第二十四話 燃える教会
響き渡ったホイッスルの音を追って、春一と祐樹は、町の西側に位置する水路にやって来ていた。笛の意味に関して、二人は何も知らされていなかったが、大体の予想は着いた。その音の先には、おそらく神条 あかりがいるはずだろう。ただ、迷路のようなオニキス城下町を土地勘のない二人が探索する事は容易ではなかった。結局、彼女の手がかりを掴めないまま、二人は水路にかけられたアーチ型の橋の上で途方に暮れてしまっていた。
「完全に迷子だなー」
祐樹が頭の後ろで手を組んで、気だるそうに言った。
「笛の音はこの近くだったと思うんだけど…」
春一は辺りを見回したが、自分たちがどの方角から来たかもわからない。
そんな春一達の元へ、橋の向こうから二人の兵士が近づいて来た。その片方の首にホイッスルがかけられている事に気づいた祐樹は声をかける。
「おい!あんた、さっきの音はあんたか?神条 あかりはどうした?」
尋ねられた兵士は、残念そうに首を振った。
「また逃げられちまった…時計台の上に奴を見つけて、追いかけたは良かったんだが…教会の近くで見失ってしまった…君たちも魔女狩りか?奴はこの辺にはもういない。探すんだったら別の場所をあたるんだな」
そう言うと、二人の兵士はとぼとぼと橋を去って行った。
「だってさ、どうする?春一、俺たちも教会に行ってみるか?」
「うーん。一応、そうしたほうが……あ!エリザからの通信だ」
春一は、自分の耳元に手を当て、ヘッドセットを確認する。
『二人とも、ちょっといいかしら?レギオンのヒロが、神条 あかりに送ったと思われるメールを入手したわ。今からそっちに送るから、一目のつかない場所に移動して』
祐樹と春一は、自分たちがいた橋の下に降りた。
『二人とも携帯電話を出して』
エリザに言われた二人は、各々の携帯電話をイメージで取り出した。Dreedam内の携帯電話は、能力や使用方法に関しては現実世界のものとなんら変わりはない。番号とアドレスを知っている相手には通話やメールを送ることができ、それ以上の事は出来ない。
祐樹がスマートフォンを片手に、春一の握る携帯電話をジト目で眺める。
「あのさぁ、春一。いい加減スマホにしろよ…」
「え?そんな事より、ほら!メールが送られてくるよ」
春一が食い入るように見つめる画面に、エリザから送られて来たメールの内容が映し出される。
「…!これって…!?」
その内容に驚いた春一は、目を見開いた。
「…待ちなさいよ」
薄暗い路地裏で、あかりはローブの男を呼び止めた。男は立ち止まり、振り返ると、フードを外してその顔を彼女の前に露わにする。癖のある黒髪に、ずるがしこそうなキツネ目、狡猾な表情。
「やっと見つけたわよ……ヒロ」
静かな口調に怒りを込め、あかりはヒロを睨みつけた。
「やぁ、神条 あかりさん。奇遇だね、君もオニキス城下町に来ていたのか」
「何が奇遇よ…!こんなメール送りつけておいて!!」
あかりは画面の内容が見えるようにスマートフォンをヒロに突きつけた。
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神条 あかり へ
そろそろ、我々レギオンの加入に関して前向きな返事を貰えないかな?
