第十七話 潜入捜査
現実世界の朝、春一は目を覚ました。
目覚めたというよりは、目の前の景色が移り変わったという感覚に近い。夢の中で、意識を失ったか
と思うと、次の瞬間には現実に戻ってきていたからだ。
Dreedam内での記憶が現の世界にも引き継がれるのは、やはり春一だけの仕様らしい。この事実を知っている祐樹が、暇な時間を見つけては、同じ事例がないか調べてくれているのが、今だに有力な情報は得られていない。
デジタル式置き時計の電子音のアラームが、春一の六畳の部屋に鳴り響く。Dreedamに覚醒する前までは、携帯のアラームとの重ねがけをしていたが、今では夢の終わりと同時に毎日同じ時間に起きる為、止めてしまった。
体を起こし、窓のカーテンを開ける。柔らかい朝の日差しが部屋の中に差し込む。
いつも通り、気分はすぐれない。夢と現実の世界、両方を休み無しに行き来する事で、春一の精神的疲労は確実に蓄積されていた。最近では少し慣れたものの、やはりこちら世界では、ぼーっとしてしまう事が多い。ちなみに、Dreedam内ではこの疲労は感じないのだが、その理由に関してもわからない。
「ハルー。おはよう!ご飯出来てるわよー」
部屋の外から叔母の声がした。
リビングへ出て、叔母と一緒に朝食をすませた春一は、登校の為、家を出た。
マンションから少し行ったところの大通りを横断し、閑静な住宅街を五分ほど歩くと、祐樹の家の前に着く。最近は、ちょうど春一が通りかかる頃に祐樹も家から出てくる。今回もそうだった。春一が門の脇についたチャイムに指を伸ばしたその時、奥のドアが勢いよく開いた。祐樹は慌てて出てきた様子で学ランが羽織かけたままになっている。
「悪りぃ、春一。ま…」
「こらー!祐樹!!あんた、また部屋の中ペットボトルだらけにして!」
祐樹の声を家の中から響いきた女性の声がかき消した。春一もよく聞いた事のある怒鳴り声、彼の母親だ。
祐樹は、まずいと歯を出して、家の方を振り向くと
「わーかったよ!帰って来たらちゃんと片付けるから、そんなキーキー言うとまたシワ増えるぞ、ババア!」
母親に負けない大声で返す。
「!!誰がバ…
- バタン!
母親のさらなる怒号が飛んで来る前に祐樹はドアを閉めた。
「さぁ、行こうぜ。春一!」
してやったりという顔をしながら祐樹は春一の元まで走ってくる。
「よかったの?あんな事言って」
「うーん、多分…!」
「あぁ、そう」
春一のあきれ顔の後、二人は高校へ向かって歩き出した。
二人の行く通学路には、他にも何人かの高校生の姿があった。少し前までは、白ワイシャツの学生もちらほらと見受けられたが、今では全員が衣替えを完了している。校門に差し掛かかって、大勢の生徒が学ランやカーディガンいった服装で登校する光景は、冬の訪れを物語っていた。
- ちょんちょん。
五時限目の授業の最中、頬杖をついて窓の外をながめている春一の肩を裕樹が指でつついた。すでに本格的な受験シーズンに突入しているせいか、教室には妙な緊張感が漂っている。中には受験勉強の為に学校を休みだす生徒も出てきているくらいだ。
(おい、春一!ぼけっとしてると、篠崎にどやされるぞ)
裕樹は声を潜めて警告すると、教壇で板書を数学教師の様子を伺った。まだ、振り向く気配はない。
(大丈夫だよ。先生からこの位置、見えないし)
春一は、そう答えるとまた外を眺め出した。朝の授業からずっとこの調子だ。Dreedamに覚醒してからのここ数か月間、日中は特に上の空がひどく、授業に身が入らないでいる。
(…そうか?にしても、おまえ…ここんとこずっとそんな感じだろ?どうしちまったんだよ?)
裕樹が心底そうな様子で尋ねた。現実世界の祐樹は、夢の記憶が無い為、近頃の春一の様子が本気で心配になってきたようだ。
「こら、西条!何をさっきから、ごそごそ言ってる!」
春一が答える前に数学教師が祐樹を一括した。
「はーい。すいませーん」
適当に謝り終えた祐樹が苦虫をつぶしたような顔で春一の方を向く
(…なんで、俺だけ…!?)
その顔を見た春一はくすっと口元を緩めた。
(ん?なんだ、これ?)
