5話
目が覚めた。
覚醒したのだという意識が訪れた、ということは現在も生きてるという証明であり、とりあえず喜んでいい状況でもある。ほんの軽く喜んだものの、意識を失うことになった原因を思い出す。
オレは本当にオレだろうか。
自分の身体が自分のものである確証がほしくなり、それを得んがための行動を開始する。ゆっくりゆっくりと、身体に指先を這わせてまさぐりパーツの無事をたしかめていく。目はまだ開けてない。
頭――ある。
胴体――あった。
股間――あった。
足――あった。
ある、あるぞっ。オレはおれのままだと決定…………いや、まて。
楽観はまだ早い。
さっきまでのアレが夢だったという可能性は捨てきれない。夢オチってのは、古来から困ったときの王道だ。今のこれこそが夢だという可能性すらある。自分の体が自分のものだというのも、錯覚か幻覚ってのもあるか。夢になっちゃいけねぇ…………てのは、なんの落語のオチだったか。いやこの場合は夢だったほうがいいのか。本当にオレはおれか。寝てると感じてるここは、そもそも自分の部屋か。
五分ほどグルグル考えたが埒が明かない。正しく言うと飽きてきた。
確たる回答がないまま、眠気が襲ってくる。寝ようか。いかんイカン。
思考が回る。回答ループだ。
情報が無い状況では、どんな考えも想像の域をでない。
考えるだけ無駄でむしろ害だ。
うーん。
冷静になろう。
内臓だけが抜かれてるかもしれないが、そこまで手の込んだ密売屋はない……と決定しておく。そもそも、脳が仕分けされてたり擬似記憶やら仮想触感をチップを埋めらてるなら、後戻り不可能の無理ゲー。だがそこまで手の込んだことをするなら、バッサリ殺るのが闇の組織っぽい。科学が法やモラルを追い抜いたのは100年以上昔のこと。疑えばどんな可能性もあるわけで、キリがないのだ。
そこまで突き詰めて目をひらく決心がやっとできた。自分の身体を十分にまさぐり終え、寝そべり姿勢は保ったまま重いまぶたをもち上げる。
天井の色はオレの部屋のではなかった。自宅夢説が消滅したことで、次点だった、拉致監禁説が浮上する。次に控えてるのは脳移植説だ。オレは、いまにも暴れそうな心を、はいどーっと調教。目の上まで手を上げて、触感と視覚との整合性をおし計る。
手が、一本……二本……三本。
三本とな?
「改造された……のか……こんな展開って」
こいつは、想定を越えている。
4つ目の、あり得ない結末が待っていたのだ。
「おい」
「おわっ!」
顔が覗き込んできた。おどろきの余りエビぞりでのけぞる。勢い、仰向けで寝ていた位置からずれて落下。床に落ちたことから、寝ていた寝具がベッドだったとわかった。ついでに、フイットする服を着てること、ベルト拘束されてないことも判明。ナップサックもみつけた。自分でいうのもあれだが、研究熱心なオレである。
「なぁにをやっとんのや。自分の身体をいやらしくもぞもぞしやがってからに。意識もどったと、手をだせばベッドから跳ね落ちるか? びっくりしたわ。ま、あれや。元気になったんならええわ。ほなぼく、行くからな」
ベッドの反対側からは男が、ひっくり帰ったオレを見下ろしていた。軽い。そして、何を言ってるか早すぎて聞き取れない言葉がポンポンと繰り出される。目が細くてものすごい童顔で、人懐っこそう。男と言ったが、見た目を信じるならエラそうな中学生。それも卒業間近な十五歳でなく、小学校から進学したての一年生。三本目の手はこいつのか。改造ではなかったことに安堵の息をついた。
「臓器密売組織員の息子か?」
「あん? このぼくのどこを見て、そんなセリフが浮かぶの? 容姿端麗、頭脳明晰、万策必中のぼくが、あの京極源水や」
どんと、胸をたたく。
”あの”って言われてもな。
「……そか。ず、ずいぶん自信ありげだな。ならば質問がある」
「おう、受けて立ってやろうやないか。そこまで言うならの」
「いや、そこまでっていうほど、追い込んでないけど――――」
ひっくり返ってたオレはあぐらに座りなおした。手に感じる床の材質はコンクリでなく固めの毛織ナイロンカーペット。クッション性がある病院や学校にありがちな丈夫で長持ち素材だ。わりとマトモな場所にいるらしい。
ついでに部屋を見まわす。ドアは二つでとりたてて特徴がみあたらない。ベッドが二つと丸イスが二脚あるだけの、淡いグリーンカラーの部屋。照明は有機ELか。唯一目立つのが壁に埋め込められた37インチくらいのモニター。よくある星と宇宙のクールオフな映像が映ってる。ほかに何もないので、モノが無さすぎて落ち着かない。ごちゃごちゃしてるが暖かい我が家に帰りたい。旅行から帰るたび「やっぱ家が一番だな」と言ってたオヤジの顔を思い出した。
