第三話 U《ユニバース》:夢の集合体
デジタル式の置き時計と、携帯電話のアラームが同時になる騒がしい朝の中、春一は目を覚ました。いつもなら、アラームが鳴る前に自然に起きているはずだが、今朝は珍しく目が覚めなかった。
まず、枕元で充電器に繋がれた携帯電話アラームを切り、それから置き時計の方を止める。
― AM7:01
置き時計に表示された時刻を見た春一は、違和感を覚えた。昨夜は、11時過ぎには眠りについたので、現在まで8時間が経過した事になる。しかし、何故かそんな気がしない。眠っている間に、もう少し長い時間が経過していたように感じるのだ。
ぼんやりした頭でカーテンを開けると、外界の光が部屋の中へと差し込む。それきっかけに、昨夜の夢の記憶が春一の頭に蘇った。映像を早回ししたように、迫りくる怪物や炎をまとった少女の姿がフラッシュバックする。
「…う、」
あまりの壮絶さに春一は声をもらし、頭を抑えた。
時間の感覚がおかしいのは、どうやら夢のせいのようだ。そして、頭が重い。体は休まって回復していたが、精神の面では、寧ろ、寝る前よりも疲労が増した気がする。無理もない。あれだけの出来事が起きれば、誰であろうと気が滅入ってしまう。
「…あれ?」
春一は異変に気づく。夢の中での祐樹の言葉を思い出したのだ。
祐樹は、あの夢の記憶は現実には引き継がれないと話していた。しかし、春一にはその記憶がはっきりと残っている。奇妙なマンション、少し大人びた祐樹、怪物の群れ、神条あかり。全てが、その時感じた感覚と共に記憶に刻まれている。
どういう事なんだ…!?
春一は頭悩ましたが、答えは出るわけもなかった。
…いや、所詮は夢。気にする事はない…。
そう、自分に言い聞かせる。
「はるーっ!アラームなってるわよ、起きなさーい」
部屋の外からした声で、春一は置き時計のアラームが再び鳴っている事に気付いた。アラームの音も耳に入らないほど考え込んでしまっていたらしい。
置き時計を拾い上げ、スヌーズ機能切ってから部屋を後にする。リビングルームに出ると、そこにはダイニングキッチンで朝食を作る伯母の姿があった。
春一は、幼い頃に両親を事故で失い、母方の伯母夫婦に育てられてきた。その事故は物心つく前の出来事だったため、春一には両親の記憶はほとんど無い。そのため、春一にとってみれば、叔母夫妻が本当の両親と何ら変わらない存在だった。
ダイニングキッチンのテーブルに、見慣れた朝食が並んでいく。春一は取りあえず夢の事は忘れて、伯母と朝食を取る事にした。
「珍しいわね、春が目覚ましを鳴らすなんて」
伯母がマグカップに入った食後のコーヒーをフーフーと冷ましながら訪ねた。春一の本当の母親よりは年齢が10ほど上のはずだが、外見が若々しいため、実母と言われても違和感がない。
「ちょっと、疲れてたのかも…」
春一は頭をかきながら答える。
「気を付けなさいよ。あんた、体強い方じゃないんだから」
「うん、わかった。そういえば伯父さんは?」
「大事な会議の準備があるからって、今日は朝早くに出て行ったわ。最近は忙しいみたいね」
「ふーん、そうなんだ」
「…あ、この子また出てる」
伯母は、奥のリビングで着けっぱなしにしていたテレビに何かを見つけ、リモコンを手にした。消音が解除され、だんだんと音量が上がっていく。
『…歌はあまり上手ではないんですけど、聞いていただける人の1人でも多くの方に気持ちが伝わるよう一生懸命に…』
50インチの液晶テレビから、つい数時間前に聞いた少女の声が流れてきた。
神条 あかりが歌手デビューをするらしく、情報番組のインタビューを受けていた。インタビュアーの質問に真摯に受け答えする姿からは、夢の中で、春一達に見せた本性は想像もできない。
「この子は、ほんと色々やってすごいはねぇ。しかも全然、嫌みがないのよね、きっと凄く性格のいい子なんでしょーねー」
伯母が関心した様子で言った。
……どこがだ!!?
