第十五話 19世紀界・日本エリア
リニアモーターカーが、白い光に包まれた簡素なプラットホームに停車する。圧縮空気の音とともにドアが開き、春一がホームに降り立つと、そこにはすでにレイヴンとエリザの姿があった。
黒のロングコートを羽織った長髪の大男、レイヴンは、いつもと変わらぬ無表情で腕組みをして立っていた。彼はオブリビオンのリーダーであり、その本部が存在する『未来界』においては、一目を置かれる人物だ。常に冷静沈着、人並み外れた判断力を持ち、その戦闘力はDreedamの中でも指折りだといわれている。
初めのうちは、彼の赤鉄のような瞳に視線を送られるだけで緊張していた春一だったが、最近ではそれにのも多少慣れてきた。ただ、未だにこの男の感情や考えは読み取れない事が多い。
レイヴンの隣にいる美しい西洋人の女性が、オブリビオンのオペレーターであるエリザだ。スラッとしたスタイルに整った顔立ち、春一が会った時はショートヘアーだった銀髪が、今は肩あたりまで伸び、よりいっそう色香を振りまいている。
「おかえりなさい、春一君。お疲れ様、任務内容を隠していてごめんなさいね」
春一が近づくとエリザは優しく声をかけた。
次にレイヴンが地鳴りのような低い声で口を開く。
「…六強の施設にへたに貸しを作れば…他から反発が出る。早急な対象の為にあれが最善だった」
「ま、まぁ。別に俺は気にしてないからいいよ。祐樹は少し不満だったみたいだけど…」
「…そうか。では行くぞ」
レイヴンはそう言うとホームの端へ向かって歩き出した。春一とエリザは後に続く。
照明を当てられ、鏡のように景色を反射するようになった白い床が、レイヴンの履く黒河のブーツを逆さに映し出した。
ホームを抜け、その先に続く蒲鉾型の通路を少し行くと、世界観層を行き来するエレベーターホールに到着した。このエレベーターホールはどの階層も「円形に12台のエレベーター」という基本的な造りは同じだが、それぞれの世界観・エリアによって外壁や床などの素材、装飾が異なる。春一達が今いるのは『未来会・ダカタエリア』。オブリビオンが本部を構える『未来会・メトロポリス』とはまた雰囲気の事なった未来の世界観を持つエリアだ。あらゆる電子機器、空中車両などがそこら中を埋め尽くし、ごちゃごちゃとした印象のメトロポリスエリアに比べ、ダカタエリアは全てが白を基調としたシンプルな作りに統一されており、無駄な装飾などが一切ない。このエレベーターホールも白の空間に12のエレベーターが等間隔に並べられているだけで、ボタンなどはなかった。
レイヴン達が近づくと、エレベーターは待ち構えていたかのように一人でに開き、三人を向かえいれた。中に入ると行き先を脳波から読み取り、ボタンを押すことなく動き出す。
エレベーターが下降を始めた時、春一は隣にいるエリザに尋ねた。
「これから、どこへ行くの?」
起動音は一切なく、エレベーター内は静まり返っているので声がよく通った。
「今から向かうところはね……あ、ところで春一君。六強については知っているかしら?」
「うん、来る前にちょうど祐樹から聞いたよ。オブリビオンも一員なんでしょ」
「そうよ。今日はその六強のメンバーである『華扇会』との会合なの」
「華扇会?…日本の組織?」
「えぇ。19世紀界を統括する大組織よ。今向かっているのは彼らの本部がある『日本エリア』。オブリビオンと華扇会は昔から協定関係にあるの」
「そうなんだ。19世紀の日本っていうと…確か」
春一が思い出そうと軽く上を向くと、エリザはにこっと微笑み先に答えを言った。
「江戸時代よ」
ちょうどそのタイミングでエレベーターが目的の階層に到着した。
