第二十二話 神条 あかり を追え!
紅蓮の火の粉と共に舞い上がった黒煙が、三日月の浮かぶ藍色の夜空を暗く染めて行く。
ファンタジー界・オニキス城下町にある一軒の宿屋が業火に包まれていた。ステンドグラスの窓は熱気で全て割れてしまっていて、窓枠の奥には川のように揺らぐ火炎が見える。
あかりは、今にも崩壊しそうなその宿屋を口を和一文字に閉じて睨みつけていた。炎の光が彼女の後ろに、人型の影を作り出す。
「あの時と…同じね」
少女は、木材が燃える音にかき消されてしまうくらいに小さな声で呟いた。
硝子玉のような瞳にうっているのは目の前の火災の光景、しかし彼女の脳裏に浮んでいたのは別の火災現場だった。それは今よりももっと前、…彼女かまだ幼かった時の…
「おい!火事だ‼誰か居るぞ!」
宿屋の建つ通りの奥から人の声がした。
「くっ!」
あかりは噛み締めた歯をむき出すと、刺繍の虎が入ったスカジャンの背中を向け、その場を走り去った。
全長数百メートルの巨大ビルが無数に林立する未来界・メトロポリス区。そのビル群の中でも一際高い一棟の外部ラウンジに一台の空中タクシーが止まった。任務を終えた春一がオブリビオン本部に帰還したところだ。
「どうも」
後部座席のドアが開け、運転席に座る簡素なデザインのロボットに一応礼を言うと、春一は、ラウンジへと降り立った。中央に設けられた噴水の縁には、分厚い医学書を抱えた少女が腰掛けていた。少女は春一に気が付くと、たちまち表情を明るくする。
「……ハル!」
栗色の髪の少女マリーは、噴水のからぴょんと飛び降りると、春一にかけよってきた。
「マリー。久しぶり!確か医学研修だったんだよね?どうだったの?」
「…とっても…為に…なった…!これ」
マリーは目を輝かせ答えると、自分の身の丈の半分ほどはある大きな医学書を差し出した。
「うわっ!?今度はこれを読んだの?…どれどれ」
春一は受け取った医学書の重たい表紙を開け、ぺらぺらとページをめくっていく。A3サイズは優にある 日焼けした高級紙には、米粒ほどの小さな文字がびっしりと敷き詰められていた。
「はは、さっぱりわかないや…」
思わず苦笑いになる春一。それを見たマリーは、なんで?と、言いたそうに首をかしげた。
「せめて…水に関するやつならイマジンで試してみれるんだけど…そういうのはないの?」
春一が訪ねるとマリーは、目線を下げて考えた後、
「…ハルなら水で止血くらいは出来るかも?」と返した。
「止血かぁ」
春一が頭の中でイメージを膨らませていると、今度は後ろの空にホバーボードに乗った祐樹が現れた。
「あ!ツンツン」
マリーが裕樹を指さして言う。
- "ツンツン" とはマリーが祐樹に付けた愛称だ。マリーは、レイヴン、エリザ、春一以外の人間は全て見た目から彼女が付けた愛称で呼んでいる。
裕樹はこのあだ名が気に入ってないようで、
「あのな。マリー、俺の事はちゃんと名前で祐樹って呼べって何度も……あ、そんな事より春一、レイヴンからの呼び出しの時間は?」途中で思い出したように春一にシフトして聞く。
「まだ大丈夫。でももう行った方がいいかもね。ごめんね。マリー、俺たちレイヴンに呼び出されてるんだ。研修の話はまた今度!」
春一はそうマリーに言うと、祐樹と共に奥のエントランスに向かっていった。
「ばいばーい」
マリーは無造作に手振って二人を送った。
一面潤沢の白で包まれたエントランスをミーティングルーム目指して進んでいる最中、二人はレイヴンの呼び出しについて考えを巡らせていた。
「…にしても、なんだろーな?レイヴンから直接任務の伝達なんて今までほとんどなかったぞ。いつもはエリザから通信で済ませてたし」
裕樹が灌漑ぶって言うと、春一も眉をひそめた。
「確かに…珍しいね。何かあったのかもしれない。とりあえず、聞いてみよう」
見当もつかないままに二人がミーティングルームに入ると、レイヴンはすでに腕組みをしてそこに待っていた。相変わらずの無表情で、これから重大な任務が言い渡されるかどうか春一にはまったく見当がつかない。