春一はテレビ画面に向かって、しかめっ面をした。
朝食を終え、身支度を済ますと、春一は普段よりも少し遅い時間に家を出た。遅いと言っても始業時間には十分に間に合う時間だ。
春一は、30階建ての高層マンションに住んでいる。そこから高校までは徒歩15分ほどの距離で、登校ルートのちょうど中間地点に祐樹の家もある。春一は決まって同じ時間にそこを通り、祐樹と合流して一緒に登校するのが日課となっていた。
幹線道路に続く大通りを渡り、閑静な住宅街に入った。少し行った先にある十字路を曲がった先には、裕樹家が暮らす一軒家がある。
いつもより遅いから今日は先に行ってるだろう…。そう思いながら、春一は十字路を曲がった。しかし、その先にある一軒家の前には、小刻みにステップを踏む裕樹の姿があった。カラフルなヘッドホンを身に付け、一心不乱に足を動かしている。むらなく脱色された金髪は、今日も一本残らず綺麗に逆立ててセットされていた。
ダンスも裕樹の趣味の中の一つであり、その腕前は相当なものだった。
「お!春一。今日はいつもよりゆっくりじゃん?」
春一が近づくと、裕樹は踊るのを止め、ヘッドホンを外した。16ビートのリズミカルなファンクミュージクが漏れてこちらに聞こえてきた。
「朝、ちょっと遅く起きちゃって…何してたの?」
「何って練習だよ、練習!こういう、ふとした時にやっておくのが上達のコツなんだな」
うんうんとうなずきながら祐樹は言った。見かけや言動によらず、裕樹は自分の興味のある事に関しては努力家な一面を持っている。
「祐樹って意外と熱心だよねぇ。でも、練習したいなら先に学校行ってやってても良かったのに…」
「いやぁ、それも考えたんだけど…その…」
祐樹は罰悪そうに言葉を濁した。
春一はすぐにその理由がわかり、早くも本日一回のため息をついた。
「…先週の数学の課題か」
「今日提出なのてっきり忘れてたんだよぉ…お願い!」
パンっと手を合わせ、頭を下げる。
「教室ついたらノート見せるよ」
「おぉ!さっすが春一様!!」
「じゃあ、早く行こう。提出まであんまし時間ないしさ」
「おーう!」
2人は高校へ向かって歩き始めた。
「…あ!裕樹、」
「ん?」
「そう言えば、昨日、夢見れたの?また明晰夢に挑戦したんでしょ?」
歩きながら春一が訪ねた。
「それがさぁ…」
祐樹はしょぼんと肩を落した。
「まーた、見れなかったんだよぉ。やっぱり、画像を枕の下に入れてねるだけじゃ駄目みたいでさ。次はあかりちゃんのデビューシングルを聞きながら寝るかぁ」
「…!」
夢の中であかりを嫌う裕樹とのギャップに、春一は思わず笑いそうになってしまった。彼の言葉に嘘は感じられない。どうやら本当に昨日の夢の出来事を覚えていないようだ。
「あ、またバカにしてるな?」
「してない、してない」
その後も、春一は登校中に祐樹とたわいもない話を続けた。やはり隣で話す祐樹は夢の中よりも精神年齢が幼く、実年齢相応に感じられた。春一は、数時間前にあった少年との違いに、初めは違和感を覚えたものの、すぐにそれは消え去った。現実世界の彼との方が付き合いが長いためだろう。 ただ、何を話していても、頭の片隅には、昨日の夢の事が離れないでいた。あの恐怖がすさまじい光景が、頭の中で何度も繰り返し再生されてしまう。
高校に到着し、授業が始まっても、春一の頭に夢の記憶はちらついた
窓際の席に座る春一は、授業中ずっと外の空を眺めていた。怪物たちや神条あかりの映像がチラチラと脳裏によぎる状態で授業に集中できるわけもなく、なるだけぼうっと空を眺める事に徹した。
大きな入道雲が青空を優雅に泳ぎ、高層ビルの後ろに消えていく。春一達の通う学校は都内の進学校という事もあり、周りには背の高い建物が多く並んでいた。所狭しと並ぶビル群、そのガラス張りの外壁達がモニターのようになって、春一の頭の中で昨日の夢の映像を映し出していた。
結局、その日、春一の心が落ち着くことは一度もなかった。
うわの空のまま1日が終わり、気が付けば春一はまたベッドの中に入っていた。それほど疲れる要素のない1日だったが、すぐに眠気に襲ってきて意識が遠のいていく。
あの夢の…続きをみるのか。
完全に眠りにつく寸前、春一は妙な確信を得た。
― バシャーン。
やはりまた、水の中。
いつもと同じ痛み、苦しみが通り過ぎ、やがて何も感じなくなる。
そして、始まる。次の夢が…
春一が勢いよく吐き出した水は、向かいに座っていた祐樹の顔を直撃した。
「…おはよう、春一」
ジト目の裕樹はなじるように言った。
「あ、祐樹……!ごめん」
春一は苦笑いで誤る。
