第八話 戦闘訓練
現実世界での夕暮れ時、春一と祐樹は高校の帰り道にあるゲームセンターに寄っていた。二人で、片隅に置かれた旧型のシューティングゲームに硬化を入れる。
「どうした、春一?最近、疲れてるっぽいけど、今日は特に元気ないじゃん」
祐樹が、ゲーム機に繋がれた銃を取り出しながら聞いた。
「あ、……うん、ちょっとね。悩みがあるんだ」
春一は奥歯に物が詰まった言い方をした。悩みの種は、昨日Dreedamでレイヴンに言われた『戦闘訓練』だ。普段、怒ることも無ければ、もちろん喧嘩など人生で一度もした事のない自分に戦闘訓練など勤まるのだろうか?
「まぁ、そんなの今は忘れて撃ちまくろうぜ!」
祐樹は脳天気にそう言うと、画面を打ち抜きゲームをスタートさせた。
(忘れるって…多分訓練もこういう感じなんだろうけどなぁ)
春一は小さく溜息をつくと、画面上に現れたゾンビを慣れた様子で打ち抜いた。
Dreedamでの朝、春一は目覚めると同時に、そこがレイヴンの車の中である事を思い出した。体中が濡れている為、多少シートを濡らしてしまうのは仕方ないが、肺にたまった水をその場にまき散らすのは不味い。あわててドアを開け、外に頭を突き出し水を吐き出した。目もくらむような高さの中、口から出た水は下へと落ちていく。
後部座席にもどると春一はイメージによって体中を乾かした。それから、濡れてしまったシートをどうしようか気にあたふたしていると、レイヴンは
「かまわない……では向かうぞ」と言った。そして、電波塔の上から車を急上昇させた。
「…ここだ」
空中自動車でしばらく空を行くと、レイブンは窓の外を顎で指した。
春一が窓の外を覗いてみると、その先には空中を浮遊するドーム状の施設があった。
「あそこは?」
「……射撃場だ」
「射撃場!?」
「そうだ……あそこで、おまえの戦闘訓練を行う」
『射撃』……先ほど現実世界で祐樹とやったゲームのようにうまくいけばいいが、実際はそうはいかないだろう。春一の憂鬱な気持ちはますます大きくなった。
レイブンは施設の駐車場に静かに車を停め、春一を連れてフロントへと向かった。
「あぁ!レイヴンさん!お久しぶりですね。今日は射撃練習に?」
レイヴンが近づくとフロントの男が気さくに話し掛けてきた。これはメトロポリスではよくある光景なのだと、春一は昨日一日、彼に付き添って分かってきた。
「…いや、今日は私の用ではない。部屋を一つ手配してくれるか?」
「はい、すぐに準備させて頂きます。いつもの『立体射撃ルーム』でよろしいですか?」
「…あぁ、頼む」
レイヴンが答えると係りの男性が裏に行った。
男性がいなくなった事で、春一はフロントの壁に掲げられた大きなマークに気付いた。マークは金色の細い棒が六本並んだシンプル作りで、ロゴなどの文字は見当たらなく、どこか重厚な雰囲気が感じられる。
「これは…何?」
春一が尋ねると、レイヴンは壁のマークをゆっくりと見上げ答えた。
「ユニバース統括の協定を示すものだ。…つまり、ここが全ての世界感エリアにとって中立な場所を意味している。…ここならば、おまえの安全も保障されるだろう…このマークのある場所で騒ぎを起こすことはユニバース全てを敵に回すことと同等だ……レギオンも迂闊に手出しは出来ない」
「そう…なんだ」
春一は、六本棒のマークを見つめるレイヴンの瞳がいつにもなく意味深なように感じた。
準備が済むと、春一はレイブンに連れられ、『立体射撃ルーム』と呼ばれる部屋に移動した。その部屋は、球体の内側のような構造をしており、壁面は六角形のタイルが敷き詰められ蜂の巣構造になっていた。
「使い方に関しては…実際に見せた方が早いだろう」
春一がキョロキョロと上下左右を見まわしていると、レイヴンが言った。そして、イメージによって右手に小さなハンドガンを取り出した。
「え?レイヴンがやるの?」
「…あぁ」
春一は生唾を飲んだ。今ここで、噂に聞いていたレイヴンの力を見ることが出来るかもしれない…。