ドアが開き、三人が下りる。春一のスニーカーが踏み入ると、床は「ギシィ」と音を立てて軋んだ。
『19世紀界・日本エリア』へと続くエレベータホールは、床、壁、天井とすべてが木製だった。エレベーターへ乗り降りする際の二重扉も、奥側は現代的な作りだが、手前は襖のような重ね引き戸式になっている。
正面には、横幅の広い通路が続いていた。通路の床は、「動く歩道」となっており、向こう側に進む歩道と、こちらに戻ってくる歩道が何本か交互に走っていた。もちろん、それらもこの世界観に合わせた素材・造りをしていて、踏み台部分は、細い長方形の木板同士に紐を通してつなげたベルトが使われている。動力を伝えるのも木製の歯車であるため、辺りは「カタカタカタカタ」という木同士が擦れたり、ぶつかり合ったりする音で騒がしかった。
通路の奥には、巨人が使うような両開きの大扉があった。おそらく、その先が日本エリアへと繋がっているのだろう。
三人は歩く歩道に乗った。
「19世紀界の日本エリアって、こんな風になってるんだね」
春一が辺りを見回しながら言う。
「『からくり』というやつね」
エリザが答えた。
「このエリアは特に世界観の規制が厳しいから、何から何まで無理矢理時代に合わせた造りにしなきゃいけないのよ」
「へぇー。ていうか、この動く歩道、何の意味があるの?無駄に横が広いだけで、あんまし長くないし」
「すぐにわかるわ」
歩道に運ばれ、通路の半分付近に差し掛かった時、春一達の服が光り出した。すると、たちまち、三人の衣類はそれぞれ、これから向かう「江戸時代」にふさわしいものに姿を変えた。レイブンは、年季の入った着物の着流しに帯刀という浪人の格好。春一は麻の着物を来た町人風の格好。そして、エリザは淡い青色の着物姿に変わった。黒髪に日本人顔の春一にはよく似合った服装だが、レイヴンとエリザは和服になった事でより一層異彩を放つようになった。
「日本エリアは、建築物などは勿論、出入りする人間の服装も制限されるのよ。この歩道は自動服装変換器というわけ」
履き慣れない草履の先をちょんちょんと上品に地面に当てて整えながらエリザは説明した。
「…それが、ここのルールだ。止む終えんだろう…」
レイヴンは全く気にしていない様子でそう言い添えた。
通路を進みきり、三人が前まで到着すると大門はガタガタと音をたてて開き出した。一瞬、眩く白い光に視界が奪われたかと思うと、19世紀界・日本エリアの風景が姿を現す。
辺りは綺麗な満月が顔を除かせる夜だった。春一達の前にはアーチ上の小さな桟橋があり、その先には実際に存在したものとは随分異なった雰囲気を持つ「江戸」の街並みが広がっていた。足元は石畳で綺麗に歩道されていて、周りには露店が幾つも出ていた。所狭しと立ち並ぶ建築物はどれも2~3階建てでそこそこ背が高い。そして、木造ではあるが外面は漆塗りのように艶のある塗装が施されていて実に色鮮やかだった。辺りは、露店や建物に備えられた提灯や灯籠といった幾つもの照明器具が燦々と輝き、昼のように明るい。とにかく、この江戸の町は古風な下地を残しながらとても煌びやかにアレンジされている。
「うわぁ!未来会の時も驚いたけれど、ここもなかなか凄いね」
春一は桟橋の中ほどまで掛けていくと、感動した様子でで言った。
「制限と言っても、あくまで文明レベルの話なのよ。実際にあった江戸の町のようにはならないのは仕方ないわね。私は、もう少し風情があってもいいと思うのだけれど…」
後から上品に歩いて来たエリザはそう話した。どこで身に付けたのか、所作がしっかりと日本人のものになっている。
「…行くぞ。待たせると面倒だ」
