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夢の王  作者: せいたろう
第一部
1/32

プロローグ

―『明晰夢』。自分で夢であると自覚しながら見ている夢。明晰夢の経験者はしばしば、夢の状況を自分の思い通りに変化させられると語っている。





 凍てつく水の中に、体を放り出された。


 痛みに似た冷たさが、一瞬で体を包み込み、

 指の先から心臓まで、全てを凍りつかせる。


 体から離れた空気達が、

 気泡となって上へと離れて行くのが見える。


 海面が遠ざかる… 光が失われる…

 感覚が薄れていく… 意識が霞んでいく…


 これが死ぬという事なのか…


 怖くはない、


 ただ、


 …少し悲しいだけ。

 

 

 



 岡野おかの 春一はるいちは、いつも同じ夢を見ていた。そして、いつも同じところで目が覚める。




 ― だが今回は違ったようだ。


 肺にたまった水を吹き替えし、春一は意識を取り戻した。乱れた呼吸の中、ぼやけていたピントがゆっくりと合って、視界に照明もない無機質な天井が映し出された。うちっぱなしのコンクリートに囲まれた六畳ほどの部屋に仰向けで倒れている。そして、どういうことか、体は上からバケツの水をひっくり返したかのようにずぶ濡れになっていた。

 春一は体を起こして周りを見回す。その場所は、鉄製のドアと格子だけの窓しかない殺風景な部屋だった。知らない場所だ。


 まだ夢の中にいるのか…


 春一はそう思った。ついさっきまで見ていた水の底に落ちていく夢、濡れた体、身に覚えのない場所、ここが夢だと思えば全てに納得がいく。ただ、そう考えると違和感もある。この夢は、意識と感覚が妙に現実味を帯びているのだ。部屋の中に立ち込める湿気独特の嫌な匂い、濡れたシャツが体に引っ付く気持ち悪さ、五感のどの感覚をとっても、夢とは思えないほど鮮明だ。

 …考えても仕方がない。

 春一は、とりあえずこの濡れた服をどうにかしようと考えた。たとえ夢だとしても、気持ちの悪い事にはかわりない。

 もう一度、あたりを見回したが部屋の中には何もない。外に外に探しに行くしかないと思った春一は、鉄製のドアに近づいてドアノブに手をかける。


 …カチャカチャ…カチャカチャカチャ…


 「あれっ?」

 思わず声が出た。

 ドアには鍵らしきものは見当たらない。それなのにいくら回そうとしても、ドアノブは施錠されたようにひっかかりがあり動かなかった。それから、数秒の間ドアと格闘したが結局は無駄に終わる。

 諦めた春一が、ドアの前から一歩引く。


 ― その時だ。


 「開けないのかい?」

 突如、背後から声がした。春一は肩をギュッと上げて驚いた。

 確かに、さっき部屋を見回した時は誰もいなかったはずだ。


 ……これは夢の中、何が起きても不思議ではない


 春一はそう自分に言い聞かせると、ゴクリと生唾を飲んでから、恐る恐る後ろを振り返った。

 そこには、黒い木製の椅子に座った一人の男がいた。黒椅子はグランドピアノに付属するものによく似ている。男はその椅子に逆向きでまたがり、背もたれの上部で頬杖をついてこちらを眺めていた。背格好は春一とよく似ていて、同じ学校指定のYシャツとスラックスを着ている。

 「怖がらなくていい」

 男がまた口を開いた。大勢の人物が同時にしゃべったような不気味な声が辺りに響き渡る。その声は、これが夢であることを忘れさせ、春一に理屈のない本能的な恐怖を抱かせる。

