第五話 接触、偶発、挑戦
春一は裏路地を抜け、中央広場へと出た。円形の広場は、小さな4つの路地と大きな通りがぶつかる場所に設けられており、中央には彫刻のあしらわれた立派な噴水があった。周りには幾つかの露店が立ち並んでいて、近くには宿屋などもある。きっと普段ならこの場所は賑やかなのだろう。しかし、広場今、妙な静まりを見せていた。
原因は、中央に位置する噴水の縁に腰掛ける1人の少女だった。
神条あかりは、ホットパンツから伸びる細く綺麗な足をこれでもかというほど堂々と組み、退屈そうに手元のスマートフォンをいじっていた。
周りの群集は、広場に面した建物の窓、露店の後ろ、とにかく物陰という物陰に身を隠しながらからあかりを睨み付け、ボソボソと何か口にしている。
春一が、広場の中を進んでいくと群集の口ずさむ内容が耳に入って来た。
「なんであいつがここにいるんだよ…」
「出てけ…」
「人殺し」
「おい、どっか行くように言えよ」
「ふざんけんな、殺されちまう」
どれも彼女を罵倒する言葉ばかりだ。
詳細な内容までは聞こえていないだろうが、あかりは自分に集められた軽蔑の視線と、浴びせられている中傷の言葉には気づいているようだった。するどい目で周りを睨み返すと、首に欠けていた大きなヘッドホンを装着し、外界の音を遮断する。それでも罵倒の声は止む事はない。
「おい、なんなんだよ。あいつ」
「なんで捕まんないわけ?人殺しなんでしょ」
「捕まえる側がビビッてんじゃねぇの?」
「誰かどかせそうな奴よんで来いよ」
聞きたくなくても、悪い言葉は自然と耳に入ってくる。
春一は、だんだんといたたまれない気持ちになって行った。自分と同じ歳くらいの少女が、大勢の大人から中傷の言葉を滝のように浴びせさせられている。元々正義感というもの強い方ではない。こういう状況でも今までは干渉をせず、傍観者になっていた。だが、何故かあの少女に対しては妙な感情移入をしてしまう。
春一は、意を決したようにひと息吐くと、堂々した足取りであかりの前に歩いて行った。
「……あのっ!」
そこそこに大きな声を出す。 群集のひそひそ声がピシャッと止んだ。
だが、あかりは目の前の春一に気づかず、まだスマートフォンをいじっている。
「………あのぉ!!」
春一はさらに大きな声を出した。
今度はあかりの耳に届いたらしい。濁った瞳がギョロリと春一を見上げた。
「…あ?」
どすの効いた声に、春一は自分の胃が持ち上がるのを感じた。
あかりは気だるそうにヘッドホンを外すと、スマートフォンをポケットにしまった。
「あんた、もしかして私に話しかけてんの?」
「そ、そうだけど…」
春一は生唾を飲んだ。
「で、なに?……あぁ。あんた、あの時喰われかけてた役立たずじゃない?その様子じゃ無事にユニバースにたどり着いたみたいね。私はてっきり、もうユメクイのお腹に収まってると思ってたのに」
予想はしていたが、嫌みたっぷりの言葉が飛んできた。だが、春一は無理に笑顔を作り、
「い、いや…あの時はありがとう。おかげで助かったよ」
なるだけ誠実さが伝わるように返した。
「…で?」
「え?」