レイヴンはいつも通り、カツカツと大股で春一とエリザを追い抜くと、小さく言った。「オブリビオンのレイヴン」である事が気づかれているかは定かではないが、流石にこの風体、すでに周りの視線を集め出していた。
目的地は言われずともすぐにわかった。町の中央、春一達がいる場所から見て北西の位置に、周りよりも明らかに背の高い巨大な城が見えたからだ。
レイヴンを先頭に三人は『華扇会』が拠点を構えるというその城へ向かった。
しばらく進み、人気の多い通りを歩いていると、前から1人の浪人がこちらへ向かって来た。小汚い着物は胸の辺りがはだけおり、片手には酒ひょうたんを持っている。真っ赤な顔に千鳥足、明らかに酔っ払いだ。周りの人々は、ふらふらと歩く男を腫れ物に触れまいとばかりに避けていたが、レイヴンは気にせず進んでいった。
「おい、てめぇ」
浪人は呂律の回っていない言葉でレイヴンに絡むと、正面に立ちふさがった。
「…なんだ?」
レイヴンは睨み返す。普通なら大抵の人間なら怖じ気づいて引き下がるのだが、この浪人、酔って気が大きくなっているせいか、さらに絡み続けた。
「なんだじゃねぇよ。てめぇ、クソ外人が!でけぇからって、偉そうに歩きやがって!あ?なんだてめぇ?いっちょ前に刀ぶら下げてやがるな。どうだ、俺と勝負するか?このやろう…!」
レイヴンに向かってよくこんな傍若無人ぶりが出来るものだ…。春一は身も凍る思いだった。
エリザがやれやれと額に手を当ててため息を着く。
「…急いでいる。そこをどけ」
レイヴンは冷静な口調で返す。
この発言に浪人は怒りを露わにした。
「あ?なんだと!?こいつ!叩ききって…」
浪人の男は怒号をあげ、帯に通していた刀を引き抜こうとした。だが、手が束に触れた瞬間、喉に何かが突きつけられた。男が、それがレイヴンの構えた火縄銃の銃口である事に気づくのに数秒かかる。
「…この時代、すでにこの銃ならあったはずだが…?」
重そうな火縄銃を片手で構え、レイヴンは低くうなった。
種火のついた胴金が浪人の目に映った。たちまち血の気が引いていき、さっきまで赤かった顔がとたんに青ざめてしまった。
「…こ、この早さ…イマジン…………!お、おまえは!?」
酔いが冷めたのか、正気に戻った浪人は、自分を睨む2つの赤眼を見てその正体にやっと気づいたようだ。
「オブリビオンの傭兵!!」
その言葉が放たれた瞬間、さっきまで見てみぬふりをしていた群集が一斉にこちらに注目をした。
「…そうだったらなんだ?」
「ひっ…し、失礼しました!!」
男はさっきまでとは打って変わった早口でそう言うと、一目散にその場から逃げていった。
「はは…刀使わないんだ」
相変わらずのレイヴンの貫禄、早業に春一はたじたじだった。
「彼の場合はあの方が効率的なのよ」
エリザがあきれたという様子で答える。
周りがざわつき始めていた。皆、レイヴンの方を見ては「オブリビオン」や「傭兵」と言った言葉を口ぐちにしている。
「騒ぎになってしまったな…急ぐとしよう」
この状況にも顔色一つ変える事無のなく、レイヴンはそう言うと再び歩き出した。
それからまた、しばらく町中を行くと、目的地であった城郭の前に到着した。
-『華扇城』。19世紀界を統治する巨大組織『華扇会』が拠点とする、この江戸の町のなかで圧倒的な存在感をは放つ巨大城郭だ。
春一達が訪れたのは正門だった。太く立派な門柱の間に、分厚い門扉が構えられているが、今はがっちりと閉まっている。頭上には華扇会の家紋である「ミセバヤの花が描かれた扇」の装飾が掲げられていた。
「春一君、これを」
門に着くと、エリザがそう言って何かを差し出した。
「何、これ?」