 数秒の沈黙の後、

 「あ、あなたは…誰…?」

 春一は震え声で尋ねる。恐怖の中、絞り出した精一杯の声だ。

 だが、男は答えようとしない。

 男の後ろには窓があり、そこから差し込む逆光で顔がよく見えなかった。春一は、怖がりながらも光を手で遮り、男の顔を除こうとする。しかし、何かがおかしい。

 顔が見えない。

 今、男の顔は確かに春一の瞳に映っているはずだ。だが、不思議な事に男がどういう顔をしているか、春一には認識出来なかった。見えているのに、頭が男の顔を理解しない。一種の認識障害に近い状況だ。

 疑問に思った春一は、そのまま男の顔を見続けようする。すると、頭の中を掻き毟られるような奇妙な感覚に襲われた。それは痛みとは違ったが、とても耐えられるようなものではなく、春一はすぐに男の顔から目を逸らした。

 「あぁ、だめだめ。私の顔を"見よう"としない方がいい。顔を認識できないようにしているからね、あまり無理にやると頭の中が壊れてしまうよ」

 男が優しい口調で教える。

 「顔を認識できな…え?」

 訳もわからず、春一はとにかく男の顔を見ないよう必死に手で遮った。

 その様子を見た男は仕方ないと言った要素で首を横に振る。それから、右手を自分の顔に当てた。

 「これなら大丈夫だろう?」

 たちまち、祭のチープな天狗の面が現れて男の顔を覆った。その動作は手品のように鮮やかな早業だった。

 「ほぅら、もう顔を合わせても大丈夫だよ」

 春一はビクつきながらも、かざしていた手を下げ、天狗の面と向き合う。

 それから、またしばらくは沈黙が続いたが、今度も春一の方から口を開いた。

 「…あなた、一体何者?」

 そう尋ねると、男はバツ悪そうに天狗の面をポリポリとかいた。

 「う~ん、それは教えられないね。だいたい、顔を見られないようにまでしているのに、そう易々と正体を明かすと思うかい?」

 「……」

 春一は黙ってしまう。

 男は気を取り直してと言わんばかりに、パンッと手をたたき、

 「そんな事よりほら!君はいつまで、そんなびしょ濡れの服を着ているつもりなんだい?」

 わざとらしい口調で言った。

 「え?あぁ、いや、だから外に出て着替えを…」

 「そんな必要はないよ」

 「え?」

 「ここは夢なんだから、着替えなくてもすぐに乾くさ。ほぅら。こうやって目を閉じて、かわいた服をイメージして…」

 男は天狗の面の目の部分を両手で覆った。

 「何を言って…」

 「いいから」

 男にせがまれるまま、春一は半信半疑で目を閉じた。

 「さぁ。頭の中をまっさらにしたら、次に乾いた服をイメージして…アイロン掛けされた生地が肌に触れる気持ちのいい感触を…」

 男の言葉は、まるで乾いた石にしみこむ水のように、頭の中に入り込んでいって無理矢理にイメージを浮かばせた。その直後、体と服の間に温かい風が駆け巡り、春一の衣服は裾の先まで一瞬で乾ききる。

 「…!」

 春一は驚きのあまり言葉を失った。

 「君はもうわかっているだろうけど、ここは夢の中だからね。強くイメージしたことが現実になるんだ。普通、服ってのは濡れたのじゃなくて、乾いたのを着るだろう?だからイメージがしやすいんだよ」

 「…夢?」

 「そう、あれ?君もそうだと感じていたのだろう?まぁ、ただの夢じゃないんだけどね。これは明晰夢だから」

 「明晰夢…?」

 「そうだよ。知っているだろう?」

 春一は妙な気分だった。男は不気味な声をしているものの、態度はとても友好的で、最初に感じた恐怖は消え始めている。ただ、今起こっている奇妙な出来事については違和感を捨てきれない。それが、夢…明晰夢とわかっていても…