二人が乗る蒸気機関車は、Dreedamに広がる赤土の高野を真っ白な煙を上げ進んでいた。客車の内装を見る限り、この前の夢の終わりに乗った機関車で間違いないようだ。
「本当に続くんだ…」
春一は、客車の窓から見える移り変わりのない風景を見ながら呟いた。
「なんだよ?まだ信じてなかったのか。だから続くって言ったろ?」
祐樹はどこからともなく取り出したハンドタオルで、濡れた顔をゴシゴシとふいていた。
「でも、日は明けてるんだね…」
外はこの前の夢の終わりの暗闇から一変、燦々と太陽が振り注いでいた。
「理由はわかんないけど、そこだけはリセットされるみたいなんだ。……それよりお前なんでびしょ濡れなわけ?」
裕樹が迷惑そうに言った。無理もない、開口一番水を吹きかけられたのだ。春一の体はまたもや髪や袖の先まできっちり濡れきっていた。
「あぁ…これは、多分ここへ来る前に水に落ちる夢を見たせいだと思う」
「…この前に夢を?」
「うん、最初にここへ来た時も。この前の時も、今回も、眠りについた後、水の中に落ちる夢を見たんだ。だから、体が濡れたまんまなんだと思う…」
「うーん…」
祐樹はシートに深く腰掛け直し、釈然としない顔をした。それから額を人差し指でコツンコツン叩き出す。彼が何かを深く考える姿など、現実ではほとんど見ない為、春一にとっては新鮮な光景だった。
春一は取りあえず、濡れた服を乾す。三度目にもなれば、イメージによる乾燥は、もはやお手の物で、温かい風が吹き抜けた後、Yシャツは糊付けされたようなパリパリの状態まで仕上がった。
「それって…特別なの?」
春一は髪に手を当て、心まで乾ききっているか確認しながら訪ねた。
「あぁ。聞いたことないな。ここで目覚める前に他の夢を見るなんて……ていうか、おまえ今のどこで覚えた?」
「え?今のって?」
「服と髪!乾かすのだよ」
「えーっと…最初にあのマンションで目覚めた時に、部屋にいた変な男に教えてもらって…」
「プリズンマンションでか!?」
急に祐樹は目を見開き、大きな声を出した。春一はびくっとして首を引っ込める。
「…なんだよ。そんな驚く事?」
「当たり前だろ!普通、プリズンマンションは各部屋に一人ずつだ。しかも、ちょっと待てよ…おまえ。その夢の事をリアルで俺に話したよな?って事はまさか…この世界の記憶がリアルでもあるのか?」
だんだんと盛り上がっていく祐樹に、春一はあまりいい気がしなかった。元々、特別扱いされるのも、自分に注目されるのも好きな方ではない。
「…う、うん」
春一は歯切れの悪い返事をする。
「マジか!?」
祐樹の声のトーンが、また一段と高くなった。
「移動式のプリズンマンションで目覚めて、その部屋で誰かにあって、ここに来る時は前に別の夢を見て…おまけにリアルでも記憶があるって!あぁーもう、異例な事過ぎてわけわかんねぇよー」
祐樹は、ワックスで固められた金髪頭を両手でぐしゃぐしゃとかきむしった。
どうやら自分は相当特別な状況に置かれているらしい…。春一は面倒な気持ちでいっぱいになり、小さくため息をついた。
「とにかく…だ」
そう言うと、祐樹は人差し指を春一の胸に突き立て、
「今言った事はこの先、よっぽどの事がない限りは秘密にしといた方がいいぞ」と真剣な表情で忠告をした。
春一はこくりと頷く。
「別に誰かに言うつもりはないけど…どうして?」
「この世界じゃ、"情報"ってもんが何より一番価値を持ってるからだよ」
「…"情報"?」
「そうさ。しかも、おまえのその情報は今、Dreedam中の誰もが注目してる特大ニュースなんだからな。むやみやたらに教えるなんてもっての他だ。下手すりゃ、相当面倒な事に巻き込まれる可能性だってあるぞ」
よくわからないが、それもそうだな…。と、春一はしみじみ思った。今、祐樹一人に話しただけだというのに春一にとっては面倒な状況になってしまっている。
そこでふと、天狗の面の男が放った言葉が春一の脳裏によぎった。
『ここで起こった事は、この先、むやみやたらに他の人に話さない方がいい。それが君の身を滅ぼすことに…』
「そう言えば、あいつもそんな事言ってたな…」
「ん?何が…?」
「なんでもない」
春一は軽く首をふり、
「情報は貴重だから、むやみやたらに言わない方がいいんでしょ?」
にやっと笑ってはぶらかした。
祐樹はぷくぅっと膨れる。これは現実でもよく見せる仕草だ。
「ちぇっ。春一はこういうのすぐ適応するからな。全部聞き出してから教えれば良かった…」
仏頂面の祐樹を見て、春一はクスクスと笑った。
