第十九話 裏丁半
「皆さん、通常の丁半のルールはお知りでして?」
胴元のサカザキが尋ねた。
「えぇ」と、瑛里華は答え、春一に視線を送る。
春一も頷いたが、その動作がぎこちなかったせいか、サカザキは説明をした。
「一応、言っておきますと、丁半というのは、壺の中の二つのサイコロの和が、半(偶数)か丁(奇数)かを当てる賭博でございます。当たれば、掛け金と同額が配当として支払われ、外せば掛け金が没収されます」
それから、にぃっとまた嫌味な笑みを浮かべ、今度は裏丁半について話し出す。
「しかし、裏丁半は少々ルールが異なります。通常の丁半は、親一人に対して、何人かの子で賭けを行うのですが、裏丁半の場合は一対一。そして、何より異なるのが…」
そう前置きをして、二階席から下の天面を指さした。
- 天面上 -
盆ござの上では、今。まさに賭けが始まろうとしていた。
「では、倍率を決めます」
出方が宣言をする。
サングラスの壺振りは、壺と二つのサイコロを持つと「入ります」と、ドスの聞いた声で告げた。そして、素早くサイコロを壺に投げ入れ、盆ギレの上にかぶせた。筋肉隆々の腕から繰り出されるその動作は、まる猛獣のように俊敏で、実に迫力がある。
「掛け金を」
出方が募る。
挑戦者の冴えない顔をした中年男は、震える手で籠の中から札を10枚取り出して、盆ギレの上に置いた。
「100万でよろしいですかな?」
出方が尋ねると、男はゆっくりと頷いた。
― 挑戦者の所持金:残り900万
「では、倍率を」
出方の支持で、壺振りが壺をサッと上げる。
出た目は、
「二」 「三」
「倍率は5倍に決まりました」
出方が宣言をした。
- 二階席 -
「あのように、まず初めに二つのサイコロを振って倍率を決めるのですよ」
天面上の進行と合わせ、サカザキは、説明を続けた。
「掛け金はサイコロが壺に隠されたまま、まだ倍率がわからない状態で宣言いたします。そして、倍率が公開された後は、通常の丁半と同じように賭博が進みます」
- 天面上 -
「はい、壺」
出方が言うと、壺振りは再び壺とサイコロを手に持ち、挑戦者の男によく見せた。そして、また「入ります」と告げると、壺にサイコロを振り入れて盆ギレに被せる。
「半方ないか、ないか。丁片ないか、ないか」
出方が昔ながら言い回しで、「丁」か、「半」かを挑戦者に問う。
中年男は少し考えた後、震える声で、
「……ちょ、丁」と答えた。
「出そろいました………勝負!」
出方の合図で壺振りが壺を開ける。
出目は、
「三」 「四」 の丁!
「や、やった!!」
中年男は、両手を握りしめ歓喜の声を上げた。すぐに、天面の周りから数人の従業員が駆けつけ、男の前に配当の札束を置いていった。
- 配当:100万×5+100万=600万
挑戦者の所持金:900万+100万(掛け金)+600万 = 1600万
- 二階席 -
「勝った場合には、掛け金に倍率かけた額に加え、ボーナスとしてさらに掛け金分を加算した額が配当として支払われます」
サカザキは、挑戦者が勝ったというのに、対して気にしていないような口ぶりだった。
「では、負けた場合には…?」
瑛里華が静かに尋ねる。
「その場合は、掛け金に倍率をかけた額を頂きます。ただし、掛け金の時点で支払った分は差し引いてですが…。下のあの男が、今の勝負で負けていた場合、支払額が500万となるので、さらに400万を頂戴する事になっていました」
「そうしますと…」と、瑛里華は切り出す。「100万の掛け金に五倍の倍率の場合、勝った場合は、600万貰え、負けは場合には500万を支払う。丁半の勝率は二分の一ですので、いささか挑戦者の方が有利ということになりますね」
「えぇ、その通りですとも」
「しかし、気になるのは、賭け金に倍率をかけた額が所持金を超えた場合です」
瑛里華が指摘すると、サカザキは流し目で視線をはずし、
「その場合は…足りない額を埋める情報を提示して頂くか…もしくは、それなりの方法で払って頂くしかありませんね」
白々しくそう答えた。
- 天面上 -
賭け場では次の賭けが進行していた。
今度の倍率は「二」と「一」の三倍。挑戦者の男は、ここで、また100万をかける。
― 挑戦者の所持金:残り1500万
「入ります」
「半方ないか、ないか。丁片ないか、ないか」
「…半!」
「出そろいました…勝負!」
先ほどと同じやり取りの後、壺が開けられた。
出目は
「6」 「3」 の 丁!
