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8話


 ざわつきと熱量。独特の雰囲気に保たれていた会場に、打ち破るほどの大声が響きわたった。


「こらっ、バイトに間に合わないで失神したニート寸前のクセに先遣隊参加を迷ってるダブり男、桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)

「ウゲッ」


 呼吸が停まった。何者かが、いきなり襟を強く引っ張り上げたからだ。つま爪先立ちになるほどの力で、ノドが締め付けられる。どさり。背負ってたナップサックが右肩からずれて、樹木を贅沢に使った床に落ちた。苦しい。手を回してほどこうとするが、もがいたぶんだけ締まっていった。


「お、下ろしてぐ、で」


 わずかな空気を吐き出して、それだけをどうにか言い伝えた。


「息ができないの桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)?だらしないね?」


 襟を持ち上げた手が緩むのを感じる。かかとが床について身体がよろめく。ごほごほと、こみ上げてくる咳き込みをガマンしながら、気管を広げて空気を肺へと送り込むほうを優先させる。痛む喉をなでながらどうにか息を整えると、聞き覚えのあるキーワードが、そこそこ広い室内を駆け巡っていることに気づいた。


 さくらたい、ゆきや、あの、あいつか、ズル。


 人の噂というのは、時として光をも超越するらしい。ワールドカップのスタンディングオペレーションより波状的に、140文字SNSよりも速く、オレに関する情報が蔓延していく。


 ゆきや、ずる、横ははいり、ダブり、ニート。


 馴染み深い単語の中に、知って欲しくない単語が加算されていた。


「見た目より重いんね桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)。それより、なんで無視するのよ!」


 振り返ったそこには、胸と背のでかい女性。子猫を運ぶ親猫のように、オレを吊り下げてたのは、こいつか。


 この場の全員が着てるフィットスーツに、膝まである薄地の白コートをだらりと羽織ってる女性は、医者であることを示す十字のワッペンを腕に貼りつけてる。医者と思えば、コートが白衣に見えなくも無い。ただごとではない腕力は、部分義体してるのかもしれない。胸は天然か。


 本日の状況をまとめてくれてありがとう。

 自己紹介の手間が省けて助かったよ。くそ。


「知らない人にはついていくなって、ママが」

「幼児か! 」


 事実を織り交ぜた会心の皮肉を、怒鳴りで返された。大空姉妹もそうだったが、ここにいる女性というのは、どいつもこう威圧的なんだろうか。


 オレのことをよくご存知であるという、これまた上から目線も解せん。オレは動物園のクマか。ペンギンでもエゾフクロウでもいいが、観光客は檻に掲げた説明と音声から動物の特性や行動や生息地を一方的に知る。周り全員がオレを知っているのに、オレはというと、たった一人も知った顔がない。見世物動物たちの気持ちがなとなくわかった。


「まぁいいよ。それよりも、もう起きてていいん?桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)

「おかげさまで」


 つい、反射的に、正面の胸にペコっと頭を下げてしまった。

 なんの”おかげ”だ。オレのヘタレはここでも全開である。


「あれね。地上の大空水芭(おおぞらみずは)から連絡があって待機してたんだ。麻酔ナノを過剰投入したかもって青くなってたっけ。レスキューするようにロケットから運びだし急いでメディカルマシンにいれて緊急回復モードさ。永眠するところだったんだよ」

「…………」

「目が覚めてよかったね桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)。わっはっは」

「ひ、他人の命をなんだと思ってんですか。『一人の命は地球より重い』と語った人もいたそうですよ」

「誰そいつ?バカだね~」


 数十億の人類の住む惑星と人間一人の命とでは、質量的にも数量的にも比較対象にできるものじゃない。命は重いって言葉も、政治的プロパガンダだったのかもしれない。だけど、医者なら目の前の命に思いやる心があってもいいはずだろう。どんな大怪我をしても、こいつの世話にはなりたくないと記憶しておこう。細胞レベルで。


「い、医者のようですが、チビ男――京極だっけ――のところにいかなくていいんですか?主任って人は向かいましたよ」

「京極源水(げんすい)ね。いまどき医者の出番なんかあるわけないでしょ桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)。メディカルマシンが治してくれてるよ。私なんか書類係りみたいなものよ」

