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夢の王  作者: せいたろう
第二部 日本エリア編
22/32

第二十一話 強襲!鮫島 瑛里華の怒り

 「さて、どうしますかな?お嬢さん。もう逃げ場はありませんよ」

 大瓦の敷き詰められた賭博場の屋根の上、胴元のサカザキは嫌みな笑みを浮かべ、二人を脅した。後ろには五十名ほどの武装した手下を従えている。

 瑛里華と春一は、屋根の軒まで追い詰められていた。後ろに落ちれば、下は賭博場を囲っている堀。飛び込む事も可能だが、相当な高さがあり、リスクも高い。

 春一は瑛里華を守るように前出た。そして、この状況を打破する策を練り始める。

相手の数は五十。いくら能力の優位さがあるからといって、この数を相手に出来るかは際どいところだ。ウォーターカッターで一気に全員をなぎ払えば勝算はあるだろうが、それも全力で出来るかわからない。堅い金属をいとも簡単に切り裂く水流、人にあてればどうなるかは容易に想像出来る。以前、怒りがで取り乱した時でさえ、神条 あかりを攻撃する事を躊躇した。

だが…やるしかない。 

 春一が、決意を固めた時、後ろから肩をポンと瑛里華に叩かれた。

 「今宵の空は雲がおおいですねぇ」

 虚空を見上げ、しみじみとこぼし、瑛里華はゆっくりと前へ歩いていく。

 「……瑛里華さん?」

 きょとんとした春一が呼び掛けると、瑛里華はさっと振り向いて微笑み、

 「大丈夫ですよ」

 落ち着いた様子で返した。そしてまた、前を見据え直す。

 凛とした態度の瑛里華を見て、サカザキは気にくなそうに口を開いた。

 「観念する気になりましたか?ただ、抵抗しないからといって、あなた方を始末する事にはかわりませんよ?この賭博場の秘密を知ってしまった以上、生かしておくわけには…」

 「別に、観念したわけではありませんわ」

 瑛里華は不適に微笑む。

 「何ですと?」

 「ですから…閑念したわけではありませんわ。…わかりませんか?」

 「何がです?」

 「私は…怒っているのですよ?」

 刺すような冷たい瞳がサカザキを睨みつけた。サカザキは、今ままで経験したことがないほどの悪寒を感じ、一気に顔が引きつる。背中越しに彼女を見ていた春一はすぐに分かった。あの時の…初めてあった時に見せたあの冷たい怒りだと。

 「あなた方はわたくしの大好きなこの町の秩序を乱すような真似をしました…」

 静かに語りながら、さらに足を前へと進める。その殺気にサカザキを含め、後ろに控えた大勢の手下達は息を呑んだ。

 だが、形勢何一つ変わっておらず、依然数の多い敵側が有利。サカザキは、強気に打って出る。

 「凄んでも無駄です!いくら、腕が立つといってもこの数は無理でしょう!?」

 瑛里華は耳を貸さない。一歩一歩確実に屋根を踏みしめながらに近づいていく。

 「…ひざまづきなさい」

 一度目は独り言のように小さく呟いた。

 「な、何を…!?」

 たじろぐサカザキに瑛里華がもう一度、今度は大声で言い放つ。

 「ひざまづきなさいと……言っているんです!!!!!!!」

 

 次の瞬間、視界全てを奪い去るほどのまばゆい光に辺りは包まれた。同時に、耳をつんざくような轟音が響き渡る。それは言葉で言い表せない、そこにいる誰もが今まで聞いたことのないような凄まじい音だった。すぐに光は消えて視界は元に戻ったが、しばらく耳はぐわんぐわんいったままだった。

 サカザキや手下たちは初め、何が起きたのか全くわからなかった。だが、目の前の光景は一変していた。

 瑛里華とサカザキ達の間の屋根に、大きな穴がぽっかりと開いている。穴の淵は、焼け焦げて黒く図んでおり、ところどころに火がついていた。

 穴の前に立つ瑛里華はその場でただ一人、涼しい顔をしている。いつの間にか手にはあの薙刀が握られていた。

 少しだけ離れた位置から一部始終を見ていた春一はある程度光の正体に見当がついていた。一筋の閃光。瑛里華の咆哮の瞬間に、春一が見たのは天から降り注ぐ光の筋だった。それも、直線ではなく、随所随所で折れ曲がって落ちきたあれは、おそらく…