裕樹は春一の机に何かを発見した。今度は教師に聞かれまいと、さらに潜めた声で聞く。
(え?…あぁ、これは…)
裕樹が見つけたのは、ノートの片隅に書かれた扇の絵の落書きだった。扇の中央には、小さな花びらが集まって出来た華が描かれている。城の正門で見た華扇会のマークだ。
(…ひみつ)
春一はそう一言返すと、再び窓の方に向き直った。
授業が終わり、帰宅時間になると、春一と祐樹はいつものようにファーストフード店に向かった。このところ、学校終わりにここに寄って携帯ゲーム機で遊ぶのが日課となっている。
「あ、ずりぃ春一!また回復かよ!毒とか回復とか、ちまちまと~」
「祐樹のパーティーが攻撃型しかいないだけでしょ?」
ゲーム機を強く握りしめ、歯を向きだす裕樹を春一がいなす。
こうして二人で遊んだり会話をしていると、春一は毎度毎度の事ながら、現実世界の祐樹とDreedamの中の彼とのギャップに違和感を覚える。性格は変わらないものの、夢の中の祐樹は現実より知性があり、どちらかといえば春一の方が色々と教わる機会が多い。春一がアルケマスターという特殊な力に目覚めた事で、二人の差はある程度縮まったものの、やはりまだ、Dreedamでは祐樹の方がうまくやっていけているように思える。
いつも二人は夕食前には別れて家に帰る。二人とも毎日外食が出来るほど財布が潤ってはないからだ。
家路に着いた春一は、叔母と共に夕食を取った。ダイニングのテーブルでテレビを見たり雑談をしながら食べる夕食は、昨日の夢の食事会と比べれば陳腐に見えてしまうかもしれないが、春一は別段気にしなかった。
(…これはこれで、やっぱり落ち着くな)
食べなられた叔母の手料理を口に運びながら春一は心の中でそっと呟いた。
食事の後は、学校の課題をしたり、テレビなどを見て過ごす。その後に入浴、歯磨きをして布団にもぐりこんで一日が終わる。
ここまでが、現実世界での春一の1日。祝日や、高校の行事などには変わる事はあるものの、大体はこのような生活が毎日続いている。
そして、これから始まるのが夢の世界での春一の1日だ。
ベットに潜り込み、掛け布団を体に被せると春一はすぐに睡魔に襲われた。そのまま一分もしないうちに深い眠りに入る。
最初に行く場所は決まっている。ドリーダムの前に必ずみるあの夢の中だ。
- バシャーン!
体が水面にぶつかり、水しぶきの飛び散る音がその空間に木霊する。
皮膚が水の感触を感じると同時に凍り付くような冷たさが全身を包む。
心臓が鷲掴みされたように潰され、凍り付いた体は指先一本も動かせなくなる。
ここまでは一瞬の出来事。その際、視界に映るのは着水の衝撃で生まれた泡ぶくだけ。
ぼんやりとする意識の中、あとはゆっくりと時間が流れる。
遠ざかっていく水面、消えていく光。
何故か虚しさだけが、心に広がっていく。
理由はわからない。
現実で感じた事のない、悲しさや寂しさの入り混じった絶望に思考する力が奪われてしまう。
そしてまた、意識が途絶えた。
再び目覚めた春一は、いつもとは違う感触で、自分が布団の中にいる事を思い出した。しかも、その感触は、水びたしの掛け布団と敷布団に体を挟み込まれる気持ち悪いものだった。
…しまった!春一は、自分が夢の始まりに水浸しになるのを忘れて、布団に入ってしまった事を後悔した。瑛里華の高級であろう布団を色が変わるほどにずぶ濡れにしてしまったからだ。
「あら、春一さん。おはようございます」
仰向けの春一の視界に、瑛里華が覗き込んできた。彼女の頭は、すでに綺麗な日本髪に結われており、着物も寝具用から、藍染めの美しい着物に変わっていた。
「…あ!瑛里華さん!?…いや、これは…あの……すいません」
どうしようもない春一は、濡れて重くなった掛け布団で顔を隠して謝った。
瑛里華は怒ることなく、笑顔で応対する。
「大丈夫ですよ。春一さんがこうなる事は、あらかじめレイヴンから伺っておりますから」
「そう、なんですか…でも一応」
春一は申し訳なさそうな顔で布団から出ると、まずはイメージによって自分の体を乾かした。それから、濡れてしまった布団一式に右の手のひらを向け、イマジンを発動した。布団にしみ込んだ水分が染み出て切て、春一の手の前に集まっていく。たちまち、布団は、からからに乾き切り、春一の前にはバスケットボール三つ分ほどの水球体が出来上がった。
「凄いですわ。そんな事まで出来るのですね!」