「で、何?まさか、それだけ?そんなしょうもない礼を言うためにわざわざ私の時間を割いたの?」
「い、いや…」
春一の笑顔が引きつる。心の中でもやもやした気持ちが生まれ、シーツにこぼれた水のようにそれが広がっていった。
「あんたの礼なんか、なんの価値もないじゃないの。あーあ。時間、損した。どーしてくれんのよ、ねぇ?」
何故、好意で話しかけたというのにここまでの言われ用をしなければならないのだろう。
それでも、春一は自分を押し殺し、
「いや、…ご、ごめん」
「だからそれよ!あんたの言葉を耳にしてる時間が無駄だっつーの!」
あかりが追い討ちをかけた。これには春一の堪忍袋もとうとう尾が切れる。普段は怒りという感情を覚える事すら珍しいが、流石にここまで言われてしまえば平常心でいられるわけがない。
頭に血が登った春一は機関銃のようにまくし立てた。
「な、なんだよ!?その言い方!さっきから、こっちが下でに出てれば言いたい放題言いやがって!だいたい、さっきまでずっと暇そうにしてたじゃないか?そんなんだから、みんなあんな風に…」
そこで春一は我に帰った。辺りの空気が異様なまでに凍りついている。
「………あんた、今なんて言った?」
あかりは今までと打って変わって静かに言葉を吐くと、ゆっくり立ち上がった。 周りの群集が危険を察知し、一目散にその場から離れ出す。
…しまった、言い過ぎた…!春一は慌てて弁明を試みようとするが、もう遅かった。目の前で灼熱の炎が吹き出し、しりもちを尽かされる。
あかりが殺気に満ちた目で、春一を見下ろした。左の手のひらから発せられた炎が勢いを強め、腕全体を包むほど大きくなっていく。
「あんた…誰に向かって口利いてんの…?私を…誰だかわかってるの…?」
ボソボソと独り言のように呟く。怒りが爆発する前の静まりだと、春一にはすぐわかった。
「い、いや…今のつい…く、口が滑っただけで…」
春一は地べたを這いずって後ろにさがり、必死に主張したが、あかりは聞く耳を持たないといった様子で詰め寄ってくる。
迫りくる火炎が、今にも春一の鼻先を焦がしてしまいそうだ。ジリジリと痛みに似た熱さが肌に伝わる。もしあの炎を浴びれば、肉は焼け落ち、骨まで消し炭にされるに違いない。
ふと、春一の脳裏に先ほどの祐樹の言葉が走った。
「あいつが……人殺しだからだよ」
その冷たい目ともの悲しげな口調、いつも脳天気な彼にしては珍しいものだった。
…自分は今、ここで殺される!春一は確信した。
あかりがゆっくりと炎に包まれた左腕を上げる。
春一の体が恐怖によって震え出した。足の力が抜けていき、上の歯と下の歯が小刻みにぶつかり合いカタカタと音を立てる。
「た、助け…」
春一が声にならない声を漏らす。 震えは最高潮に達した。
― だが、何かがおかしい。
右手の震えだけが妙に激しい。…いや、これは震えではない!
春一は自分の右手に視線を落とした。右手はまるで、水揚げされた魚のようにビチビチとのた打ち回っている。もちろん意識に反してだ。腕がこんな動きをするのを見たのも初めてだった。そして、暴れまわる腕に妙な感覚を覚えた。
― 何かが……………出る!!