でないと、また君の好きなオニキスの町の風景が一つ減る事になるぞ。
次は、東通りの宿屋を明るくしよう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
偶然な事に、今この瞬間、別の場所で春一たちが見ているのもこのメールだった。
「あぁ、そのメール。全く返信がないから読んでいないのかと思ったよ。どうだい?そろそろ我々、レギオンの一員になる決心が着いた頃じゃないのかい?」
ヒロが嫌味かかった口調でさらにあかりを挑発する。しかし、その必要は無かった。平静を装った表情とは裏腹に、すでに少女のボルテージは最高潮に達していたからだ。
「…そんなわけないでしょ……!強くなったのは…あんたぶっ殺したいっていう気持ちだけよ!!」
あかりは歯をむき出し、紅蓮に燃え上がる火炎を両手にまとわせた。暗かった路地は、一瞬で炎に照らされ、彼女の怒りに満ちた表情を浮かび上がらせる。みるみるうちに温度上げ、燃え渦巻いていく炎は、その熱気だけではなく、ゴウゴウという音となって、ヒロに殺気を向けた。
「今度は、腕だけじゃすまないわよ…!」
明かりが声を押し殺してそう告げた。
だが、ヒロは一切おびえるそぶりを見せない。
「おお…。これは凄い炎だ。飲み込まれたら一たまりもないな。でも、こんな事をしていていいのかい?早く戻らないと、神条 あかりの数々の汚名な中に"子供殺し"まで追加されてしまうことになるぞ?」
ヒロがそう言った途端、あかりの腕の炎はパッと消えた。イマジンを維持できなくなるほど、動揺した証拠だった。
「……なん、…だって?」
目を見開いたあかりの脳裏に、先ほど教会であった子供たちの顔がよぎる。恐る恐る後ろを振り返ると、少し先の空に黒煙が立ち上っていくのが見えた。
「あの方角は、教会の方かな?」
ヒロがにやりと嫌な笑みを浮かべて言った。
「…て、てめぇぇえええ!」
あかりは振り返り様に、ありったけの力を込めて火炎を打とうとした。だが、彼女が振り返って手を向けた先に男の姿はなかった。
「言ったはずだぞ?僕の手を焼いた事を後悔させてやると」
次にヒロの声が聞こえてきたのは、あかりのすぐ近くに建っていた家屋の屋根からだった。トタン屋根の上には、ヒロと髪の長いテレポーターの女が立っている。
すぐに居場所に気付いたあかりは二人を睨みつけ、
「…絶対に…許さないから」
ありったけの憎しみを込めて言った。だが、ヒロはニタニタとした嫌味な笑顔のまま、テレポーターの女とその場から消えてしまった。
路地裏に静寂が訪れると、あかりはすぐに煙の方に向かって走り出した。
(…くそっ!…間に合って……お願い!)
必死に走り続ける彼女の中に最悪の状況が思い浮かぶ。それを払しょくしようと、無理矢理に頭を振ってみるが、次第に大きくなっていく黒煙と、舞い上がった火の粉が、彼女にまた嫌な情景を浮かばせさせた。
教会の近くにたどり着いたあかりは、その光景を目の当たりにして愕然とした。
教会堂は、すでに大きな炎に包まれてしまっていた。上へ上へと立ち上る炎は、壁面を覆うだけではなく、窓枠の中からも凄まじい勢いで噴き出している。空に広がった真っ黒な煙は、辺りを暗がりにしてしまっていた。
あかりは、中に入ろうと教会が面している通りに飛び出したが、入口に群衆が詰め寄せているのを目にし、咄嗟に路地裏に隠れた。
(もう、あんなに人が…いや、待てよ。あれだけ人がいるなら、子供たちと神父はすでに救出されてるはず…!)