「…くそぉ!」
今度は中年男の負けだ。
― 挑戦者の所持金:1200万
だが、ここから挑戦者の男は三連勝する。
― 1回目 ―
賭け額:100万
倍率:10倍
結果:「半」で勝ち
所持金:2300万
― 2回目 ―
賭け額:300万
倍率:6倍
結果:「丁」で勝ち
所持金:4200万
― 3回目 ―
賭け額:400万
倍率:7倍
結果:「丁」で勝ち
所持金:7100万
「来てる…来てるぞ…運が俺に来てる…」
挑戦者の男はまさに有頂天だった。息遣いが荒く、目は見開き、興奮を隠せない様子だ。
- 二階席 -
「凄い…もう7000万まで跳ね上がった」
二階席から挑戦者を見下ろす春一は呟いた。始まってまだ、十分ほどしか経っていないというのに
この冴えない男はすでに6000万の勝ちを出している。
だが、隣の佐井蔵は目を細め、渋い顔をしていた。
「…確かにツキが来ているようには見えるでござるが…あの賭け方では長くは続くまい」
「え?どういう事ですか?」
「見ていればわかるでござるよ」
佐井蔵は何かに感づいているようだった。
- 天面上 -
「掛け金を」
出方が伺う。
挑戦者の中年男は、粗ぶった呼吸を落ち着かせると、金札板が山盛りに詰まった籠を一つ丸々、盆切れの上に置いた。賭け額は1000万。今までと比べると大きな額だが、7000万という額から出すには妥当だと考えた結果だ。
「では、倍率を…」
出方の指示で、壺振りが壺を上げる。
出目は
「四」 「四」
出方は声を張り上げる。
「倍率は八倍に決まりました。」
「!!」
中年男は一気に血の気が引いた。この倍率では負けた時に1000万近い負債を出してしまう。しかし、冷静になったとしてもまだ、自身の火は消えない。現在までに三連勝、負ける気はさらさらしないのだ。
「大丈夫だ。俺はついてる…ついてる」
ぶつぶつ言う男をよそに出方は進行を図る。
「はい、壺」
壺振りは今までと同じ、素早い動きで壺にサイコロを放り込んで、盆切れの上にかぶせた。
「半方ないか、ないか。丁片ないか、ないか」
「半!」
挑戦者の男は、今までにない大きな声で、「半」に張った。迷いもない、直感で当たる気がして仕方ないのだ。
天面に緊張が走る。
「勝負!」
壺振りが壺を開ける。
挑戦者の男にはその時間が、ゆっくりとしているように感じられた。しわの寄った白い盆切れにかぶされた壺がゆっくりと動いて行き、一つ目の出目が露わになる。
「三」
そして、もう一つは…
「二」
「………え」
さっきまで、夢見心地だった中年の男は、一瞬で現実に戻される。
「二、三の「丁」!。倍率が八倍なので8000万の支払いでございます」
出方は冷酷な結果を伝えた。
「そ、そんな…!?嘘だろ?さっきまで6000万勝ってたんだ…急に負けるわけなんてない。おかしい。おかしい。おかしい。イカサマだ!!イカサマ!!見破り人!!!」
男は急に喚き出し、後ろにいた見破り人の女を問い詰めた。
「ひっ…いえ、イカサマはありませんでした」
男の取り乱しように怯えた若い女は、震える声で答える。
「そ、そんな…そんなわけ」
瞬く間に生気が消え、青ざめていく男、それに追い打ちをかけるように出方が尋ねる。
「お客様。お客様の今の札板からでは、お支払いにあと900万足りません。即刻、それに見合う情報を提供して頂けますか?それとも…」
挑戦者の男の周りを、いつの間にか十名ほど従業員が取り囲んでいた。従業員といっても強面で体格のいい男衆、ヤクザと言った方が正しいかもしれない。
「じょ、情報なんて…」