「……開始」
レイヴンが伝えると、部屋の内側を覆っていた六角形タイルの幾つかがスライドして開き、中から的が姿を現した。瞬時に反応し、数回発砲する。そのほとんどは的を見ずに放ったものだったが、すべてが命中し、的を粉々に砕いた。内壁からは次々に次の的が出現したが、レイヴンは焦ることなく、淡々とそれを打ち抜いていった。
その光景に春一は目を奪われた。目の前の大男は、細く長い腕をまるで機械のように振り回し、的確に照準を合わせていく。そして、まっすぐ前を見据えたままだとうのに、真後ろや死角に現れた的も難なく打ち抜いた。まるで体中に目が付いているようだった。
数秒が経過したところで、出現する的の数が増加した。
さらに、凄い銃さばきが見れる…!春一の胸がさらに高鳴った。
「…止めてくれ」
だが、レイヴンはそう言って、内壁の動作を止めてしまった。さらな絶技を期待していた春一は、顔には出さなかったものの、心の中で残念がった。
「……こういった具合だ。次は…おまえ番だ」
「え?俺が!?」
「…おまえの戦闘訓練の為に来たのだ」
「でも…俺銃なんて撃ったことないし、…そもそもイメージで出すことも出来ないよ?」
春一のこの発言にレイヴンは一瞬、沈黙を置いた。おそらく呆れているのだろうが、表情に変化はない。
「…誰が、銃を使えと言った?おまえには水の力がある」
「あ…!水鉄砲で撃てって事ね」
春一が納得すると、レイヴンは部屋のドアまで歩いていき、腕を組んで寄りかかった。
「おまえのようなアルケマスターは、能力を使った遠距離攻撃に長けている。……まずは、その放射・射撃制度を上げる事からだ。……的は水を当てれば割れるようにしてある。時間は一分間だ。準備は…いいか?」
「え…!?あ、うん。やってみる」
春一は両足を肩幅ほどに開き、水を放射する右腕をまっすぐに伸ばして準備をした。背中にレイヴンの視線を受けているせいで妙なプレッシャーを感じるが、なるべく心を落ち着かせる。
「……開始」
レイヴンの静かな言葉を皮切りに、一つ的が姿を現した。春一は慌てた様子で的へ掌をかざし、水鉄砲を打ち込む。
- バシャっ!
一発目の水撃は的の外側へと外れた。
それから、何度か放水を繰り返したが、なかなかうまく的をとらえる事が出来なかった。水泡のコントロールは思った以上に難しい。また、一度放水をしてから次の放水をするまでに時間が掛かる。結局、てんやわんやしている間に一分が経過してしまい、打ち抜けた的は数えるほどしかなかった。
ドアの上に設置されたモニターに、デジタル数字で特典が表示される。
― 80
「これって…ひくい…よね?」
春一は苦笑いでレイヴンの表情を伺った。
レイヴンはモニターに目をやり、スコアを確認したがこれといって反応を示さなかった。
「スコアは……実際の戦闘には関与しない……だが、もう少し欲しいところだな」
やっぱり…。と、春一は肩を落とす。
「なんでだろう?…この前、襲われた時はいい感じだったんだけどなぁ」
「この前はたまたま相手が至近距離にいた事と、不意を付けた事が幸いした……だが、毎回あぁなるとは限らない…今後、実戦を踏むには正確な射撃能力が必要だ」
「…そう、だよね」
レイヴンの口から出た正論はなかなかに春一を落ち込ませた。言葉に感情がこもっていない分、こういう時はより説得力がまして聞こえる。
「……まずは、スコア1000を目指せ」
レイヴンはそう告げると春一に背を向け、部屋のドアを開けた。
「行っちゃうの…?」
「私も忙しい…何時までもおまえ1人に時間を割いてはいられない……心配するな。ここにいれば身は安全だ…」
用件を言い終えるとレイヴンは部屋を出ていってしまった。
春一は球体状の部屋に、ぽつんと取り残された。防音加工がされているのか、1人になってみると部屋の中はとてめ静かで、少し息苦しくも感じる。
「……結局、また1人で特訓か。まぁいいか。コツコツやるの嫌いじゃないし…」