気が付くと、汽車は陸橋の上を走っていた。相変わらず外は荒野続きだが、前と比べると背の高い岩が多くなってきている。線路はその岩々の間を縫うように設けられており、列車は右へ左へ、旋回を繰り返しながら進んでいた。
「お、そろそろいいかな」
岩肌に開けられたトンネルを抜けたあたりで祐樹が言った。ウィンドブレイカーのポケットから、片耳式のヘッドセットマイクを取出し、春一に渡す。
「何これ?」
「今からナビゲーターと連絡を取るんだ。この距離まで近づけば、通信が出来るはずだからな」
祐樹の片耳には、すでに春一に渡したものと同じヘッドセットが装着されていた。コツコツとイヤホン部分を叩き、通信状況を確認する。
「…あ、…もしもし…、エリザ、聞こえる?……あ!」
向こう側と連絡が着いたらしく、祐樹は春一にヘッドセットを付けるようにジェスチャーをした。
春一がヘッドセットを装着する。
「いいぞ、エリザ」
祐樹が合図をすると、春一のイヤホンに女性の声が流れてきた。
『…聞こえているかしら?』
「…あ、はい」
『それでは改めまして。私はエリザ。ユニット『オブリビオン』でオペレーション及び、ナビゲーションを担当しているわ。よろしく。あなたは、岡野 春一君ね?』
エリザと名乗ったその女性は艶のある美しい声をしていた。おまけに滑舌もよく、音声のみだというのに気品のようなものがひしひし伝わってくる。 その高貴な雰囲気に、春一は思わず客車のシートの上で背筋を伸ばした。
「は…、はい。よろしくお願いします」
「『オブリビオン』ってのは俺たちが入ってるチームの名前な」
祐樹が補足を入れた。
「…チーム?」
春一が聞くと、エリザはすぐに流調な日本語で説明を始めた。
『そのままの意味よ。現在、このDreedamという世界には、三千万の人々が存在し、誰もが現実と同じように社会生活を行っているわ。そういった中で活動を共にする集団・組織が生まれてくるのは必然であって、逆に個として行動する人の方が稀ね。まぁ、これに関しては深く考えず、現実と同じと思って。例えば、あなたは高校という場所に所属していて、あなたのご両親は、多分だけれど何かしら会社に所属しているわよね?それと同じよ。ただ、この世界の集団・組織は、現実とは活動目的が少し違う傾向にはあるのだけれどね。呼び方も、チーム・サークルといったものから軍やカルテルなんてのもあって様々でもあるし』
「それで、祐樹やエリザさんが入ってるのが…その『オブリビオン』というチームなんですか?」
『そうよ。正確に言えば、私たちが所属する『オブリビオン』は、ユニットという組織形態を取っているのだけれどね』
「ユニットって、軍隊の部隊とかに使う奴ですよね?」
「その通り。よく知っているわね」
「俺たちは精鋭ぞろいの特殊部隊なんだぜ!かっこいいだろ?」
得意げな顔で裕樹が言った。それには全く触れず、エリザは話を続ける。
『語弊があるかもしれないから一応は言っておくけれど、『オブリビオン』は主に、諜報活動を行う組織よ。たまには直接戦闘を行う事もあるけれど、基本的には情報集めや今のように重要な情報元の身元保護などを行っているわ』
「身元保護って…まさか俺ですか?」
春一が訪ねると、エリザはイヤホン越しでクスクスと笑った。笑い方にもどこか品がある。
『確かに、裕樹一人がついているだけでは、護衛という感覚はしないわよね』
「お、おいエリザ。そりゃないぜぇ」
裕樹がやっかむと、エリザはまた小さく笑った。
『ふふ…ごめんなさい。とにかく、春一君。君にはこれからオブリビオンの本部に出向いてもらい、リーダーに直接会ってもらうわ。前回、君が見た夢についての件でね。それまでは、目の前にいる裕樹が護衛、私がナビゲートによるサポートを行うことになるからよろしくね』
「は、はい。よろしくおねがいします」
「まぁ、もうすぐ『ユニバース』にも着くし、護衛なんて大げさな事はする機会はないと思うけどな」
祐樹がふてくされた様子で言った。
「『ユニバース』…?」
春一は首をかしげる。
『この汽車の行先よ。さっき、ドリーダム《Dreedam》には三千万の人々が存在していると言ったけど、実はその全てが、ユニバースと呼ばれる一つの巨大都市に住んでいるの』
「宇宙っていう意味だよな!」
祐樹が自身たっぷりに豪語した。
「…集合の方の意味も入ってると思うけど…」
春一の指摘にエリザがまたクスっと笑う。
『春一君の正解ね。ユニバースは様々な人の様々な常識によって構築された都市。まさに夢の集合体というわけね。どうやら、この感じだと祐樹の時と違って春一君へのナビゲーションは円滑に進みそうね』
「どういう意味だよ?」
『春一君の方が、飲み込みがいいって事よ』
