(1)
学校終わりの放課後。
市立図書館に毎日のように通い、鬼に関する本を読むのが日課となっている。
あの事件の後、身寄りを亡くした俺は、友達の家に引き取られ育てられることとなった。
自分を引き取ってくれたことに、友達の両親には凄く感謝をしているが、どこか自分が迷惑ではないか、という気持ちがある。他人でもある自分のために、学費や給食費まで出してもらい、それに加え高校まで進学させてくれた。
友達の両親は、もう一人子供ができたようで嬉しいとは言ってくれているが、このまま甘えているわけにもいかないため、高校に入学したと同時にバイトをすることにした。
自分の力だけではどうにもならないことは両親に頼るしかないが、できる限り自分でなんとかできるよう頑張りたい。しかし、高校生ではバイトで稼げてもお小遣い程度が現状。自分の物欲を抑えるぐらいにしか使えないか。
でも、今は背伸びせず、やれるだけのことをやる。それに、事件の真相も突き止めたい。
幼い頃でもあり、親が家柄を隠していたこともあり、全く自分の家、身内についての詳しい情報を知らない。そのため、事件の真相を探すためのキーワードは、あの場所に現れた鬼のようなものだけ。
手がかりが殆どない状態で、高校に入学してからは、市立図書館で鬼を冠する書物は片っ端から読んでいるものの、未だ空想の世界から鬼が抜け出すことがない。
都市伝説や言い伝え程度のものばかり。確かに、現実にいればそれは大きなニュースにでもなっているのが普通なのだが。
今日も同じく成果はなさそうだ。
「おう。また調べものか、看衛?」
後ろから軽く肩をトンと叩き、俺を呼びかけてきた。
「ビックリした。ミッチーもいたのか」
呼びかけに応答するように俺は振り返る。
「棒読みでビックリしたは、やめてくれ。それと、ミッチーてあだ名も」
声の主は、いつも通りの応答に、つまらなそうに「はぁー」というため息をつく。
誰かは声で分かっているのだが、本を読み終わり一呼吸置いているときに声をかけられれば、誰でもビックリするだろう。そこで俺がビックリしないのは、その辺鈍感なのだろうと冷静に分析してみる。
「ほんと、面白味がないよな」
本人を目の前でのこの言いよう。長い付き合いで新鮮さがないのは分かるが、他の人にも自分の感じたことをストレートに言うため、この性格は少し直したほうがいい。そこが、売りになってしまっている部分はあるが。
俺は読み終えた本5冊を持上げ、元にあった場所に戻すため席を立つ。
「もう帰るのか?」
「そうだな、本を戻したら帰る。ん、丁度よかった。この二冊の本を返す場所が反対方向だから」
「あいよ」
積み重ね持っていた下の二冊の本をミッチーに預ける。
ミッチーは預けた本の題名を不思議そうに見る。
「看衛って、ホント鬼好きだよな」
「ま、そうだな」
「……ん」
本を抱えたまま、ミッチーは少し顔をしかめるように俯く。
普段、黙ることのないミッチーに少し戸惑う。
「どうした?」
「いや、片付けてくる」
俺の質問に答えることなく、ミッチーは本を片付けに歩いていった。
鬼が好きっていうのは、そこまで困らせる冗談ではなかったのだが。
実は、鬼を知っているだとか……。
ふっ、と不意に笑いがこみ上げる。
長い間一緒に暮らしていたというのに、よくそんなことが思いつくものだ。
さっさと本を棚に戻しにいくか。
本を元の本棚に戻し終え、ミッチーと一緒に市立図書館を後にする。
市立図書館は自宅近くの駅から3駅離れた場所に位置する。
市立図書館と高校は隣接していて、学校と渡り廊下で繋がっており、学校の図書館も兼ねている。
そのため、俺はバイトがない日は必ず市立図書館に通っているのだ。
