10話
「来たようだね。後は彼女にまかせた。私はスタッフ側にいくから」
誰がと聞き返すよりさきに、医者の女は立ち去ってしまった。迂回すればいいのに、寄り集まる間をわざわざ一直線に抜けていく。途中、同じくらい背の高い女子とニアミスしたのにはなぜかどきどきしたが、イベントらしいこともおこらず、このホールの前の方、大人と呼べる年齢の列の中に、オッスと片手を挙げて加わった。大きいなぁ。他の人と比べると身長、なにより胸の大きさがはっきり違う。
「飛立つ覚悟はできた?」
声に振りむくと大空愛花がいた。この人の言葉を信じるなら地上の姉妹とは別人らしい。そう言われれば、ホクロとかクセ毛とかどこか違う部分を探したくなるが、明らかに異なるのは服装とヘアスタイルと眼鏡くらい。ほかには、性格が多少柔和だという感じがしないこともない。
「京極の怪我は治ったんですか?」
「旧式だけどリーゼッシュ社のメディカルマシンですからね。骨折はすんなり治った。けど自由に歩くにはちょっとかかりそう。だから艦に直送してきたの」
「あいつは小荷物か」
彼女はオレに対し、真っ直ぐ向きなおった。
「それで答えは?」
眉間にできた薄い縦シワをみつめ、ちょっと間をおいた。不安要素が多すぎる、とは思うんだ。見知らぬエリート集団に混じって逃げ場のない宇宙船で星の彼方。知識もなければ能力も足りない。そこにペアリングときたもんだ。悪目立ちした最底辺の落ちこぼれが行動するにはアウェーすぎて、居場所を探すだけで疲弊するだろう。それなのに、交通費のせいで選択の余地はほとんどない。
迷わず行けよ行けばわかる、ってのはいつの誰だか。無責任な背中押しだが、母親が好きな言葉だった。無謀は若さの特権だそうだが、幸せは降ったり湧いたりするものと信じこんでるせいだ。
オヤジいわく。時間無限の愚信が若さの欠点だとか。
なるほど時間はない。行くしかないのだ夢の宇宙へ。
ごたくを並べ、たてまつってるのは1000も承知。
オレは、自分を納得させたいのだ。
行きがってるのだ。夢の宇宙へと。
「行くよ」
「いいわね。迷いの無い顔。少年はそうでなくちゃね」
そうでもないんだけどなぁ。
手の拳を平にすると汗が流れていた。
つん。額をつつかれた。照れるなよオレ。
「じゃ、手をあてて。私の言った言葉を続けて話して」
携えてた紙型デバイスを顔の前に突きつけ、『ここに手を』とジェスチャーする。
「何これ?」
「誓約書よ。手紋と声紋と画像とで、確約したという証拠を残すのよ。めんどうだけど、三重の本人確認が必要という決まり。いいわね?『わたくしこと桜岱 幸連は、……』、はい」
「はい?」
「はい、じゃない!言ったことを繰り返すの。『わたくしこと桜岱 幸連は、……』はい」
そういうことか。
大空愛花のセリフを繰り返せばいいらしい。指示のとおり、紙型デバイス上に描かれた手形に手を添えた。芝居がかって恥ずかしいのだが。三人娘、それにちーちゃん泣かしたと騒いだ女らのそばに立つ男どもが、ニヤニヤしながら冷やかしてきた。誰もが通った道らしい。
「わ、わたくしこと桜岱 幸連は……」
「それでいいわ。『この、2519年惑星ファイモット移住計画第一次先遣部隊参加にあたり』はい」
「……長いな……それがこの集団の名前か。えーと…………この、2519年惑星、ふぁい……もるもっと?移住計画」
「モルモットじゃない。惑星ファイモットよ」
「似たようなもんじゃねいか。その…………ファイモットの移住計画、第一次、えーと、先遣部隊だっけ? 参加にあたり」
「まぁいいわ。『当事業を確認しかつ従うことを、ここに了承いたします』、どうぞ」
「とうじぎょうを確認し、かつ、勝つ?、且つか えー、したがうことを了承いたします……と」
カシャと、申し訳程度のシャッター音。紙型デバイスから手を離すと、画面の中、820×600ドットの枠中で今しがたのオレが動いてる。動画のオレが間の抜けた宣誓をしたのを満足げにみた、大空愛花は親指サイズに縮小する。驚いた面の静止画、横には相撲取りのような手形の重なったアイコンが出来上がった。”ファイモットメンバー”フォルダに格納される。