 これが夢なら、早く起きてしまいたい…。春一はそう思い始めていた。

 「…おや?何か聞きたいことがあるみたいだね?」

 春一の心情の変化を読み取ったかのようなタイミングで、男はそう口にした。

 「ここから…出たい」

 率直な要求をぶつける。

 「ん?この部屋から?」

 「違うよ。この夢から…出たい。起きたいんだ」

 春一の質問に男は、困ったな、と肩をすくめた。

 「悪いけど、私は夢から抜け出す方法を私は知らないんだ。私自身が夢のようなものだからね。ただ、この部屋から抜け出す方法知っているよ」

 男は春一の後ろのドアを指さす。

 「そこから出ればいい」

 「…このドアは開かなかった」

 春一はふてくされるように言い返した。

 「鍵がかかってるからね」

 「鍵なんてどこにも…」

 春一が反発しようとすると、男はまたドアの方をちょんちょんと指さした。渋々と男の指す方を見てみると、ドアノブの下に小さな鍵穴が開いていた。春一の記憶では先ほどまであんな穴は空いていなかったはずだ。

 「鍵は…そうだ!君のズボンの右ポケットに入っているんじゃなかったかな?」

 男は、今まさに思い出した、というような嘘くさい演技をしながら付け足す。

 春一は、疑いながらもズボンの右ポケットに手を入れた。すると、指先が何か冷たく固いものに触れ、それを引き出してみると古びた鍵が姿を現した。不信がりながらも、その鍵を鍵穴に差し込み、軽くひねってみる。


 ― カチャン。


 開錠の音が部屋に小さく響いた。

 「これも…夢だから?」

 春一はいぶかしげに目を細めて尋ねた。

 「そういう事」

 男が天狗の面の下で、にやっと笑った。顔は見えないはずだが、春一はなんとなくそう思った。

 春一は、男に対して聞きたいことが山とあったが首を横に振った。そんな事より、早くこの部屋から出てしまいたかったからだ。

 ドアノブを回し、勢いよく開ける。

 だが、これが間違いだった。ドアが開いた瞬間、眩しいばかりの光が差し込む。それと同時に、部屋の中の空気が一気に外に吸い出された。

 「うわぁあ!?」

 奇声と共に春一の体は外に投げ出された。咄嗟にドアノブにしがみ付く。

 ドアの先に建物は続いていなかった。そこは、どこかの上空、雲よりもはるかに高い場所へと繋がっていた。原色の青で塗りつぶしたような濃い空、下には見事な雲海の絨毯が広がる大絶景だったが、今の春一に風景を楽しむ余裕などはない。大空にポツンと書き足したようなドアに、腕だけでしがみ付いている。少しでも手の力を緩めれば、真っ逆さまに落ちてしまう状況だ。

 ドアは風に煽られ、パタパタと揺れた。

 「た…助けて!!」

 うわずった声で春一が叫んだ。もはや自力で戻る事は不可能だった。それどころか、手が汗ばんできて滑ってしまい、今にもアノブを離してしまいそうだ。

 男は慌てることなく、ゆっくりと手を挙げる。そして、その手をこれまたゆっくりと振った。

 「な、なにしてんだよ…!?早く助けて…!」

 「心配ない、ここは夢の中だ。落ちてもまぁ、痛みはあるかもしれないが現実に戻るだけだろう」

 「そ、そんな…!!」

 「起きたかったんだろう?ちょうど良かったじゃないか。…あぁ、そうそう。ちなみにここで起こった事は、この先、むやみやたらに他の人に話さない方がいい。それが君の身を滅ぼすことに…」

 男の話の途中で、春一の手はドアノブからするりと抜けた。

 「うわぁぁぁぁぁ!!!」

 春一は辺りに絶叫をまき散らしながら落ちていった。しばらくは、叫び声が響いていたが、やがてそれも聞こえなくなり、再び部屋の中に静寂が訪れる。



挿絵(By みてみん)



 男が天狗の面をはずし、ドアの外に目がけて投げ捨てた。天狗の面はカラコロと部屋の床を転がって外に飛び出し、春一の後を追った。

 「…まだ、その時ではなかったか」

 男がそう呟くと、ドアは独りでに閉まった。





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