6話
「どう?実物でしょ?」
平面画像というものは、正面でも横でも、どの方向からでもコンテンツは同じで変わらない。写真を見るのと本質は一緒で見え方が狭く見えるだけのこと。ここにある宇宙には、奥行きがあった。水族館の小窓から水槽の魚を眺めるように、左に顔を寄せれば、正面からは見えなかった右奥にも星が現れてくる。オレが動けば目を動かせば、星の位置の見え方や角度が変わるのだ。2次元画像でもなく3Dでもない。宇宙が、本物が、眼の前に展開していた。海に浮かぶ船でなく、ここは宇宙に浮かぶ人工衛星だったのだ。
「感動する人は多いけど……。そこまで感激した人を見るのは始めてだわ」
涙のせいで星がぼやけた。
目から出る。鼻から垂れる。液体は交じり合い顎からしたたり、床を濡らしていた。オレは熱い感動でぐしゃぐりゃになった顔を忙しくぬぐった。
「キミが小黒部 夕一でないという確認がとれました。こちらの不備は謝ります。桜岱 幸連君」
宇宙だぞ宇宙。夢にまでみた宇宙だ。VRゲーで、何万回となく遊んで憧れた、恋焦がれた宇宙にオレはいる。見下ろしてるあそこの惑星に、住んでたんだな。大陸はみえるが街はみえないか。半月状の衛星がまぶしく光る。空気を介さない月があんなに明るかったなんて。
「悪いけど調べさせてもらったわ。あの桜岱 幸連君がキミなのね…………当方の失態はあるけども、キミに落ち度がないわけじゃないほずよ。小黒部君のチケットを持って21番ゲートをくぐったのだから。今回の行き違いはね、キミのDNAもクマ型だったという偶然と、時間が差し迫ってるストレスが重なって起こったの。失態ではあるけど、大空水芭を責めるのは酷じゃないかしら――――ちょっと、聞いてるの?」
何をか雑音がする。きゃーきゃー耳鳴りがするがオレの耳には届かない。というか、全てがどうでもよくなった。肝臓でも腎臓でも、脳でさえもくれてやれって気分。絶対に、万が一にも、太陽が西から昇るほどに不可能で、一生かなわないと思っていた夢が、唐突に実現してしまったのだ。七福神もびっくりだ。これが夢オチであったとしても後悔はない。心の中で暖かな桜吹雪が舞に舞っていた。
「おー、艦が動いてる。あれはフライヤー級か」
「聞えてないようね。はぁ~……。感動してるところものすごく悪いんだけど、話しに耳を傾けておかいと大変なことになるわよ」
「うるさい騒音だな」
いいとこなんだから邪魔するなよ。
耳を傾けるまで鳴り止まないつもりのようだ。何を聞けって?
仕方なくグルンと、女のほうへ首をまわした。瞳は窓に貼り付いたままで。
「き、器用ね……。人口衛星、このステーションまでのロケットに搭乗した旅客費用を支払う責務が、キミにはあるの」
「ふーんそれがどうした」
「キミはいま、大きなふさいを抱えてるのよ」
ふさい?負債か。夫妻じゃないだろう。
「借金?どれくらいの?」
「ご両親の自宅を手放すくらい」
ぶはッ
窓に固定された視線は、まなかへ移動せざるをえなくなった。
「ウソだろ?」
「本当です。責任はこちらにあるけど、実際にロケットに乗ったのは動かせない事実よ。設備使用量はこちらが負担するけど、上昇燃料費だけは実費です」
「……どれくらい、かかるんだ?」
「これくらい」
ぺらりっと鼻の先に突きつけてきた紙型デバイスを、ベシリっともぎとって目を走らせる。そこには掛かる費用明細の一覧が事細かに記載されていた。
「宇宙服レンタル料、医療随行員派遣料、ロケット危険保険料、中間加速器使用量、そんで、そんで………………固定燃料費・・・ぐはッ!」
宇宙好きのオレにはわかっていた。料金情報はどこからでも拾えるし旅行会社ごとのプランを見比べるのは、地べたを急ぐアリの種類を見分けるよりもカンタンだ。金持ち家庭は経済状況を公開する義務があって誰もが閲覧できるし、そこにある異世界の住人つまり金持ち達の家族はちょくちょく宇宙旅行を楽しんでいた。同じ土地で空気を吸いながら住む世界が違う人間が同居している不思議が楽しく、もしも自分がいつでも宇宙にいけたならと想像するのは、当たらない宝くじ大金の使い道に悩むワクワク感に似てた。
空想はプライスレスだが、明細合計は有料だ。想像上の娯楽にすぎなかった桁数が提示され目の前が暗くなった。紙型デバイスが、指の間からするりと落ちた。
「これはあくまでも上昇分。地上に戻りたいのなら、さらに同じだけ加算されることになります」
「誘拐犯めっ……か、か、勝手に連れてきといて金払えってか!」
「誘拐犯?……その言い草はないと思うわ。私は一度、きみを助けてるんだけどね。こっちの顔には見覚えない?」
あきれたように言い放った次の瞬間、女の顔は光のつぶに覆われた。それは少しばかりくすんだ色の肌になると、お面を被るよりもナチュラルに新しい目鼻を上書きしていく。
