第二十五話 魔女
あかりがバイクで飛び込んでから数分後、騒ぎを聞きつけた春一と祐樹も、未だ火の手が収まる事のない教会近くへと到着していた。教会の入り口前には、多くの群衆が詰め寄せている。だが、前にレストランが放火にあった時と比べると、その空気は大分異なっていた。皆、恐怖や不安といった感情が、会話や表情に表れているのだ。
この夢の世界で”神”という存在に、現実世界ほど影響力があるかは確かではない。だが、"教会"という平和や神聖といったイメージを持った場所が焼かれた事により、人々はかなりの精神的不安を感じたようだ。
「あぁ…とうとう教会まで燃やしやがった…やつめ!きっとこうやって俺たちが怖がってるのを見て楽しんでやがるんだ…」
二人の前に立っていた男が言った。真相を知っている春一は反論しようとしたが、祐樹に肩を掴まれ止めさせられた。春一が振り返ると、祐樹は黙って首を振った。今、神条 あかりの無実を訴えても、誰も信じるはずがない。ましてや、任務という形で潜り込んでいる自分たちの立場も危うくなるかもしれない。そんな事は、春一も十分承知だったが、何も知らない連中が無責任にあかりを悪者に仕立て上げようとしている事が許せなかった。
教会堂の上部に掲げられていた女神像が、黒焦げになり、とうとう地面に落ちて砕け散る。群衆がどっとざわめいた。
「あ!君たちはさっきの…」
そんな時、祐樹に声をかけてきたのは、先ほど橋であった兵士の一人だった。
「なぁ!別の世界観層の恰好をしているって事は、君たちはイマジン使いなんだろ?あの中にはまだ、子供たちがいるかもしれないんだ!!数分前に、神条 あかりらしき少女がバイクであの中に突っ込んで行ったっていうし、どうにか出来ないか!?」
祐樹に話しかける前に、何人にも声をかけてきたのだろう。兵士は、息も絶え絶えになりながら必死に訴えた。
「なんだって!?」
春一と祐樹は声を合わせて言う。それから春一は、教会堂の方を向いた。
おそらく、神条 あかりがあの中に入って行ったのは子供たちを助ける為だろう。しかし、それだというなら何故、教会堂の火が消えていない…?神条 あかりが出て来ていない…?もしかすると、あの少女も教会堂から出られなく…。
頭の中で渦巻く不安を払しょくするかのように、春一は自分のシャツの袖をぎゅっとめくり上げた。自分の水の能力なら、あの火事を消すことが出来るかもしれない。それが、今自分に出来る最善の行動だと思ったのだ。
祐樹も、流石に今度は春一を止めなかった。アルケマスターである事を周りに知られてしまえば、後々面倒な事になるだろうが、子供達の命がかかるとなればそちらを優先せざるをえない。
春一が、群衆の前へ出ようとする。その時 ―
「あれは、なんだ!?」
群衆の中の一人が、教会の奥の空を指さして叫んだ。その場にいた全員がその方向に視線を向ける。
遠くの空に、一つの小さな影が浮かんでいた。羽のようなものをばたつかせるその姿に、ほとんどの人間が初めは鳥だと思った。しかし、近づいてくるにつれ、その影が、鳥はおろか、人間よりも遥かに大きい生物という事が分かってくる。鱗に覆われた赤い身体に巨大な翼と、長い尾…
「…レッド・ドラゴン…」
祐樹が呟いた。
「ドラゴン…?あれは、イマジンなの?でも、生物を具現化するのには相当な技術がいるはずじゃ…しかも、空想上の生き物を作り上げるなんて…」
春一が近づいてくるドラゴンから目を離さず尋ねる。
真紅のドラゴンは、ある程度の距離まで近づくと、急にスピードを上げた。まるで空中を泳ぐように進み、炎に包まれる教会堂の真上で止まると、その大きな翼をおもむろに広げる。煮えたぎるような血流が浮かび上がった翼は、教会を丸ごと包んでしまえるほど大きく、その陰は、下に群がった人々を悠々と覆った。渦を巻いた立派な角と、淡い緑色の光を灯した瞳、口にはびっしりと鋭い牙をはやしており、その禍々しい姿に群衆は皆、固まりついている。
ドラゴンはゆったりとかま首をもたげると、天を仰ぎ、ワニのような鼻の孔から大量の空気を吸い込みだした。