春一はとっさに左手で右の手首を掴むと、掲げるように上と持ち上げた。
次の瞬間、空へと向けられた手のひらから大量の水が吹き出した。消防車の放水のように凄まじい勢いで放たれた水流は、広場の噴水はおろか周りのどの建物よりも高く上がり、大きな水の柱作り上げる。
流石のあかりも、これには驚いたのか腕の炎を消し、宙へ放たれた水を見上げた。
「…な!?……水?」
あかりは、春一から放たれた水が自分を襲うのではないかと身構える。
だが、そうはならなかった。
真上に向かって登りつめた水は、勢い失い一気に下へと降り注ぐ。
― ザバァァーン。
広場の石畳を叩く音と共に、春一は落ちてきた水を丸々とかぶった。
辺りに沈黙が流れる。春一の髪からしたった水だけがポタポタと小さな音を立てていた。
あかりは下を向いて小刻みに震え出した。
…まずい、さらに怒らせてしまった!春一は焦った。故意ではないと言え、この状況では反撃しようと試みたように見えてしまう。そう思われて逆上されれば今度こそ一環の終わりだ。
「あ…これは、その…」
春一は慌てて釈明をしようとしたが、あかりの震えはさらに強くなった。
「…ぷっ」
あかりの口から空気が漏る。
「あっはははははははははははは!」
彼女は突如、壊れたように大声で笑い出した。
「…え?」
春一は何が起こったのかわからず、ポカンと口を開けた。目の前の少女はさっきまでの殺気に満ちた表情を崩し、涙を流して笑っている。
「あ、あんたバッカじゃないの!?いくら、私の炎が怖いからって、自分に水引っ掛ける事ないじゃないの!あーおかしい」
あかりは一通り笑い終えると目頭の涙を指で拭った。
「あーあ、なんか拍子抜けして怒りもどっか行っちゃったわ。今回はあんたのそのバカさ下限に免じて許してあげる。ただ…」
そこであかりは再び鋭い目つきに戻り、
「次は本当に焼き殺すからね」
脅しの意味をたっぷり込めて言った。
春一はビクッと背筋を伸ばした。
「は…はい」
「じゃ、私はこれで行くから。そうそう、あんたも『アルケマスター』ならもっとマシな使い方覚えなさいよね」
そう言うとあかりは、春一に背を向けその場を去っていった。
あかりの姿が完全に見えなくなると、辺りに張り詰めていた緊張の糸が途切れた。春一はホッとため息をつき、上がっていた肩を下げる。
「おーい、春一!」
後ろの方で声がしたので振り向くと、露点脇に詰まれた木箱の影から祐樹が姿を表し、駆け寄って来た。
「大丈夫か?」
「うん、なんとか…この通り水浸しだけど」
春一は濡れて色濃くなったシャツの裾を雑巾のように絞りながら答えた。
「ったく、待ってろって言ったろ?それを勝ってにどっかに行っちまって、挙げ句の果てに神条あかりに喧嘩を売るなんてもっての他だぞ!」
「ごめん……ん?祐樹、どこから見てたの?」
「どこって…おまえが最初に話し掛けたとこ」
きょとんとした様子で祐樹が答える。
「見てたんなら助けてよ!」
春一は声を荒げたが、それ以上に大きな声で祐樹は返した。
「嫌だよ!俺まで丸焼きにされたくないもん!」
「あのねぁ…一応俺の護衛なんでしょ…?」
春一は呆れたという様子でまたため息をついた。
「んな事より、おまえすげぇな!あの神条あかりを退けたんだぞ!」
祐樹が嬉しそうに言った。この様子はそうとうテンションが上がっていると見て間違いない。
「退けたっていうか…自分に水掛けただけだよ」
「それでも、あいつを怒らせといて、なんとかなったのはおまえが初めてだよ!…多分。それに、なによりすげぇのは、おまえ『アルケマスター』だったんだな!!」
祐樹の声は普段に増して甲高くなっていた。
「『アルケマスター』?そういえば、あの子も去り際にそんな事言ってたけど…なんなの?その『アルケマスター』ってのは?」
「『アルケマスター』ってのはな…」
祐樹は話し始めようとしたが、気持ちが高ぶり過ぎたせいか身震いをして止めてしまった。
