始まりの鐘は鳴る
「まじで天使じゃんか・・・ファンタジー・・・!!!!」
止めようとベッドから飛び降りた私は、それはそれは綺麗な姿を見せつけられた。
結局、青山修の身体を借りた、というより一時的にコピーしていた、という方が正しいのかもしれない。
だって、窓から下を確認しても、先ほどここから飛び降りたイケメンの無残な姿は見えないのだから。
まぁ、いい。彼が天使だとして、私は魂の入れ替わりなどという超常現象を体験してしまった人間なのだから、もう何が来ても文句は言えない。
天使が残した言葉。
生きること。彼女の人生を守り、女優として。
簡単なことでは無い。むしろ、無謀すぎる。
でも、逃げることは出来ない。きっとこれは進むべき道なのだ。
芸能界なんて全く知らない。憧れはあっても、所詮はよその世界だと思っていた。
「新川美奈」という女優の存在は知っていても、彼女がどんな演技をして、何の作品にどれだけ出ていたのか。交友関係や、家族、恋人、今までの人生。
全て、リセットされてしまったのだ。
だからこそ、今はもう会えない彼女の魂の分まで
生きようと思った。
事故に遭い、他人の身体で目覚めてから初めて
自らの意思で、前に進もうと思えた。
意地が悪くて、冷たい言葉も言うけれど、結局のところ彼は
優秀な天使なのかもしれない。
少しのやり取りの中で、対象者の生き方、考え方を改めさせることに成功したのだから。
ベッドサイドにある手鏡に自分を映してみる。
夕陽のオレンジに照らされた、透き通るような肌。
二重の大きな瞳には、キラキラと光が差している。
どのパーツを取っても、全てが魅力的で美しい。
外見だけ、彼女が残っている。でも、今の私にはそれだけで、背中を押してもらえたような気がした。
大丈夫。きっと、やっていける。
「美奈さん、お体はどうですか・・・って、え?」
夕食も終え、消灯までの穏やかな時間。
マネージャーである関さんがお見舞いに来たらしい。
分厚い台本を目を凝らし、首を傾げながらも読み進める私の姿に驚いたのだろう。一瞬停止した後、とても嬉しそうに近づいた彼は、椅子に座り話し続ける。
「あぁ、良かった。やっと台本手にとってくれたんですね!!どうですか、やっぱり面白いでしょうその設定。企画を聞いたとき美奈さんにぴったりだと思ったんですよ。最近はお堅い仕事が多かったし、ここらで純粋な恋愛物も」
「う、ん。や、まだそんな読んでないから。とりあえず、青山君との恋愛映画になるんでしょう?」
夢中で話していた彼をさりげなく黙らせつつ、現状を把握してみる。
「そりゃ、勿論。今回はこれが目玉ですから。豪華キャストが再集結ってね!!この前の顔合わせの時も、美奈さん懐かしいって喜んでたじゃないですか」
「なのに事故にあってから突然、台本なんて見向きもしてくれないし・・そもそも女優活動を再開する気持ちが全く見えなかったっていうか・・」
さすがマネージャー、というべきか。当然のように私の本心を見抜いていたようだ。・・あれだけ避けていれば誰でも勘付くのかもしれないが。
「それが、さ。ここだけの話なんだけど・・」
潜めた声で彼に告げる。
「事故に遭ってから、今までの記憶が無くなったみたいでね?貴方がマネージャーなのはお見舞いに来て知ったし、演技の仕方とか、そもそも芸能人だった事が抜け落ちてるって感じで・・」
私の言葉を最後まで聞いた関さんの顔は、驚いたように目が見開かれ、すぐに動揺したようにブツブツ独り言を呟き始めた。
「じ、冗談ですよね?え、あ、まさかそんな」
「でも、いや、さすがに・・」
「確かに違和感は・・」
「・・・・・あの、日常生活は送れてますよね?」
ようやく冷静になったのか、関さんが私に向き直り、質問してきた。
「うん。芸能生活以外なら全然平気。」
沈黙。
沈黙。
関さんはおもむろにナースコールを押し、主治医を呼び、私に他に異常がないかを確認した。医師によると、事故によるショックで意識が混乱したり、記憶が無くなったりすることも稀に起こるということだった。
本当は事故のせいというより、私のせいなのだが、そんなことは彼に説明しても意味がない。事故による記憶喪失ということにするのが一番過ごしやすいと考えたのだ。
魂が抜けてしまったかのようにへなへなと椅子に座りこむ関さんに、覚悟を決めて声を掛ける。
「関さん、お願い。
私を・・・女優の新川美奈にしてほしいの。
どんなことも頑張るから、だから私に・・・
この仕事を、続けさせて欲しい、です。」