2話
大柄な女医が、あいかわらず白衣のポケットに手を突っ込んだ格好で答えた。
「シキモリはメディカルマシンで回復した。傷は消えたよ。マシンは増血剤投与したとログにあったね。元気になったよ」
白雪さんと、京極は呼んでたっけ。ホワイトスノーがこれほど似合わない女性はなかなかいない。主任が引き継ぐ。
「自分のブリーディングルームで研修中です。天北咲来はカウンセリング中。その件に関してあとから君にお願いしたいことがあります」
そう言った彼女は、きゅっと音が聞えそうな急加速で女医を向いた。
「健康診断は時間がかかりますよね。対して私の話しは五分。こちらが終わってからにしてください」
「ああ。わかったわかった。早くしてよ」
しぶしぶながら承諾する女医。健康診断とやらは後回しとなった模様だ。
まばたきで赤い瞳を潤した主任が改まって口を開く。起床6時で就寝は22時。組み込まれた班と居室、明日からの座学と実習訓練のメニュー、艦隊内での仕事などなど。3回目の意識不明を彷徨ってる間、全員に説明したことや色々な取り決めなどをかいつまんで説明していった。よくわかったぜ。できる女ってのは、こういう女性をいうのだろうな。
「これが君用のデバイスよ」
セロファンでくるまれた真新しい小型デバイスを渡された。世界標準のプラスチック製情報端末。機能は紙型デバイスに近いが、ぺらぺらしておらず小型なのに多少とも重みがあるので、ポケットにいれたり持ち運びにアドバンテージがある。5ミリほどの厚みのある丸みを帯びた長方形は、掌で握るのに適したサイズ。ぺりぺり剥がしたセロファンの下から出てきたデバイスのカラーは、光沢を消した黒だった。
「パスワードは初期値になってるから好きに変更してね。脳には通信記憶素子と、格納させてもらいます。それと、健康診断を終えたらNデッキのブリーディングルームへ行って下さい」
手際よく話し終えた主任は不穏なキーワードを言い残して去っていった。男どもも一緒にいなくなる。京極が”やれやれや”と言ってたがこっちのセリフだ。
主任の説明はわかりやすかった。そしてあまりにも流暢すきた。おかげで半分も頭に残ってない。学校の授業でわかった気になって、後からなんにも思い出せない怪現象にとても似ているな。うん。不都合な事実を忘れるのはオレの長所。とりあえずは与えられたオモチャを触りたい。”PhimoticFleet”と刻印されたデバイスを早速起動させた。立ち上がったロック画面は見慣れない銀河だった。
パスワードをなんとかいうメッセージをスルーするとホーム画面が出現。ホーム画面に10あまりのアプリが横4つずつ3列に配置。メンバーSNS、メール、通話、艦内マップ、全天銀河星座、メモ、TODO、かんたんお絵かきなどがある。これがデフォだろう。一番気になったのはニコ顔マークのアプリだ。”2519年惑星ファイモット移住計画第一次先遣部隊 派遣員名簿”という長ったらしい吹き出し説明のついた情報アプリ。指タッチ。アクティブ化された名簿に、アルファベット順の名前が顔写真つきで列をなす。親しくなったシキモリやさくるだけでなく、参加者全員の最新履歴が一目でわかるようにできてる。
「はぁ…………もうオレのがあるし。政府の情報収集力ってすげぇのな」
個人情報なだけあって公表にはレベルがあった。かかわりの薄い”他人”から、全面公開のさしつかえない”近親”まで5段階。プライベート事項をどこまで公開するかどうかは当人が決めるようだ。だがここに落とし穴がある。最低限の情報の中に、最終学歴、在学期間、入社テストランキングがあった含まれてるのだ。入社試験など受けてないオレはランキング圏外。備考欄に”小黒部夕一の代わりでやむなく”とある。これ、イジメとか差別の土壌にならないのか。ダブりやチートとか集中砲火をうけたわけだ。公開を決めたヤツに悪意を感じる。
「いててて」
「いつまでなにやってんの」
女医が耳を引っ張った。そういや健康診断だったっけ。
「時間がもったいない。診察はあっちの部屋だから」
無理くり立たせようとする手。相手の手首を引っ張り耳を持つ手を外そうとしたとたん小型デバイスがポロリと落ちてベッドでわずかに弾んだ。よけいに力を入れて痛みが倍増。
「み、耳がちぎれるって!」
「千切れても、くっつくから大丈夫」
「そういう問題じゃねー」
「わかった立つから」
手が離れた。内出血してそうな耳をさすりつつ腰掛けてたベッドから立つ。床のナップサックの肩掛けを右肩にかけると、半開きになってるベッドカーテンを全開にした。先導する女医が壁横のセンサーに手をかざしたとたんエアドアが開いた。