「取りあえず、今は本部に帰るぞ!!一刻も早く、その力をレイヴンに見せなくちゃ!」
早口で言うと春一の手を引っ張り、無理やりに連れて行こうとした。
「うわっ、ちょっと引っ張るなよ。レイヴンに見せるってなんで?」
「決まってんだろ?オブリビオンに入る為だよ!アルケマスターともなれば、逆にこっちからスカウトが行くぐらいだ!」
祐樹はいてもたってもいられない様子で春一をぐいぐいと引っ張る。
「だ、だからなんなんだよ?そのアルケマスターってのは?」
「それは後で説明する!」
「いや、引っ張るなって!せめて、服を渇かさせて…!」
結局そのまま、春一は祐樹に連れられ急いで本部へと戻った。帰路の最中、祐樹は先ほどの『アルケマスター』というものについて説明をしたが、如何せん興奮状態にあった為、何を言っているのか春一にはよくわからなかった。後でエリザがわかりやすく説明してくれるだろう。春一はそう思い、話半分に相槌を打ってその場をしのいだ。
未来界 に戻り、2人は空中タクシーでオブリビオン本部のエントランスに到着した。エントランス中央の噴水の周りにはすでにレイヴン、エリザ、マリーそれからアシムまでもがいた。祐樹が戻る間に連絡を入れて集結させたらしい。
何やら面倒な事になりそうだ…と、春一は憂鬱な気持ちで祐樹の後に続いた。 噴水の前まで行くと全員の視線が春一に寄せられる。
祐樹がしゃべり出そうとすると、レイヴンがそれを手で遮り口を開いた。
「早速だが…見せてもらおうか。この後も用があってあまり時間が無い」
「…見せる?」
春一が聞き返すと祐樹がすかさず耳元で 、
(さっきの水吹き出す奴だよ)と告げた。
(む、無理だよ!?あれは無意識に出ただけだもん)
(大丈夫だって!さっきの事思い出してまたイメージすればきっと出るから)
(そんな…!)
春一は周りに目をやった。厳しいというわけでは無いが、皆真剣な眼差しで自分に注目している。恐らく、忙しいところを祐樹が無理やりに集めたのだろう。祐樹にとってみれば春一の事を思ってなのだろうが、春一からしてみればなかなかの迷惑だった。こう注目されるのは性に合わない。
「…わかった。やってみるよ」
仕方なく春一は了承し、右の手のひらを噴水の池に向けた。それから目をつぶる。
「よし!手っ取り早いのはさっきの事を思い出す方向だ。見せてやれ、春一!」
祐樹に促され、春一は先ほどのあかりとの出来事を頭に浮かべた。あかりの殺気に満ちた目や炎をまとって迫る姿、それから自分の腕に起きた変化、吹き出される水。
しかし、どんなにその時の情景を強く思い浮かべても、噴水に向けた右手に変化は見られなかった。
これには祐樹も動揺したようで、
「じゃ、じゃあ今度は素直に水をイメージしよう。そっちの方が正攻法だしな!」
レイヴンの顔色を伺いながら言う。レイヴンはいつも通り、一向に表情を変えていない。
春一は水のイメージを始めようとした。だが、改めて『水』をイメージしろと言われてもどうしたらいいのか分からない。コップに入った水、蛇口から流れ出る水、川や海の水、『水』と言われても概念が大きすぎて何を思い浮かべればいいのかさっぱりだ。
取りあえず素直に『流水』を思い描く事にした。頭の中にキャンバスがわりの黒い空間を用意し、その中に勢い良く水を流す。
この方法は功を奏したようで、春一は体の中央から右腕の芯に何が伝わっていく感覚を覚えた。しかし、まだそれも僅か。さらに強くイメージをしようと神経を集中させる。
そして、イメージが最高潮に達した時、春一は右の手のひらに冷たい感触を覚えた。
…チョロチョロチョロチョロ。
「…あ、出た」
マリーがボソッと呟く。
「出たっつても、おめぇ、これじゃあ…」
アシムが渋い表情で言った。
春一は目を開いた。手のひらからは蛇口をわずかに捻った時に出るような、情けない水が噴水に滴り落ちているだけだった。