春一はそうぼやいて、天井を見上げる。
「これ…どうやったら始まるのかなぁ………開始!」
試しに声を張ってみると、再び装置が起動し、室内のパネルが動き廃始めた。
そこから数日間は、イマジンのコントロールの時と同じように、春一1人で訓練を行う事となった。ただ、今度は前回の時のように行き詰まる事はなく、回数をこなすうちに水砲の射撃制度はみるみる向上していった。訓練の期間中、レイヴンは何度か春一の元を訪れ、上達の確認とアドバイスを行った。伸びが良かろうと悪かろうと、レイヴンはスコアに対して全く反応をしなかったが、アドバイスは的確そのもので春一の技術は飛躍的を伸ばした。
訓練中のある日、たまたま近くで待機命令が出たらしく、祐樹が春一の元へやってきた。2人は射撃場のフロントロビーに用意されたソファーに腰掛け、雑談に花を咲かせた。
「そりゃ、あれだ。あのマフィア連中、前にレイヴンに壊滅寸前まで追いやられてるからな。相当びびってんだよ」
祐樹が八重歯を覗かせ言った。
ひょんな事から、「マフィア連中のレイヴンに対する態度がおかしい」という話になったのだ。
「へぇ。その時、祐樹はいたの?」
「あぁ。前にレイヴンの戦うところを一度だけ見た事があるって言ったろ?それがそん時だよ。いやぁ、やっぱり、今思い返してもあれは凄かった
な」
「どんなだったの?」
「それはな…!う~ん」
祐樹は話し出そうとしたが、急に眉間にしわを寄せ、止めてしまう。
「あいつの凄さは…なんか言葉に出来ない」
それも、そうだろうな…。春一は心の中でつぶやいた。自分もその片鱗だけを垣間見たが、確かにあの大男の人並み外れた技は言葉では説明がしにくい。
「まぁ、春一もいつかは見れる時がくるって!ほら、最近レギオンの件で物騒だし!」
裕樹のこの発言に春一はあきれてため息をついた。
「あのね…そうならない為に、祐樹達はあいつら追っかけてるんじゃないの?」
「…あ!そうだった…」
裕樹にはそう言ったものの、春一も自分の身の危険に対する緊張はほぼ抜けきっていた。数日間、この施設に缶詰めになっているせいだろう。特に祐
樹とこうして話している時間は平和な日常そのものだ。
「じゃあ、そろそろ俺は行くわ。こんなとこ、レイヴンに見つかったらマズいしな…」
祐樹はそう言うと、ロビーを後にした。
1人になった春一は大きく伸びをした。今日もこれから射撃場で訓練が始まる。普通なら何日間も同じ訓練をひたすらやらされ続け、そろそれウンザリする頃だろうが、今の春一はやる気に満ち溢れていた。もう少しで目標としていたスコアを達成できそうだったからだ。
ロビーを抜け、いつも使っている立体射撃ルームの一部屋に入ると、春一は早速訓練に取り掛かった。
放水の準備の為に、両足を肩幅程度に開き、左手で砲身となる右手首を下からささえるように掴む。レイヴンいわく、慣れればどの体制からでも瞬時に照準を合わせる事が可能になるが、最初のうちはこのように同じスタンスを心がけた方が良いらしい。
「開始!」
春一は声を張った。
六角形のタイルが開き、1つ目の的が出現しする。春一はすかさず反応し水鉄砲で打ち抜いた。甲高い音と共に陶器製の的は真っ二つに割れた。続けて、次の的が現れるが、これも見事に打ち抜く。 まだまだ、おぼつかない点も多く、誤射もたまにあるが、春一の水砲による射撃は見違えるほどに上達をしていた。十秒ほど、的を正確に打ち続けると、難易度が上がり、今度は一度に数個の的が出現した。まだ、射撃慣れしていない春一にとって、これを1つ1つ正確に打っていくのは至難の技だったが、そこは能力の特性でカバーをした。春一の放つ水は、単発の弾を打ち出す銃とは違い、連続して射出をする事が出来る。そのため、的が数個出現しても、それらを通る直線上を狙って放水続けたまま薙ぎ払ってしまえばいい。
