第二十九話 ジャッジ・ロゥ
フォート・アクエリアス内の通路は、入り組んだ構造になっている。そのため、しばらく歩くと、春一と祐樹は、自分たちが今どこにいるかさえ分からなくなっていた。
「もう少しで到着です」
二人の前を行くノブレス・オブリージュの係員は、振り返って言った。
「お二人とも、そこまで緊張なさらずとも大丈夫ですよ。報告の後はすぐに退場していただく予定ですので」
春一の面持ちを見ての事か、言葉に気遣いが感じられる。それから、係員の男は前に向き直り、
「あぁ…それと、忠告する必要はないと思いますが、会議室内はイマジンを含め、イメージの類は一切発動しませんので」と、付け足した。
(そりゃ、六強の前でそんな真似する馬鹿はいないだろうからな)
祐樹は、春一だけに聞こえるよう声を潜めて言った。
「こちらです」
係員が会議室の場所を手で示す。春一達は、いつの間にか他よりも幅の広い通路へと出ていた。通路の一角には、体格のいい二人の男が立っている。どちらも変わった刃の形をした長槍を持っており、それをクロスさせることで門番のようにその場を守っていた。ただ、奇妙な事に、男たちの間には扉のようなものは無かった。他と変わらない無地の白壁があるだけだ。
不思議に思いながらも、春一と祐樹は係員の後について、門番の前まで到着した。男たちは彫刻のような顔は無表情のまま、視線を合わそうともしない。
「お連れしました」
係員がそう告げると、男たちはゆっくりと槍を引き、空間を開ける。すると、壁だった場所の一部がスッと消え、扉の無い会議室の入口が姿を現した。
「お進み下さい。あとは議長であるジャッジ・ロゥから指示が出ます」
最後にそう伝えると、係員は一礼をして後ろに下がった。
会議室の中はかなり暗く、入口からは様子が伺えない。奥にはスポットライトが差し込んでいて、春一と祐樹は、ドギマギしながらも、その光に向かって進んでいった。
二人の足音が部屋の中に響き渡る。空気は若干湿っていて、生暖かい。春一は、”どこかに似ている”そんな感覚を覚えた。周りの様子が分からないまま、恐る恐るスポットライトの中に入ると、さらに照明が追加される。
スポットライトを取り囲むように置かれた三日月型の長テーブルが、淡い青色の光で照らし出され、六強の面々がその姿を現す。
テーブル右端、春一と祐樹から一番近い位置にはレイヴンが座っていた。薄暗い中、不気味な輝きを放つ赤い瞳は、強者揃いの六強の中でも異彩を放っている。その隣には、華扇界の瑛里華、続いてのメリッサが席を連ねていた。その隣、テーブルの中央に位置する席は空席になっていて、さらに奥には二人の男が座っていた。一人は、その場にいる五人の中でずば抜けて体格良く、褐色の肌にモヒカン頭をといった厳つい風貌をしている。迷彩柄の軍服とから春一はすぐにその人物が、シュバルツ大佐だと分かった。もう一人、一番端に座った首領フィバナッチは、仕立てのよいスーツに派手なネクタイ、深くかぶった帽子といういかにもマフィアらしい恰好をしている。
「あらあら、報告者というは、春一さんだったのですね。お久しぶりですわ」
春一に気づくなり、瑛里華がいつも通りのおっとりとした口調で声をかけてきた。春一は、軽く会釈をして返し、祐樹は気まずそうに口をひん曲げる。
「おやまぁ。あの時の坊や達じゃない。ごきげんよう」
次にメリッサが二人に絡んで来た。ねっとりとした口調で、最後にはわざとらしくウインクまでした。流石に、とんがり帽子はかぶっていなったが、会議にはそぐわない派手な化粧に胸元のざっくりと空いたローブで参加している。
春一が、対応に困っていると、さらに他の声が飛んできた。
「そいつが、この前も見つかった覚醒者か?随分とガキじゃねぇか」
フィバナッチが帽子のつばを上げ、鋭い目つきをのぞかせて言った。片足をテーブルの上にかけ、もう片方をおもむろに組む。
「レイヴンよぉ?聞くところによると、このガキはアルケマスターで、しかもオブリビオンの一員らしいじゃねぇか?有能な人材を探索隊の保護期間中に勧誘するのは感心しねぇな」