瑛里華が手をたたいて褒める。
「まぁ。水を操る能力ですから」
春一は苦笑いで返すと、水球体を縁側の外に飛ばした。水球体は城郭から少し離れたところの上空で破裂し、細かい水滴になって飛び散っていった。
後ろでは、佐井蔵がせっせと布団一式を片付けていた。
とりあえずは、布団を濡らした事が騒動にならなかった事に春一はほっとした。
Dreedamに来て数か月が経つが、今だに春一のこの水浸し現象は続いていた。最近は、初めの頃のように肺にたまった水を吐き出す事はなくなったものの、この現象自体が収まる兆しは見られない。
「さっそくですが、今から任務についての説明をさせて頂いてもよろしいですか?」
瑛里華が切り出す。
「あ、はい…!」
春一は、しゃきっと背筋を伸ばして返事をした。
「では、佐井蔵、見張りを…」
「はっ!」
瑛里華に命じられた佐井蔵は、天守閣の廊下へ通じる金屏風に耳を押し当て、外の様子を伺い始めた。
疑問に思った春一が理由を聞こうとすると、
「事情がありますので」と瑛里華は先に念を押した。それから、その白魚のような手で縁側へと出るように促す。
何やら事情があると分かった春一は、こくりと頷くと縁側へと出ていった。
城の外、日本エリアの頭上には風情のある朝焼けの空が広がっていた。何より他と異なるのが、このエリアの空が絵巻に描かれるような絵画である事だ。朝日に染まる空は、銀と硫黄から発色された赤のグラデーションで描かれ、墨で縁取られた雲が辺りを漂っている。昔話の中から飛び出して来たようなこの絵の空は、江戸の町並みに良く合い、独創的な和の雰囲気をより引き立たせていた。
Dreedamの大地では、朝昼晩の間隔がまちまちになっており、夢に入った時すでに日が登りきっている事もざらにある。この日本界がそうであるかは不明だが、ユニバースの内のほとんどの世界観層が上壁の空を外界とリンクさせている事が多い為、このように朝焼けというものが見えるのは珍しい。特に、Dreedamの前に別の夢を見ているせいで覚醒が人よりも遅い春一にとってはなおさらだ。
「春一さん。あちらをご覧になって下さい」
瑛里華はそう言うと、眼下に広がる町の一画を指差した。その場所には、この華扇城に匹敵するほど敷地があるだろう一枚屋根の大きな舘が建っていた。周りはお堀に囲まれ、外から舘の立つ敷地に向けて一本の大きな石橋がかけられている。
「あれは…なんですか?」
春一が尋ねる。
「あの場所は、日本エリアが誇る巨大な賭博場ですわ。名もそのままに『大賭博場』と申します」
「賭博場って…カジノみたいなところですよね?」
「はい。行われている賭け事は、花札やサイコロなどといった日本固有のものが主となっていますが、そうお思いになられて相違はないでしょう。中には本場のカジノの賭事を和風にアレンジしたものもあるくらいですしねぇ」
春一は、この世界にカジノのような場所がある事を初めて知った。そこで、一つの疑問が生まれる。
「でも、この世界にはお金といった概念がないんじゃ…」
「えぇ。ですから、賭けるのはお金ではなく、『情報』です。勝負師は皆、自身が持ち寄った情報を元手に賭けを行い、勝った場合はそれよりも価値の高い情報を得ます。それ故、あの場所には、日々様々な情報が集まってくるのですよ。経営組織は華扇界の傘下なので、中で扱われる情報は、全てこちらに公開される決まりになっているのですけれど…」
瑛里華はそこで一度言葉を切ると、春一の方に流し目をやり、
「近頃、妙な噂が立っていましてねぇ…」と、怪訝そうな面持で告げた。
「妙な噂…?それが、昨日言っていたようにレギオンと何か関連が?」
「はい。その噂といいますのが……」
瑛里華の口調が若干だが、神妙に変わる。
「あの賭博場には『裏丁半』と呼ばれる一部の選ばれたものだけが、招待される闇の賭け事が存在し、そこでは異常なまでの高倍率での賭け行わるというものなのです。そして、その際に掛け金や勝ち金として取引される情報が、現時点において非常に価値の高い情報、レギオンに関するものだとも言われています…もちろん、そういった情報が中で扱われている事は私たちの方には報告されていません」
レギオン。ようやく出てきたこの単語に春一の身を引きしまる。
「じゃあ、今回の任務っていうのはその噂の真偽を確かめるって事でいいんですか?」