わずかな希望を抱いたあかりの耳に、群衆の最悪の言葉が聞こえてきた。
「お、おい!子供たちは見たか?さっきまでこの教会の中に神父といたはずだ!」
「いや、見てないぞ!」
「…じゅあ…この中に!!」
あかりは心臓が張り裂けそうな思いだった。子供たちがまだ中にいる…!もしかしたら、もう…。
さっきまで、仲良く笑いあっていた子供たちが…
いても立ってもいられなくなったあかりは、イメージにより小型のオートバイを出現させて乗り込むと、裏路地を飛び出して群衆のところへ突っ込んでいった。
何人かが猛スピードで走ってくるバイクに気づいて、声を上げる。
「おい!なんか突っ込んでくるぞ!!」
「あいつは…神条 あかりだ!」
「ぶつかる!危ない!!!」
あかりは、群衆と衝突する寸前でハンドル上へ持ち上げ、小ぶりな車体ごと宙へ舞い上がった。現実の世界ではジャンプ台も無しにこのような芸当をするのは到底不可能であっただろうが、この世界においての彼女の想像力と、危機迫る思いの強さがそれを実現させた。
ぽかんと口を開ける群衆ごと教会入口の策を飛び越え、あかりの乗ったバイクは、教会の敷地内に着地した。そして、スピードを落とすことなく、燃え盛る教会堂の門に体当たりをし、突き破って中に入っていった。
バイクから投げだされたあかりの体は、教会堂の中を転がる。突入の衝撃で入口付近は崩れ、散乱した瓦礫で退路は塞がれてしまった。
あかりは、体に走る痛みをもろともせず、すぐに立ち上がると辺りを見回した。教会堂の中は。すでに凄まじい熱気を放つ炎に包まれてしまっていた。木製の長椅子や机はおろか、壁や柱までもがまるで油でも注がれたようにうねりを上げて激しく燃えている。
この状況では…絶望的か…。
あきらめかけたその時、あかりは、隅の奇跡的にまだ火の手が回っていなかった場所に、一人の少女が蹲っているのを見つけた。すぐさま、そこへかけ寄る。
「…お姉ちゃん!」
あかりに気づいたパンが大声で叫んだ。
「パンちゃん!大丈夫?他のみんなは?」
あかりは倒れた柱を飛び越えると、パンの元へ近づき、抱きしめてやった。パンは泣きじゃくりながら、あかりの腕の中で話し始める。
「わかんない…私は、外にトイレに行ってたの…そしたら、教会が火事になってるのが見えて…みんなが心配で戻って来たんだけど、誰もいなくて…それで、それで、気づいたら私もでられなくなって…」
必死に声を出すパンの頭をあかりは優しく撫でる。
「大丈夫。きっとみんなは先に逃げたんだよ。パンちゃんもお姉ちゃんが必ず外へ助け出してあげるから!」
「…ほんと?」
パンは目を真っ赤にしながら、あかりの顔を見上げた。あかりはニコっと微笑み返すと、再び辺りを見回して脱出できる場所がないか探した。しかし、どこもすでに炎が取り囲んでいてしまっていて、自分だけならまだしもパンを連れて逃げ出すことは出来なそうだった。
みるみるうちに表情が険しくなっていくあかりにパンが聞いた。
「ねぇ。お姉ちゃんは火の能力を使えるんでしょ?だったらこの火事も消せないの?」
「…ダメなの。私は…自分で出した炎以外は操れないから…」
とても悲しげな表情で答える。だが、その時、ふとあかりはある事に気が付いた。
(…あの一か所だけ、妙によく燃えてる…まさか、)
あかりの目に入ったのは、教会の一番奥、祭壇がある場所だった。その祭壇にもすでに炎が燃え移っていたのだが、そこが他の場所と比べて若干火の勢いが強いことに気付いたのだ。こういった火災の現場では、窓やドアとった外から空気が流れ込む場所は火の手が強くなる。だが、床の中央に置かれた祭壇が、他の長椅子よりもよく燃えているのは妙だった。
「パンちゃん、背中におぶさって!」
何か思いついたあかりは、そう言ってパンを背中におんぶさせると、教会の中央に飛び出した。そして、勢いを最大に高めた炎を祭壇に向かって放った。彼女の力では教会についた火は消せない。だが、自ら発射した火炎の風圧で、祭壇とその周りに火を吹き飛ばす事は出来た。