「――ここはどこだ?」
京極源水と名乗った少年は、今しがたまでオレが寝ていたベッドに、膝からひょいっととび載る。可哀想な生き物を見る目つきで、こちらの鼻先までズームインしてきた。頭の上で指をクルクルと回す行動は、ますます子供じみてる。中坊決定だな。
「頭、打ったん?」
「打ったことは打った。見てたろ」
「ここがどこか知らんやて、ボケカス軟膏や。密航者かて、しっとるぞ」
どこだか分からないのに密航とか言われてもな。だがヒントはもらった。密航というからには舟の中だ。千歳から近い港といえば小樽、いや苫小牧のほうが近いか。悪のアジトは陸にはなかった。
「つまり、海の上か」
「ちゃっちゃっ。いいかよく聞け」
《中一男》は、両手の指を組み合わせ祈る仕草で、大げさに天を仰いだ。
「――――ここはな、ハーレムの艀やあ」
関西風の言葉から堺の商人を連想した。大漁旗をかかげた筏で七福神が金銀の鍋を楽器に酒池肉林してる光景が頭の中で行き来する。天井から光が刺しこんで見えたのは錯覚だと思いたい。
「はしけのハーレム?何かへんな神を信仰してるのか?」
「なにをゆうとる。ステーションに決まっとるやろ。そんで美女たちとともに光の旅や。この世の極楽を理解できひん君は、なんのために生きとるの?」
「美女。極楽。ステーション……駅?」
何を言ってるか分らない。こいつがぶっ飛んでるのか、オレが馬鹿なのか。それともやはり、脳は取り外され、難解な夢をみせられているのか。
無神論者を貫いてるオレだだ神という存在に祈りを捧げたくなった。上位の存在に頼りたい気持ちもいまなら理解できる。同時に、近所の電柱に貼ってあったA4紙を思い出す。”迷子の子猫を探してください”とあったっけ。オレも張り出したい”まともな解説をしてくれる方どなたかいませんか”と。
ふいに、京極源水が横を向いた。つられて、オレもそっちを見る。静かなモーター音を鳴らしてドアが開いてるところだった。叩けされば開く。スタイルのよい女性がそこにいた。オレの願いは天に通じたようだ。救世主の、おでま……し……だ?
「目を覚ましたようだな。ご苦労さま京極源水くん。もういいよ」
「やっと来ましたか主任はん。こいつあかんです。自分の居場所も理解しとらん」
「ふふふ。それは仕方ないわ」
「そですか?なら、ぼく行きますんで。美女たち待たしたら男の名折れや」
「がんばってね。君の努力が私たちの未来を左右するかもしれないから」
「言われんでも、がんばりますわ」
京極源水が忙しく部屋をでていき、入れ替わりで女性が中へ。すれ違いざまの身長が著しく違い、京極は女性の胸ほどまてしかなかった。やはり関係者の子供が紛れ込んだのかのかもしれない。オレは床から立ち上がった。そして、近づいてくるその女、 大空水芭を警戒した。
「ここはどこだ。オレをどうするつもりだ」
「その言い方。あの子と勘違いしてるわね。初めてじゃ無理もないけど」
「あの子? 初めて? あんたと誰を間違えるっていうんだ」
服装は違ってる。身体にフィットした緩みの無いスーツ。それにジャンパーをステキに着こなしてる。右耳にはピアスで、長めの髪は束ねてあった。違う部分はある。だが顔立ちは同じで、ムッとすると左の口元にエクボがでるのも同じだ。
「もう一度聞く。ここはどこだ」
問いただしながら、跳びつける距離まで近づいていく。さりげなくゆっくりとだ。紛らわしいアンドロイド看護婦は、今度はいない。女を叩き伏せ、この船から脱出してやる。
「あーあ。真っ赤になっちゃって。これは頭を冷やさないといけないかしらね。 私は愛花、大空愛華よ。よく間違えられるの」
「双子だってか。そんな偶然あるか」
息巻くオレに、女はふぅっとため息をついた。
「君、あれは目に入ってるよね?」
まなか、と名乗った女が指差したのは、宇宙映像を映してるモニターだ。星の位置はさっきから変わってない。映像アプリソフトの故障で、画像停止か。
「モニターのクールオフ映画がどうした」
「映画じゃないわよ。透過モニターではあるけどね。今は何も映してない。ただの窓ってことよ」
「窓――?――まさか!」
三角とびでベッドを越えてモニターへ。一秒とかからずほぼダッシュで迫ると、37インチの縁を抱えるようにへばりつき、まなかが言った窓の景色をしげしげと見る。窓の右から左へ、反対に、目は左から右へと、端から端を観察した。
「…………まさか」