「おいおい、まさか…教会ごとぶっ飛ばす気じゃないだろうな…」
祐樹がひきつった顔で退いていく。同じように、何かしらの攻撃が来る、と思った人々が、慌ててその場から離れようとし出した。だが、その直後にドラゴンは、教会に向かって頭を振り下ろした。次の瞬間、凄まじい旋風が教会堂を包み込み、跳ね返った風が群衆の服や髪を棚びかせた。
ドラゴンが口から放ったのは業火ではなく、ただの息だった。しかし、その風速は凄まじいもので、たったひと吹きで、教会についていた火を全てかき消してしまった。
ドラゴンは、炎が消え真っ黒な廃墟となった教会の屋根に降り立つと、翼を折りたたみ、満足そうに咆哮した。すると、ドラゴンの後ろから、箒にまたがった三人の魔女が姿を現した。魔女たちは、優雅に空を飛び回ると、ドラゴンのひと吹きで出来た群衆の中のスペースに静かに降り立った。
「あの人が…ドラゴンのイマジンの発動者?」
春一は、三人の魔女の中の誰が発動者だかすぐに分かった。真ん中を飛んでいた一人が、明らかに他の二人とは違う雰囲気をまとっていたからだ。
「あぁ。あれが、このファンタジー界を統治する魔術師ギルド『アルティマ』のギルドマスター、魔女・メリッサ。六強のメンバーの一人だよ」
祐樹が険しい顔をして答えた。どうやらこの人物の登場はあまり芳しくはないようだ。
魔女・メリッサは妖艶な外見をした女性だった。魔女、というだけあって、つばの広い山高帽にローブを羽織っているのだが、このローブが、不気味な輝きを見せる特別な素材で作られており、おまけに何か所かにスリット状の切れ目が入っている。その切れ目から彼女の豊満な胸が作り上げた谷間や、細く引き締まったウエスト、美しい脚線美を描くふとももが、ちらちら顔を覗かせていた。
ヒールの高い靴が、コツンコツンと石畳の上で音を立て歩くと、群衆は息をのんだ。それは彼女の美しさに見とれているというわけではなく、恐れているようだった。
メリッサは、ほくろのある口元に手を当て、周りの群衆ざっと見回すと、ドラゴンと同じその緑色の瞳に一人の男を映した。宝石の指輪がじゃらじゃらと着いた指で手招きをする。
「…あなた、ちょっといらっしゃい」
ねっとりとした口調で言う。
呼び出されたのは、春一たちがオニキス城に入る際に会った商人の男だった。男は、額にびっしり汗をかきながら緊張した面持ちでメリッサの元へ駆け寄っていく。
「これはこれは、メリッサ様。どうしてあなた様が直接ここへ?」
商人がおびえた様子で聞いた。
「あなたには、例の放火事件の犯人捜しを依頼していたはずだけれど…これは、どういう事かしらねぇ。私の大好きなオニキスの町に、違う世界観層のゴロツキどもが蔓延しているようだけど?」
「はっ。これは犯人である神条 あかりを捕まるための人員補強でして…」
「すぐに追い出しなさい…気分が悪いわ」
メリッサはぴしゃりと言った。
「は、はい!ただちに!」
商人は背筋を伸ばし、敬礼をする。
「それから、"魔女狩り"なんて名前も気に食わないわねぇ。見てわからない?私たち、魔女なんだけれど…?」
メリッサが今度は商人に笑顔を作った。だが、目の奥が笑っていない。これは心底、商人の男を震え上がらせたようで、
「も、申し訳ありません!!あれは、周りの者が勝手に騒ぎ出して付けた名前でして。すぐに変えさせて頂きます!」
信じられないほどの早口で言った。
「では、引き続き犯人捜しをお願いねぇ。それから、教会にいた子供たちはとっくに逃げたわ…あの火の小娘も一緒に」
メリッサはそう言い残すと、再び箒にまたがって浮かび上がり、他の魔女二人とドラゴンを引き連れて彼方へ飛び立ってしまった。
ドラゴンの影が完全に見えなくなると、嵐が過ぎ去ったかのように、その場には安どのため息が溢れた。
「あぁーやっぱ怖かったな!華扇会のネェちゃんにしろ、今のメリッサにしろ、なんで六強所属の女リーダーは、おっかねぇ奴ばっかなんだよ。まぁ、二人とも美人だけどさ」