ドアの先にあるのはこの宇宙船の通路だ。宇宙船の内部といえば通路だ。艦の能力や雰囲気を表現するのに欠かせない背景。数多のSF映画で知った宇宙船の通路には2パターンあるとオレは思ってる。
1 パイプむき出しときたま蒸気が噴出す一人通るのやっとの狭いタイプ
2 横長六角形の断面で左右の下方から白線が引かれたようにライトが灯る
なんにしてもだ。天井は低くて10メートルといかずに折り曲がって、どこから侵略生物が飛び出すかわからないのが宇宙船通路の正しい姿であるべきだ。わくわくしてドアをくぐる。はじめての一歩を踏み出す緊張の瞬間だ。
「これは……なんだ」
現れたのは”小春日和にピクニックするならこんな場所”。お手手繋いたキンガークラスのお子様が、お弁当を広げるにはもってこい的な美しいお花街道が彩を飾っていた。カトレア。チューリップ。向日葵。紫陽花。すずらん。足元から腰の高さまで1から3段に区切られており、花をはじめとしたとりどりの植物が通路の端から端まで埋め尽くしていた。
「SFは?オレのSFはどこへ行った! メルヘンなんか宇宙にイラン」
「そんなあなたはサウジアラビア」
漫才の掛け合いじゃねぇ。
どついたろか。
「宇宙船といったら、機械と油が染み付いた狭い通路でしょうがぁ!」
「どこの老朽艦よ。それワープ中にベクトル異常おこすよ。異空間のチリになりたいの」
「普通の樹脂製通路でもよかったろう。なんで花畑なんだ」
「長旅に植物は欠かせないってのが答えね。医療や科学がいくら進もうとも人間は動物の端くれ。自然環境から永らく孤立すると精神のほうがまいってしまうのね。もちろん見た目だけじゃないよ。品種解消されてるから薬になったり食用のもある」
がっくりと崩れ落ちる。ショック吸収に優れていそうな木製デザインの床に手とヒザをついた。
「おーリアル”orz”始めてみた。写真とるからそのままで――」
「それ。さっきもやったから」
「――SNS流してっと。OK。ほらこっち、さっさと立って」
腕をとられ、斜め向かいの『生体治療室』と表記してるドアに引きずり込まれた。ドアを通るとさらにドア。それもくぐると上から強い風が吹き付けた。涼しさに気分がよくなる。エアコンか。いや空調の効いた宇宙船にそれはないな。
「エアドアよ、オゾン殺菌ね」
「厳重なんだな」
「雑菌は医療にとって大敵だからね。でも人の免役を活性化するには必要だから艦内の空気は地上と大差はなくしてある。それも動植物を育ててる理由のひとつ。手間要らずで雑菌が繁殖するんよ」
ベッドくらいに大きな機械が4台あった。人が入るようにできている。
「メディカルマシン?」
「3番のに入って」
それぞれにふってあるのは厚紙を切り抜いてスプレー缶塗料でシュッとした数字だ。軍隊の箱なんかにありがちだな。ミリタリーっぽさはオレの趣味に合致するが、明らかな手抜きとわかる。
「健康診断って身長とか体重を計るだけだろう」
「病気のチェックが一気にできるから、手っ取り早いのよ」
なにかといえばメディカルマシン。頼りすぎるのもアレだが、怪我をしようが病気にかかろうが、たいていのことは治してしまう。考えたくないが、仮に拷問をされたとしても怪我の跡が残らないので、生態的な証拠が消されてしまう。文字通り髪の毛一本すら抜けないことにされてしまうのだ。医療の発達に今更ながら凄味を感じる。
「全裸になるのよ。着ているものをかごにいれて」
言われたとおり服を脱いでいく。見慣れてきてるが女医もキレイな部類に入る大人の女性だ。席をはずすとか横を向くとかしないのか。目が光ったように見えたのは気のせいと信じたい。職務だろうとも前で脱ぐのはかなり居心地が悪かった。パンツも脱いで丸裸になりキャビナーの中に横たわった。
マシン内部はすこしひんやりした。透明ガラスが静かに降りて完全に隙間なく閉じて横から出てきたマスクに口と鼻をふさがれると、外から完全に切り離された気分の悪さを覚える。すると『具合はどう』との問いがあった。会話は普通にできるみたいでほっとする。問題なしと答えると、マスクから美味い空気が流れてきた。内部が液体て満たされて焦ったが、呼吸ができない心配はないらしい。はじめるよと女医が言って健康診断が開始。頭から足の先までゆっくり光が動いていく。水の中でなにかが蠢く感触はあるものの痛みやかゆみは感じない。一分ほど過ぎると状況にも慣れてくる。精神的余裕が生まれ、質問したくなった。
「聞きたいんだけど。これまでみつかったのは? ここの連中でだけど」
「いぼ痔・水虫・淋病・糖尿病・ガン」
「ガンだって?」
「極めて早期のね。あと珍しいところではペンだこ。もちろんどちらも治ったよ」
「オールマイティなんだな」
「だから言ったでしょ医者の出番なんかないって。キミ、ためしにどこか。腎臓摘出とか私に切らせてみない? バイド代はずむよー」