わざわざ調べたい資料が山とある場所から離れた学校に通うのは、通学や移動費を考えていい手段とは思えなかったからだ。今の高校を選んだ理由は、その他にバイト募集の多い地域に近いということもある。
「そういえば、一緒に帰宅するのは久々だな」
「そうだな」
確かにミッチーと一緒に下校することなんて久々だ。大抵はバイトで俺が早く学校を抜けるか、ミッチーが部活を終えるまでに、俺が図書館を去るため帰りに会うことがない。
今日、一緒に帰れるということは……。
「部活、早く終わったんだな」
「ああ、ここで看衛がこもってると思って、よったんだ」
そうだな、確かに資料を読み漁るためこの市立図書館にこもっている。
時間さえあれば、どれだけの時間でも籠もれる気はするが、こもりたくて籠もっているわけでもない。
と、ここでずっと喋っている相手のミッチーについて説明しよう。
ミッチーは小学校の頃の友達であり、自分を引き取ってくれた両親の娘さんである。
名前は吉祥院満夜。
小学校からの幼馴染であり、小学5年生のときに、違う学校に転校するまでは家が隣同士だった。
悪友同士でもあり、遊ぶときはほとんど一緒だった。
その縁から、引き取られるに至るのだが、初めは大変だった。
自分が大切なものを亡くした喪失感から、例え仲が良い友達だったとはいえ、心を閉ざしていた。
今でもその部分はあるが、時間とともに満夜と両親の優しさに触れ心を開くようになった。
そうなってから吉祥院御家族との生活に慣れるのは早かった。
止まっていても姉は戻ってこない、と自分に言い聞かせ、心に区切りをつけて。
満夜は容姿端麗で髪は肩まであり、眉はキリッとしていて、目鼻立ちがハッキリとしている。満夜の一人称が『俺』であるため、学校では浮くかと思いきや、クールな印象から女子からは絶大な人気があるようだ。部活は弓道部なのだが、その姿を見るために弓道場には人だかりができるとか。当の本人は迷惑がっているようだけど。
中学ではミッチーと遊ぶことが大半だったが、高校生になってからは、俺はバイトで満夜は部活で忙しく遊ぶ機会も減った。たまに異性に感じる1面もあるが、家族であり自分の姉の様な存在で、心の支えになってくれている。
図書館から少し離れた駅から一緒に電車に乗り、3駅はなれた自分達の家近くの駅で降りる。
もちろんだが、ミッチーとは家まで一緒である。
「なぁ、看衛。たまには息抜きも必要だと思うけど?」
「息抜きねぇ」
中学生の時に比べ、高校生になってからは、お互い遊ぶ機会は極端に減った。
自分にとっての息抜きって言うのがわからず、敢えて言うのなら鬼について調べる。これが自分にとっての息抜きなのかもしれない。
歩いて10分程なくして、ミッチーの家に到着した。
「おかえりー、みつよぉーーーーーーーん!」
こちらからただいま、を言う前に娘の帰りを今かと待っていた、ミッチーの父こと吉祥院満成がミッチーへダイビングをして抱きつこうとする。
「この、セクハラ親父!!!!」
ミッチーの強烈、学生カバンスイングが炸裂し、あえなくというのか……いつも通りというのか。ミッチーの父は地面へと叩きつけられ、撃墜された。
「ホントに、……みつ、……よは、……照れ屋、なんだから………」
いや、これは照れているというより明らかな拒否反応だと思うのだが……。と考察していると、娘に向ける笑顔と同じ笑顔で満成さんが自分に顔を上げる。
「看衛君もおかえり」
「ただいま、満成さん」
満成さんの声は温かく包み込まれるような声で、どことなく安心ができる。自分の父に対しての印象が悪いだけに、初め吉祥院家に来たときは満成さんとは喋ることさえしなかった。
ただ、満成さんはそんな自分に対して、いつでも不満そうな顔はせず、怒ることもなく優しく接してくれた。あとは時間の問題で、程なくして自分も満成さんに心を開き話をするようになった。