押し殺した声に、崩した話し口調だが、言葉言葉一つ一つに棘があり、春一と祐樹は思わず息をのんだ。だが、レイヴンはもちろん、そんな威嚇に動じることはなかった。
「……確かに、探索隊の保護中における覚醒者の勧誘は、ユニバース六強協定により禁止されている。…ただ、それは覚醒者がユニバースに到達するまでのはずだ。春一がオブリビオンに加入したのはユニバースに訪れて数日が経った後。…特別事案の為、今回は保護期間が長かっただけで、協定には触れない…」
「はっ!随分と雄弁だな。だが、俺が言いたいのはそういう事じゃねぇ。おめぇはそうやって、いつも抜け駆けをする。それが気に食わねぇって事だ」
「…協定に違反していない限り、文句を言われる筋合いはないと思うが?」
感情を露わにするフィバナッチと対照的にレイヴンは顔色一つ変えず返した。それが、よけいに神経を逆なでする。
「なんだと…この…っ!」
フィバナッチが席から立ち上がる。その場に、一触即発の雰囲気が流れたが、暗闇の奥からした鶴の一声で即、沈静化した。
「それぐらいにしてくれませんか?フィバナッチ」
それまでレイヴンに剣幕を向けていたフィバナッチは、一瞬まぶたをぴくつかせ、声のした方に視線を向ける。
足音もなく、その男は暗闇から照明の下に姿を見せた。春一と祐樹は一目でその姿に目を奪われた。
ジャッジ・ロゥは、男女という概念を超えた美しさと、この世のものとは思えない幻想的な雰囲気を醸し出す人物だった。独創的な形で結われた青白い長髪に、水晶のような透き通った瞳、頬には古代文字を模したオレンジ色のタトゥーが彫られている。ノブレス・オブリージュの特徴である白を基調とした衣装を身にまとっているが、その服は、他の構成員とは一線を期したデザインで、扇形の襟口や、袴のといった袖奇抜なフォルムに細部まで刺繍が施されていた。
「遅ぇじゃねーか、ロゥ」
苦し紛れにフィバナッチが言った。
「すみません。”例の件”で、少し手間取ってしまいまして」
ロゥは親しい友に話しかけるように答える。その声は、さほど大きくなくてもはっきりと明瞭にその場にいた者全員の耳に届いた。同じようによく声の通るレイヴンを、”地鳴りように胸に響く声”とするなら、この男は”頭の中に直接、語り掛けている”という感覚に近い。
ロゥは、正確な発音と速度を保った何一つ癖のない、綺麗な話し口調で続ける。
「それより、フィバナッチ。今話していた保護対象者のオブリビオン加入の件ですが、確か、あの時はレイヴンから六強全員に向けて通達があったはずです。対象者がアルケマスターだと分かる前に。そして、我々は全員、承諾しました。しかも、彼は無理矢理に勧誘されたわけでもなく、しかるべき試験を自ら受け、オブリビオン加入したと聞いています…そうですね、岡野 春一さん?」
そう言って、最後にロゥは、春一の目を見据えた。その瞬間、春一は、自分の全てがこの男に見透かされている気分になった。彼の鏡のような瞳に映る自分、その姿を見ると、心の中全てが囚われてしまったような気がしてならない。
「…は、はい」
春一はなんとか声を振り絞って応える。
ロゥが視線を戻すと、フィバナッチは不満そうな顔を浮かべながら席に着いた。
「わかった、わかったよ。今回は黙っといてやる。だがな、レイヴン。次からはお前が妙な動きをしたらすぐに疑うからな…!」
レイヴンを指さし警告する。
「…好きにすると良い」
レイヴンは、いつもの調子で冷たく返した。
やっとその場に雰囲気が落ち着くと、ロゥは空いていたテーブルの中心の席に座り、
「さて、それでは始めるとしましょう」と、会議の開始を宣言した。
六強全員の顔が変わり、今度は室内が緊迫した雰囲気に変わる。
「まず初めに、前回の外界探索についての報告から行います。探索隊員であったオブリビオン祐樹さん、それから、探索時に発見された覚醒者である春一さん、報告をお願いします」
「はい…!それでは報告を行います」
緊張した面持ちながらも、春一はしっかりとした口調で答え、祐樹と共に練習してきた報告を始めた。
― 以上で報告を終わります」