 瑛里華が薙刀を振り空を切ると、今度は先ほどよりも威力の弱い閃光が降り注いだ。プラスチックの板を鋭利なもので引っ掻いたような音が鳴る。一撃目で空いた穴よりも少し奥に直撃した光は、瓦を粉々にして吹き飛ばし、また屋根に焦げ後の残る穴を開けた。

瑛里華の握る薙刀の刃の周りを、青色に光る細い筋がパチパチと音を立てて取り巻いている。


 その場にいた全員が光の正体を理解した。


 - あれは雷だ。しかも、たまたまここに落ちて来たわけではない。屋根佇む一人の女性、瑛里華がイマジンによって降らしている。


 サカザキは絶望感を覚えた。後ろに五十名もの軍勢をかかえても、あの力の前では無力に等しい。戦ったとしても一撃で全員、消し炭にされるのが落ちだろう。第一、すでに戦う気力を持っている者など一人としていなかった。皆、目の前で起こった落雷の音、光、威力が語る圧倒的なエレルギーに心の底から怯えてしまっていたからだ。

瑛里華は前に空いた穴の縁をたどるように歩き、さらにサカザキ達に近づいていく。

 「っ…!」

 サカザキが何か言おうとした。しかし、速攻で近くに、小さな雷を落とされ、黙らされる。

 「に、逃げろぉ!殺される!!」

 後ろにいた一人の浪人が、かなきり声を上げた。それをきかっけに、手下達は一斉に屋根の端へと走り出す。尻餅をついていたサカザキも血相をかいてそれに続いた。

軒の方まで辿り付いた数名の手下達が下の堀に飛び込もうとする。かなり危険ではあるが、あの雷を浴びせられるよりはマシだと考えた結果だ。

 

 - だが、その時


 ドォォォォォォン!!!!! 


 巨大な稲妻の柱が天空から掘目掛けて突き刺さった。

 この一撃で、堀の水に青白い電流のネットが張り巡らされた。無論、飛び込む余地は無くなった。

 恐る恐る後ろを振り返るサカザキと手下達。屋根の棟の瑛里華は相変わらず笑顔で佇んでいた。この笑顔が、サカザキ達の恐怖をさらにかき立てた。この状況で笑われるのは、鬼のような形相で威嚇されるより数倍恐ろしい。

 「さて、ここは賭博場という事ですし、一つ確率のお話でも致しましょうか」

 瑛里華は気丈にそう語り始めると、また一歩、前へ足を進めた。その瞬間、手前に落ちる一発の雷撃。サカザキ達が声にならない悲鳴を上げ、身をよじらせた。

 「皆さんは、落雷の死亡率というのはどの程度かご存じですか?」

 瑛里華は歩みながら続ける。そして、また、一発の電撃が空から降り注いだ。

 「雷の電圧は数億ボルト、電流は数千から20万アンペアに達します。この膨大な電気エネルギーが人体に直撃した場合、及ぼされる影響は、重度の火傷から脳、臓器、神経系への多大なダメージ、筋肉の剥離、骨の粉砕など…そして、その死亡率は80%以上、たとえ直撃を免れたとしても20~30%ほどだと言われています」

 雄弁に語りながら、瑛里華は一歩一歩サカザキ達に近づいていく。そして、数歩進む度に落ちる雷撃。サカザキ達は少しづつ迫りくる雷撃の恐怖にただただ怯えるしかなかった。

 「…しかし、実際に落雷に合う確率というのは1/10000000。つまり、『雷に打たれ尚且つ志望する』という確率は、直撃の場合4/5×1/10000000で1/12500000、直撃を免れた場合に至っては1/50000000と極めて低いものとなります」