「はい上出来。給料支払いその他、細かい手続きは、こちらで進めておきます。銀行口座はもってる?」
「あります」
親父のアフィリに付き合わされて作ったのが二つある。1円で換金できるポイントが2000ずつの報酬が手に入ったと喜んでたっけ。見返りにもらった缶コーヒーは、砂糖の味しかしなかった。そのカードを渡す。
「キミも晴れて仲間ってことで、ナンパ合戦に加わるといいわ」
にこやかに微笑んで、女医たちがいるほうへ行き出した。二歩ほどいったところで、足を止め振り返った。
「あ、大事なことを忘れてたわ。ご家族に手紙を書いてください」
「手紙?」
「言いにくいことだけど、君はもう家族に会うことができない。だから…………最後の言葉、”遺書”ということになるわね」
家族と離れるとの宣言。片道でさえ17光年もかかるんだ。会えないと考えるのが自然だ。急に立っている床が狭まったような気がした。遺書か。最後の言葉は何を書けばいい。
「わかりました」
「理解が早くて助かるわ。ここで断念する子もいるから」
終始、色気をどこかに忘れたような事務的な態度だが、不思議とそれが似合う人だ。またねと言った二本の指先がきれいだ。手を振った大空愛花は、今度こそスタッフの列へ立ち去った。男どもの目が後姿を追いかける。
「キレイだよな、主任さん」
「制服萌え。あれが大人の色香か」
同感だ。姉妹に酷い目に遭わされてなきゃな。
前方の扉が開いて、杖をついた男が入ってきた。10人ほどをゾロゾロ引き連れてる。年恰好がバラバラというのはわかるが、ここからじゃ顔まではわからない。男が止まると横にいた大人たちが動いてその背後へ陣取った。女医と主任もいた。
並び終わったところで床がせり上がる。ステージということになるんだろう。両サイドモニターの画面が、移民惑星から男の顔へと切り替わる。男は老年のジジイだった。薄色のメガネをかけてはいるが、眼光の鋭さがモニターごしでもわかる。偉い人っぽい。
その老人が突如大きくなっていった。画面だけではなく実物ほうもだ。一息吸うごと、風船が膨らむようにサイズが増していく。だが空気じゃなく肉を詰めこんだような異様な質感があった。生々しく気味の悪い巨大化。後ずさりするヤツ、悲鳴をあげて男にすがりつく女子で、ちょっとしたホラー空間に染めあげられていった。動じてない人間もいたが、オレのようにビビってるのがほとんど。老人の成長は、3倍くらいになった大きさで、停まった。
「代理人形だな」
物知りッポい野郎が言った。なんだそれ。
「エージェンシーって?」
「偉い人が講演なんかで使うヤツ。暗殺防止や身体の弱い人が好むそうだ。本人がVR操作してるんだが、遠くまで目立つように、巨大化できる仕組みをもってる」
「どうやって?」
「表層ナノマシンが膨らむ。ハリボテだな」
隣の女子が感心してる。それはスグに伝播しホラー騒ぎは鎮火した。好感度ポイントゲットしたな。それにしても巨大化する前に説明しろよ。
「ごめーん。代理人形で、失礼しまーす」
迫力ある老人は、えらく軽いジジイだった。
オレの、びびり心を返せ。
「えー時間になりました。全員集合してると思いますので、さっそく始めたいと思います。みなさん、前の方へ集まってくださーい」
前まで来いってか。行ってやるぞ。すくんで動かない足をどうにかこうにか持ち上げ、半円状になった集団の後ろについた。
「何度かお会いしてますが、わたしは推進本部の中居でーす。遠征に同行はしませんが、参加者みなさんの生命に責任をもつ立場にありまーす。わたしがいまから訴えることは、銀河開発法201条に則った最終確認となります」
仲居がききにくいしゃがれ声だった。その眼が鋭くなる。