祐樹はムキになってヘッドセットマイクを握りしめる。
「…な!ありゃ二年前の事だったし俺もまだ子供で…」
『それを差し置いてもよ』
エリザはキッパリと言った。
「そ、そんなぁ…」
このエリザと言う女性は自分以上に祐樹の扱いが慣れている…。春一はそう感じた。
『さぁ、そろそろね。春一君、窓から外を覗いてみて、もうすぐ見えてくるはずよ』
エリザに促され、春一は汽車の外を流れる風景に目をやった。祐樹も膨れっ面のまま、窓ガラスに頬を押し付ける。
汽車はなだらかなカーブを描きながら、相変わらず赤土の高野を走っていた。代わり映えない見飽きた風景だ。
「何も見えないですけど…」
春一がそう言った直後、目の前にあった大岩の影からその巨大都市は姿を表した。
「わぁ…!」
驚きの声が漏れる。
「あれがユニバースさ!」
裕樹が甲高い声で言った。
汽車が進む高野は急に絶壁となって終わり、コバルトブルーの海へと続いていた。『ユニバース』と呼ばれる構造物は、その海の上空高くに悠然と浮かんでいた。全長は目視で把握出来ないほど巨大であり、春一達の乗る汽車から10キロは離れたところにあるというのに、視界を埋め尽くしてしまっている。全体像は、楕円形の円盤のような形をしており、よく見ると、幾つものの町や都市が融合して出来た集合物である事が確認出来る。これほど大きな構造物は現実世界にはまず、存在しない。
映画や漫画の世界でしか見た事のない光景を前に、春一はDreedamに来てから一番の驚きを見せていた。
エリザはその様子をイヤホンからこぼれる吐息のみで察知したらしく、
『初めて見る人が驚きを隠せないのは無理もないわね。祐樹は汽車のシートの上を飛び跳ねてガラスに頭をぶつけていたし、私もその壮大さに息を呑んだものだわ』
裕樹は恥ずかしそうに顔を赤くした。
「だから昔の事は言うなって…それにしても久しぶりにちゃんと見たら、また大きくなったんじゃないか?」
「大きくなる…?この都市はまだ完成してないんですか?」
春一は巨大都市から目を話さずに訪ねた。
『ユニバースは、Dreedamに新たな"覚醒者"が現れる度に、その人の常識や概念を吸収して肥大化していくのよ。いわば、あれは成長する都市というわけね。そういった意味では祐樹の言う宇宙という表現も強ち間違いではないのだけれどね。もともと、全集合Uは、すべての数学が実行可能な集合を与えるグロタンディーク宇宙を示したものであるし』
「だ、だろー?」
『あら、そこまで知ってて言ったとは思えないけど?』
エリザはくすっと笑う。だが、春一には二人の会話は聞こえていなかった。
「…すごい」
春一は、そのまましばらくは口を聞かず、目を輝かせながら窓の外を眺めていた。
それから、数分が経過した。しかし、汽車はまだ巨大都市ユニバースに到着しなかった。窓越しから見える都市の外観は、近づく度に大きくなっていき、改めてその巨大さを実感させられる。やっとの事で都市との距離が2キロほどまで迫ると、周りから他の路線が合流を始めた。
Dreedamの高野を走る列車は、種類や年代が様々なようだ。春一達の乗る蒸気機関車の隣の線には、車輪のない流線型のボディをしたリニアモーターカーのような列車が走っていた。その奥には馴染みのあるパンタグラフのついた電車の姿も見えた。
線路は崖に差し掛かかって大地が途絶えても続き、橋をかけたようにユニバースまで延びていた。橋桁のようなものは無く、数十メートルおきに円盤型をした浮遊装置のようなものが設置されている。それでも路線の安定感は抜群で、汽車が差し掛かってもびくともしなかった。
春一は窓を開けて線路の下を覗いた。
数100メートル下に、まるで自ら光を放っているような、美しい海が広がっている。水面は穏やかで、岸壁に当たる波も優しい。ただ、前に草原を見た時と同じように、生き物の気配が全く感じられなく、海は妙な静まりを見せていた。
「ここも生き物がいないんだ…」
春一が呟くとエリザが神妙な口調で返した。
『ユメクイよ。あなたも見たでしょ?あの怪物達がこの世界の生き物を手当たり次第に食い尽くしてしまったの』
「あれは一体…?」
「…わからないわ。でも心配しないで、ユニバースに入ってしまえばもう安心だから。ほら、もうゲートに差し掛かるわよ」
祐樹が開いた窓から身を乗り出し前方を確認する。
「今回は四番ゲートかぁ!」