数十秒を経過したあたりで、春一は今までにない手応えを感じていた。ハイスコア更新の予見で興奮し、心拍が早くなるのを感じる。それでも最後まで集中力は途切れる事なく、一分が終わった。
起動音が止み、最後に出た的が砕ける音が部屋内に木霊する。
春一の額からたらりと汗が流れ落ちた。すかさずスコアを確認する。
- 1023
「……やった……!」
春一から喜びの言葉がこぼれた。そして達成感を噛み締めるように、ぐっと拳を握り締めた。
目標と課されていたスコアには達した。後はレイヴンに報告するだけだ。春一は意気揚々と立体射撃ルームを出た。
ちょうどその時、向かいの部屋の自動ドアが開き、中からライフルを肩に掛けた小柄の男が現れた。男はワーク帽を深くかぶっており、顔はよく見えない。
(誰だろう…?ここに人がいるなんて珍しいなぁ)
男は春一に気づくと、知人でも見つけたような反応をし、帽子を取った。
「やぁ、君は岡野 春一君だね!」
気さくなに声をかけたかと思うと、近づいてきて握手をせがむ。
春一はとっさに差し出された手を握り返そうとしたが、急に警戒心を抱いて止めた。レイヴンから、訓練の間は他の人物からの接触は避けるように釘を刺されていた事を思い出したのだ。
男はしまったという顔をして、さらに話を続けた。
「そうか…!今、オブリビオンは緊迫している状況だから、急に知らない相手から声をかけられたら警戒するのも当たり前か。いやいや、すまない」
なぜ、そんな事を知っているんだ…?春一は困惑した。それがあからさまに顔に出ていたせいか、男は付け足すように続けた。
「そう警戒しないでくれ。僕はヒロ。情報屋をやっていてね。仕事柄、君やオブリビオンの事はよく知っているんだよ」
男は再び手を差し出す。その腕は女性のように細かった。おそらく、歳は二十代前半だが、身長は春一よりも低く、随分と小柄だった。春一はそんな男の体格から、今すぐに何かされる事はないだろうと思い、渋々手を握り返した。
「情報屋さんが……なんで、ここに?」
春一がいぶかしげに聞くと、ヒロはライフルを自慢げに見せつけた。
「僕のイマジンは射撃系の能力でね。ここにはたまに腕を磨きに来るんだよ」
「そ、そうなんですか」
ヒロの自信に満ちた口調に春一はたじたじだった。こういうタイプの人間は、どうも苦手だ。気まずそうに視線を横にそらすと、ヒロが出て来たドアの上にあるスコアボードに目が止まった。
- 15450
スコアボードは春一の点数よりも10倍以上高い数値を表示している。
(凄い…!あんな点数出るんだ)
このヒロという男はどうやら態度だけが大きいわけではないらしい。春一は緩んでいた気を再び引き締めた。
ヒロが春一の視線に気が付いたようで、これまた得意げに語り始めた。
「あぁ、スコアボードか。どうだい?今日はハイスコアは更新出来たんだよ。こんな事、自分で言うのはなんだけど…多分この射撃場歴代一位の結果だよ…ははっ」
「…そ、そうですか…凄いですね」
春一は作り笑いで返した。それから、後ろの自動ドアの上に表示されたヒロよりもケタの1つ少ないスコアを見て、情けない気持ちになった。
「まぁ、そんなに気を落とすなよ。第一、君と僕とではDreedamに来てからの歴が違うわけだし。あぁ、もうこんな時間か…では、そろそろ僕は失礼するよ」
ヒロはそう言い終えると再びワーク帽をふかふかと被り、機嫌良さそうにその場を去っていった。
…なんだったんだ…あの人は?春一が首を傾げていると真後ろで地鳴りのようなレイヴンの低い声がした。
「……何者だ?」
「あ、レイヴン。…情報屋だって、射撃の練習に来たみた」
「接触は控えろと言っておいたはずだが…?」
「分かってたけど、あっちから話しかけて来たから無理に無視するわけにもいかなかったんだ…もちろん、こっちの情報は何も教えてないよ。向こうは俺やオブリビオンの事知ってたみたいだけど…」
「……そうか」
不穏な空気を察したのか、レイヴンはヒロが去っていった通路を見つめ、目を細めた。
「……レイヴン?」