 瑛里華の草鞋が棟瓦をじりっと踏みしめる。青ざめたサカザキ達はすでに目と鼻の先だ。

 「…では、ここで皆さんにお尋ねしますが」

 彼女の足が止まった。ついにサカザキの目の前に、瑛里華はたどり着いた。そして、おもむろに薙刀を振り回し、その切っ先を突きつけると、凍てつくような視線でサカザキをぎろりと睨んだ。

 「その『直撃』を皆さんに連続で浴びせた場合、死亡率はどの程度まで高くなるでしょうね?」

 表情とは一致しない上品な口回しで脅す。

 大の男50人が、今にも気を失ってしまいそうなほど、心の底から怯えあがっていた。

 きっと生きた心地がしないのだろう…。後ろ手に見ていた春一は、同情の念さえ抱いた。瑛里華の狂気にさらされていない自分でさえ、顔が引きつってしまっている。

 「こ、これは…!…間に合わなかったでござるか…」

 春一の脇へ、脇腹を抱えた佐井蔵が駆けつけた。下での戦いを終え、慌ててここまで上がってきたようだ。

 「佐井蔵さん…!うわっ!?その傷!大丈夫ですか?!」

 春一は、佐井蔵の着物の腕と脇腹の部分が乾いた血で黒く染まっているのに気付き、声を荒げた。

 「心配無用。血はすでに止まっているでござる。それよりも、この有様は…」

 佐井蔵は自分の傷の事よりも、穴ぼこだらけになった屋根の方が気にかかっているようだった。

 「あぁ…これは瑛里華さんが……ていうか、瑛里華さんってこんなに強かったんですね…」

 先ほどの惨劇を思い出しながら、春一が遠い目で答える。

 「左様。故に拙者が護衛をしているのでござるよ」

 「…え?」

 「姫様を護衛するのは、命をお守りする為ではなく、姫様を戦わせないようにして、相手や建築物を守る為なのでござるよ」

 佐井蔵も春一と同じように遠い目をしてそう語った。

 


 薙刀の切っ先にまとわれた稲妻は、鏡のように磨かれた刃の周りを暴れまわり、今にも炸裂しそうだ。それを顔目掛けて突き付けられているサカザキの恐怖は計り知れない。

 「……私の…ま、負けだ……頼む、命だけは…!助けてくれ…!」

 サカザキが、か細い声で必死に命乞いをする。

 瑛里華は冷ややかな目で彼を見下ろしたまま口を開いた。

 「もちろん、命を奪うような事はしませんわ。ただ、そのかわり、あなたが知っているレギオンの情報を洗いざらい話して頂きますよ?」

 「レ、レギオンだと…?一体なんの…」


 - バチィィ!!


 瑛里華は薙刀の電流をサカザキにしらを切る余地を与えなかった。

 「ひ、ひぃぃ…!!分かった!話す!なんでも話すから、助けてくれぇ!」

 サカザキは金切り声で喚き立て、後ろの手下たちはまた身を縮めた。怯えきった彼らはもはや瑛里華の行動一つ一つが恐ろしくて仕方がないのだろう。



 ひとまずの落着。

 瑛里華は、引きつった顔で後ろに佇む春一と佐井蔵の方を振り向き、

 「お二人とも、終わりましたよ」

 にっこりとほほ笑んだ。

 先ほどまで夜空を覆っていた厚い雲はいつの間にか消えていた。月明かりに照らされた瑛里華はとても穏やかで、優しい顔に戻っていた。



 その後、駆けつけた華扇界の警邏隊によって騒動は収束へ向かった。

 町奉行の格好をした警邏隊員達によって賭博場は方位され、従業員は取りあえずのところ全員検挙された。結局、サカザキや手下達が瑛里華の正体に気付いたのは、縄で手を縛られ、一列に並ばされた後だった。その時のサカザキの驚きと落胆の表情を目にした春一は、初めから正体を明かしていればこれほどの騒ぎにはならなかったのではないかとも思ったが、当然、口にはしなかった。

 それから、瑛里華はしばらく警邏隊のリーダーと思われる人物と話していたが、それが終わると春一と佐井蔵の元へやって来て、三人でこの場を離れようと提案した。何やら行きたい場所があるらしい。佐井蔵が騒ぎをより大きくする危険があると反対したが、瑛里華は逆にやじうま達は賭博場目指して向かって来ているので大丈夫だと彼を言いくるめた。