汽車がユニバースの外壁に設けられたゲートへと近づく。春一達の先のゲートは、鉄製の金網で塞がれた古風な作りをしていて、汽車の接近に伴いガラガラと音を立てて開いた。隣を進むリニアモーターカーのような列車は、電磁シールドと思われる近未来的なゲートへ、奥の一般的な電車はコンクリート製のゲートへとそれぞれ向かって行った。どうやらゲートの作りは、その線を走る列車の年代と仕様にあったものになっているようだ。
ゲートをくぐり抜けた汽車はトンネルへと入り、しばらく進むと、明るいひらけた駅で停車した。ロッド式につながれた車両が火花を上げて止まり、貯まっていた蒸気が車体の下から一気に吹き出される。
客車の扉が開くと、祐樹は一目散に掛けていき、子供のようにホーム へ飛び下りた。
「はぁーやっとユニバースに到着だぁ!」
大きく伸びて身震いをする。続けて春一がホームへ降りた。
汽車が停車した駅は、数本の路線が並ぶ大きな造りで、かまぼこ型に組まれた鉄製の骨組みが頭上を覆っていた。石畳でゆったりとした幅のあるホームには、等間隔に六角形の白い柱が建てられている。見渡しがよく、開放感がある駅だ。
「ここってロンドンの…」
春一がぼそり呟くと、エリザがすぐに反応した。
『パディントン駅。そう言ってほぼ間違いはないわ。ただし、イメージのブレや修正で若干本物とディテールが異なる部分はあるけど』
「エリザぁ。ここって『19世紀界』だろ?エレベーター、『未来界』まで繋がってたっけ?」
裕樹が訪ねる。
「えぇ、その先の階段を行ったところにある四番エレベーターなら大丈夫よ」
「おっし!じゃあ行こうぜ、春一」
そう言うと祐樹は、ホームに設けられた階段の方へ、すたすたと歩いて行ってしまった。
『祐樹!待ちなさい。ちょっと…はぁ。ごめんね、春一君。説明は歩きながらするから、祐樹を追いかけてくれる?』
「あ、はい!」
春一は祐樹の後を追った。ちょうどその時、甲高い汽笛の音と共にホームから春一達が乗ってきた汽車が発進した。
階段を上った先は、赤レンガで囲われた通路に続いていた。通行人は、モノトーンのスーツにシルクハットを被ったジェントルマンや、フリルのついたドレスを来た貴婦人など、ほとんどが先ほど祐樹が口にした『19世紀』を象徴するような格好をしていた。その中をB系のファッションで闊歩する祐樹と、学生服で後に続く春一はかなり浮いた存在だが、すれ違う人々は気にも止めない様子だった。
「エリザさん。この人達…」
「私達と同じ現代人よ。このエリアは、いわばドレスコードみたいなものが厳しいからみんな服装を統一しているの」
「俺達は…」
『君たちは大丈夫。今から別の場所に移動するからね』
しばらく進むと、春一達は円形のエレベーターホールに到着した。ホールには10数台のエレベーターがズラリとならんでおり、数人が到着待ちをしていた。
祐樹は誰も並んでいないエレベーターの前までいくと、サイドにあったレバーを乱暴に引いた。金網で閉じられた先の空間に垂らされた鎖がガラガラと音を立てて動き始める。
エレベーターを待つ間、エリザはユニバースについての説明を続けた。
『このユニバースは、年代や世界観によって階層と区域が分かれているの。過去から未来。そして現実から非現実といった具合でね。だからこのユニバース内には、学校で習った歴史上の世界から、SFに出てくるような未来都市、はたまた絵本の中のようなファンタジーな世界まで様々な区域が存在しているわ。ちなみ今、春一君たちがいるのが19世紀の世界観で統一された『19世紀界』よ」
― ジリリリリリリリリリ
頭上に設置されたベルがエレベーターの到着を知らせる。金網の門の先に、周りの景観とは不釣り合いな現代式のエレベーターが現れた。
「あれ?…このエレベーター…」
『エレベーターはどの区域でも統一なの。いわばそこが世界観の境界線といったわけね』
「さっさと乗っていこうぜー」
裕樹が金網の扉をガラガラと開け、二人はエレベーターに乗り込んだ。
「これからどこへ向かうの?」
春一が訪ねると、裕樹はこれ見よがしに『11』と表記されたボタンを押し、
「もちろん!俺らオブリビオンの本拠地がある『未来界』さ!」
エレベーター内に響かんとばかりに言った。他に乗客がいなくてよかった…。春一は内心でそう思い、ほっとため息をついた。
エレベーターから外を見ることは出来なかった為、上階へ向かう間、春一は現在階を示すパネルをぼんやりと眺めていた。エリザによれば、エレベーターから外観が見えてしまうと、短時間で様々な世界が目に入ってきてしまい、イメージを乱されてしまうらしい。それを防ぐために、あえて隠しているのだという。これに関して、春一はよく理解ができなかった。そもそも『イメージ』と言われても、春一はまだ服を乾かす事しかしていない。
― チン!
