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第五話 ピクニック

 緑に囲まれた場所だった。

 周囲の緑、足下の灰色、真夏の光に照らされて、暑い中、同時に爽やかさを感じさせる。


 そんな空間に、一台の車は走っていた。大型の青のワゴン車。

 運転しているのは閃夜。後ろには咲と凪が座っている。咲は凪の肩にもたれ掛かって眠っており、凪は窓の外を眺めている。三人とも、いつものエプロンは着けていない。


「はーい、着いたよー」

「へあ?」

 車を停めたところで閃夜が声を掛け、その声で咲は目を覚まし、こぼれた唾液を拭いながら体を起こした。

「二人とも降りてー」

 双子は荷物を持ちながら、ドアを開け、外に出た。

 そこは、山に囲まれ、辺り一面草の生えた平原。空は一面真っ青で、雲一つ無く晴れ渡っている。


「山だぁあーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 ……

 …………

 ………………


 遡ること二日前。

 ARINOSUの閉店時間、いつも通り閃夜が二人に給料を渡していた時、それは、あまりにも唐突だった。

「二人とも、一緒にピクニック行かない?」

「ピクニック?」

「行きたいです!」

 聞き返した凪に対し、咲は目を輝かせ、前のめりになりながら言った。

「ちょっと待って、そもそも何でいきなりピクニックなんですか?」

「何でって、明日は土曜日だし、久しぶりに山にでも行こうかなと思って。でもまあ一人で行くのも寂しいし、せっかくだから二人も誘ってみようかなと思って」

 毎週土曜日。それがこの店の定休日となっている。

「凪、行こうよぉ」

「いや、だって、まず父さん達に聞かないと。それに、今の季節に山って言うのも……」

 少なくともARINOSUでバイトを始めるまで、休みの日はもっぱら家でのんびりと、本を読みながら過ごすのが凪の常だった。

 何より、夏という季節自体があまり好きではない。気温が暑いのはもちろん、日焼けもしたくない。凪としては、理由も無しに積極的に外をうろつきたいとは思えない季節が夏だった。

 そんな考えを持つ凪に対し、咲が見せたのは何かしらを含む笑み。

「じゃあいいよ。私と店長、二人きりで行ってくるから」

 咲はそう言いながら、閃夜の隣に立ち、腕を組んだ。

 それを見た瞬間、

「やっぱり私も行きたいです」

 凪の中にあった夏への抵抗は、一気に閃夜への愛情に取って代わられた。

 そして、咲はと言えば、

(相変わらず単純な子だわ……)

 二人に気付かれぬよう、顔を背けながら邪悪な笑みを浮かべていた。

 そんな二人に挟まれた閃夜は、変わらぬ純粋な気持ちと表情を浮かべるだけ。

「そう? じゃあ決まりね。一応親御さんには断っておいて。俺は腕によりを掛けてお弁当作るから」

「店長、お料理できるんですか?」

「これでも得意なんだよ料理。特にケーキがね」

「あはは、納得」

『あははははははは……』

 閃夜と咲が笑っている中、この場で笑っていないのはただ一人。

(どうでもいいから、二人ともその腕を外しなさいよ……)

 ここまでずっと腕を組んだままの二人を眺めながら、イラついていた。


 ……

 …………

 ………………


 そうして双子は、その翌日には無事に両親からの承諾も得て、現在に至るのである。

「じゃ、行こっか」

 閃夜が車の荷台から荷物を降ろしながら言うと、三人は歩き始めた。

「賑やかな場所ですね」

「ここはピクニックを楽しむ人達の間では人気なんだよ」

 閃夜の言うように、家族連れや若者の一団などが、シートを敷いてその上で弁当を食べたり、バーベキューをしたり、家族連れは親子で走り回り、遊ぶ光景も見られる。

 そんな場所を三人はしばらく歩き、手ごろな場所を見つけたところでそこに大きめのシートを敷いた。その上に持参した荷物や、弁当籠に水筒も置く。

 その直後、咲が靴を脱ぎ、我先にとシートの上に座った。

「いいお天気ですねー」

 そう言いつつ背伸びをしながら倒れ込んだ。

「姉さん。あんまり寝転がらないでよ。狭くなるから」

「いいじゃない。凪も一緒に寝ようよ。気持ちいいよー」

「私はいい」

 答えながら、凪も靴を脱ごうと足元を見る。すると、足の下を、蟻が行列を作って歩いているのが見えた。

「きゃっ……」

 咄嗟のことに驚いてしまい、小さく叫び、よろけてしまった。

「おっと、大丈夫?」

 そんな凪を、閃夜は肩を押さえて支えた。

「え、あ、あの……」

(うぉほほほー)