「そうなんですか」

「医者らしく治療してみたいけど、チャンスがなくてね」


 昔の医者は長時間手術、残業200時間が当たり前で、バタバタ過労死してたそうだぞ。チャンス言うな。


「彼をチビ男って言ったけど。あなたも大きいほうじゃないみたい」

「こ、これでも、169センチあるんですけど」

「高校生平均身長より1センチだけ低いね。クマDNAの男性は175センチある。6センチも低いなんて、ここじゃモテナイよーん桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)

「ほっといてください」

「死活問題なんだけどね。それより桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)、これからのこと聞いた?」

「そうだった」


 説明してくれる人を探してたんだっけ。この、胸の女医で大丈夫かという不安はあるが、さっきからの話しと、会場にいる大人であるってことから、細部に詳しい関係者に違いない。

 でもなぁ。なんだかさっきから主導権をとられまくって気分が不調だ。オレの主体性はどこへ行った。平常心平常心。こんなときは落ち着くのが大切だ。座右の銘を口ずさめ。


「人生万事、太陽が裏」

「人間万事、塞翁が馬……のこと、かしら?」

「そういうのも……あるかも」

「太陽には表も裏もないわよ。まぁいいけど直視だけはしないようにね。地上と違って空気のフィルターが無いから目が焼けるわよ。医者として忠告ね、桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)


 

 すぅぅぅぅぅ………… 息を深く吸い込んで、

 はぁぁぁぁぁ………… 吸い込んだ息を全て出し切って、

 ”人生万事、太陽が裏”の話を歌うように声に出す。


「あるとき、太陽村の裏のほうに住む狩人男の馬が骨折した。村人たちは、さぞや男ががっかりしてるだろうと見に行くと、その男は「これは良いことの兆しだ」と笑っていった。遠出ができなくなった男は、しばらく家のそばで仕事をすることにし近くの林で狩りをしていた。するとそこに助ける呼ぶ美しい娘があらわれたので、男は襲っていた盗賊を追い払った。娘は感謝し、行くところがないからと男の嫁になることになった。村人達は、さぞや男が嬉しがっているだろうと見に行くと、「これは悪いことの兆しだ」と男は言う。ようやく馬の足が治ったので、男は久々に遠くの山へ出かけて珍しい獣を狩りにいこうと考えた。出発の準備をしようとするが、馬が見当たらず女も消えてしまってる。どうやら女に一杯くわされたようだ。村人達は、間抜けな男の面を拝んでやろうやってきたが「これは良いことの兆しだ」と言い返された。時が経ち、誰もがそのことを忘れたころ馬にのった娘が子供を乗せて戻ってきた。女が言った。「私の故郷のしきたりでは子供は女が一人で産むことになってます。これはあなたの息子です。あなたがよろしければ、私ともども、この子を受け入れてくださいませんか」。村人はそろって、男にお祝いをもってきたが「これは悪いことの兆しだ」としょんぼり。いつもいつもへそ曲がりばかりの男に、皆があきれたという」


 自分でいうのもあれだが、オレには知性がある。むんっ。

 女医は首をかしげ、ぽかんと口を開けてる。勝った。


「お、お経みたいね」

「禍福は糾える縄の如しという、すばらしい寓話です」


 ――――ふぅ、落ち着いた。

 身も心も真白になって、少しだがオレのペースに戻せた気がする。

 なんだったっけ。

 そうだ、これからの予定だ。


「聞いてもいいですか。何しに、どこまで行くんですか」

「どこへって……、まさか、それさえ聞かされてないの?」


 それくらいは聞かされてるが、それしか知らないんだ。

 惑星ファイモットがどこにあるのか、その基本的なことから知りたかった。


「飛び入り参加なもんで」

「しかたないわね。こっちにいらっしゃい、桜岱 幸連(さくらたい ゆきや)

「ここでいいですよ」


 ここでは落ち着かないから、とでもいうのだろう。

 近場の部屋で話しに行こうとするが、いまさらだ。十分すぎる注目を浴びまくってしまって隠すことも隠れる事情も、いっさい何も無い。もっとも、ほとんどのヤツはこちらを気にした様子もなく、異性との会話にせいをだしてる。頭の上で指をクルクル回してるヤツもいるが、どこにでも例外はある。じっと見ている女子もいるし。


 ん?