ベルの音が鳴り、エレベーターが11階のフロアに到着する。
11階のホールは、先ほどいた『19世紀界』と同じような円形の造りをしていたが、景観はかなり異なっていた。足に吸い付き、程よい摩擦を生み出す人口タイルの床に、液晶パネルのような素材に覆われた内壁。上部の数か所では壁のパネル自体に映像が流されていて、ニュースや天気予報、CM、案内図など様々な番組があった。ホールを行き来する人々は様々な格好をしており、祐樹のように現代風のファッションから、現実世界では少し浮いてしまうだろう奇抜なファッションもあったが、周りの雰囲気によくなじんでいる。
「ほら、春一。キョロキョロしてないで行くぞ」
頭上の映像に目移りする春一の背中を、祐樹がぽーんと叩いた。それから、出口の自動ドアの方をちょんちょんと親指で示す。ホールの出口は透き通ったガラス扉で、少し離れた春一の場所からでも外の様子が十分に見て取れた。
「…!」
外界の様子が目に入った春一は、居てもたってもいられなくなり、出口へとかけていった。
― プシュー。
圧縮空気の音とともに自動ドアが開き、春一の前にその景観が露わになる。
「…すごいや!」
春一の胸は一気に高鳴った。
そこには、SF映画で目にするような、まさに未来都市という町並みが広がっていた。所狭しと立ち並ぶ超高層ビル。その間を、空飛ぶ自動車が駆け抜けていき、いたる所に空中歩道や空中道路が張り巡らされていた。立体映像の標識や広告看板、空中をゆったりと飛ぶスタジアム。どこに目を移しても何かが動いていて落ち着きを見せない。そんな町の中を大勢の人々がせわしなく歩き回っていた。
春一が駆け出したエレベーターホールの外はバルコニーのような造りになっていた。そこから数本の空中歩道が四方に伸び、近辺の建物や道路へと繋がっている。春一は、バルコニーを囲む手すりのところまで走っていき、下を除いてみた。
強いビル風が春一の髪の毛をかき乱す。
下は地面が見えないほどに高く、幾つもの道路や歩道が折り重なっていた。
「すっげぇだろ?」
祐樹が後ろから近付いてきて声をかけた。
「…うん!」
春一は目を輝かせて頷いた。いくら落ち着いた性格だからといって、この情景を前に18歳の少年の心が躍らないわけがない。
『ふふ、やっぱり男の子ね。春一君。ここが私たち、オブリビオンの本拠地がある町。 『未来界・メトロポリス区域』よ」
「SF好きの春一にとってはたまらないだろ?」
祐樹がにやにやと笑みを浮かべながら言う。
「…SF好きって…祐樹ほどじゃないけど…凄いよ」
春一は目の前を飛び去っていく、二階建てバス型の赤い空中自動車を目で追いながら答えた。
『さ、二人とも。観光の時間は後で幾らでも取れるから、とにかく今は本部に向かいましょう。タクシーを用意してあるわ。二秒後に着くから乗って頂戴』
エリザがそう言い終えたちょうど二秒後、春一たちの前に一台の空中タクシーが停車し、後部座席のドアが開いた。バルコニーの手すりの一部が自動で変形し、タクシーまでの橋げたに変わる。
「ほれ、乗った。乗った!」
祐樹に背中を押され、春一はタクシーに乗り込んだ。
空中タクシーの中は、運転席に見慣れないボタンとレバーが幾つかあること以外、現実世界のものとさほど変わらなかった。ただ、運転手の姿が見当たらない。
「この都市のタクシーは大体が無人なんだ」
春一が聞こうとする前に、隣に乗ってきた祐樹が言った。
「中には運転手をやってるもの好きとか、ロボットが運転するような奴もあるんだけど…ま、どれにしても事故なんて起きないから心配すんなよ」
ドアが自動でパタンと閉まると、運転席から合成音声が流れ出す。
『イキサキワ、オウカガイシテオリマス。ソレデワ、ハッシャイタシマス。シートベールトオ、オシメクダサイ』
たどたどしいアナウンスが終わると、空中タクシーは目的地に向かって動き出した。ふわふわと揺れながら空中を進む感覚は、遊園地のアトラクションに近いと、春一は思った。
空中自動車の交通ルールは地上のものと同じようで、浮遊する標識や信号に従いながら走行する。違う事といえば、車線切り替えが左右の他に上下もあるという事ぐらいだろう。