中年男がしどろもどろに口を動かす。力の抜け切ったその姿はまさに抜け殻だった。
「情報がないなら仕方ありませんね」
出方が感情無く言い終えると、男衆は挑戦者の肩をつかんだ。
「ま、待ってくれ!もう一回だけやらせてくれ!せめて、100、100でいいから…!」
男は必死にせがんだが、その聞き入れは通ることなかった。男衆に抱えられ、奥へと連れて行かれる。
「頼む、やらせてくれ。勝てるんだ!次は勝てるんだー!」
その姿が完全に見えなくなるまで、その悲痛な叫びは賭け場に響き渡っった。
- 二階席 -
「さて、裏丁半のルールについてはお分かり頂けましたか?」
サカザキが、不敵な笑みを浮かべ尋ねた。
「えぇ」
瑛里華はにこっと微笑み返す。
「つまり、この裏丁半。配当的にこちらが若干有利ではあるものの。大きく儲けるには、破産というリスクを背負わなければならない…そういう賭博だと考えてよろしいのでしょうか?」
「えぇ、えぇ。まさしくその通り、流石はお客様。して、どうなされますか?中には、そのリスクを恐れ、挑戦なさらないお客様もいるのですが…」
「もちろん、挑戦しますわ」
瑛里華は二つ返事で答えた。
「くくく、お客様ならそう言うと思っていましたよ。では、私は次の賭けの準備をして参ります。整い次第、呼びに参りますので、ここでお待ちください」
にやけ顔のサカザキはそう告げると階段を下って行った。
二階席に三人以外誰もいなくなると、佐井蔵が真っ先に瑛里華の元へかけ寄って来た。
「姫様、今の一勝負…」
他には聞こえないよう声を潜めて切り出す。
「はい、…おそらく、イカサマですわ」
瑛里華は、天面から視線を離さず言った。
二人の間にいた春一は、
「イカサマ!?…って事は、まさかあの見破り人の女のひとは…」と、口をはさむ。
「いいえ、彼女はおそらく賭博場側の人間ではありませんわ。それに、先ほどの勝負、イマジンやイメージを使った発動した痕跡もありませんでした。ですが…イカサマが行われたのは確かです」
「じゃあ、一体、どうやって…」
「壺振りでござるよ」
佐井蔵が教えた。どうやら、彼は持ち前の動体視力でイカサマに気づいたらしい。
「ただ、問題はそのタイミングでござる。はっきりとは分からないが、あの壺振り、イカサマらしき動きをしたのは最後の一勝負だけだったでござる」
これについて瑛里華はすぐに見解を返した。
「見破られる危険性を考慮して、イカサマの回数は最小にしているんでしょう。ここに来る者は、たいていが手だれの勝負師。目も肥えている事でしょうからね。…にしても、困りましたね、イマジンが使われていない以上、イカサマを暴くにはタイミングを見極めなければ」
瑛里華は、難解そうに目を薄める。
「ちょっと待って下さい」
春一が割って入った。
「もういいんじゃないですか?裏丁半があるっていう事実は証明できたことですし…わざわざ、イカサマを暴かなくったって…」
珍しく、自分の意見を口にした。元々、事なかれ主義の春一が任務、ましてやほかの組織の作戦に口を出すのは相当珍しい。
だが、瑛里華には首を振られてしまう。
「確かに…裏丁半があったとなれば、華扇会の幹部は取締りに文句を言うことはないでしょう。しかし、この段階では、単に「極秘で高額の掛け金を扱う賭博を行っていた」だけ。もしかすれば、そのことだけの罪を認め、レギオンの情報に関しては隠し通されてしまうかもしれません。ただ、その裏賭博でイカサマを行い、参加者を貶めるような真似をしていたらとなれば、話は別です。厳しい言及と捜査が可能となりますから、確実にレギオンの情報を探ることが出来ます。私達の目的は最初からレギオンだったはずですよ?」