春一が受け取ったのは、勾玉型をした小さな機械だった。ボディーは半透明で、緑色に光る半球が二つついている。
「脳内通信機よ。それを着ければ、私の脳内から直接、春一君へ通信ができるの。受信側は音声として耳から聞き取るのだけどね。早速、つけてみてくれる?」
春一はいわれるまま、通信機を耳にはめ込む。すると、半透明だった通信機はさらに透けていき、消えてしまった。
「これで、他の人からは私が春一君に何か話しかけているとはわからないわ。この先の会合で、まだ春一君の知らない単語や事象が出てくる可能性もあるから、その場合は私がこの通信機で説明をするわね」
「うん、わかった。これもエリザのイマジン?」
「そうよ」
「……エリザのイマジンって一体どんな能力なの?」
「それは、秘密よ」
二人の会話が終わると、レイヴンは門扉に取り付けられた鉄製のドアノックを鳴らした。
ドン、ドン。
すると、門はすぐに開き出した。
「…会長自ら、出迎えとはな」
レイヴンがこぼした。
奥には一人の美しい女性が立っていた。赤の下地に花びらの刺繍が散りばめられたそれは鮮やかな着物をまとい、綺麗に結われた艶のある日本髪には、金装飾の簪が刺されていた。細めの瞳の下に泣きぼくろを持ち、清楚を絵にかいたような顔をしている。その美貌は正面にいるエリザや、前に春一があった国民的アイドルの神条あかりにさえ引けを取らないだろう。
華扇会の会長 鮫島 瑛里華だ。
門が開ききると、瑛里華はおしとやかに一礼をしてから口を開いた。
「ようこそ、オブリビオンの皆さん。それにレイヴン、お久しぶりですねぇ」
おっとりとしていて、実に上品な口調だ。
「…あぁ、そちらから呼び出すとは珍しいな」
レイヴンはそっけなく返す。
「こちらにも、色々事情がございましてねぇー。まぁまぁ、立ち話もなんですからどうぞお上がりになって下さいな」
瑛里華はそう言うと、にっこりと目を細め微笑んだ。
正門をくぐり、広々と設けられた日本庭園をしばらく行くと、やっと城の中に入れた。入り口ではよく時代劇で見るような装束姿の家臣20名ほどの出迎えがあったが、瑛里華は軽く「お客さまをお招きしました」と告げ、その場を抜けた。
場内は、渡り廊下にふすまで仕切られた畳の部屋と日本に住む春一には馴染みのある作りだったが、そのどれもが高級感に溢れ、細部に渡ってまで繊細に作り込まれていた。
長い渡り廊下を真っ直ぐに進み、その先を曲がると光沢のある黒い扉の前に出た。通路はそこで行き止まりになっている。
「なんだ…?この扉は」
扉の前で止まった瑛里華に、後ろのレイヴンが訪ねた。
「エレベーターですわ。ここまで城が大きいと、毎回階段であがるのは大変でしょう?私が頼んで着けてもらったんですよ」
瑛里華はふり帰り、笑顔で答える。
レイヴンは呆れたように腕組みをし、
「…おまえがそんなだから、町があんな風になるんじゃないのか…?」と珍しく皮肉を口にした。
だが、それに対し瑛里華は、
「あら、レイヴン。私は今の城下町がとても好きなのですよ?」と返した。
エレベーターが到着し、観音開きの扉が開くと、4人は中に乗り込んだ。
城の上階に着くと、三人は会合の為、大広間へと招き入れられた。400畳の広さを誇る大広間の中央に三つの座布団がぽつんと置かれた。エリザと春一は正座をしたが、レイヴンはしなかった。三人が座り終えると、瑛里華は正面の20センチほど高い上段にちょこんと正座をした。 後ろには金屏風と、ユリ・枝物・蘭・などがいけこまれた花壺が置かれていた。
「高いところから失礼しますね。お付きのお二人とは初対面という事もあるので、まずは自己紹介からさせていただきます。改めまして、私は19世紀界統括組織『華扇会』の会長を務めております。鮫島 瑛里華と申します」