「いや、気にするな……ところで、スコアは目標に達したようだな」
レイヴンに聞かれると春一の表情はぱっと明るくなった。
「うん、やっと1000を超えたよ!」
「では次に移ろう…」
「あ…うん」
レイヴンに誉められるわけがない事は百も承知だったが、ここまで無反応だと多少は落ち込む。
「…次って?」
「…対人訓練だ」
「対人!?」
「…付いて来い」
驚く春一をよそに、レイヴンは立体射撃ルームのドアを開けた。
「あ、待って…!」
春一が呼び止める。
「…どうした?…休みたいのか?」
「いや、そうじゃなくて……気になることがって…レイヴンはハイスコアどのくらいだったのかなぁって?」
レイヴンの方をちらちらと見ながら、春一は聞いた。たかが、射撃のスコアだがレイヴンの情報を聞きだそうとするのにはなかなか勇気がいる。
「…ハイスコアか…」
レイヴンは少しだけ悩んだ後に口を開いた。
「以前に一度だけ試した事があるが……その時は途中で機械が着いて来れなくなって故障してしまった………その時点でのスコアは…」
「…スコアは?」
「確か200000前後だ」
レイヴンはさらっと言い放つと部屋に入っていった。
(に、…20000って、俺の200倍!?…ていうか、あのヒロって人…全然1位じゃないじゃん!)
春一の口はぽかんと開き、頬は引きつっていた。
球体状の部屋でレイヴンと春一は隅同士に向かいあって立った。
「…では、始めるか」
レイヴンの声は消して大きくはないが反対側の春一に聞こえるほどよく通った。
「は、始めるって…まさか対人訓練の相手ってレイヴン…!?」
春一があからさまに動揺する。例え訓練だとしても、この男を相手にするのは恐ろしすぎる。
「…そうだが?」
「無理だよ…!今まで喧嘩だってした事ないのに…いきなりレイヴン相手だなんて!?」
必死で訴える春一を前にレイヴンはゆっくりと腕組みをした。
「…そう喚くな、心配しなくても私からは攻撃はしない」
「え?」
「…私は今から動く的になる。もし、おまえが私に水砲を当てる事が出来れば訓練は終了だ」
「いや、でも…」
「始めるぞ」
渋る春一をよそに、レイヴンは長い足を開き、腰を低く構えた。たったそれだけの動作だというのに、春一は凄まじい威圧感を覚え、思わず右腕を上げてしまった。
「開始の合図は、そちらの一撃目で構わない…」
「…うぅ。わかったよ…」
こうなってしまっては今さら逃げる事は出来ない。春一は腹をくくり、水砲となる右手の照準を目の前の大男に合わせた。
心臓が高鳴っていく。戦闘に関してはまるで素人の春一だが、レイヴンが発するオーラはひしひしと感じる。経験や知識とは関係なく、本能があの男の強さを感じとっているようだ。
…だが、たかが訓練。春一は自分にそう言い聞かせ、ゆっくりと息を吸った。
そして、一発目の水泡を放つ。
- 訓練が始まった。
打ち出された水は凄まじい速度で空中を進んだが、レイヴンは瞬時に屈み、いとも簡単に避けてしまった。鉄底のブーツをまとった足が床を踏みしめる。頭上に放たれた流水が消えきる前にレイヴンは真横に飛び出した。ニメートル近い身長の巨体が、片足の軽い一蹴りで一気に体五つ分ほど横に移動する。
春一はひるまず、二発目、三発目と次々に水を放った。だが、どんなに間髪入れずに水泡を放っても、レイヴンはその巨体からは想像もできない身のこなしで避けてしまった。そして、左右上下に飛び回る度にすこしずつ春一の方に近付いてきている。おそらく、その気になれば一瞬で距離を詰められるのだろうが、訓練という事もあってわざとそうしているのだろう。つまり、詰められ切るまでの時間が春一に与えられたタイムリミットというわけだ。
水撃はことごとくかわされ、当たる気配がない。春一の中の焦りが生まれ始めた。そして、焦れば焦るほど、照準はぶれ、余計に当たりにくくなっていく。
(このままじゃ、いくらやっても当たらない…訓練なんかとは、まるで違う…!)