冷静且つ適格な意見に春一はぐうの根も出なかった。
「はい…すいません」
オブリビオンではあるものの、実際はまだ中身が高校生である春一は、瑛里華に簡単に言いくるめられるのは当然だろう。流石は巨大組織のトップ、大勢の上に立つ人格を持ち合わせている。
余計な事を言った…。と、落ち込む春一を見て、瑛里華は、優しい言葉をかけた。
「いえいえ、春一さんの言いたい事もわかりますよ。確かにこの先、危険が付きまとう予感がしています」
「しかし、どうするのでござるか?姫様。拙者とて目だけでは、完璧にイカサマが行われたかは判断しきれないでござる」
「そうですね…」
瑛里華は困ったという表情で少し、視線を上げると、
「仕方がありません。賭けには春一さんに行ってもらいましょう。私はその間、あのサカザキという胴元に探りを入れてみますわ」と、口にした。
「えぇ!?俺がですか?」
「心配なさらなくても、見破り人として佐井蔵をすぐ後ろにつけるので大丈夫ですわ。賭け方については、私の支持通りに行って頂ければいいですし」
「ま、まぁ。それなら、いいですけど…」
一応の了承をする春一。それを確認した瑛里華は次に佐井蔵の説得にかかる。
「そういう事ですので、佐井蔵は春一さんに付いて下さい。私は一人になってしまいますが、この状況ではいたしかないでしょう」
佐井蔵が渋々、首を縦に振った時、ちょうどサカザキが戻って来た。
「お客様。準備が整いましたよ」
「はい。では、春一さん…」
瑛里華は春一の耳元で、「かけ方」について指示を出す。状況が呑み込めていないサカザキは、くいっと片方の眉をあげてその様子をいぶかしげに眺めていた。それから、春一と佐井蔵が瑛里華を残し、下へと降りて行くのを見ると少し驚いた顔を見せた。てっきり、彼女が賭けをするものと思っていたらしい。
下に降りた春一は、異様な静寂が漂う天面に上がり、壺振りの待つ盆ござに座った。
壺振りはサングラス越しに春一を映す。薄い色のサングラス越しには獲物を狙う鷹のような男の目が見えた。
「そちらさんが来られるとは、少々意外でしたぜ」
男は、レイヴンに負けないくらいに低く、そしてドスの聞いた声で言う。
「何か不満でもござるか?」
佐井蔵が、にらみつけ返した。服装はお祭り男だが、その顔は険しく、戦を前にした侍に変わっている。
「いいえ、別に」
お互い相手にただならぬ雰囲気を感じたのか、二人はにらみ合ったままになった。一触即発の雰囲気に、春一があたふしていると、出方がゲーム開始の宣言を行い。ここは、事なきを得た。
「では、倍率を」
我に返った壺ふりは、一度目をつぶって気を取り直すと。壺と二つのサイコロを手にした。
「入ります」
壺にサイコロが振り込まれ、その勢いを殺さぬまま、盆布に被せられる。まじまじとその動作を目にした春一は思わずたじろいだ。さすがに近距離から見ると迫力があり、佐井蔵が「できる」と言ったのも納得できる。
「掛け金を」
出方が催促をする。
春一は、恐る恐る持ち寄った籠の中に入った金の札板を五枚取出し、盆キレの上に置いた。
- 春一達の所持金:950万
50万。最初とは言え、少ない賭け額に出方は、再度確認する。
「掛け金は50万でよろしいですか?」
「はい」
春一が答えると、壺が開けられた。
倍率は「一」「四」の五倍に決まった。そして、再び壺が降られ、出方が呼びかける。
「半方ないか、ないか。丁片ないか、ないか」
「…半!」
少し悩んでから春一は答えた。
「出そろいました…勝負!」
結果は…
「四」 「六」 の 半!