「えぇ、その通りです。今回は、私、佐井蔵、春一さんの三人で大賭博場へ潜入捜査を決行します。一般客を装って侵入し、その『裏丁半』なるものを探し出すのです。もし、噂が真実であれば、レギオンの情報の出所も突き止めたいとも考えております」
「ちょ、ちょっと待ってください?!三人って?他には誰も行かないんですか!?」
春一が問うと、瑛里華は表情を曇らせ、
「それがですね。お恥ずかしい事なのですが、実は…」と、頭を近づけ耳打ちを始めた。
「大賭博場は、うちの有力な情報源となっている場所でしてね。華扇会の幹部の中には、あそこをつつくのに反対する者もそう少なくはないんですよ。もし、噂がただの噂だった場合に関係が悪くなるのを恐れての事ですわ…私とて、それを望んではおりませんが、レギオンへ繋がる可能性を前に放ってはおけません。噂が真実だと判明すれば、幹部たちも大人しく従うしかないでしょう。今回はその為の潜入捜査なのです」
状況を理解した春一はチラッと後ろで見張りをする佐井蔵に目をやる。目を薄めた侍は、偉く神経をとがらせた様子で、襖を睨んでいる。
「…それで佐井蔵さんに見張りを…でも、だからって瑛里華さんが直接行くことないんじゃ…」
「いいえ。長である私が行き、この目で確認するからこそ、意味があるのです。それに春一さん、私賭け事には少し自信があるのですよ?」
瑛里華は不敵な笑顔でそう言った。
元々、別の組織の事柄に口を出す気がなかった春一はすぐに食い下がる。
「…そうですか。でも、俺は一体、何をすればいいんですか?」
「春一さんは、いざという場合の用心棒ですので、基本的には私達と同伴していていただければ結構ですわ。何かあれば逐次お頼みしますので」
「わかりました」
「では、よろしくお願いします。佐井蔵、終わりましたよ」
瑛里華は春一にぺこりと一礼をすると、奥でまだ襖に耳を当てていた侍に声をかけた。
呼ばれた佐井蔵が近づいてきて春一の肩に手を置く。
「拙者も細心の注意を払うつもりだが、あの賭博場には手だれも多い。何かあった時は姫様を頼むぞ。春一殿!」
「…はい!」
春一はしっかりと返事をする。
「作戦開始は日が落ちてからとなります。まずは幹部たちに気付かれないようにこの城を抜け出さなければいけませんからね。それまでは、何食わぬ顔して過ごしましょう」
瑛里華はそう言うと、にっこりと目を細めて微笑んだ。
それから日没までの数時間、三人はほとんど天守閣の中で過ごした。佐井蔵は打粉で念入りに刀の手入れを続け、春一は瑛里華と将棋や花札などをして時間を潰した。一度、気分転換に下の日本庭園を散歩しに出かけたが、その時も作戦に関しては一言も口にせず、本当にのんびりと景色を楽しむだけだった。
夢の中では、いつも任務に追われている春一が、このゆったりとした時間に、戸惑いを隠せずにいると、
「こういうのは、お嫌いですか?」と、瑛里華に庭園にかかる桟橋の上で尋ねられた。下に広がる池の橋桁周りには、餌を貰えるものだと勘違いした色とりどり錦鯉が集まってきていた。
「いえ、そういうわけじゃなくて…単に戸惑っているだけなんです。オブリビオンでは、いつも忙しくて、あんましこういう時間はないですから…」
「そうですか。…あ!一応言っておきますけれど、私だって毎日このような生活をしているわけではありませんよ。一応、六強所属組織華扇会の長、忙しい時もあります。ただ、たまにはこうやって一日のんびりと過ごす時間を作っているのです。せっかく夢の世界、現実にはない美しい風景や美味しいご飯、少し位は堪能しないと勿体ないですわ」
瑛里華は少女のように目を輝かせて、嬉しそうに語った。その様子を見て、和やかな気持ちになった春一は、
「…俺も、こういうのは好きですよ」と、優しく返した。
真下では鯉たちが水面に顔をだし、パクパクと口を動かしていた。
天守閣に戻って、しばらくが立ち、辺りが夕暮れに染まり出すと、いよいよ作戦が開始された。
「さて、ではまずは、見つからずに城を抜け出すところからですわ。春一さんはその格好で問題ないとして、私と佐井蔵は服装を変えなければいけませんね」
瑛里華はそう言うと、来ていた色鮮やかな着物の襟を掴んで、おもむろにはぎ取った。すると下から白い麻の着物が現れた。前に来ていたものよりも目立たなくはなったが、これはこれはで気品がある。それから、琥珀の簪が刺された日本髪の両端に手を当てる。
- スポン。
瑛里華が両手上に持ち上げると、日本髪はその形のまま頭から離れてしまった。