 彼女達。こっちを向いてはいるが、みてるのは顔じゃなくオレの下のほう。

 ごそごそする音と気配が、床のほうから立ち(のぼ)ってくる。


「ふぅ……、ひき肉が(とり)のタマゴサンドも悪くない。つぶれたサンドイッチ、もうないの?」


 口のまわりのパンくずを付けたぬいぐるみが、足元にいた。ナップサックを勝手に開けて正座。マグのお茶をコクコク飲み飲み、まったりくつろいでる。オレの昼飯、母親がつくったサンドイッチが、一つ残らず消費されてしまっていた。


「な、なんだお前? 勝手に!」


 ぬいぐるみに見えたのは、とても小柄な女子だった。やはり、フィットしたスーツに上がジャンパーという、もはや制服だといっていい服装。下に履いてるのは、ほかの女子がタイトかパンツなのに、キュロットだ。じと目っていうのだろうか。アンドロイドと言われても驚きはないくらい、感情の希薄な瞳が印象的だ。エモーションプログラムの組み込まれた最近のアンドロイドのほうが、よほど感性が豊かじゃないだろうか。静かな音声がたんたんと、口元から流れでていた。


「もう、ないのかって訊ねてる。つぶれたサンドイッチ」

「ねーよ!潰れたのはロケットの加速力のせいだろっ。勝手に食って文句言うな!」

「男が怒った……恐い」


 楽しみにしてたのは確かだが、たいして怒ってるわけじゃない。母親から始まって現在の女医まで継続しているツッコミをしっかり踏襲。その程度の怒りなのだが、この児は身を縮ませながら、目をうるうるさせる。遭難した山でクマにでくわしたかのごとく心底おびえ、薄い胸を抱えて震えてる。ツッコミが滑ったというのか、やりにくい。どうすればいいんだ。


「わわ、な、泣くな。わかった」

「怒鳴らない?」

「ああ、もう、どならない」

「わかった」


 しずく一つ落として、泣き顔がぺろりと平常に直る。

 ウソ泣きじゃない。でも驚くほどに表情が変化した。

 伺っていた女子連中が、コッチを指差してギャアギャア騒ぎはじめた。


「ちーちゃん泣かした。かわいそー」

「弱いものイジメ!さいてー」

「女の敵、ダブりニート」

「ダブりニート、ダブニー」

「それいい。ダァブニーッ ダァブニー」


「ダァブニーッ ダァブニー ダァブニーッ ダァブニ ダァブニーッ ダァブニーッ ダァブニーッ ダァブニー ダァブニーッ ダァブニ ダァブニーッ」


”ダブニー”の連呼。年齢の近さがそうさせるのか、”お祭り騒ぎがでぇ好きでぇ”な連中を選りすぐったのか、たちまち騒ぎは伝染していき、会場がダブニーに包まれる。


「いいがかりだっ」


 どうすればいい。弱ったときに頼りにしたいのが担任の教師の存在。いや、横で一部始終を知る女医なら、オレが泣かせたわけでないことを、小気味良くきれいに証明してくれよう。


「はははは。ダブニー ダブニーッ」

「あんたもかっ!」


 一緒になって笑ってやがった。

 屋内の空気がダブニーコールで振動する中、一人だけ、冷静に人生を語る人がいた。サンドイッチを平らげ、問題の原因を作ったちーちゃんと呼ばれた女の子だ。


「人生万事、海洋のトラ。諦めが肝心」


 なんだ。同属意識を感じる。


「太陽が裏、だろうが?」

「ちがう、”塞翁が馬”だからね!『ちわす』」


 オレのパーフェクトな訂正を、間違って訂正してくる女医。”ちわす”だから”ちーちゃん”ね。どんな字を書くんだろう。


「食べ物が無いんなら、ぼく、もう行く」


 ぼくって言ったが”ちわす”は女子だ。それがピョコッと立ち上がった。座ったときから小さいとわかったが、立ったことでなおさら際立つ。身長は、オレの腰ほどしかない。小学生なら1年か2年あたり。7~8歳の身長か。


 女医もいってるが、クマDNAは基本、男女ともデカイ。どんな経緯で紛れ込んだんだ。チビ男と二人並べて手を繋がせれば、ベストカップル誕生だ。小学生兄妹の登校的に微笑ましいだろう。


 タッタカターと遠ざかり、煩いグループに合流したことで、ようやく、ダブニーコールが静まった。


「大丈夫だった?」

「うん。美味しかった」


 かみ合わない会話をしたリーダーっぽい女を筆頭に、目に入る女子すべてが三白眼でにらむ。オレを熱視線で焼き殺そうという魂胆か。楽しい夢が見られそうだよ。



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