二人を乗せたタクシーは、教習所のお手本のような安全運転で、巨大なビル群の間を進んで行った。すれ違う空中車両や建物から飛び出す立体映像の広告。春一は窓の外を流れる景色を子供のような表情で、楽しそうに眺めていた。
一方、祐樹は外の景色には一切興味を示さず、シートにもたれかかっていた。大あくびかき、両足を前のシートの背もたれに乗せる。
『こら、祐樹!行儀が悪いわよ』
すぐさまエリザの注意が飛んで来た。
「…わり」
祐樹はしゅんとして足を引っ込めた。
「あなたは仮にもオブリビオンのメンバーなんだからね。行動にもう少し責任を持ちなさい」
「…はい」
祐樹はふてくされながら小さな声で返事をした。
「あ、あの」
春一が話に入ると、エリザは声の調子をガラッと変えて、優しく答えた。
「何?春一君?」
「さっきから思ってたんですけど、エリザさんって俺達の様子が見えてますよね?」
「えぇ。様子だけではなくて、現在位置や周りの交通状況なども把握しているわ」
「なんで、そんな事が出来るんですか?」
「それが私の能力だからよ」
「能力…?」
「それに関しては、また後で詳しく説明するわ。君にも特殊な能力があるかもしれないしね」
「……俺にはそんなの無いと思いますけど…」
「まだわからないわよ。それに祐樹にだってあったのだから、春一君にあっても不思議ではないじゃない?」
「はぁ…」
春一は生返事をしながら、祐樹が前の夢で見せた宙に浮くスケートボードや、怪物戦でのアクロバティックな身のこなしの事を思い出していた。祐樹の特殊な能力とはあれの事を指すのだろうか…?
「『裕樹にだって』ってどういう意味だよ?」
裕樹がとんがったが、エリザは見事に無視をして話を続けた。
「さぁ、ついに到着ね。通信を切るわ。それでは春一君、今度はイヤホン越しではなく、直接会いましょう。またね」
プツンという音が鳴り、通信が終了する。
一はヘッドセットを外そうとしたが、すでに自分の耳には、何もかかっていないことに気付いた。
「あれ?」
「通信が終了すると消えるんだよ。次の時は『イメージ』によって出せばいい。一度エリザが作り出したヘッドセットを受け取れば、次からはぶれなく同じものがイメージできるからな」
二人を乗せたタクシーは、空中自動車が織りなす列を抜け、ビル群の中の一棟を目がけて飛び始めた。タクシーが向かった一棟は、その辺りでは飛びぬけて背が高く、上部にかけて段々とフロアが小さく構造をしている。ニューヨークの街並みにありそうなビルで、ちょうど現実世界のエンパイアステートビルディングによく似ていた。
タクシーの中で、春一は裕樹の顔をまじまじと見つめていた。
「…なんだよ?」
裕樹が気色悪そうに尋ねると、春一はにやっと笑った。
「怒られてたね」
「う、うるせーよ」
裕樹は顔を真っ赤にして、ぷいっとそっぽを向く。
「エリザの奴。たまに母親キャラ出してくんだよな。まったく…」
「エリザさんってそんな年齢なの?」
「いいや、若いよ。確か20代半ばだったような気がする…それに」
「…それに?」
「めちゃくちゃ美人だぞ」
「ふーん」
本部があるというビルの上部にもバルコニーがあり、タクシーはそこに停車した。そして、春一が降ろすと、再びどこかを目指し飛び去っていった。
バルコニーの中央には小さな噴水があった。周りに数台の空中自動車が停めてある。ベンツに似た高級車のような車からオープンタイプのものまで種類は様々だ。四方に設置された足元照明がバルコニー全体を照らし出し、そこはまるで自動車の展示会場のようだった。
「ここはエントランスで、あの奥が本部。下の階層からは入れないようになってるんだ」
祐樹はそう言うと、噴水の奥にある大きな両開きの扉を指差した。2人で扉の前まで行き、祐樹が軽く二回ノックをする。
「エリザぁ。いるんだろ?開けてくれよー」
「…パスコードとかないの?」
「あるけど、どうせ中にエリザがいるし、開けて貰った方が早いだろ?多分俺たちの事もモニターしてるんだろし」
「精鋭部隊がそんな事でいいのか…?」
数秒の後、地響きのような震動と共に扉がゆっくりと開きだした。
「さぁ、ここが俺たちオブリビオンの本部だ!」
裕樹は、得意げな顔で言う。
開いていく扉の間から、無機質な白い光が溢れ出し、春一の顔を照らした。