事後処理を警邏隊に任し、三人はその場を後にした。



賭博場から少し離れた河川沿いの通りは、瑛里華の言ったように人っ子一人おらず、三人は堂々と道の真ん中を歩いて行けた。

「いやぁ、それにしても…」

どこか清々しそうな顔で隣りを歩く瑛里華に、春一が切り出す。

「瑛里華さんがアルケマスターだったなんて驚きましたよ」

 「隠していてごめんなさい。実は、私のイマジンを使えば、賭博場の地下で囲まれた時点、決着をつける事も出来たのですが…」

 エリカは言葉を濁したが、佐井蔵は真意に感づいたようで、

「ま、まさか姫様…!初めから屋根上まで敵をおびき寄せる気で…」

 声を裏返して、エリカに迫った。

「えぇ。あの雷を見せれば当分の間は、この日本エリアの秩序を乱そうと目論む者など出て来ないでしょう」

瑛里華は満足気だった。

「そういえば…瑛里華さん。賭博場に入る前に屋根と雲の様子を確認してましたね」

 春一が横から言う。

 「そうであれば先に言ってくれればいいものを…」

佐井蔵はため息混じりに肩を落した。

 結局のところ、今回の一件で動転していたのは春一と佐井蔵だけで、瑛里華からしてみれば全て自分の思惑通りに事が進んでいたようだ。

 やはり、大組織のリーダーは何枚も上手だと、春一は思い知らされるのだった。


 「あ!ここですわ!」

 目的地に着いたらしく瑛里華が指をさす。

 そこは通り沿いに面した一軒の銭湯だった。寺社建築のような外観に、空に突き立った大きな煙突。玄関口には「ゆ」と描かれた暖簾がかかった、現実世界で言う「昔ながら」のという造りだったが、この江戸時代の町並みにはよくマッチしている。

 「…瑛里華さんの寄りたかった場所って…ここですか?」

 予想外の目的地に春一はきょとんとした顔で尋ねた。

 「えぇ。任務も無事終わった事ですし、最後はゆっくり汗を流すとしましょう」

 「おぉ!いいですな姫様!拙者も今回も少々疲れたでござるよ」

 「佐井蔵さん、傷は大丈夫なんですか?」

 「うむ。先ほど警邏隊と一緒に参った救護班に処置をしてもらったでござるよ。それに春一殿、この銭湯の湯は治癒効果抜群の温泉でごさるぞ?」

 「…そうですか…」

 「さ、さ、お二人とも入りましょう」

 はしゃぎ気味の瑛里華に背中を押され、春一は銭湯へと入った。



 檜枠の湯船から春一と佐井蔵二人の体の体積分だけ乳白色の湯が溢れ出る。

 「…ふぅ」

 少し熱めの湯に肩まで使った春一は、今回の任務が終わった事をしみじみと実感し、吐息を漏らした。

 「極楽でござるな~」

 4つに折りたたんだタオルを頭に乗せた佐井蔵が、春一の横で声を出す。

 「春一さん、湯加減はどうですか?」

 木板で区切られた隣りの女湯から瑛里華の声が聞こえてきた。

 「あ、はい!良い感じです!」

 春一はほんのり頬を赤らめて答える。

 「今日の夢の終わりまで残りわずかですが、それまではゆっくり疲れを癒やして下さいねー」

 「はーい」


 「しかし、今回はご苦労でござったな。春一殿」

 少し間をあけてから、佐井蔵は労いの言葉をかけた。

 「いや、俺は特に何もしてないですよ。結局瑛里華さんと佐井蔵さんだけでも上手くいったみたいですし」

 春一は謙遜したが、佐井蔵には首を横に振られた。

 「そんな事はござらん。春一殿の援護があったからこそ、姫様も思惑通り事が進められたというもの。十分な活躍であった。拙者からも例を言うでござるよ」

 「そう、ですか…ありがとうございます」

 春一は、湯面に映った自分を見つめながら気恥ずかしそうに礼を言った。Dreedamドリーダムに来てからというもの、オブリビオンの任務関係で感謝をされる機会というのも多くなった。しかし、今までの人生でそういった経験があまり無かったせいか、春一は毎回、対応に困っている。ただ、礼を言われるたびに現実世界では味わえない充実感を覚えるのも確かだった。