「オブリビオン、サブリーダー兼オペレーターのエリザです」
「えっと…春一です」
「エリザさん、春一さん。どうぞよろしく。それでは始めましょうか」
お茶会でも始まるような、のんびりとした雰囲気で会合は始まった。
レイヴンは手短に済ませようといきなり本題に入る。
「…頼まれていたものは用意した……目的ぐらいは聞かせてもらおう」
「あらあら、レイヴンったらせっかちですわねぇー。久しぶりだと言うのに世間話の一つや二つもなしですか?」
本心で言っているのかわからないが、瑛里華はレイヴン相手にまるで親しい友人のように語りかける。流石のレイヴンもこの態度には若干やりにくそうに応じていた。
「…あいにく、忙しい身なのでな」
瑛里華は少し残念といった顔を見せ、
「まぁ。仕方ないですね、それでは手短にお話しましょう。実は…うちのエリアに拠点を置くとある機関に良くない噂が立っていましてね」
「…良くない噂?」
「ほら、今話題の。『レギオン』ですよぉ」
呑気に言い放った。レイヴンは特に反応を示さなかったが、エリザは目を細め険しい顔つきになった。春一も急に気が引き締まる。
- レギオン。『マンション城事件』以来、さらに行動を激化させた反政府組織。だが、その規模、リーダーなどは今だ不明のままで、その情報はDreedam内では今最も、注目を集めている。
「今回は、私自ら事の収集に乗り出すので、一応用心棒を着けておこうと思いましてねぇ。あなたのところににお願いしたのです」
「…解せないな。何の説明にもなっていない。おまえのところには有能な家臣が多数いるはずだ……今更、用心棒など……それにおまえは」
「だから言ったでしょう?込み入った事情があるのだと」
瑛里華は念を押す。
「………まぁいい。他の世界観層に深く干渉する気はない……しかし、放任主義のおまえが自ら動くとはな」
「時期が時期ですからねぇ。こちらものんびりとはしていられないのですよ。近々開かれる『定例会議』の前には片付けて起きたいですし…」
『定例会議というのはね』
春一の頭の中で急に声がした。エリザから貰った例の通信機をすっかり忘れていた春一は、驚いて飛び上がりそうになったが、なんとかこらえて平静を装う。
『大丈夫?定例会議というのはね、六強のメンバーが集まって定期的に開かれる会議の事よ。ユニバースの基本的な方針などはそこで決定されるの。春一君も次の会議には召還される事になっているわ。忘れていないわよね?元々、あなたはその定例会議で証言するまでの間、私達の保護対象であった事』
…そういえば。と春一は思い出した。春一がDreedamに覚醒した祭の経緯、それはユニバースにとって極めて重要な情報らしく、その情報を証言するまでの間、護衛についたのがオブリビオンだった。今では、自分自身がオブリビオンの一員になってしまっていたので、春一はその事をすっかり忘れてしまっていたのだ。
瑛里華の話を続く。
「六強の均衡関係が崩れた際に、他の組織と向かい合うにはそれなりの力が蓄えておかなければなりません。今現在、レギオン関連の情報は、情報戦をこなす為には極めて有利。それを手に入れる好機が自らの統治エリアに転がっているとなれば、私も動かないわけにはいきませんわ。……いつまでも、『ノブレス・オブリージュ』が実権を握っていられるとも限らないですしねぇ」
それまで冷静を突き通していたレイヴンがここで初めて、ピクッと眉をあげ反応を示す。
春一の耳にまた、エリザの説明が入った。