「どんなバイトだ」
冗談じゃねえわ。
「淋病ってのも気になるな。性病じゃないか」
「あれね、旭山雲海だよ。さっきの大きい子」
「ってことは、経験あるのか……」
「さあね。京極源水は痔ね」
いいことを聞いた。からかってやろう。
「はい、終わった」
「え?もう?」
「すごいでしょ? 四季森メディカル製の最新医療機器だからね」
四季森か。旧名家で北方の地場産業のほとんどに関与してるという噂だ。ことに医療機器分野では独特の開発技術をもち、確固たる信頼を獲得してる。シキモリは、そこの子供だろう。なんでまた……
「はいお終い。目立った異常はみあたらなかった。精密解析には時間がかかるからなにか見つかったら知らせる。でも大きな病気はないと断言できるよ」
考えごとをしてるうちに、カプセルを満たしていた水はなくなって身体も温風によって乾燥し終えていた。ガラスフレームが持ち上がって部屋の空気が流れ込んでくる。メディカルマシンから身体をおこした。生まれ変わった爽快な気分だ。
「頭の中に通信チップと記憶デバイスを埋め込んだから。正しくは即席専門家と通信記憶素子だけど」
「え?」
「驚くところじゃないでしょ。主任も言ってたし私も言っといたよね。電脳化になってるよ。これで君も立派な惑星開拓者。おめでとう」
頭をいじられた実感がなかった。
メディカルマシン、おそるべし。
「テストしてみな」
「テスト? どうすれば」
「誰かと話したいと思えば通信できるし、調べたいことを思い浮かべてもいい」
「マジか。じゃ、”人生万事太陽が裏”を」
「いいことだね。間違いをみとめる機会だ」
『人生万事太陽が裏を調べたい』と思考する。視線の前に半透明のパネルが表れた。恐る恐る触れてみると、指は通過するものの何かに当たる感触があって面白い。知識の洪水で脳みそがパンク――なんてことも想像したが、そんなアホなことは起こらないので息を吐いて肩の力みを抜いた。だが間髪いれずに別のことが起こった。
まず、目前のパネルに見慣れた検索エンジンに酷似したホームページブラウザにヒットリストが羅列された。次に、小型デバイスが振動したので目を向けると似たような画像が表示された。さらに、脳内にもイメージが浮かびだしてくる。こちらは強制的な夢をみせつけられてるようだ。現実が遠くへ引いていく奇妙な感覚に囚われた。
「これ、キツイ」
デバイス、透明パネル、脳内の夢。若干異なるとはいえ、同一の情報が、同時に三つのメディアからあふれ出す。強烈な目眩で部屋の輪郭さえぐらつき両手で頭を抱えた。
「情報視覚酔いだよそれ。その時々でメディアの優先順位をきめて表示させないといけないんだ。ちょっとした慣れが必要だね」
「な、慣れろってか」
「どれかメインを決めて、ほかを遮断するように」
「メインを……パネルだけ見れればいい」
脳内イメージが消えてなくなった。小型デバイスは表示されたままだが、伏せて見なければいいだけと当たり前のことに気付く。透明パネルのほうは目を閉じれば視界に映らない設定も選べる。なるほど使い方だな。気を取り直して、透明パネルの検索から情報を探す。
「あ、あったぞ。塞翁が馬のスピンオフとして、2017年に発表されてる」
「ウソだしょ…………古事のスピンオフってどこのバカだ」
その後、いろいろ試したり女医と通信したりのテストを繰り返してみた。ちょっとだけ時間はかかったがなんとなくコツはつかめてきた。意識を集中したメディアのプライオリティが高くなるのは始めにやった通り。そこで視覚情報を主軸に据えて他はサブに充てるのが最も扱いやすいことがわかった。半透明とはいえ視界は画面に遮ぎられるが、必要時は仮想キーボードの出現も可能。これは脳内入力に慣れないオレには都合がよかった。小型デバイスの使い道だが、京極がやってたように誰かに見せるために使うことに決めた。
「助かった。ありがとうございます。」
「よかったね。私のほうはこれで終了」
「やっとひとつ終了か。次は……なんだっけ」
「ブリーディングルームでしょうがNデッキの。なんで私が覚えてるのよ」
「Nデッキ?ブリーディングルーム? どこそれ?」
オレは宇宙船初心者なんだぞ。知らない言葉だらけでイヤになる。泣きたくなってきた。
「なんて顔をしてるの。艦内図を見ればわかるから。現場にはナビを使って足が勝手につれてってくれるから」
「足が?」
「訓練はもう始まってるの。何事もチャレンジして身体で覚えること。即席専門家チップは使っても使われないことね。じゃがんばって」
追い立てられて、メディカルマシン室を出された。
「ブリーディングルームか」
言われたとおりに艦内図を確認することにした。