炎の無くなった祭壇の下から、人ひとりが入れるような穴が現れる。その場所だけ火の勢いが強かったのはこの穴のせいだ。
「やっぱり、いざという時の逃げ道があったのね!神父様たちは、あそこから逃げたんだ!私たちも行こうパンちゃん!」
「…うん!」
パンは頷くとあかりにしがみ付く腕の力を強めた。
あかりは、少女を背負ったまま走り、祭壇の下の穴に飛び込んだ。
教会から少し離れた空き地。隠し通路から脱出した神父と子供たちは、外にいるはずのパンが見当たらない事に焦り始めていた。
「皆、近くにパンはおったか?」
神父が青覚めた顔で子供たちに聞いた。
「どこ探しても、いないよ!」
「あっちの人がいっぱいいる所もいなかった!」
「まさか…教会に戻ったんじゃ…」
青かった神父の顔からさらに血の気が引いていく。教会に火がつけられた時、他の子供たちを逃がすのに必死で外に行ったパンが戻ってくる可能性など頭になかった。
空き地の隅には地面に取り付けられた鉄扉があり、そこが教会と地下でつながっている。尚早にかられた神父は、再びその入口に向かおうとしたが、子供たちにを掴まれて止められた。
そんな時、閉まっていた鉄扉がガタガタと音を立てて開き、中から濁った煙と一緒に細い腕が飛び出した。さぐるようにして空き地の地面に手を着いてから、パンを背負ったあかりが姿を現す。
「あ!パンだー!」
一人の少年が指を指して叫んだ。
あかりに背負われたパンは煤だらけになっていたものの、大した怪我は無かった。ただ、恐怖のせいか、少し衰弱しているようには見えた。
神父は、パンの無事がわかると全ての力が抜けたかのように肩を落とした。それはあかりも同じで、空き地中に教会にいた子供が全員いる事に気づくと、心から安心した。
あかりは、子ども達の元へ行こうと歩き出す。しかし、その時、何かが彼女顔目がけて飛んで来た。
「…っ!」
飛んできた何かは明かりの野球帽に辺り、地面に落ちた。それは、空き地に無数に転がっている小さな小石の一つだった。
なぜ、自分に石が投げつけられたのか分からないあかりは、困惑の表情で顔を上げる。すると、わんぱくそうな少年が彼女に向かって叫んだ。
「パンから離れろー!悪魔め!!」
「…?どうして…?」
ぽかんと口を開けるあかりに、また他の少年が石を投げつけた。
「神父様が言ってたぞ!…あの火事はおまえのせいだってな!!」
「こら!あれは、そういう意味では…」
神父は慌てて止めようとするが、子供たちは次々とあかりに向かって空地の小石を投げ始めた。
何個かの小石は、あかりの足元に落ちて転がったが、数個は彼女の帽子や腕、足に当たった。所詮、子供の力で投げたものなので、大した痛みは無かったが、物理的な痛み以上にその礫は彼女を傷つけた。
「や、やめて!みんな…!」
パンは、無理矢理もがいてあかりの背から降りると、彼女を守るように前に出て両手を広げた。少年たちが石を投げる手を止める。
「お姉ちゃんは私を助けてくれたんだよ!お姉ちゃんがいなかったら、今頃わたしは教会で死んでたかもしれない!それなのに、なんでみんなお姉ちゃんを…」
「いいの!!パンちゃん!」
あかりが大声を出し、パンの訴えを遮った。
「……私のせいだって事には変わりないから…」
小さな声で呟くように言うと、子供達と神父がいる方へ静かに歩き出す。
俯いた彼女がどのような心情だったのか、幼い子供達には分からなかった。ただ、少年たちはそれ以上、彼女に石を投げる事は出来なかった。
「…ごめんなさい。私のせいで、みんなを危険な目に合わせました」
あかりは、神父の前まで行くとそう言って深々と頭を下げた。そして、顔を隠すように野球帽の唾を深くかぶると、その場を走り去った。
「…お姉ちゃん」
パンは遠ざかっていくあかりの背中を、潤んだまなざしで見続ける事しか出来なかった。