「…オシッコみたい」
祐樹が思わずそう言うと、エリザは額を抑え一言、
「下品だわ」
小さな声でこぼした。
春一は恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。イメージもすぐに崩れ、手のひらから流れ出ていた水も切れ悪く止まった。
一部始終を見たレイヴンは表情を変える事もなく、背を向けてその場を離れようとする。
「あ!待ってくれよ、レイヴン!!」
祐樹が呼び止める。
「確かに見たんだよ!春一の手から大量の水がばぁぁって出たのを…!春一は間違いなく…」
「分かっている」
レイヴンが静かに遮った。
「え?」
「岡野 春一がファンタジー界で神条あかりと接触。腕から流水を放ったという情報はすでにエリザからこちらに入っていた。間違いなく、そこにいる少年は『アルケマスター』だろう…だが、」
レイヴンはそこで言葉を区切ると、祐樹ではなく、春一と目を合わせた。 燃えるような赤い瞳に、緊張する春一の姿が映し出された。
「…例え、アルケマスターであろうと力をコントロール出来なければ意味が無い」
レイヴンの言葉には表面的な力強さは無いが、どこか芯の通った貫禄があり、春一は妙に身構えてしまった。
「……3日だ」
「3日?」
「…この世界での3日、36時間で力のコントロールが出来るようになれば、おまえをオブリビオンの正式なメンバーとして向かい入れよう……やってみるか?」
春一は一瞬、躊躇った。だがすぐに答えは出た。この挑戦を受ける事にデメリットはない。オブリビオンに入りたいという願望が特に強いというわけでも無いが、保護の期間が終わり、この場所を離れるのは望ましくなかった。祐樹や、せっかく打ち解けた他のメンバーと別れるのは名残惜しいからだ。そして何より、自分に可能性があるのを試さず、逃げ出すのは嫌だった。
「やるよ。3日で」
春一はレイヴンを強い眼差しで見つめ返し、ハッキリとした言葉で答えた。 春一がレイヴンにしっかりと向かい合ったのはこの時が初めてだった。
「承知した…では3日後にこの場所で。…エリザ、『イマジン』についての説明はしてあるのか?」
「いいえ、まだよ」
「それについてだけは……今すぐしてやってくれ。私の用には後から付いてくれればいい。…だがそれ以降は手を貸すな。情報の収集、自らの能力の研究もオブリビオンの一員として必要な要素だからな」
「…わかったわ」
「…では、皆任務に戻ってくれ」
レイヴンはそう告げると、近場に停めてあった黒塗りの空中自動車に乗り込みその場を去った。アシムはいつものエアバイクにまたがって飛び立ち、マリーはパタパタと本部へ走っていった。噴水の周りには春一、祐樹、エリザの三人が残った。
「やったじゃんか!春一。これで3日後におまえも晴れてオブリビオンの正式メンバーだぜ!」
祐樹は嬉しそうに春一の背中を叩く。
「喜ぶのはまだ早いよ。コントロール出来なきゃ入れないんだよ?」
春一は呆れ顔で返した。
「ただ、あのレイヴンが有余を与えるなんて珍しい事よ。そこは喜ぶべきだわ」
エリザがフォローを入れる。
「そうなのかなぁ」
春一はぼやいた。あの場では豪語してしまったが、今冷静になって考えて見れば力のコントロールについて全く見通しがたたない。3日という時間も短か過ぎる気がしてきた。
「まぁそんなに気を落とさないで、春一君」
エリザが優しく宥める。
「取りあえずは『イマジン』について理解をしなくてはね」
「『イマジン』?」
また新しい言葉が出てきたと、春一は戸惑った。
「…『イメージ』とは違うの?」
「違うと言うより、『イマジン』は『イメージ』の特殊な一形態なのよ。上位種と言っていいわね。例えて言えば、空を飛んだりする能力の事よ」
「へぇ。空ってみんな飛べないの?」