「よし!」
春一は小さくガッツポーズをすると後ろの佐井蔵の方を向いた。はちまき姿の侍は、黙ったまま頷き、小さな勝利の喜びを分かち合った。
- 春一達の所持金:1300万
続いての勝負、春一はここでまた、50万を賭ける。そして、その後もその後も、春一がぼん切れに提示する額は、勝ち負けによる所持金によって上下はあるものの、全てが50万前後だった。もちろん、いくら勝負しても、動く額は少なく春一達の所持金は500~1500万程度を行ったり来たりが続いた。これには、流石に出方も怪訝な顔をした。しかし、額が小さいからと言って賭博場側が文句を言うのは筋違いというもの。スリルも興奮も無い平坦な勝負が淡々と続いて行く。
数勝負が続いたところで、二階席から天面を見下ろす瑛里華の元へサカザキが近づいて来た。
「なるほど、そういうわけですな」
サカザキはとがった顎下をなでながら、隣の瑛里華に語りかける。
「お嬢さん、あの少年に、常に持ち金の12分の以下を賭けるように言いましたな?倍率の最高は12倍、それ以下の額を張り続ければ、破産する事はない。大きく勝つことは出来ないが、負ける事なく、無限に続けられる。この賭博の性質上、勝率は五分で、勝ちの配当の方が高い為、続ければ続けるほどお客様の方が有利になる」
「…さて、なんの事でしょう?」
瑛里華は自分より少々背の低いサカザキの方を向くと、にっこり笑ってそうとぼけた。これにはサカザキも、やれやれと言った様子で肩を上げる。
下の天面ではまた春一が数枚の札を籠から取り出していた。出方は膝の上に置いた指をしきりに動かし、イライラを募らせているのが分かる。一方、壺振りは、微動だにせず、毎回同じ動作を繰り返していた。
「しかし、ねぇ。お嬢さん」
サカザキは、目の下をふくらませ、瑛里華に詰め寄った。
「このまま、小さく勝ち続けたって意味がないでしょう?それなら、上の賭博場でも事足りる事ですし……それになにより、勝負師の品格とやらはないのですかな?」
狐のような細い目がわずかに空き、濁った瞳がぎょろっと瑛里華を捕らえた。
しばらくの沈黙。
「…別に、ちまちまと稼ごうとしているわけではありませんわ」
瑛里華は静かに、そして意味深に言った。それから、二階席の木製の手すりから身を乗り出すと、
「頃合いですわ!春一さん!!」
下の春一達に向かって大声を出す。
ちょうど、掛け金を決めている最中だった春一は、大きく頷くと、周りに置いていた金札入りの籠を丸々前に出した。出方が驚き、目を見開くのをよそに、春一はもう二つ、籠を盆切れの上にあげた。
200万入りの籠が三つ、600万。今までより、十倍ほど多い掛け金だ。
「よ、よろしいのですか…?」
「はい!」
出方が尋ねると、春一は力強く返した。その目は自信に満ちており、出方は圧倒されて生唾を飲んだ。
壺が開く、倍率は「二」と「五」の七倍。春一達の所持金は現時点で1200万。これで負ければ、破産が決定する。
「…半方ないか、ないか。丁片ないか、ないか」
「丁!」
即座に返す春一、その勢いは先ほどまでとは別人で、まるで水を得た魚のようだった。
「出そろいました…勝負!」
結果は
「三」 「六」 の 丁!