「すでに各種書類にサインをいただき、この場にあることで諸君らの意思はゆるがないものであると確信しております。そうはいうものの拘束期間はとてつもなく長期。体感時間で35年、現実時間においては倍の70年におよぶ永き年月におよぶものです。常識に照らすのなら、地上に残した近しいひとたちとは二度と遭えないですし、わたしのこの身体など朽ち果ててしまってることでしょう。この仕事はすなわち、君たちの人生をささげる職務にほかならないのです。開拓が首尾よくいこうといかまいと、終了にいたった時、君たちの身体は55歳以上になっている計算なのですから」
明らかな同様が、参加者たちの中に走った。
70年だ。家族や地上にいる大切な人への思いを断ち切る覚悟がなければ、この宇宙には飛び込めない。
「家族への最後の手紙をまだの人は書いてください。メールではありません。紙に、自分の手でもって書くのです。それはいわば諸君の――”遺書”となります」
遺書を書いてない奴が、ほかにもいたんだな。
迷いある顔がちらほら伺えた。反対に、覚悟を決めた者の顔も。
「君たちはまだ衛星軌道の駅にいます。惑星に帰るつもりがあれば、引き返すことのできる駅です。地上におりるには相応の料金が発生するとはいえ、それと、かけがえのない35年とを比較するのは馬鹿げてます。お金は、貯めることはできても、時間は蓄積できません。電脳化やサイボーグ化すれば永くなるとはいえ、結局のところ消費しかできないのが時間ですから。…………ここに選ばれた諸君らは、競争率3212倍の5次にわたる試験を勝ち抜いてきた優秀な人材です。たかが400万プラス税ていどのはした金、いくらでも取り戻すことができるでしょう」
3212倍。それに5次試験。そんな超難関テストに挑んでいたのか。オレは、繰り返し就活に勤しんでいた自分の苦々しさを思い出した。知恵を絞って書いた応募レポートなのに面接を受ける機会すら与えらない辛さ。早々と入社の権利をもぎ取ったヤツらが憎たらしくてしかたなかった。
偶然で場に立ってる人間をズルとディすってきた女子がいたな。その気持ち、いまは痛いほどわかるぞ。うん。
壇上の中居が続ける。
「ファイモット移住の先遣部隊参加を見送りたい方は、この場から退去してください。引きとめはしませんよ。ただし男女の数は同等にさせておきたいと願います。一方的なお願いなんですが、プロジェクト運営上止むを得ないってことで。どうかご理解いただきたいですねー」
選ばれし160人の者たちが、お互いの顔を見合ってる。難関を突破して手に入れたチケットだ。行くも引くも覚悟がいるのだろう。どいつが帰るんだ。
「400万か。たしかに人生をかけるには低すぎる壁だな」
「どうしようかな。タクシーロケットで帰るか。親から小遣い前借りしてんだよ」
「でもせっかく2週間ぶりに登ったんだし、ガニメデまで足を伸ばしましょうよ」
「あなたたち。行くのなら私の自家用ロケットでご一緒しませんこと?」
なんでしょうね~。この、ご近所のお買い物感覚な会話は。
集団の中央、お高そうなアクセをまとってる男女が、大げさな身振りで議論する。不愉快に感じた者はほかにもおり、不機嫌だったり意外そうだったりする目線を集めていた。
モゴモゴ、絶対聞えないように、小さくつぶやく。
「……親が金持ちなら……就職しなくてもよかったろうが……前途有望な人に道を開けて……やれよ」
四人がぎらりとオレをみた。見ただけではない、さげすむように見下してきた。
聞えてしまったらしい。地獄耳か。
「ダブニーが、何かおっしゃってるわ」
「気にしないでおこう。貧乏ニートのヒガミだ」
金満ビームに負けじとオレも言い返す。
「木で鼻を括ったという表現は貴様らのための言葉だ」「貧乏はおれだけじゃないぞ」「児童貧困率28パーセント」「他にも苦い顔をしてるのがいる」「自爆テロでふき飛ばしてやろうか」
完全なる心内密閉空間での叫びを浴びせてやった。心の中のつぶやきだが。
平穏無事が大好きなオレは、波風を立てることを人一倍嫌うタイプなのだ。
中指がうまく立たないのは、きっと気のせいだ。