壱「新しい扉」 前
1
真空の宇宙空間を、小さな金属製の円筒が漂っていた。
等速度運動をするそれはある意味止まってるようなものだが、光速の二割ほどで動いているとも言えた。
そして、銀河から見れば小さな円筒は、その中にいる十五名の乗員たちにとっては巨大な物だった。
彼等は宇宙船『ナフ三号』と、その円筒を呼んでいる。
「みんな、そろったかい?」
ブリッジの真ん中で大柄な女が言った。
「おー」
「あいよー」
取り囲んだ乗員たちが返事をした。
船長と呼ばれた女は名をネフスワといい、かつて「世界一タフな男」と呼ばれた英雄ナフの孫娘だ。
宇宙時代初期から船に乗り続けるベテランで、この宇宙貨物船『ナフ三号』の船長を任されている、誰疑うことない経験も実績もある壮年の船乗りだ。
『ナフ三号』は、母なる惑星「ホンザイル」と新たな居住惑星「ナフマンザ」を行き来し、「ナフマンザ」移民の生活を支えている。
道中、乗員たちは、かつて彼等の先祖が冬眠をしていた頃の遺伝子を呼び覚まして代謝を極限まで押さえる薬「冬眠薬」を使い、十五名が交代で眠って過ごして来た。
「皆さん、そろったようですね」
ネフスワは全員の顔を確かめながら言った。
「まもなく、減速に入ります。皆さん、シートについて体を固定して下さい」
全員黙って席に着く。
薬の影響が残っているのか、数名の動きはやけに鈍い。
「さて、まずは船を反転させましょう。航海班、準備して下さい」
「反転開始します。皆さん、席についてください」
ベテランのスニラトゥ航海班長がまず席に着き、大声で言った。
船長の席は航海長の隣。そこに大柄なネフスワがどかっと座る。
そして、「反転、開始」と命じた。
低くくぐもった振動が船全体に響き渡り、ゆっくりとブリッジの窓にうつる星景色が、上から下に流れ出した。
(これで、何度目かしら……)
船長ネフスワは、流れる星を見ながら思った。
(あれ、宇宙魚。まただわ。ここのところ、多いわね)
「船長、宇宙魚です!」
「そうね。スニラトゥ、害はないから、続けて」
ナフスワは何事もないかのように言った。
「はい、了解」
突然、窓の下の隅、星景色が消えて行く辺りに青白く輝く光が見えた。
そして、光速を超えてるかと思えるような凄まじい速度でするすると動き回り、そして消えた。その様子が水中を泳ぎ回る魚のように優雅なことから、それは「宇宙魚」と呼ばれている。
(きれいね……でも、なんなのかしら。あれ? 姿まで本当のお魚みたい)
ネフスワは、先ほどの宇宙魚を思い起こし、ふと思った。
まだ観測例も少ない、謎の存在。
宇宙船『ナフ三号』はそのままゆっくりと回転し、真後ろを向いて止まった。
「慣性力緩和装置ならびに重力子プロペラ推進機、始動用意」
「始動用意」
ネフスワが命じ、スニラトゥが復誦する。
そして、暖機をはじめた電気系が発する微振動が伝わって来た。
「始動用意完了。始動します」
「よろーし」
がこん、と推進機のクラッチが繋がる振動が伝わり、同時に強烈な加速度がネフスワたちをシートに押し付けた。訓練されたもだけが耐えうる、凄まじい物だ。
が、暫くして別の、甲高い音とともに、押し付ける力が緩くなった。新しい慣性力緩和装置のおかげだった。
「緩和装置出力安定。皆さん、シートから立って結構です」
計器をみながらスニラトゥが言った。
乗員の半分が「ふー」とか「はー」とか息をつきながら立ち上がる。
「楽になったものね」
スニラトゥは座ったまま隣のネフスワに声をかけた。
「ええ、全くです。『ケッペサ弐号』のころは大変でしたよね」
「そうねぇ。減速はきついし、時間はかかるし」
「片道飛ぶのに、三倍かかりましたよね。加減速には十倍くらい」
そう言ってる間にも、船の速度は凄まじい勢いで下がっている。
『ケッペサ号』や『ケッペサ弐号』の頃は、加減速に数ホンザイル日もかかった。が、最新型である『ナフ三号』は、強力な推進機と緩和装置のおかげで一日とかからない。
「ああ、久しぶりにあの人に会えるわ」
ネフスワは小さなお守りを手に言った。
「あの人? ああ、ナフラナさんですか」
「初めて会ったときは、二人ともトシゴロの娘だったのに……」
2
「こんにちは……」
大柄な少女が、医師に導かれ広い病室に入った。
病室は病院、いや惑星ナフマンザのコロニーで一番高い所にあった。
断熱構造の丈夫な窓の外は、乾いた極寒の大地が広がっている。
静まり返った死の大地のようではあるが、ここではここなりに自然が織り成す変化に富んだ風景があった。風がふき、うっすらと雲が湧き、そして地平線からここの陽であるケッペザイルが登り、反対側からおちていく。その色だけをただ見る限り、母星ホンザイルとかわらない。
しかし、その陽にてらされるのは、岩と氷と、そしてむき出しの硫黄のかたまりだけ。ホンザイルとはちがう、死の星だ。
「おや、お客さんかい。はじめまして、お嬢さん」
病室の住人である老人が、床に横たわって言った。
「はじめまして。そのぉ、お届けものがあってきました」
「ほう、めずらしいね……どっこいしょっと」
老人はゆっくりと起き上がった。
「おや、大きなお嬢さんだこと」
「ええ、血ですわ」
そう言って、娘は一通の手紙を差し出した。
老人はそれを受けており、しげしげとそれを見た後、娘の方に向き直った。
「おや、ああ、もしやと思ったが。お嬢さん、アンタは」
「はじめまして、カンザルさん。ナフの孫、ネフスワです。祖父が橋を渡る少し前に預かった手紙、お届けに上がりましたわ」
カンザルと呼ばれたその老人は、手をふるわせながら「おぅ」と一つうなずき、それ以上言葉を出すことができなかった。
長い、沈黙。
吹きすさぶ風の音が、病室の分厚い窓を通して響いてくる。
……トントントン
軽やかな足音が、その沈黙を破った。
ふとネフスワが振り向くと、少女が一人。
「長老、お具合はいかがですか? あ、どうも」
扉の前にいた少女は、その足音の主のようだ。
「はじめまして、見習い医師のナフラナです。あなたは、誰?」