春一がそう締めくくると、隣の祐樹が大げさなお辞儀をした。春一は呆れながら、相応の一礼をして報告を終わらせる。
移動式のプリズンマンション、百を超えるユメクイの軍勢。これらのトピックスはいくら大組織のトップであっても珍しかったようで、二人が話をしている間、六強の面々は表情を変えるなど、随一反応を示していた。ただ、レイヴンとロゥだけは最後まで顔色を変えることはなかった。レイヴンはいつもの無表情で報告を聞き続け、ロゥは話し手の目をしっかりと見据えて”聞き手”として対応を貫き通していた。
「やはり…移動式のプリズンマンションは存在していたという事ですね」
最初に口を開いたのは瑛里華だった。レイヴンが合わせたように続ける。
「……以前から、マンション元の証言が食い違う覚醒者が数名報告されていた…加え、マンション城事件の際も、巨大な構造物が一瞬にして姿を現す現象が確認されている。移動式のプリズンマンションは存在すると見て間違いないだろう。…オブリビオンは、探索隊の規模拡張を提案する」
「いや、その前にすべきことがあるのではないか!?」
会議室に来て初めて、シュバルツが口を出した。張りのある低い声、見た目も相まってかなりの迫力がある。
「規模拡張に関しては我が軍も賛成だが、その前に、今回の探索隊での責任追及をせねばならん。次回の探索隊結成に関わるからな。確か、隊長はギルド・アルティマの騎士だったはずだが…?」
シュバルツはメリッサに眼光を向ける。これにメリッサが黙っているはずがなかった。
「あぁら、大佐。確かに、今回の探索は大勢の犠牲を出したわ。でも、私のギルドの騎士長は厳しい状況での中で冷静な判断を下し、自らを犠牲にしながらも”情報”を守った。彼だけに責任を負わせるのはお門違いじゃない?それに、坊やたちの話を聞くところによると、大佐のところの軍人は、命令に従わず真っ先に怪物のおなかに飛び込んでいったみたいじゃない?その責任は、咎められないのかしらね?」
「何を…貴様!殉職した部下を愚弄する気か!」
シュバルツが声を荒げ、その大きな拳をテーブルに叩きつけた。だが、メリッサはこれに動じず、白々しい顔で鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「まぁ、なんにせよ。次回の探索隊のリーダーがお前のとこのメンバーだったらうちは、人員を割かねぇからな」
フィバナッチが厭らしい顔で追い打ちをかけた。
「フフフ。フィバナッチ、大佐の肩持つのね。いつもは同じ現代界で、いがみ合ってるくせに、こういう時に限って味方に付くなんてね。あんたの肝の小ささがにじみ出てるわよ?」
メリッサはさらにきつい言葉でなじり返した。
「なんだと!?この女狐が…!」
またもフィバナッチが席を立ち、身を乗り出す。再び悪くなった場の空気にロゥが口を挟んだ。
「やめましょう、三人共。いくらオブリビオンのメンバーと言っても、二人の報告者がいる前です。これ以上白熱すると、六強の機密情報を漏らしかねません」
フィバナッチは席に戻り、メリッサとシュバルツは腰を掛けなおして落ち着きを取り戻した。皆、エリザの言っていた通り、ロゥには一目を置き、素直に指示に従っている。春一はそれをまじまじと感じ取った。
「では、報告者の二人にはそろそろ退場してもらいましょう。最後に二人とも…。伝え忘れた事などはありませんか?」
ロゥの言葉には、特に意味のあるニュアンスは含まれていなかった。ただ、その瞳を向けられた途端、春一は再び、全てが見透かされている感覚になった。プリズンマンションであった男の事、自分が毎回見ている水の中に落ちる夢の事、報告で隠した内容は全て、見破られている気がして仕方がない。
「…いいえ、ありません」
声が震えないように、春一は細心の注意を払って答えた。おそらく、返答には問題はなかった。ただ、心臓の鼓動は胸が軋むほど大きくなり、表情はうまく取り繕えたか自信がなかった。
「そうですか。ありがとうございました。では、外へ出て係員の指示に従ってください」