「えぇ。この世界は、大勢の人々の常識や概念によってルールが決定されているわ。だから現実世界のように重力があって、通常の明晰夢のように空を飛ぶ事は困難なの」
「でも中にはそれができる人もいるよね?」
「そうよ。この世界の人々の常識よりも、強い想像をする事が出来れば可能なのよ。イメージも似たようなところがあるけれども、物を取り出したり出現させたりするのと、空を飛ぶので必要な想像力が全く違うわ。そもそも、自分自身が潜在的に『飛べない』と思ってしまっているしね。そう言った自分の常識さえもねじ曲げて実現してしまう強いイメージの事を『イマジン』と呼ぶの」
「へぇ。じゃあ、想像力が強ければ…空を飛べるって事?」
「そうとも言えないのよね」
「え?…どうして?」
「イマジンはその種類はもちろん、使用出来るからどうかも先天的に決まっているからよ。能力の種類はその人物のリアルで培った概念から。その力の強さはその事象がどれほど潜在意識に染み付いているかに寄って決まるの。だから前に言ったでしょう?『特殊能力』…と」
春一は、前にエリザが通信機でそのような事を言っていたのを思い出した。そして、祐樹が使っていた宙に浮かぶスケートボードの事も頭に浮かんだ。
「そうだったのか…じゃあ祐樹が使っているスケボーとかも…?」
「そう、イマジンよ。祐樹のイマジンは見た目にもわかり安いから、いい例になるわね。祐樹、見せて上げて」
「へーい」
祐樹はぶっきらぼうに返事をすると、おもむろに床に手をつき、持ち上げた。すると白いタイルの床から前に見たスケートボードから出現した。
祐樹はそのスケートボードを乱暴に宙にほうる。
「これが俺のイマジンの一つ。空飛ぶスケートボード、ホバーボードだ」
放りなげられたボードは地面ギリギリでぴたっと止まり、そのままフワフワと浮き続けた。
「俺はリアルでスケボーに乗りまくってるし、SFも大好きだからこんな芸等が出来るわけ。えっと…それから」
祐樹はそこで言葉は切り、何やら後方を確認した。そして膝を曲げて反動を付ける。
「よっと!」
掛け声とともに勢い良く跳躍し、連続のバク転を始めた。体は竹のようにしなやかに曲がり、後ろに回転していった。7回目のバク転を終えた後、祐樹は最後にひときわ高く上に飛び上がった。そして、空中で体を四度ひねりながら二回後方に回転した。
「すごい…!」
春一が驚嘆の声を上げる。ほんの少し遅れて、祐樹は床に音もなく着地した。
「と、まぁこんな風に普段リアルでやってるアクロバットなんかを強化するってのも俺のイマジン、『B-Boying』の能力の一つだったりするわけよ」
祐樹が一連の動きで開いた距離を歩いて戻りながら言った。
「ビー…ボーイング?イマジンには名前があるの?」
春一が尋ねるとエリザは頷いた。
「自分の中で能力を固定化する為に名前を付けたりするのよ。私の能力にも名前があるけれど、その名前や行える事自体がオブリビオンの重要な機密だから、いくら君たちだからと言って教えることは出来ないわ。ごめんなさいね」
「あ!ずりぃ。俺にだけ見せさせといて」
祐樹がエリザを指さす。
「何を言ってるの?あなたはむしろ見せたかったんでしょ?」
エリザがピシッと言った。
「まぁ、そうなんだけどよぉ」
祐樹はぐぅの根も出ないといった様子だった。
「さて、イマジンについてはこんなところかしらね。ちなみに、オブリビオンのメンバーはみんなイマジンが使えるのよ」
「そうなんだ。意外とイマジンって使える人が多いんだね」
「んな事はねぇよ」
祐樹がすぐさま訂正する。
「イマジンを使用出来るのはドリーダムの人工の10%ほどよ」
「10%…!」
春一はエリザと祐樹の顔をそれぞれまじまじと見返した。
「だから俺達は精鋭部隊なんだって!」
祐樹が腰に手を当て、自慢げに言い放った。
春一は初めて、自分が有能な人物に囲まれている事を実感した。エリザやレイヴンは別として、今までは祐樹の存在のせいでその感覚が薄れていたのかもしれない。