「なんだよ、レイヴン。直接の任務って?」
開口一番、祐樹がぶっきらぼうに尋ねる。オブリビオンの中でもレイヴンに向かってこのような口のきき方をするのは祐樹だけだ。
レイヴンはゆっくり二人の顔を見据えた後、口を開いた。
「……早速だが、お前たちは今…ファンタジー界で起きている"連続放火事件"については知っているか?」
裕樹は首をかしげる。
「連続放火事件…?あぁ、オニキス城下町で騒がれてるあれの事?…それが、今回の任務と何か関係あるのか?」
「…最後まで聞け。…実は、現場の目撃情報から、その放火事件の犯人が神条 あかりではないかという情報が出回っている…さらに、それを信じたファンタジー界の一部の連中は、彼女を捕まえようとまでしているそうだ」
「神条 あかり…!」
その名前を聞いて春一が反応した。
レイヴンは静かに頷くと、
「"魔女狩り"と称し、躍起になって探しているようだ…捕まれば、何をされるわからない」
「そんな…あの子が、放火なんて…!そんなはずないよ!それに"魔女狩り"だなんて、あんまりだ…!」
春一の声が大きくなった。祐樹はその様子を見てうんざりだといった顔をする。それからレイヴンに向き直って再度尋ねた。
「結局、任務の説明になってないぜ?レイヴン。まさか、その放火事件に首突っ込めっていうわけじゃねぇだろうな?これはファンタジー界の問題だろ?未来界の俺たちが干渉するのはマズいんじゃねぇのか?」
詰め寄られたレイヴンは腕を組み直し答えた。
「確かに、他世界観層への干渉は避けたい……だが、今回は我々オブリビオンの行く末を担う事情がかかわっている…」
裕樹は不満そうに唇を尖らせた。
「神条 あかり、か…。あーあ、春一もレイヴンもどうしてあんな奴にこうもこだわるかね」
厭味ったらしく言ったがレイヴンは一切同時ず続けた。
「……あの少女は、"マンション城事件"に関わる数少ない目撃者の一人だ。…我々にはもう一人の目撃者の春一がいるが…彼女の情報はそれより重要。入手できなくとも、他の組織に渡るのは避けたい」
「それで、俺たちの任務は?」
すでにやる気になっていた春一が力の入った言葉で聞く。
「…まずはファンタジー界に潜入し、情報収集だ……可能ならば真相を突き止めてくれ……ただし、目立つ行動は避けろ」
「わかった」
春一は握り拳を作って頷いた。それから真剣なまなざしを祐樹の顔に向ける。裕樹は罰悪そうに頭の後ろをかいた。
「…やるよ。任務だしな」
「…尚、この任務は極秘扱いとする。私とエリザ以外には、オブリビオンの内の者にも口外はするな…」
二人の去り際、レイヴンはそう釘を打った。
ファンタジー界へ向かうエレベーターに乗っている際中、祐樹は春一をなじった。
「にしても、ほんっと春一は神条 あかりが大好きだよなー」
「そ、そんなんじゃないよ…!」
春一は顔を赤くして反論する。
「じゃあ、なんであいつの事になるとムキになるんだよ?」
「…いや、それは…なんかほっとけないっていうか…」
「それを好きっていうんじゃないの?」
「いや…そうじゃなくて…」
春一は視線を逸らす。
- チン。
ちょうど、そのタイミングでエレベータが目的階に到着し、春一は答えをあやふやに出来た。
二人はエレベーターホールに降り立つ。ファンタジー界のエレベータホールは、RPGに出てくる遺跡のような内観をしており、壁には文様のような溝が掘られている。また、床には青白い光で描かれた魔方陣が幾つかあり、その場所の上に立つことにより、ファンタジー界内の各所にワープできるようになっている。ただ、今回はその魔方陣の数か所が鎧を着た兵士達によって塞がれていた。
「やっぱり、警戒態勢が敷かれてるのかな?」
春一が裕樹に聞く。
「だろうな、多分。…ちょっと聞いてみるか」
裕樹はそう言うと、近くにいた兵士の一人に声をかける。