 両肩を押さえられ、互いに顔が近い。そんな二人の状態に、双子はそれぞれ、別の意味で興奮していた。

 だがそんな二人の興奮を知る(よし)も無い閃夜は、ただ、凪から説明を求めている。

「いえ、靴を脱ごうとしたら足元に蟻が行列を作ってて、ちょっと踏んじゃってたみたいで……」

「えぇえええ!!」

 閃夜は大声を出しながら手を離し、凪の立っていた場所を見た。確かに、蟻が行列を作り歩いている。そして、蟻が歩いている部分の草が、踏まれていたことで窪んでいる。

「あーあー、かわいそうに」

(店長……)

「蟻を踏んだら雨が降るんだよ」

「え、そうなんですか?」

「うん。アメリカの(ことわざ)。他にも蟻が行列を作ってたら大雨の予兆だとか、中国なんかでも、蟻は雨を予兆するって信じられてたんだって」

「へぇ……」

 凪が頷いたのを見届けた所で、閃夜はシートに手を掛けた。

「じゃあ少しだけ移動させようか。蟻がシートの上に上って来るのも二人は嫌でしょ」

「おぉ……」

 咲がまだ上に座った状態も構わず、ズリズリ移動させた。


「よし、ここならいいでしょ」

 元の場所から二、三メートルほど引っ張った所で、シートを綺麗に整えた。

「あ、水筒一つ忘れたみたい。取りに行くから少し待ってて」

 閃夜は双子にそう告げて、車へ走っていった。

 その様子を見ながら凪もシートに腰掛ける。

(……)

 同時に、先程の出来事を思い出し、途端に顔を赤らめた。

(……今日は色々と面白い物が見れそうだわぁ)


「じゃ、早速だけどお弁当にしよっか」

 閃夜のその言葉に、咲の目が輝いた。

 重箱の包みをほどいていき、四段重ねになっている重箱を一つ一つ並べていく。

 一つ目には数種類のおにぎり、二つ目には唐揚げやエビフライ、ソーセージに卵焼きといった定番のおかず、三つ目には色とりどりの野菜や果物が入っている。そして四つ目には、綺麗に飾り付けられたフルーツケーキが入っていた。

「全部店長が作ったんですか?」

「もちろん」

「おいしそー」

(店長の手作り……)

 凪が顔を染めている間に、閃夜は紙皿、紙コップ、割り箸を二人に配っていった。そして、二つの水筒を両手に持ち、

「水筒の中身は麦茶とオレンジジュースがあるけど、どっちがいい?」

「私、ジュースで」

 咲はオレンジジュース、

「麦茶を」

 凪は麦茶を、それぞれ要求した。

 二人の持つ紙コップにそれぞれ注ぐと、二人とも同時に飲み始めた。

「遠慮なく食べてね」

 だが閃夜が言うよりも早く、咲は既におかずをよそい始めていた。

「姉さん、そんな意地汚い」

「咲ちゃんも早く食べた方がよさそうだよ」

「そうします」

 凪もおかずを取り始めた。

 双子が一つの弁当箱から、必死におかずを取る姿。

(和むなぁ……)

「店長は食べないんですか?」

「ん? もちろん食べるよ」

 凪に言われたことで、閃夜も自分の皿と箸を取り、おかずをよそい始めた。


「おいしかったー」

「じゃあ先に荷物運んでおくね」

 閃夜は空になった弁当箱を持ち、車に向かった。

 残された咲は背中から寝転がり、凪は普通に座っている。

 特に会話するでもなく、二人は違う体勢で、青く広がる空を仰ぎ見ていた。

(……抵抗はあったけど、確かにこういうのも悪くないかな)