春一達の勝ちだ。だが、春一は喜んだそぶりを見せなかった。まるで、勝ったのが当たり前のように、目の前に運ばれてくる札板が積まれた籠を確認している。
次の勝負も、賭け額は600万、倍率は3倍でまた、春一達が勝つ。
たった二回の連続勝ち。
だが、まるで、狙ったようにそのタイミングで賭け額を跳ね上げた事、そして異様なまでの春一の自信気な態度も相まって、辺りはざわつき始めた。普段、配当の札を運び終えた後は裏に戻る男衆たちも、その場に残り、天面の様子を伺っている。出方も気が動転した様子で、その場で冷静を保っているのは壺振りと、向かいに座るお祭り男だけだ。
これには、サカザキも焦ったようで、
「一体…どういう事ですかな?」
首を傾げ尋ねた。
瑛里華は、天面を見つめたまま、
「一連の勝負の中で私は見計らっていたのです。倍率や勝ち負けの波、丁半の頻度、こちらのツキから、大きく張って必ず勝てるタイミングを…」
そう言うと、また下の春一に向かって大声で伝える。
「春一さん!次は全額ですわ!!」
これには、賭博場側の全員が反応した。春一達の所持金はすでに8400万。倍率がどうであれ、勝てば相当な額に達する。
すでに、倍率を決めるサイコロは振られていた。ざわめき立つ賭博場の男衆をよそに、春一と佐井蔵はすべての籠を盆キレに乗せた。札数は840枚。中央のスペースを残し、茣蓙を埋め尽くすその札板の数はまさに圧巻であった。
「ば、倍率は…」
出方が、緊張で増える口を動かした。
壺振りが壺をどける。
出ている目は…
「六」
「六」のぞろ目。
「12倍だぁぁああああ!!」
男衆の一人が叫んだ。ざわめきがさらに大きくなる。
二階席の瑛里華は、手すりに軽く両手を置いたまま、
「例えいかなる状況でも、己に流されず、勝負の流れを読み、最善の賭けが出来る…」
それから、隣のサカザキの方を向き、
「それが、品格ある勝負師だとは思いませんか?」と、上品に笑って見せた。
「ま、まだ、勝負は決まってませんぞ」
サカザキは言い返したが、言葉が詰まっていて苦し紛れに聞こえる。
盆ござでは、壺が振られていた。流石にこれだけの額であってなのか、壺は、盆布の下の茣蓙に後をつけんばかりに勢い良く振り下ろされた。
ここで沈黙が流れる。出方があまりの額、それから春一の自信に圧倒され、進行を忘れてしまっていたのだ。
「…丁半をお聞きくだせえ」
壺振りが、口を開いた。出方は我に返ったが、それでもなかなか、言葉が出ず、
「…………半方ないか、ないか。…丁片ないか、ないか」
額に汗滲ませ、なんとか声をひねり出した。
「丁!!」
これまた自信たっぷりに春一が返した。まるで、サイコロの目が完全に見えているかのようだった。
瑛里華はサカザキに、嫌味を含ませ告げた。
「この勝負も、私達が勝ちます。さて、高額用の情報とはいかがなものでしょうかねぇ?」
「出そろいました…………勝負!!!!」
腹をくくった出方の声が、辺りに響き渡り、その場の全員が、壺の中に眠る小さなサイコロに注目した。
つぼ振りが、壺に手を置き、ゆっくりと傾ける。
見えてきたのは
「一」
そして、…もう一つは…………
この時、サカザキは下を向いてにぃっと歯をむき出した。今日一番にいやらしく、満足そうなにやけ顔だっただろう。
だが、瑛里華はそれを見逃さなかった。
「佐井蔵!今です!!」
ここぞというばかりに叫ぶ。
次の瞬間、茣蓙の上の数枚の札が飛び散った。そして、その札が下に落ち、カタカタと音を立てた。
「…なんの、真似ですかい?」
最初に口を開いたのは壺振りだった。その首には、光を反射する刃が突き立てられている。壺は手をかけたまま半開きの状態になっていた。
刀を握っているのは、元の侍姿に戻った佐井蔵だった。瑛里華の合図の直後、壺振りの元まで一気に飛び出し、抜刀したのだ。目にもとまらぬその動作は、周りの男衆はおろか、目の前の春一でさえ何が起こったかわからず、ぽかんと口を開けていた。
「それは、こちらセリフでござる」
鬼の形相の壺振りを睨み、佐井蔵は言い返した。それから、刀を動かさずに壺をちょん、と雪駄の先でこずく。
転げた壺の中からは、サイコロが三つ転がり出た。