「おーい、鎧さん!これってオニキス城下町へのワープが全部ふさがれちゃってる感じ?」
「あぁ。連続放火事件で城下町内への直接ワープは封鎖されている。君たち、もしかして魔女狩りに参加しに来たのか?」
「魔女狩りに参加って…」
聞き返そうとする春一を祐樹が遮った。
「あ!そうそう!それで、町に入りたいんだけど、どうしたらいいのかな?」
尋ねられた兵士は隣にあった塞がれていない魔方陣の一つを指差した。
「それなら、そこの魔方陣を使うといい。町の東門前に繋がっているから。ちょうどその門で検問と魔女狩りに参加する部外者の受付もやっているよ」
「そうなんだ!サンキュー、さ!行こうぜ春一!」
裕樹はそう言うと春一の腕をひっぱり兵士が指した魔方陣に飛び乗った。
二人の体をまばゆい光が包み込み、春一が文句を言おうとした時には、すでに周りの風景はのどかな丘の上に変わっていた。後ろには、うっそうとした森林が広がっており、丘の下には兵士の言ってた通り、オニキス城下町へと続く城門があった。いつもなら空いているはずの巨大な門扉が今は閉じらていて、その横にある小さな出入口の前に行列が出来ている。
「あれって、みんな魔女狩りの参加希望者?俺たちもあれに並ぶの?」
行列を見た春一は不満そうにこぼした。
「そう怒るなって春一。魔女狩り希望だって言っとけば、今は何かと都合がよさそうじゃん?レイヴンも目立つ行動は避けろって言ってたし、奴らに紛れて町の中に入るのが得策だろ」
裕樹はそう宥めるとイメージにより取り出した双眼鏡で門の前を覗いた。
「ありゃー。"判定師"がいるよ。多分、町に入る目的を聞かれるな」
- 『判定師』とは感知系の能力者の通称で、春一も日本エリアで"見破り人"として遭遇している。彼らはイメージ発動の感知の他、対象者の嘘を見破る事なども出来きるが、その能力の範囲は限られており、大抵は質問に対しての答えの真偽ほどしか判定できない。
「どうするの?俺たちのイマジンじゃ判定師は欺けないよ?」
「なーに。"神条 あかりを捜してる"って事に嘘はないから、そう答えれば大丈夫だろ」
裕樹はそう答えると、足早に丘を下って行った。春一も後に続く。
二人は、城門前に出来た三十名ほどの列の一番後ろに並んだ。先頭の先には簡易テーブルが置かれており、商人の格好をした男と紫のベールで顔を隠した占い師が座っていた。さらにその周りを二人の鎧の兵士が守っている。一方、列に並んでいるのは、格好も世界観層もバラバラだったが、皆言うなれば"ならず者"ばかりで、ギラギラした目に威圧的な表情をしていた。
「これ、一体何分待つんだろうね…」
春一が一向に進んでいない様子の列を前に肩を落とす。
すると祐樹は、「そんな事もないと思うぜ?」と言い、列からぴょん、とはみ出すと、前にいる受付の商人たちに大声で叫んだ。
「あのー!俺ら二人ともイマジンの使い手なんですけど中に入れて貰えませんかーー?」
列に並んでいた全員が一斉に二人の方を向いた。春一はびくっと肩を上げる。ただ、一番大きな反応を示したのは受付の商人だった。
「本当か!?そこの二人すぐにこっちに来い!!」
テーブルから乗り出し、祐樹に負けんばかりの大声で返す。
「やりぃ!」
裕樹指をパトンとならした。
二人は、列に並ぶ男たちの鋭い視線を浴びながらその横を進み、受付の前まで行った。
「まずは、イマジンの能力の確認をします」
ベールとローブのフードで顔を隠した占い師が告げた。前にはお決まりの大きな水晶が置かれている。この人物が祐樹の言った"判定師"だ。
「どうすりゃいいんだ?ここで見せんのか?」
裕樹が尋ねる。
「いえ、お二人とも目立たないようにで良いのでイマジンを発動させて下さい。そうすれば私が感知できます」
「あ、そういう事ね」
裕樹はそう言うと、いつものホバーボードを地面から出現させ、脇に抱えた。