 暑さは苦手ではあったが、緑に囲まれているからか、それ以上の涼しさを感じた。優しげに吹く風は肌に心地よく、運ばれてくる緑の香りは心を静ませてくれる。

 普段都会に囲まれていることで感じない自然の恵み。それが普段感じることのない、心の爽やかさを生んでくれた。


「ねえねえ」

 そうやって自然を感じている時、後ろからそんな声が聞こえた。双子が共に振り返った時、そこには二人組の若い男が立っている。

「えっと、もし良かったら、俺らと森の中でも散歩しない?」

 やや緊張気味なその誘いを、咲は笑顔で聞いていたが、凪は明らかに動揺していた。

 なんと答えるべきか分からない、そんな様子を見た咲が、何やら思いついた様子で口を開いた。

「ごめんなさい。実は今日、妹の彼氏と一緒に来てるから」

「っ!!」

 咲の突然の言葉に、凪は反射的に立ち上がった。

「え? 彼氏いるの?」

 男の質問に、凪はかなりうろたえを見せたが、


「おーい」


 と、後ろから閃夜の声が聞こえ、全員が振り向いた。

「お待たせ」

 言いながら凪の隣に立った、その人物を見ながら、

「その人が、妹の彼氏でーす」

「っ!! っ!!」

「……?」

 凪は更にうろたえ、閃夜も突然のことに呆けてしまった。が、すぐその場の雰囲気を察知した。そして笑顔を作り、凪と肩を組んでみせ、

「そ。俺が現在、彼女と付き合ってまーす」

「っ!! っ!! っ!!」

 もし今肩を組まれていなければ、興奮で気絶していたかもしれない。それだけ凪の心臓は早鐘を打ち、体の表面温度は急上昇していた。

(うわ、めちゃめちゃ美人……)

(女みたい、勝ち目ねぇ……)

 だがそんな凪とは逆に、二人の男子は完全に意気消沈していた。

 これほど可愛い女の子の彼氏と言うのだから、それなりの美男は想像していた。だがいざ現れた男の美しさは、それなりどころか想像を遥かに超えていた。容姿も上なら、ついでに身長も、百七十半ばの自分達より遥かに高い。

「……森でも歩くか?」

「そうしよう……」

 張りあう気など起こるはずもなく、背中を向けて歩いていった。


「あれ? 俺何かまずいことしたかな?」

 がっくりと歩いていく二人の背中に、自覚の無い閃夜は疑問を口にするだけだった。

「大丈夫じゃないですか? じゃあ、私も森の方行ってきまーす」

「え、ちょっと姉さん……」

 咲は適当な言葉を並べると、立ち上がった。

「じゃ、後は二人っきりで良きなにー」

「ああ……」

(二人っきりで!?)

 結局、凪と閃夜の二人を残し、咲は森へと消えていってしまった。


「……」

「……す、すいません」

 一人だけ別行動を取った咲の姿に、凪は急いで閃夜から離れながら、謝罪の言葉を掛けた。

「いいよいいよ。そうだ、せっかくだし、僕らも森の中歩いてみない?」

「えっ!?」

「行こ」

 凪の返事も待たず、その手を引き、森へと歩いていく。

「あぁ……!」

 何気なく握られた手と、前を笑顔で歩く閃夜。凪はまた、閃夜の視界の外で赤面した。



 手は離されたものの、森を歩きながら、凪は未だ鳴り止まぬ心臓に苦しんでいた。

(これって……デート、なのかな……)

 閃夜にそんな意識は無いと分かっている。だから意識すまいと思っても、心と現実がコントロールできずにいた。

「あ、見て」

 突然閃夜が声を出し、地面を指差す。

 何かと思って見てみると、そこにあったのは、蟻の群れ。

「『クロヤマアリ』だぁ」

「……」

「ここにいるってことは、多分女王が一匹だけの『関東型』だねぇ」

 そんないつもの姿に、少しだけホッとした。だが同時に、やや気落ちしてしまった。せっかくの休日、二人きりなのにこの人は、いつだって蟻のことばかりなのだから。

「知ってる?」

「……?」

 ずっと無言で蟻を眺めるだけだった閃夜が、突然話し掛けてきた。

「『ソロモン』っていう人の有名な格言なんだけどね、『怠け者よ、蟻の所に行ってみよ。その道を見て、知恵を得よ。蟻には首領もなく、指揮官も支配者もいないが、夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める』って言葉」

「はあ……」

「冬に備えて夏の間にせっせと食糧を蓄える蟻のこの性質は、勤勉や倹約、先見の明を象徴するものとして、以降『ヘシオドス』、『ホメロス』、『イソップ』なんかによって、具体的に強調されていったんだって」