「か、かつらだったんですか!?」
驚いた春一が大声を出すと、瑛里華人差し指を立てて「しー」っと声を出さないように示した。瑛里華の本当の髪の毛は肩よりも短かかった。
「次は佐井蔵ですね。うーん、どうしましょうか…服装を変えても、風貌だけでかなり目立ってしまいますからねぇ」
瑛里華は首をかしげる。確かに、この佐井蔵という男、ハーフだけあって体格もよくかなりの身長がある。
「あ!そうですわ!」
少し悩んだ後、瑛里華は何か閃いたように手を合わせると、佐井蔵の襟に手をかけ、自分の時と同じように勢いよくはぎ取った。侍の服装が変わる。
富士山が背中にあしらわれたはっぴにもんぺ、額には鉢巻がまかれ、髪型は綺麗な角刈りになった。
「ひ、姫…これは?」
愕然とした佐井蔵が尋ねる。
「これで、どこからどう見てもお祭り男ですわ!」
瑛里華は、手をたたいて微笑んだ。
「そ、…それで、どうやって出るんですか?」
ガクッと頭を垂らす佐井蔵に、同情の目を送った後、春一は瑛里華に尋ねた。
「下まで行くのに絶対に誰かに見つかっちゃうんじゃ…それに、この城の中でその格好は余計に目立つし…」
「それなら問題ありませんわ、佐井蔵」
瑛里華が呼ぶと、落ち込んでいた佐井蔵は、ぱっと気を取り直した。部屋の壁の方に向かっていくと、そこにかけてあった水墨画の掛け軸をめくった。壁に設けられた小さ目の戸が姿を現す。
「あ!これって…」
「隠し出口です。何かあった時に逃げられるようにと、私と佐井蔵以外には内緒で作りました。まさか、このような時に役に立つとは思いもしませんでしたけれど」
「それでは姫様、そろそろ…」
佐井蔵が引き戸を開ける。
「はい、参りましょう」
瑛里華を先頭に三人は隠し戸へと入っていった。薄暗い戸の先にはエレベーターがあり、それに乗って、城の地下まで下りる。地下には町中に地下に広がる下水道が流れていた。瑛里華曰く、ここまで大規模なものではないが、実際の江戸の町にも当時はこのような下水道が張り巡らされていたのだという。
ごつごつとした岩肌の道を少し進み、現れた梯子を上っていくと、華扇城から少し離れた裏路地に位置する物置の中に出た。三人はそのまま、裏路地から何食わぬ顔で出ていくと、大通りの雑踏に紛れた。
「それにしても、春一さんが用心棒として派遣されて本当に良かったですわ」
大賭博場を目指して、しばらく歩いていると、瑛里華が突如そう漏らした。
急に褒められた春一は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる。
「…本当ですか?それは…良かったです。でも、実を言うと、なんで俺が派遣されたか未だにわからないんですよね。用心棒としてだったらオブリビオンには他に適任な人が何人もいるのに…」
「それは多分、私が日本の方をと指名したからでしょう。今回のような作戦には、なるだけ目立たないように、周りになじむ日本人である事は必須ですから。ただ、それだけで、という事でもないとも思います。実は以前、同じようにオブリビオンに派遣をお願いしたことがあったのですが、その時来てくださった方が、金髪と派手な行動でかなり目立ってしまいして…今回はそのような事がないようにともお願いしていたのですよ」
春一は、その金髪の人物が誰であるのかすぐに見当がついた。
「ですから、春一さんのような方が選ばれたのでしょう。本当に、春一さんが、周りにとけ込めるような存在感のない方でよかったですわ。あなた方が参られた初日、小競り合いがおきたでしょう?この作戦に影響がないようにと、その件に関して情報操作を行ったのですが、春一さんに関しては誰も記憶になく、操作の必要がなかったくらいですから」
瑛里華は無垢な笑顔を浮かべながら語る。おそらく、悪意はないのだろう。ただ、後ろにいた佐井蔵は、すかさず春一の耳元に、
「気を悪くするな、春一殿。姫様はたまに天然が出てしまのござるよ」と、フォローいれた。
「はは、その格好を見ればわかりますよ」
春一は、侍姿からお祭り男と化した佐井蔵に笑って答えた。
それからまた少し歩くと、目的地である大賭博場の前に到着した。舘へと続く立派な石橋を前にしても、瑛里華は今までと変わらずニコニコと余裕を見せていた。
「さて、参りますか」
いつものおっとりとした口調で瑛里華が声をかけた。
- これから、潜入捜査が始まる。