ロゥは気さくに笑いかけてそう言ったが、春一の鼓動は、会議室から出るまで元には戻らなかった。暗い部屋を後にする時、その背中にまだ彼の視線が向けられている気がしたからだ。別段、嫌な感覚ではない。ただ、常軌遺失した神秘的な雰囲気が、恐怖に近い感情を抱かせるのだった。
春一と祐樹が廊下に出ると、そこには先ほどの白衣装の係員が立っていて、二人は再び、控室へと案内された。
「ふぅー。やっと、終わったー」
祐樹は部屋に入るなり、力の抜けた声を出し、ソファーに倒れこんだ。
「お疲れ様。二人とも、随分と気負った様子ね」
エリザがねぎらいの言葉をかける。
「そりゃ、そうだぜ…!入るなり、フィバナッチには睨まれるし、六強はすぐに揉め出すしよぉ。ほんっと、あの部屋がイマジン使えなくて良かったぜ。それに、ジャッジ・ロゥもなんか怖かったしな…なぁ、春一?」
「…そうだね。確かに怖いくらいにオーラのある人だったね」
春一は、祐樹が倒れこんだソファーの空いたスペースに腰掛けて返した。会議中は、隣の祐樹を見ている余裕など無かったが、彼も春一と同じような感覚を味わっていたようだ。
「誰でもそうよ。ジャッジ・ロゥと初めて会った人ならね」
エリザが優しく言った。おそらく彼女も同じ経験をしたのだろう。
それから、三人は控室で会議の終わりを待つ事となった。エリザは、前と同様に自身のイマジンで出力したパットで忙しそうに仕事を続け、祐樹はそれをしり目にソファーでゴロゴロしているだけだった。先ほどの会議が相当こたえたらしく、エリザにちょっかいを出そうともしない。
結局、定例会議が終わったのは、二人が控室に戻ってきてから二時間ほど経過した後で、春一はその間、ソファの対面にあった丸椅子の上で、ずっと考え事をしていた。
唐突に控室のドアが開き、レイヴンがいつもと変わらない無表情で入ってくる。
「お帰りなさい。それで、結果はどうだったの?」
エリザがすぐ尋ねた。
「…いつも通り。ユニバースの方針は、『保留』に定まった…それから、探索隊の件だが、規模拡大が決定した。次回からは、ノブレス・オブリージュの人員も中に入る」
「予想していた通りね。ただ、規模拡大となると、負担がかかるのは私達ね。オブリビオンはただでさえ人数が少ないのだから」
エリザは、人差し指を唇に当て、深刻な顔で言った。
「あぁ……何かしら、手を打たなければならない。だが、それより今は”例の件だ”。時間が迫っている」
「そうね」
エリザは、どことなく緊張した様子で頷く。
(…”例の件”?)
春一は、会議室でロゥが同じ事を言ったのを思い出した。すぐに聞いてみようとも思ったが、それよりも先に頼まなければいけない事があった。
「レイヴン。ちょっといいかな?」
春一は椅子から立ち上がると、レイヴンの瞳をしっかりと見据えて言った。
「………構わん」
少し間が相手から答えが返ってくる。
春一は、レイヴンと共に控室外の廊下に出た。
「…なんだ?」
近くに人がいないことを確認した後、レイヴンが聞いてくる。
「ジャッジ・ロゥに会わせてほしいんだ。」
春一がそう頼むと、レイヴンは即座に意図を読み取った。
「……話すのか?プリズンマンションでの事を」
「うん。流石に会議では言えなかったけど、あの人なら、プリズンマンションで起きた事、や、俺の水に落ちる夢の事も、何かわかるんじゃないかと思って」
レイヴンは、廊下の先、おそらくロゥがいる大体の方向に視線を向けた。
「…確かに、奴なら、私よりも真実に近い答えを出せるかもしれない……いいだろう。ついて来い」
「え?アポとかは取んなくていいの?」
春一が驚いた様子で聞くと、レイヴンは背中を向けたまま答えた。
「……奴とは親しい中だ。問題無い……それにお前が来ることくらい、予測しているだろう。イマジンに関係なく、奴は人の心を読み、行動を予測する事に恐ろしく長けている」
春一は、いつも表情も、愛想もないこの男の口から”親しい仲”という言葉が出たことに、なにより驚いた。
「……なにをしている?行くぞ…」
すでに数メートル先まで歩いていたレイヴンが振り向かず言った。春一は、ぽかんと開けていた口を閉じると、慌てて彼の背を追っていった。