「はあ……(はぁ)」

 そこまでの言葉を聞いたところで、自然と溜め息が漏れた。

 ソロモン、ホメロス、一度でも聞いたことがあるかさえ怪しい人間の名前を並べられた所で、興味などそそるられるはずも無い。

「けど、俺は少し違うと思うけどね」

「え?」

その発言に疑問を覚えた時、閃夜は立ち上がり、蟻から視線を外していた。

「確かに蟻には指揮官なんていないし、女王蟻も支配者っていうほど偉い生き物でもないよ。でも、やっぱり蟻達が必死で働くのって、女王や幼虫の蟻がいるからなんだ。もしかしたら彼らは働いてるって自覚も無いのかもしれないけど、それでも本能で、自分達の家族を守るってことが体に染み付いてるんだと思うんだ」

「だから俺は、蟻が必死に働いてる姿もそうだけど、それ以上に、守りたい人の存在が、生きることの原動力になる。そんな所を見て欲しいなって思うんだ」

「……」

 閃夜の話しには、確かにそうだと感じるものがあった。

 ただ蟻を育て、愛でて、売っている。それだけの人だと思っていたけれど。

 だがその中で、そんな思いを感じながら今まで蟻を育てていたのか。

「……」

 今いち掴めない人だが、少しだけ閃夜という人のことが分かった気がして、笑顔が浮かんだ。

「僕らも、いつかそんな人に出会えたらいいよね」

「っ!!」

 突然こちらへ振り返りながらの、笑顔での言葉。

 また胸が鳴った。だが、すぐに笑顔を返し、

「はい」

 と、一言答えた。

「そろそろ戻ろっか」

「はい」



 森の出口へ辿り着いた時だった。

「あ、落とし物した」

 突然閃夜がそう言い、また森の中へ入っていく。

「え、店長?」

「ごめん、先に戻ってて。すぐ戻るから」

 そして奥の方へ走っていった。

「店長!」

 先に戻れと言われたものの、反射的に追いかけてしまっていた。

 しばらく追いかけて走ったが、いつの間にやら見失ってしまった。



   ◆



 曇り空の下、一人の青年が川岸に立っていた。

「……」

 何をするでもなく、ただ無言で川を覗いていた。

 することは何も無い。そして、面白いことは何も無い。

 かつては今とは違い、毎日がとても楽しく、充実させてくれるものがあった。

 だが、今それをもう一度したいとは思わないし、思ってはいけない。そう自分に言い聞かせていた。

 もし今それをしてしまえば、今のような静かな日常は一生訪れないだろう。

 とても楽しかっただけにもったいないが、ここは我慢をしなければ。


「ヘーイ。一人で寂しそうだな」


 男の声がした。

 見ると、その声の主は自分と川を挟み、笑顔で対岸に立っていた。

 妙な触覚を頭から生やした男だった。黒の長袖と長ズボン、そして黒の運動靴という格好。

「何だお前?」

 いきなり話しかけられたため、こちらも尋ねてみる。

「あんたは俺を知らないだろうが、俺はあんたのことは大体聞いて知ってる。『崎田(さきた) 公平(こうへい)』。誘拐殺人犯。幼児誘拐、虐待及び殺害の罪で一年前に起訴。その後、証拠不十分で不起訴」

「……!」

 昔の話しにやや驚いたが、『崎田 公平』はすぐに笑って見せた。

「それがどうした? もしかして俺を捕まえにでもきた? 言っとくけど、俺はもう正式に無罪になってんだ。捕まらねーよ俺は」

 自身満々の態度でそう答えてやった。

だが対岸の男は笑顔を絶やさず、こちらへ人差し指を突き出してきた。

「有罪になろうがなるまいが、どうせ息子は帰ってこない。結局法的に裁けないのなら、いっそ息子と同じように殺して欲しい。それが依頼だ」


 ピト


「……?」

 男が言い終わった瞬間、口に一滴の液体を感じた。

「じゃあ、そういうことで、せいぜい苦しみな」

 そう言うと、男は背を向け、去っていった。

「……」


「っ!!」

 無言でその光景を見ていたが、急に息苦しさを感じた。次第に胸が痛み出し、あまりの痛みにその胸を抑える。

 その場に倒れながら、言葉にならない喘ぎ声をこぼした。その声に、誰かが気付いてくれる様子も無い。

 そうしながら見えたのは、一年以上昔の光景。

 目の前を歩いていた、五歳になろうという男の子を誘拐した。その子供に様々な虐待を行い、満足した後で殺してやった。

 理由など無い。

 別に誰でも良かった。

 単純に人を殺してみたかった。

 そう決めた時、目の前にいたのがたまたま子供だった。普通の青年や大人ならただ殺しただけで済んだが、相手はせっかく力の弱い子供なのだから、ただ殺すだけでなく、じわじわ苦しめながら殺そうと考えた。