祐樹が、腕をだらんと落として気だるそうに言った。
「確かに、エリカさんとは違った怖さがあったね、あの人………ねぇ、祐樹?」
春一は苦笑いで言った後、急に思いつめた表情になる。
「なんだよ?」
「俺をあの人のところまで、連れてってくれない?ホバーボードなら空で追いつけるでしょ?」
すぐに祐樹の怒気が帰って来る。
「はぁ!? "あの人"って、メリッサの事か?馬鹿言え!!ファンタジー界は原則飛行禁止なんだ!下手な事すりゃ、今度あのドラゴン口から飛び出すのは息だけじゃすまないぞ!それに会ったところで何を…」
「お願い!」
祐樹の言葉を遮るように春一はそう言うと、頭を深々と下げた。祐樹はそれ以上、春一を問い詰める事が出来なかった。祐樹は、春一と現実世界から付き合いが長いが、彼がここまで何かにこだわり、必死になっている姿を見たことが無なかった。友人として、その強い意志を否定する事は出来なかったのだ。
「…くそ、わかったよ。ただ、連れてってはやるが話すのはおまえがやれよ。俺はあの女は苦手だ…」
祐樹は顔をしかめながらも渋々と承諾した。
「…ありがとう」
春一は小さくお礼を言った。
上空を飛ぶメリッサ一行の前に、一台の宙に浮くスケートボードが現れた。前には祐樹、後ろには春一が乗っている。ホバーボードは、メリッサ達の進行方向を妨げるようにしてその場で留まった。
すかさず、護衛役の二人の魔女が飛んできて、メリッサの前を塞ぎ、持っていた杖を春一たちに向けた。
「何をしている!ファンタジー界は飛行禁止だぞ!!」
片方から耳に突き刺さるような怒号が飛んでくる。
「メリッサさんに、お話があります!!」
春一は怯えることなく、負けない勢いで返した。
「何を言っている!?そんな事出来るはずがないだろう!どかなければ、即刻…」
「二人ともおやめなさい」
鬼の形相で、今にも春一達を攻撃しようとしていた二人の魔女をメリッサが諭した。魔女たちが、その場を離れ、道を開ける。するとメリッサは、指をぱちんと鳴らした。たちまち、彼女と春一達の間に、金色に輝く大きな魔方陣が姿を現した。
メリッサは、春一達にウインクをすると、その魔方陣をちょんちょんと指さした。どうやら、足場を作ったのでそこに降りろと言っているようだ。
眼鏡をかけた護衛の魔女がメリッサの横まで飛んでいくと、
「良いのですか?メリッサ様?」と、メリッサに耳打ちした。彼女は魔女に笑い返す。
「いいじゃないの…若い男の子二人が、飛行禁止まで破ってわざわざ私に会いに来てくれたのよ?少しぐらい話を聞いてあげても。まぁ…内容によっては、お仕置きするかもしれないけどねぇ…」
メリッサは、箒から足を上げると、春一と祐樹が待つ魔方陣の上に降り立った。抜悪そうに視線をそらす祐樹。それとは、対照的に春一は、メリッサの瞳を力強いまなざしで見返した。
「あなた達はだぁれ?」
「オブリビオンの春一です。こっちは祐樹」
春一は隠すことなく堂々と名乗った。一瞬、驚いた祐樹だったが、仕方がないとため息をついた。六強所属組織のリーダーの前で、嘘をつくことなど二人の力量では到底できない。
メリッサは、真っ赤なルージュの塗られた唇に指を当てる。
「オブリビオン…レイヴンの差し金って事ねぇ。…あぁ、そういう事。あの"傭兵さん"、マンション城事件に関してはかなり本腰をいれてるみたいだからねぇ。その情報を握るあの小娘に何かあってはいけないってわけか…放火事件の容疑所として神条 あかりが上がった事を知って、あなた達を潜り込ませたというわけねぇ」
流石、大組織のリーダーとあって、たった一言、春一が組織を名乗っただけで、任務の目的まで見破られてしまった。
「はい」
それでも春一は、動揺したそぶり一つ見せずに答えた。
「そのオブリビオンが、私に何のようかしら?」
そう尋ねられた春一は、一瞬ためらって視線を落としたが、再び真っ直ぐな瞳でメリッサの目を見つめなすと、重い口を開いた。
「…放火事件犯人は神条 あかりではありません。俺たちはその証拠を持っています」
「お、おい春一!」