 「ところで、春一殿は何故オブリビオンに?」

 湯煙でほんのり視界が悪くなる中、佐井蔵が尋ねる。

 春一はゆげが立ち昇っていく天井を見上げ、過去を思い出しながら答えた。

 「それは…成り行きって言うか……Dreedamドリーダムに初めて来たときにユメクイの大群に襲われたんです。その時に助けてもらったのがオブリビオンのメンバーで…そのまま保護されて…気づいたら一員になってました」

 「そうでござったか…ユメクイの大群に…それは難儀であったな」

 「はい、まぁ…大変でした。佐井蔵さんが華扇会に入ったきっかけは何だったんですか?」

 尋ねられた佐井蔵は無精ひげの生える顎に手を持っていき、目線を斜め上に向けた。

 「うーむ。拙者も成り行きと言えば成り行きなのでござるが…。拙者、この口調の為、初めは日本エリアでも白い目で見られていたのでござるよ。その時に声をかけて下さったのが姫様で、まだイマジンも発動できない拙者を家臣として引き入れてくれたのでござる。それからはずっと花扇会に身を置いているのでござるよ。何より、姫様の『志』に賛同できる故、拙者も忠義を誓えるというのが、華扇会に居続ける理由でござるな」

 「…瑛里華さんの『志』…」

 「うむ。春一殿もあのレイヴンという男の『志』、つまりオブリビオンの理念や存在理由に同意しているからこそ。日々、任務に励んでいるのござろう?」

 佐井蔵の問いに春一は二つ返事が出来なかった。風呂の淵に頬杖をつき、探り探りの言葉で本音を語り出す。

 「俺は…あんまり自分の意思とかない方ですから……。でも、オブリビオンの人たちは皆、それがあるんです…レイヴンにしても、ほかのメンバーにしても、しっかり自分の目的や目標を持って動いてる……だから、俺はあの人たちと一緒にいるんだと思います」

 それ聞いた佐井蔵は、にっと歯を除かせ微笑んだ。

 「自分の力の近い道を示してくれる者に着いていくのも、悪くないでござるよ」

 「そうですか…」

 春一は口元を緩ませた。



 それから、数分が経過した。

 春一がそろそろ湯を上がろうと思ったその時だった。

 「キャー!」

 突如、隣の女湯から瑛里華の危機とした叫び声が聞こえてきた。

 「姫様!!!」

 慌てて立ち上がる佐井蔵。そして、そのまま男湯を飛び出すと、瑛里華の元へ一目散にかけていった。

 「…!!キャー!」

 もう一度あがる瑛里華の悲鳴。

 「姫様、あ!いや、これは…その…」


 - バチバチバチ…


 「ギャァァァァアアァー!!!」

 次に聞こえてきたのは電撃の音と、侍の野太い悲鳴だった。


 しばらくして、ボロボロになった佐井蔵が春一の元へ戻って来た。

 「何だったん…ですか?」

 「…桶からなめくじが出てきただけだったござる」

 柄にもなく佐井蔵は半べそで答えた。落ち込んだ様子で、また湯につかる彼を春一はただただ苦笑いで眺める事しかできなかった。

 


 その後、三人が銭湯を後にし、華扇城に戻ったところでその日の夢は終わった。



 夢の中での翌日、まだ日が昇ったばかりの朝のうちに、エリザと祐樹が春一を迎えに城にやってきた。春一を見送るため、瑛里華と佐井蔵は城の正門まで付き添い、二人と対面する。