夕食を終え2階の自室へと入る。
「今日も収穫はなしか……」
ベッドに仰向けに横たわり、天井を見上げポツリと呟いた。
何も鬼についての有力な手がかりをつかめず時間だけが過ぎて行く。
真っ白な天井は何も応えず、一人の空間で無言に見つめる。
自分の目の前に突如として現れた鬼。その鋭い眼光は今でも頭から離れることなく、その鬼とともに消えていった姉のことも脳裏から離れることはない。
自分は幼かった。無知だった。
あの非常事態に何もできななかった自分に無力さを感じる。
後悔は絶えず自分を襲い、それから逃れるように鬼の手がかりを求めた。結局なにも掴めないままだが。
はぁ。
軽くため息をつきダランとした右腕を両目に被せ視界を覆う。
忽ち世界は真っ暗に落ちた。
「――看衛」
近くから聞こえた声に驚き、視界を塞いでいた腕をどけ飛び起き隣を見る。
目の前には鬼に襲われた頃の姉がそこにいた。何の違和感もなくそっくりそのままの人物がベッド横に立っていた。
「姉、ちゃん……?」
頭がうまく働かず、身動きすら取れない。目に映る現実にただただ身を固めることしかできなかった。
「看衛」
でも、そんな体も姉から発せられた二言目には開放され、本能的に姉の肩を抱きしめようと立ちあっがていた。どんなに許されない関係でも抑えられない思いがある。それが、瞬間的に自分の中で弾けた。
もう会えないかもしれないと思っていた姉がいる。それを疑うことなく喜んだ。
しかし、そんな都合が良い世界はない。
抱擁しようとした姉の顔、体は形を歪め自分のトラウマのモノへと姿を変容させる。
そう、鬼だ。
目の前にいる鬼は鋭い鉤爪を立て、その強靭な腕を振り上げ俺へと襲い掛かる。
俺は頭の整理が追いつかず、なす術もなく体は膠着し棒立ちとなる。
そして、その状況下においてやっと悟った。
自分は本心から仇を討つことや、姉を探すために手がかりを探していた訳ではない。無力だった昔の自分を慰めるために、命の責任から逃れるためにしていたのだと。
眼前に迫る、鬼の死に至る一撃を素直に受け入れた。
「看衛!!!!……看衛!!!!」
「はっ……!!」
自分を呼ぶ叫び声に驚き目を覚ます。目の前に鬼はいない。代わりに見慣れた真っ白な天井が広がっている。
横たわった状態で、自分の部屋の開いてるドアを見つめる。そこに立っている満夜を一瞥し、そのまま意識はとび眠りに落ちた。
「居場所が、ばれたか・・・・・・?」
眠りについた直後の満夜の言葉を俺は知らない。
騒がしく鳴くスズメの声に目を覚ます。
目を開けた瞬間に、昨日の鬼がフラッシュバックし頭が揺らぐ。
悪い、夢を見た。
それぐらいの感覚ではあるものの、自分の本心を自分に見透かされたように思え、抵抗できなかった自分が愚かしく、恥ずかしく感じる。
所詮は、自己満足したいだけなのか。
いや、今は朝だ。考えるのはいつだってできる。
昨日の出来事を振り払うように学校へ行く支度をする。
「いってきます」
満夜の両親にいつも通り学校へ向かう。満夜は部活の朝練のために1時間ほど早くに家を出ている。
昨日、部屋の入り口に立っていたのを最後に顔を合わせていないから、自分がどういう様子だったのか聞きたいところだったが、学校で会うまで言葉は胸にしまうことにした。
学校ではクラスメイトと喋ることは少なく、授業で理解できないところやグループでの話し合いなどで話す程度で、最低限のことしか喋ったことがなく自分から友達と呼べるような人はこの高校ではミッチーぐらいだろう。
専ら本を読むことが日課になっていて、本が友達といっても過言ではない。
なので、学校生活が楽しいかと言われれば、クラスメイトと比べれば楽しめていないだろうけど、本が読めれば俺は・・・・・・。