 髪を引き抜き、皮や爪を剥ぎ、ライターで火を当て、針をあらゆる場所に突き刺し、死なない程度に包丁で切り、刺し、抉った。

 指を一日に一本ずつ、二十日かけて切り落とした。

 指が無くなった後は耳を削いだ。

 耳が無くなった後は目をくり抜いた。

 目が無くなった後は、糸鋸で舌を、毎日、少しずつ、五日間掛けて切り落とした。

 そこまでしたのにまだ生きていた、男の子の生命力には正直、呆れた。

 とことん傷つけた時の感触は、今でも指に残っている。

 「痛い」、「帰りたい」という悲鳴、今でもはっきり覚えている。

 最後の二日間は、声も出しはしなかった。ただぴくぴくと、捨て猫のように震え、動かなくなるまで、体中からあらゆる液、排泄物を撒き散らして。


 殺した後は当然逮捕された。だがそれは、証拠隠滅――引っ越しを終え、住まいだったアパートを燃やした後のことだった。

 どうでもいいが、火事のせいで住人が二人死に、一人は歩けなくなったらしい。本当にどうでもいいことだが。

 他にも証拠になりそうな物は全て綺麗さっぱり処分した。

 その苦労が報われて、無罪方面となり、今こうして、伸び伸びと静かな日常を過ごしているのである。


 そんな毎日の、今日という一日。


 そこで今、苦しみにのた打ち回り、徐々に動けなくなり、遂には、全く動けなくなった。



   ◇



 一般的にはあまり知られていないことだが、蟻という生物は、実はハチ目スズメバチ科の昆虫であり、世界的に見ると、針や毒を持つものが多数派な昆虫でもある。

 ゆえに噛みついたり、針を刺すことで相手に毒を注入する種類が当然多い。ただし、刺すほど強靭な針を持たない蟻も存在し、そんな蟻はしばしば毒を吹き付けることで攻撃を行う。

 その毒に触れれば、たとえ人間でもタダでは済まない。その部分は腫れて、痒みや激痛に襲われることもあり、最悪死に至る場合もある。

 そうした毒を、蟻が自らの体内で精製できるのに対し、閃夜もまた、その毒を体内で作り出すことを可能としていた。

 それも、普通の蟻の毒に比べて、殺傷力は格段に高く、一滴でも人の肌に触れればそこから体内に浸透し、相手を殺せるだけの威力を誇る。飲ませれば、更に効果は大きい。それを指先に集中させて相手に向け、爪の間から噴出させて飛ばすのである。

 持ち前の腕力と、それ以上の威力を誇る、閃夜最大の武器。

 それがこの『蟻毒』であった。


 いつもとは違う、質素な服装の閃夜は、携帯電話でいつも通り門口に連絡を行っていた。

「言われたとおり、この山に現れました」

『そうか。無事に終わったみてーだな。お疲れさん』

 そこまで会話し、携帯を切る。

 察しの通り、閃夜が山へ来た目的は、始めから『崎田(さきた) 公平(こうへい)』の殺害一つだった。

 初めにこの山に来た時点で崎田の存在に気付き、遠くへ行かないか、蟻の監視を付けておいた。後は崎田が人気の無い場所へ移動した所を狙い、仕留める。閃夜にとっては容易な仕事だった。

 しかし、それがピクニックと何の関係があるのか。

 そう聞かれれば、答えは、全く関係がない。

 実際のところ、一人で来た方がよほどやり易かった。だが場所が場所であったために、せっかくだからと双子も連れてきていた。

 それは単純に閃夜の、一人の雇い主としての、まだ若い従業員に対するサービスだった。



「あれ、凪ちゃんは?」

 髪型と服装を元に戻し、森から出て元のシートに戻った時、咲一人が座っていた。

 凪について尋ねてみると、咲は心配そうな表情で、首を横に振る。

「それが、まだ戻らないんです。携帯も繋がらないし、店長と森に入ったんじゃないんですか?」

 やや焦りながらの口調。

 閃夜はことの重大さに気付き、もう一度咲に話し掛ける。

「悪いけど、雨も降りそうだから、シートを畳んで車に戻ってて。俺は森に行ってみるから」

「私も行きます!」

「ダメ!!」

 立ち上がりながら言った咲に、閃夜は大きな声で叫び、制止した。

「車に戻ってるんだよ。いいね」

 そう言って、呆然としている咲を残し、森の方へ走っていった。

(戻ってろって言ったのに、まったく世話の焼ける……)