「こ、これって…!?」
春一が声を出した。
「やはり、イカサマでしたね」
下の階まで下りてきた瑛里華がそう言った。後ろには罰悪そうな顔のサカザキを連れている。
佐井蔵が、壺振りの首から刀を離し、鞘にしまう。壺振りは無表情に戻っていた。
「しかし、いいところを突いたものですね」
瑛里華はそう始めると茣蓙に上がり続けた。
「イマジンやイメージに注意ばかりに、本来の物理的なイカサマには気付かない。この壺振りの方、現実でも同じように芸当が出来るのでしょう?感知型の能力者では見破れるはずがない。しかも、発覚を防ぐために、ここぞという時にしか使わない徹底用。皆だまされるのも無理はないですわ」
「…その言いよう、最初から気づいてましたな?」
天面の下、少し低いところからサカザキが聞く。
「えぇ。それと、この裏丁半の大体の役割もわかりましたよ。ここは、高額の勝ちを出した客からイカサマを使って、勝ち分を取り返す為の場所のようですね?」
「…その通り。イカサマを見破ったばかりか、この裏丁半の仕組みまでお見通しとは…流石はお客様」
開き直ったのか、サカザキは嫌味な言い方で答えた。
「だが、何より驚きなのはイカサマのタイミングを見破った事です。あなた方との勝負中、イカサマをしたのは最後の数回だけでしたと言うのに…良ければ何故か教えて頂けますかな?」
そう言われた瑛里華は表表とした顔で話し出した。
「この賭博の最大のみそは、賭け額が選べないという事。最初、別の方の挑戦を見させて頂いた時にわかりましたわ。大きく張った時にイカサマで倍率を高くし、負けさせる、それが裏丁半の真の目的であると。初めは慎重になって賭け額が小さくなりますが、そこはわざと相手を勝たせて調子づけるのでしょう?ツキがあると錯覚すれば、思わず賭け額は大きくなってしまうもの。私達の前の方は、まんまとその手に乗って、破産してしまいました」
サカザキがにやりと口元を緩ませた。
「あの3連勝が仕組まれたものとも知らずにね。あの男は大した器じゃないと持ったのであからさまに勝たせました……しかし、それがあだとなるとは思いませんでしたよ……まさか、あの男とのやりとりだけで、そこまで見破られるとは…」
「だてに勝負師をやってはいませんわ。ちなみに、春一さんには「常に元金の12分の1以下でかけ続け、私の合図があったら大口で自信たっぷりに賭けなさい」と伝えて置きました。後は、頃合いを見計らって、合図を送るだけです。じらせば、じらすほど、そちらはボロを出して、タイミングは見破りやすくなりますから」
「なるほど…上でのやり取りや、初めの少額賭けは、イカサマをおびき寄せる為の餌だったといわけですか…それでも、最後の三勝負の賭けは見事なもの。最初の二勝は仕組まれてはいなかった。つまり、あれはお嬢さんが本当に勝ちを見越したという事になる。その力量…いやぁ…実に勿体無いですな」
「…勿体無い?」
「えぇ。だって……あなた方はここで、死ぬのですから」
気が付くと、瑛里華、春一、佐井蔵の周りは男衆に囲まれていた。そして、手に持った鞘から次々に刀を抜き出し始めた。
サカザキは一歩前に出る。
「お話はここまでです。裏丁半の真実を知ってしまった以上、あなた方にはここで消えてもらうしかありません。イカサマだとわかったなら、挑戦しなければいいものを。わざわざ暴くような真似をするからこうなるのです」
十人ほどの刀を構えた男たちに囲まれても、瑛里華は、一切同様せず、
「あらら。時代劇でお約束の展開ですねぇ」
のんきに言い放つと、イメージによって、彼女の身長を優に超す、立派な薙刀を出現させた。
「ほう、やる気ですか?おもしろい」
サカザキが悪魔のような陰険な笑みを浮かべる。
「春一さん、佐井蔵」
瑛里華は二人に目配せをする。春一は、緊張した面持ちで右手を構え、佐井蔵は鞘に手をかけた。
「あぁ、それと…」と、瑛里華は最後にサカザキを見つめ、
「あなたのような低俗な方に、勝負師の品格など、とやかく言われる筋合いはありませんわ」
ここぞとばかりに冷笑した。
「く、かかれぇ!!!」
サカザキの怒号が飛ぶ。
男衆は一斉に三人に切りかかった。