 「それでは、春一君を引き取ります」

 着物姿のエリザが、瑛里華に向かって言った。隣の祐樹は必至に瑛里華と視線を合わさないようにそっぽを向いていた。

 「あら、レイヴンは来ていなのですね?」

 瑛里華は首を傾げる。

 「はい。別の案件で出払っており、こちらには来れませんでした。」

 エリザはやや緊張した面持ちで答えた。瑛里華の気を立てないように、神経をとがらせているのだろう。

 「…残念ですわ。直接お礼を言いたいと思ってましたのに…」

 「と、いうと…春一君はお役に立てたということですか?」

 「はい。もちろん。感謝していますわ」

 「では、レイヴンの方にもその旨を伝えておきます。ところで、今回の件の収穫は…」

 そう切り出された瑛里華は少しだけ表情を険しくした。

 「収穫ですか……詳細は報告書にまとめてお送りしますので、ここでは重要事項だけお伝えします。昨日の取り調べで判明したのですが、賭博場を牛耳っていたサカザキという男、彼はレギオンの一員でした。身元も実は日本人ではなく中国人。ただ、彼は賭博場に入ってきた有益な情報をレギオンに流すだけの役割だったようで、組織の内情や構成については一切知らないと話しています。情報を流していたルートに関しては、さらに追及をかけてみるつもりではいますが……まぁ、望み薄でしょう」

 瑛里華は、賭博所での一件が、すでにオブリビオンに知られているという体で話をした。その読みは正しかったらしく、エリザは全てを聞き終えると、

 「そうですか」と一言だけ返した。


 「さ、春一君行きましょう」

 エリザに言われた春一は、瑛里華と佐井蔵の前に立ち、ぺこっとおじぎをした。

 「お世話になりました」

 挨拶をした春一に対し、瑛里華は優しく微笑んで返す。

 「いえいえ、こちらこそ。春一さんがいて下さって心強かったですし、何より楽しかったですよ。また、いつでもいらしてください」

 「達者でな、春一殿!」

 佐井蔵は侍姿にも関わらず、欧米風に親指を立てる。

 春一は口元を緩めると、もう一度お辞儀をしてその場を立ち去ろうとする。

 「……あ!」

 だが、途中で何かを思い出したらしく、瑛里華の元へ帰って来た。

 「どうしました?」

 瑛里華が尋ねる。春一は周りには聞こえないように声を小さくした。

 「あの…天守閣で瑛里華さんが俺に言いかけてた事ってなんだったんですか?急にお見出しちゃって…」

 「あぁ、それはですね………春一さんが誰かに似ている気がしたのですが…」

 瑛里華はそこで首をかしげてしまい、

 「わすれてしまいましたわ」

 そう言ってにっこりと笑った。

 「は、はぁ…そうですか」

 春一は若干腑に落ちないところもあったが、無理に聞くのもどうかと思い、そのまま二人の元を去った。



 

 「しかし、大変だったでしょう?華扇会での任務は」

 城を離れ、少し経ったところでエリザが春一に聞いた。

 「俺んときもやばかったからなぁ。あの瑛里華って姉ちゃん、怒るとめちゃくちゃ怖いし」

 祐樹が口を割って入る。自分が派遣に行った時の事を思い出しているらしく、その顔は青ざめていた。

 「え?あ、いや…別にそうでもなかったよ。むしろ楽しかったぐらい。瑛里華さんと佐井蔵さん、二人ともいい人だったし…」

 春一から帰ってきたのは全く予想外の反応。エリザと祐樹は目をまん丸く開けて顔を合わした。

 そうこうしているうちに三人は、日本エリアの出入り口となる大扉へ伸びた桟橋にたどり着いた。

 これで、このエリアの任務も終わりか…。赤い桟橋を渡る最中、春一は奥にそびえる華扇城の方を振り向き、名残惜しさを感じながら、19世紀界・日本エリアを後にした。




 

 華扇城、天守閣の縁側。

 瑛里華と佐井蔵は、遠くに見える大扉を眺めながら、「今頃は春一があの扉をぬけているだろう」などと思いを寄せていた。

 「ふふ。レイヴンもなかなかおもしろい人材を見つけてくるものですね」

 瑛里華が何やら嬉しそうに目を細める。

 「春一殿の事でござるか?確かに、まっすぐな心を持った青年でござりましたな」

 「…そういう事ではなくて、ですわ」

 「?」

 瑛里華は意味深な口ぶりを取り、虚空を見上げる。

 その瞳には、日本エリアの頭上を包む絵巻の空が広がっていた。


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