よく思い返すとぼっちみたいだな。
でも、探さなくちゃいけないもの、目的が俺にはある。
自分の宿命とも言えるもの。
鬼について調べ、あの日の真相を突き止めなければ、それをしない限り人並みの幸福を求めてはいけないと勝手に考えている。その過程が自己満足だとわかっていても止めることは自分にはできない。
よくミッチーに言われるのだけど、性格が頑固ならしい。
それも、自覚してないわけではない。認めたくないのは、それが父や母に似ているから、と思いたくないからだ。
教室に入り自分の席へと向かい、自分に向けられた挨拶だけ交わし席に着く。そこに、朝練を終えたミッチーが上着の下部にある左右のポッケに両手を入れながらタイミング良く近づいてきた。
「よお、看衛」
昨日の件があったから、どこか満夜への接し方を考えていたが、いつもと変わらない曇りのない笑顔にほっとする。そいて、笑顔のまま挨拶を返す。
「おはよ、ミッチー」
「昨日はよくねれたか?」
「ああ、なんとか」
「へぇ、死人を見るような目でこっち見てたからさ。大丈夫か心配したけど」
満夜の言葉に驚く。夢で死人を確かに見たわけだが、それがあの瞬間の顔合わせでそんな表情をしていた自分に驚く。でも、無理はないか。現実か夢かわからないほど姉の顔が綺麗だったのだから。
にしても、そんな顔を見られたのは恥ずかしいな。
俺は冷めた笑いとともに棒読みで返答する。
「そう、夢で死人が出たんだよ」
「まんざら、嘘でもないんだな」
満夜は心配するように表情を変え、俺を見据えたまま空いている隣の座席に腰を掛ける。
「夢の話をしたいけど、時間がないからまた昼休憩に」
時間がないから、の言葉と同時に満夜は教室前の時計をちらっと見てあっ、という反応と共に「それじゃ」と席を立って自分の席へと戻っていった。
昼のチャイムと共にそれぞれ席を立って、憩いの場へと向かう。教室内で昼食をとる人もいれば、外に行く人もいる。かくいう自分も同じく外に行くのだが。
4階への階段を登り、屋上への昇降口のドアを開ける。
「よっ」
同じ時間に昼休憩を迎え、同じ教室のはずなのにそこにはすでに満夜がいた。別に教室を出る時間が遅いわけでもないのだが、よくよく考えれば俺が先に来ていたことがないような……。
「そこで立ってないで、昼飯にしようぜ」
「そうだな」
俺はドアを閉め、柵で囲まれる屋上の一角に満夜と共に座る。
「で、どんな夢だったんだ?」
そう訊いて、横で満夜はコンビニで買ったサンドイッチを頬張る。
「死んだ姉が、夢で出てきたんだ。それが鬼に変わって、俺に襲い掛かってきた。それだけの話だけどね」
満夜は黙って頷いて食にいそしむ。俺も、コンビニのおにぎりの封を開け食べることにした。
それから、無言の時間を昼飯を食べて過ごした後、満夜から口を開く。
「辛いとか、寂しいとかないか?」
「いや、そんなことは考えなかったから大丈夫だよ」
事実、自分に対しての悔しさが感情の半分以上を占めていたし、鬼を見つけたところでという、無力感も味わった。それは辛いではなく、嘆きにも近い気がした。
「そうか。ごめん、変なこと訊いたな」
そう言って満夜は立ち上がり柵にもたれかかる。
気にするような変なことは言ってないと思うけど、心配してくれた言葉に対する返事が冷たかったかもしれない。
「いや、そんなことないよ。多分、色々考えすぎてるから、もっと気楽にっていうサインかも知れない」
冗談っぽく笑いかけ、「心配かけた。ありがとう」と満夜に優しく心配してくれたことへの感謝を伝えた。
「そんな、感謝されるほどのことは……。」
満夜は少し、慌てるような口調になった後、本調子に戻り「ま、あまり考えすぎんなよな」と言って先に昇降口のドアへと向かっていった。