心の中ででそう嘆きがらも、春一は何とか打開策を見つけようと、訓練を思い出していた。そして、ある事に気が付く。
(待てよ…?広範囲に水を放射すれば逃げ道はなくなるんじゃないか…!?威力は弱まるけれど、レイヴンはそこまで指定してない。ただ、単に一発当てればいいんだ…!)
春一はとっさに閃いたこの作戦を実行するため、機会を伺った。多少威力と命中制度が落ちるのは覚悟で連射速度を上げて揺さぶりをかけてみる。そ
れでも、レイヴンは表情一つ変える事なく回避を続けた。まったく効果がないようだ。だが、それで良い。百選錬磨のレイヴンに通じるかはわからないが、今はとにかく、こちらが何かを仕掛けようとしているのが悟られなければいい。
そして、春一作戦を実行するのに絶好のタイミングが訪れた。
レイヴンが足元に放たれた水砲を避ける為、獣のように力強く跳躍をしたのだ。
(ここだ…!)
春一は着地の瞬間に合わせ、今までよりも太い流水を放射し、レイヴンを巻き込むように辺りをなぎ払った。 壁と床に打ち付けられた大量の水が、無数のむちを一斉に振り下ろしたような轟音を響かせ、あたりを水しぶきで埋め尽くす。
当たった!…春一は確信した。水撃に襲われて見えなく直前、レイヴンは着地の姿勢のままあの場所にいた。いくらあの男でも、この範囲攻撃を避けられたはずがない。
立ち込めた水煙がさっと引く。
…だがそこに、レイヴンの姿はなかった。
「…いい考えだ」
呆然と立ち尽くす春一の後ろで低い声がした。
「!?」
レイヴンは春一の真後ろに平然とした顔で立っていた。その体にはいっさい濡れた形跡がないばかりか、あれだけ動き回っていたというのに呼吸ひとつ乱れていない。
言葉を失う春一にレイヴンは話を続けた。
「おまえのその水の力……最大の利点は、形状を自由に変化させられるということだ……よく覚えておくといい」
春一はまだ驚きが収まらない様子で、恐る恐る振り返る。
「今の…どうやって…かわしたの?」
そう聞くと、レイヴンその燃えるような赤い瞳で春一の目をじっと見つめ、
「……ここは、夢の中だ」
冷静に答えた。
春一は納得のいかない様子で頭をかいた。だが、それ以上は何も聞かなかった。おそらく、このレイヴンという男は最初に答えなかった場合は、後から何を言っても無駄だろう。
訓練を終え、外に出ようとした時、レイヴンに通信が入った。長い髪で隠れきってしまった耳元に手を当て確認をする。
「どうしたの?」
春一が尋ねる。
「…エリザから通信だ……この部屋の中は通常は通信が出来ない。…これは、緊急回線のようだな」
レイヴンはしばらく、ヘッドセットに耳を傾ける。そして、突然カッと目を見開いた。
驚いている…。春一は初めてみるレイヴンの表情に、ただならぬ不安を感じた。
「…訓練は終わりだ。行くぞ」
通信を終えたレイヴンはそう言うと、コートの裾を大げさに棚引かせ歩き出した。
「あ、うん」
春一も後に続く。レイヴンは多少早歩きをしている程度だが、長い脚のせいか春一は小走りでなければついていけなかった。
「何があったの?」
見上げる位置にある大きな背中に向かって春一は問いかけた。
「外に出ればわかる。…説明は後だ」
いつも通りの口調だが、気のせいか少し早口になっているようにも感じた。やはり、何か緊迫した事態に陥っているのだろうか。