「まぁ、そんなに畏縮しないで。春一君。もし、あなたがそのイマジンをコントロール出来れば、私達を優にしのぐ力になるのだから」
「皆を優にしのぐ…?」
「おまえはアルケマスターだからな」
「だから、なんなの?さっきから連発しているそれは?」
尋ねられた祐樹は、自分では説明出来ないと悟ったのか、エリザにどうぞと、話を譲った。
エリザはやれやれと、首を振ってから説明に入る。
「イマジンはイマジンでも、物事の根元となるような特殊なイマジンを使える人物の事よ。例えば、春一君のような『水』。あとは、馴染みのあるところで言うと神条あかりの『炎』。このような、君達の国の日本で言う五行に属するものや、自然エネルギーを扱うような能力者をこの世界では『根元使い』つまり『アルケマスター』と呼ばれるの」
「神条あかりも……?」
春一の頭に炎を意のままに扱うあかりの姿が浮かんだ。自分もあの少女のように力をコントロール出来るようになるのだろうか?今の段階では全くそんな気がしない。
「一応、言っておくけれどこの世界に現存する アルケマスター は現時点で9名。春一君を入れれば10名になるわね」
「そ、そんなに少ないの!?」
「やっと二桁になったかぁ。まさか記念すべき10人目が春一とはな!」
「そうね。ただ、レイヴンの言った通り、どんなに優れた力も使いこなせなければ宝の持ち腐れになってしまうわ。というわけで、春一君、基本的な説明はすんだから後は自力で頑張ってちょうだい。本当は色々と手伝ってあげたいけれど、命令だから仕方ないわね」
「ううん、エリザには今まで色々教えて貰ったから十分だよ」
「それから祐樹、あなたも春一にアドバイスしてはダメよ」
「えぇー。せっかくアルケマスターの成長に一躍かれると思ったのに」
祐樹は頬をぷくぅっと膨らませたが、何か閃いたようで、
「…あ!せめて一つだけいい?アドバイスじゃなくて、前に春一と俺が経験した事を確認するだけだからさ」
祐樹の問いにエリザは首を傾げた。
「え、えぇ…構わないけれど」
「一体何?」
春一が聞くと、祐樹は春一の肩に手を回し、エリザには聞こえないように小声で話した。
(覚えてるか?最初におまえがDreedamに来た時、ユメクイの大群に追われて2人でホバーボードで逃げた事。あの時、急に池が出て来て落ちたろ?俺が思うにあれ、春一の能力だったんじゃないか?初めはDreedamにたまにある地形変動の類かと思ってたんだが、後で調べたら、あんな狭い範囲にピンポイントで起こる事なんてないらしくてさ…とにかく、あの時の事思い出せれば、何かしら役には立つはずだぜ)
「あ、ありがとう…そう言われれば、そうかも…」
春一は、祐樹の思いもよらない意見に関心した。夢の世界の祐樹は、やはりどこか鋭い一面を持っている。
「さて、じゃあ私はそろそろ任務に戻るわね。春一君、頑張って」
「うん、ありがとう」
エリザは近くに停めてあった空中自動車に乗り込むと、フロントガラス越しに手を振り、その場を飛び立って行った。
それから、春一の特訓は始まった。初めのうちは祐樹も付き合うと言ってそばで様子を見ていたが、そのうち任務が入ってしまい、その場を離れた。 春一は、一人になっても黙々と噴水の池に右手を向け、イメージの練習を重ねた。初めは何をしていいかわからなかった為、取りあえずは先ほど試した方法を繰り返し、なんとか水の吹き出す威力を上げようと試みた。しかし、幾ら集中を繰り返しても、手のひらからこぼれ出す水は微々たるもので、変化が見られなかった。
やがて日も暮れ、メトロポリスの街並みがきらびやかなネオンに包まれても、春一の特訓に進展は無いままだった。結局その日は、そのまま終わりの鐘の音を聞くこととなった。
― 与えられた猶予は2日とあと少し。
春一のオブリビオン入隊に、暗雲が立ち込めつつあった。