかまりを残すことを禁じる」


「殿下……」


「何か私の裁定に不満があるか? シュピリアール家ピアニーよ」


 敢えて殿下が家名を含めて私を呼ぶということは、今は婚約者としてではなく、王子としてお命じになっているということでしょう。


「畏まりました」


「他に異論のあるものは?」


「「ございません」」と他の全員が言います。


「では、この場は速やかに解散とする」とお茶会の宣言を殿下がされてしまいました。


「畏まりました」とこの場にいる全員がそれに応じます。


「では、以上とする。と、いうことでピアニー、馬車を手配するから君の屋敷へと送るよ。早馬も送って屋敷でも準備をさせておこう。今日はゆっくりお休み?」


「殿下……私は……」


「ネモフィラ。私とピアニーがこれからの授業を今日は休むと伝えてもらってよいかな?」


「畏まりました」


「ウィリアム王子。私も大変失礼なことを言ってしまったことをお詫びも申し上げます」とカトレアが謝罪の所作をとります。


「なんのことかな? 今日はネモフィラ主催で新しく学友となった君の歓迎会をしただけのことだ。感謝されることはあっても、謝罪される理由など何処にも無い」


 どう殿下がおっしゃると、カトレアはハッと顔を上げ「謝罪ではなく感謝を」と言い直しました。


「新しい学友を歓迎するのは当たり前のことだ。おや、馬車が来たね。では、ピアニー、行くよ。では、私達はこれで失礼する」


「で、殿下。私は自分で歩けます!」と、私は殿下に両手で抱えられてしまったことを断固として抗議します。


「いや、君は今日は体調が悪いんだ」


「そ、そんなことを言って! 殿下は私を抱えたいだけでありましょう?」


「然り、とだけ言っておこう。こらこら、ピアニー。そんなに両脚をばたばたと動かさないでおくれ。まるで水から上がった魚のようだよ?」


「自ら強引に引き上げたのは殿下でございます!」


「そうか。では、引き上げた魚をどうしようが、それは引き上げた漁師の勝手ということだ」


「そんなのは屁理屈でございます」


 私は殿下に出来抱えられたまま馬車に乗せられ、屋敷で安静にすることとなりました。屋敷へと向かう馬車の中、何度も殿下が、私の発熱を計るためと言って、御自らの額を私の額へと当てておりました。殿下の顔が、唇がとても近く、私は顔が真っ赤になってしまいました。そして……『こんなに顔が真っ赤だ。やはり熱があるのだろう』と殿下にからかわれてしまいました。


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