春一の方は、隙間を空けて握った手の中に少量の水の出現させ、それを回転させる程度抑えた。春一の能力はDreedam内でも特殊で、それだけである程度価値のある情報になってしまう為、出来るだけ一目には触れないようにしている。
二人がイマジンを発動すると占い師の水晶玉がそれに共鳴して強い光を発した。
「おぉ!確かにお二人とも強力なイマジンをお持ちのようですね。特に黒い髪のあなた…」
占い師の言葉に春一は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔を作り直して、
「いやいや…たいした事ないですよ」と、返した。
「そりゃ、頼もしい!じゃあ、早速町内に入って奴を捕まえて貰おう」
商人風の男が嬉しそうに言った。
「一応、入る前にあなた達が奴の仲間ではないか確認させて頂きます」
占い師がそう言って手をかざすと、水晶の中に青いもやのようなものが現れた。
「これから聞く質問に正直に答えて下さい。嘘であれば水晶が赤く濁ります」
裕樹はごくりと生唾を飲む。質問の内容によってはマズイ事になるかもしれない。
「あなた方が町に入る目的はなんですか?」
占い師が尋ねる。すると、祐樹よりも先に春一が、
「神条 あかりを捜す為…」と強い言葉で答えた。
「あ、俺も一緒…」
裕樹が付け足した。
占い師が水晶に顔を近づける。しかし、中のもやには一切、変化が起きなかった。
「いいでしょう。彼らは嘘をついていません」
占い師がそう言い切ると、二人は商人の男に連れられ町の中へと招かれた。
春一と祐樹は商人の後に続いて、東口から町の中央へと向かう大通りを進んでいた。この道は、春一も以前に歩いた事があり、偶然な事にその時、神条 あかりに会ってもいる。以前は、さまざまな露店が立ち並び、活気にあふれていた通りが今はどこかピリピリとした雰囲気に包まれていた。通りを歩く人は、どこか怯えたような顔をしているか、険しい目つきで怪しいものがないか目を光らせているかのどっちかだった。中には、二人のように他の世界観層から来たと思われる人間の姿もちらほとあり、春一はその状況から事件がかなり深刻な状態に陥っていると実感した。
「いやぁ、しかし、君たちみたいなイマジン使いが参加してくれて助かるよ。外から参加を希望してくるのは、どれもガラが悪いだけで大した能力も持っていない連中ばかりで困っていたところだ。だが、君らが協力してくれれば、時期にあの悪魔も捕まる事だろう」
商人の男は蓄えたひげをいじりながら満足そうに言った。春一は、男の背中を睨みつけそうな勢いだったが、任務という事もあったので平静な顔を保った。
春一の怒りに気付いた祐樹は自分が話した方がいいと思い、商人に聞く。
「ははは、まぁ頑張るよ。そんで今の状況は?」
「それが、うまく逃げられてしまっている。奴の目撃情報は必ず上がるんだが、どういうことか毎回追手がまかれてしまうんだ。それから、こちらの捜査網も読まれているかのようにかいくぐられてしまっていてな…何か特殊な能力を使っているに違いない」
商人は顔をしかめて説明をした。
春一は疑問に思った。どう考えても、神条 あかりにそのような能力はない。アルケマスターという強力な能力者にしろ、使えるのはおそらく炎関係のスキルだけで、捜査網をかいくぐったたり、姿をくらませる事に利用できるとは考えにくい。やはり、放火の犯人は別の人物…しかし、だとすると毎回あるという目撃証言に説明が着かない。
春一が足元の石畳を見つめ考えを巡らせていると、どこかから女性の悲鳴声が聞こえてきた。
「キャー!!また放火よー!!」
声に反応して辺りを見回すと、春一は遠くの方で黒い煙が空に向かって立ち上っているのを見つけた。
「なんだよ!いきなりかよ!?行くぞ、春一!」
「うん…!」
春一と祐樹は煙の方角へ向かって走り出した。
「あ、君たち!もし、奴を捕まえたら町の中央に"魔女狩りの本部"があるからそこに連れてきてくれよー!」
商人は走り去る二人の背中に声をかけたが、すでにその背中は小さくなってしまっていた。