「まずい……これはかなりまずい……」

 空は今にも雨が降りそうなほど曇っているうえ、方向も全く分からない。

 そんな状況の中で、凪はなぜか、とりあえずは冷静でいられた。

(どうしよう……携帯は圏外だし、場所も方向も全然分からない。雨も降りそうだし、さっき蟻踏んだからかな? どうしよう、どうしよう、本当にどうしよう……)

 どうすることもできないまま、ただ宛ても無く歩き続ける。

 すると突然、


 ガサ……


 後ろから、草を掻き分ける音が聞こえてきた。それは、明らかに自分よりも大きな物の動いている音。

(誰かきた? ……もしかして、店長?)

 そんな期待を込め、振り返ってみる。音は段々と大きくなり、こちらへ近づいてくる。

 そして、


(きゃああああああああああああああああああああ!!)


 突然の出来事に、声は出なかった。だが、心の中で絶叫し、その場に崩れ落ちた。

 目の前にいたのは、自分より体が一回り以上大きな、ツキノワグマ。

 その大きな体には似合わないつぶらな瞳をこちらに向け、四足歩行で近づいてくる。

 逃げなければならない。

 分かっているのに、恐怖にその場で体が凍りつき、声も出せない。

(助けて……誰か……姉さん……店長……)

 最後に、閃夜の顔を思い浮かべた時、目の前に熊の顔があった。

 覚悟を決め、たまらず、目を固く閉じた。


「大丈夫?」


 聞き覚えのある声がした。

 ゆっくりと目を開くと、そこには、熊がいた。

 その熊を、右手はポケットに突っ込み、左手で熊の襟首を掴み、熊を直立させている。

 そんな閃夜が、こちらに笑顔を向けていた。

「咲ちゃんが心配してるよ。早く帰ろ」

 いつもの口調で言っている。今が普通の状況なら、こちらも返事を返すところだが、とてもそれどころではない。

 熊が大声で吠えて見せた。こんな時だがよく見てみると、熊の方がわずかだが閃夜よりも背が高いのが分かる。

「店長……熊、熊……」

 今にも泣き出しそうな、切羽(せっぱ)詰まった声で、必死に呼び掛けた。

 だがそんな泣き顔さえも、閃夜は気にしていない。

「大丈夫大丈夫」

 そう一言答えて、左手を後ろに引いて、熊を自分より後ろへ移動させた。その直後、熊の腹に向かって右手の拳を、


 ドッ

 ドッ

 ドッ


 三度、力一杯当てた。

 直後に、自分の足を熊の足に引っ掛ける。途端に熊はけつまずき、その場に、ドスンッと背中から倒れ込んだ。

 熊は四つ足で立ち上がったが、情けない鳴き声を上げながら、四足歩行でゆっくりと去っていってしまった。


「じゃ、帰ろっか」

 再びこちらに向けられた、閃夜の笑顔。

 ピンチを脱したことに凪は安堵し、一気に力が抜け、声も出せない。

「大丈夫? ほら」

「え? やっ……!」

 動けずにいる凪を、閃夜はお姫様抱っこの体制で抱きかかえた。

「車までお送りしますよ。お姫様」

 そのままの状態で歩き始める。

「にしてもこんなところに熊が出るなんて、後でこの辺の自治体に連絡しなきゃ。たくさんお客さんが来る人気スポットなんだから、気を付けてもらわないと」

 そんな閃夜の独り言も、凪には聞こえていなかった。

 今にも吹き飛んでしまうのではないか。そう思える程の心臓が高鳴り。それに襲われて。

 だが同時に、ずっとこのままでいたい、そんな気持ちにも気付いた。



咲は一人、車の中で、二人が来るのを待ち続けていた。

(お願いだから、二人とも無事でいて……)

 そう祈る気持ちで、車の外を見続けた


 トントン


 すると、咲の見ている方向とは逆から窓を叩く音。

 そちら振り返ると、

「凪!!」

 閃夜が凪を抱いた状態のまま、笑顔でこちらを見ている。

 閃夜が凪を降ろすと同時に、咲は車から飛び出し、凪に抱きついた。

「ちょっと、姉さん……」

「心配したんだからぁ、もう……」

 そんな、咲の涙声に、凪は自然と笑顔になり、

「うん。ごめんなさい」

 咲を抱きしめ返した。

 その後、結局雨は降らず、三人が帰る頃には、いつの間にやら空は青く晴れ渡っていた。





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