『「ノブレス・オブリージュ」という組織も六強のメンバーの一つよ。現時点において、六教の中で最も力を持った組織で、定例会議の議長や最終的な総括は彼らが行っているわ。…まぁ、リーダーが民主主義を重んじる人物という事もあって、ユニバースの政治が独裁的になる事は無いのだけれどね。逆に言えば、彼らが実権を握れなくなれば、今の民主制は崩壊してしまうかもしれないわ』
「ノブレス・オブリージュは揺るがない……少なくとも、奴がトップについている間はな」
レイヴンが反論した。
「えぇ。ただ、私は可能性の話をしているまでです。組織の長を務めるもの。いつ何時何が起きても対処できるように心がけなくてはなりません」
「……確かに、そうではある……だが」
「…なんです?」
「…やはり、おまえは変わったな」
「そうかもしれませんわ。私も、あなたも…この世界が大きくなればなるほど、五年前のようにはふるまっていられないのですから」
空し気な瑛里華の懐古の言葉で、会合は終わりを迎えた。
「それでは、レイヴン。これで以前の貸し借りはなしという事で」
「……こちらが幾分か損な気はするが…まぁ、いいだろう」
「ふふふ、そのうちまた、色を付けてお返ししますわ……あぁ、それから…」
瑛里華がエリザと春一に視線の向け、
「そこのお二人」
ぴしゃりと言った。その瞬間、春一の背筋は凍った。笑って細くなった彼女の瞳に急に睨みつけられたからだ。さっきまで彼女が漂わせていた和やかな雰囲気が一瞬にして消え去り、凍てつくような殺気に変わる。まるでのど元に刃を突き付けられたかのようだった。
「いくら協定関係にあるからと言っても、六強に属する組織の長同士の会談中に、裏でこそこそと話をするのはどうかと思いますわ…」
その口調は今までとそう違いはない、だが二人に強烈な威圧感を与えた。
エリザの額に冷汗が滲んでいた。通信が気付かれた事に驚いたのか、それとも瑛里華の迫力に物怖じしたのか、春一にはどちらかわからなかったが、彼女のこのような姿は珍しい。
辺りには張りつめた空気が漂い、ただでさえ静かだった大広間はさらに静まりかえっていた。
意外な事に、その場を助けたのはレイヴンだった。
「何を言っている…そちらこそ、刀の柄に手をかけた輩を忍ばせているではないか…」
レイヴンのその言葉で、瑛里華はふと前の穏やかな顔に戻った。
「…!あら、私としたことが気づきませんでしたわ。申し訳ありません。では、これも貸し借り無しという事で」
エリザと春一の緊張の糸がプツンと切れる。
「…あぁ。それでは、そろそろ失礼する」
レイヴンはそう告げると、さっと立ち上がった。エリザも続き、春一も立ち上がろうとするが、足がしびれてしまっていてなかなか立ちあがえれない。もたもたしていると、レイヴンが去り際に声をかけた。
「…それでは頼んだぞ」
「ちょっと待って足が………………え?ちょっとレイヴン、どういう事?」
頓狂な声を出す。
「今回のおまえの任務は、華扇会に協力し、瑛里華の護衛を行うことだ。指示はあちらから出る…」
「えぇ!?そんなの聞いてないよ!なんで俺が!?」
春一は必死に訴えたが、レイヴンはすでに背を向けて歩き出していた。
「春一君、頑張ってね」
エリザが言った。その目からは明らかに同情の意が伝わってきた。
「お見送りの方は…」
瑛里華が尋ねるとレイヴンは、
「結構だ…急ぐのでな」と、即答し、襖を開く。
「そう言うと思いましたわ。ではまた、ごきげんよう」
「あぁ」
レイヴンが答え、エリザはバツ悪そうに一礼をした後、二人は大広間を出て行った。
一人取り残された春一は、ひきつった顔で、瑛里華の方を見る。
「それでは、よろしくお願いしますね。春一さん」
瑛里華は、細い目をしてにっこりとほほ笑んだ。