二人が射撃場の外に出ると、そこには異様な光景が広がっていた。メトロポリスを飛び回るすべての空中車両が、その場に停止し、浮遊している。乗車していた人々は、皆窓から身を乗り出して空を見つめていた。外を歩いていた人々もその場で足を止め、室内にいた人々は窓に詰めより、同じようにぽかんと口を開けて空を見つめている。おそらく、今、メトロポリス中のほとんどの人々が同じ行動をしているのだろう。もちろん、春一とレイヴンの視線もそこにあった。
メトロポリス中の注目を集めているのは空に浮かんだ異形の構造物だった。巨大なスコップ大地をまるまるえぐり取ったような土台に、窓の多い長方形の建物が無造作に組まれた積み木のように不安定に重ねられている。いくら夢の中であるとはいえ、異様としか言いようがない外観だ。だが、ボロボロのコンクリートで構築された直方体の建物一つをとってみれば、それは誰もがよく知る建築物であるという事がわかる。材質はコンクリート、無数にならぶ部屋、数階建ての構造…
「……レイヴン、あれって…」
「…プリズン…マンション」
― プリズンマンション。Dreedamの住民は誰しもが必ずそこで目覚める。一般には、固定された場所に存在するが、中には各地を転々と移動するものもあり、春一はそこで目覚めた。
「あれも…前に祐樹が言ってた移動式って奴?俺が見たのとは大分様子が違うけど…」
「…確かに移動式だ。…だが、あのような形状のものは私も初めて見る…とにかく、あれが出現した際の詳細をエリザに聞こう」
レイヴンと春一はイメージによってヘッドセットを装着する。すぐさま、ヘッドフォン向こうからエリザの声が聞こえてきた。
「2人とも、空に浮かんだあれは見てるわね…!今やドリーダム中が大パニックよ!!」
口調からは明らかに動揺が感じられる。
「経緯を」
落ち着け、と示唆するようにレイヴンは言った。その声で、エリザは我に返った。一度深呼吸をして、落ち着きを取り戻してから説明に入る。
「あれが出現したのは今から約10分前、曇り空を割って上空から突如下降してきたの」
「雲を割って…って、未来界の空は作り物なんじゃないの?」
春一が尋ねると、レイヴンがすぐに答えた。
「…あの天井パネルはユニバース上空の空を撮影し投影させている…つまり我々が見ているのは映像で、本体はユニバースの外にあるという事だ」
「レイヴンの言う通りよ。映像から計算するに、あの構造物はユニバース上空1000メートル付近に浮遊しているわ。おそらく、始めに気づいたのは未来界の人々ね。今はもうすでにユニバース中に広まってしまっているけれど」
「…何ものかが、パネルをハッキングして映し出しているだけという可能性は?」
「それはないと思うわ。ハッキングの形跡は見られないし、他の階層からあれを生で見たという証言も入って来ているから。ただ、今は情報が錯綜していて信憑性までは保証できないのだけれど…」
「…そうか。私は念のため、あれを直接確認しに行く。その間、各地の工作員には騒動の鎮圧にあたるよう命じてくれ。…それから、アシムと祐樹にはすぐに本部に戻るように伝えろ…」
エリザですら動揺を隠せなかった状況であるというのに、レイヴンは口調一つ乱す事なく実に冷静だった。
「わかったわ」
エリザの返事を聞くと、レイヴンはすぐ様ヘッドセットを外し、春一に
「…聞いた通りだ。すぐに上へ向かう」と告げた。それから、駐車場に停めてあった空中自動車へと向かった。
運転席にレイヴン、助手席に春一が乗り込む。
「…以外と早かったな」
「え?何が?」
「教えるのが…だ……我々、オブリビオンの『目的』を」
レイヴンはそう言うと、運転席側のドアを勢いよく閉めた。