これには流石に祐樹が声を上げた。情報が何より価値をなすDreedamで、このような行動は言語道断だ。
「…それでぇ?」
メリッサは気にする様子もなく続ける。
春一は、止めようとする祐樹を制止して、続きを話した。
「犯人の情報をあなた渡します。その代わりに、今起こっている"魔女狩り"即刻辞めさせてください!」
この発言に、それまで一貫として、春一を舐めまわすように眺めていたメリッサの目の色が変わった。一方、祐樹は、春一の肩を掴み、今まで見せたこともない見幕で、まくし立てる。
「おい!春一いい加減にしろ!!自分が何言ってんのかわかってんのか?俺たちはオブリビオンのメンバーとしてここに来てるんだぞ!?入手した情報も、自分で得たものじゃない!それを私情に任せて使うなんて…!」
春一はしょんぼりと、力なく下を向いた。
「ごめん…でも、俺には、これしか思い浮かばなくて…」
「だからってな…!」
もめ始めた二人を見てメリッサがやれやれと首を振った。
「その様子を見ると、今のは、オブリビオンとしての交渉ではないようね。まぁ、よくよく考えてみれば、あの傭兵さんがこんな意味のない交渉をするはずがないか…。とにかく、もめてるみたいだけど、私の答えは”No”よ。坊や」
驚いた春一は、祐樹の手を振りほどいて、メリッサに一歩詰め寄った。
「どうしてです!?あなたは、魔女狩りに関して否定的だったはず!それを止めるだけで、情報が手に入るんですよ!?そちらにデメリットは無いはず…!」
必死に訴える春一を、メリッサは自分の髪をクリクリといじくりながら鼻で笑った。
「色々と勘違いしてるようねぇ。いい?坊や。私は"魔女狩り"という名前と、町の景観を汚す連中が気に食わなかっただけで、その活動自体をどうこうは思ってないわ。それから、あなた達の持っている"
情報"だけど、果たして価値があるのかしら?おそらく犯人は、レギオンであると、私たちもおおよそ検討が着いているのよ。奴らもそれを感じ取っているだろうから、もう放火事件も起きることはないでしょうしね…」
メリッサの言葉に、ぐうの音も出ない春一。それでも、諦めることなく、もう一度噛みついてみた。
「…だったら…なぜ、止めさせないんです!?魔女狩りはもうする必要がないでしょう!?」
春一の言葉にメリッサは不敵な笑みを浮かべた。
「する必要がない…?そこが大きな間違いよ、坊や」
「…?」
「あの、いけ好かない小娘を追い出すのをなんで止めなきゃいけないのよ?」
メリッサは邪悪な笑みで言い放った。細めた鋭い目は憎悪に満ち溢れ、避けるように開いた口からは鋭い八重歯が覗いている。その顔は、まさに"魔女"そのもので、恐怖さえ覚えた春一はそれ以上何も言う事が出来なかった。
「さぁ、これで用はなくなったでしょ?さっさと帰りなさい。君たちは若くて可愛いから、今回の件に関しては特別に許してあげる。特に黒髪の方の君、君にめんしてよ」
メリッサはそう言うと、春一にわざとらしい投げキッスとウインクをして、別れを告げた。
ホバーボードに乗った二人がその場からいなくなると、眼鏡をかけた魔女が、険しい顔のままメリッサの隣まで飛んできた。
「本当に、いいのですか?メリッサ様。あのような行為を許してしまって。私は即刻オブリビオンに講義を入れるべきだと思います!」
メリッサはじっと春一の消えて行った方を見つめながら答える。
「いいのよぉ。バイオレッタ…。それより、あなたにはやってもらいたい事があるわ。今からオニキスの町に戻って、魔女狩りを即刻中止するように指示してくれないしら?」
バイオレッタは大きく口を開けて驚いた。
「…!?どういう事ですか?」
「いつもの気まぐれって奴よ…お願い出来る?」
「…わかりました」
渋々返事をすると、バイオレッタはまたがった箒の切先を反対側に向け、町へと飛び去った。メリッサまだ、同じ方向をじっと見つめている。彼女の脳裏には、必死に自分に訴える春一の姿が浮かんでいた。
「…不思議な子ね」
メリッサは、人知れずそっと呟いた。