「フェイスマスキングか」
FMは、光学迷彩の技術を応用した変装のこと。肌をスクリーン代わりにして、別の顔を投影する技術だ。身体用は体型や服装も変えられる。まったくの別人になることが可能で、子供の変身ごっこからファッションまで、あらゆる分野に取り入れられている。
『要人保護の一つにも活用されてます』と、クイズパラエティの司会者が得意げに回答していた。警察のSNSでは、他人に成りすます詐欺のなどの悪用の危険性を呼びかけていた。オレが中学になる頃に、厳しい罰則と使用制限が設けられた。
市販品の場合、本来の顔から離れるほど粒子は荒くなり、近いほど細やかになる。高性能FMは、本人からかけ離れた細やかなマスキングが可能だが許可制で、厳しい審査をくぐり抜ける必要がある。
とはいえ、同じ顔を精密にマスキングすることは、メイクに通じるものがある。楽してキレイに魅せられるとあって人気は上昇。メーカーがカラーリングに力を入れた製品でしのぎを削った結果、自分の顔立ちなのに他人に見えるという、法の目をかいくぐったFMが登場した。理想の美肌フェイスをマスキングするのは、現代女性のマスト。FMデザイナーになるには高い技術とモラルが要求される資格試験を突破しなければならないが、もてはやされる”神”人気の職種である。
女は3秒ほどで、別の人物へと変化していった。そしてフェイスマスキングで実装された顔にも、しっかり覚えがあった。
「ゲート12で、助けてくれた――」
失神したオレを起こして、付き添ってくれた二人組の片方だった。パイロットのような制服を着こなした、言葉のわかるほうの、女性か男性かわかりにくかった人。
「明らかな他人顔じゃ?」
「FMの許可証くらいもってるわ」
この誘拐犯、要人レベルなのか。
「勤務じゃない普段は、この顔で過ごしてるの。大空の姉妹は目立ちますから」
「そ、その節はどうもありがとうございました。目立つ? てか、いやいや、いまはそろどころじゃ、宇宙に誘拐に、臓器ドロボウが親切って、あーもーなんたがわからんが、この請求は横暴だ」
お礼を言うべきだという感謝の念と、不埒をはたらかれた侮蔑と、バカ高いロケット料金請求書の圧力とが入り混じってアドレナリンがムダに分泌される。【大空の姉妹】の意味もわからん。冷静なオレには、珍しく取り乱してしまった。
「なにを言うのよ。無限の星が広がる光景に感動してたでしょ。大多数の人は、この景色を目にすることなく一生を送るのよ。古来の宇宙開拓時代と比べれば、無料みたいな良心金額設定とは思わない?それと、これだけは言わせていただきますけど、当組織は銀河移住計画法に則った、レッキとした公的機関です。誘拐犯などでは決してなりえず、どういう根拠で疑いを抱いてるのか教えてもらいたいくらいです」
「…………」
この人物の口説は正しいのだとオレのカンがささやく。これまでの態度と言葉に一貫性があって、腹立たしいほど整合性が高いのだ。言い包めてるのではなく、事実を事実として伝えてくる自然体の説得力とでもいうか。
いや、いやいやいやいや……悪党なら、孤立した人口衛星駅のここから逃げる段取りなどつけられはしない。命などとっくに消えていたことだろう。
売人じゃないってのはウソではなさそうだ。
事実、腹は切られたりしないし、臓器は売り飛ばされてない。
「……くそっ」
「なぜそこで悪態を?」
悪党組織ならば、不正だとか違法だとか、なんだかんだと請求にいちゃもんつけたってのに。
「わーはっはっは!オレは無職だ。払えるわけがないっ!」
どーん!
目を背ける場面であるが、それは悔しい。真正面から無理と告げた。
「どうしても?」
「無理な物はむりだ!」
ニヤリと、彼女の口のわ端があがった。そのセリフをまっていたぞ。そんな気配が漂った。袋小路に追い詰められたキタキツネ。インディアン水車に乗っかった遡上鮭。ありていにいうならまな板板の鯉。薄気味わるさに背中の毛穴が開く。
「なら、提案があります。こちらの要望を飲めばキミは無罪放免。支払い義務から永久に解放されますよ」
完全にペースを取られてる。組織が悪党ではないとしてもこいつの性根は悪党だ。言い分を聞くしかないだろうが。
「そ、それを先にいえ。その提案とは?」
女の口が、ニヤリからにんまりになる。
「小黒部 夕一の変わりに、当プロジェクトに参加すること。惑星ファイモットの移住計画の先遣隊の一員になってもらいます」
「それって……」
「宇宙船に乗って、別の太陽系へ行くのよ。桜岱 幸連くん」
………。
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???!
!!!!!
オレは急いでナップサックを開いた。
「マグしかないですが、お茶……お飲みになりますか?」