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第四話 お客様

『先月アメリカで一斉逮捕された武器密輸組織ですが、リーダーを含めた数人のメンバーは依然逃亡中。アメリカ政府は組織の人間が、兼ねてから取引が行われていたと思われる日本の指定暴力団との関連性を考え、日本に潜伏しているという可能性を本日発表してきました……』


 会計処理を済ませた後、凪はスタッフルームでテレビのニュースを眺めていた。ニュースの内容を気にしつつ、凪にはもう一つ、気掛かりなことがあった。

「店長」

「……」

 呼び掛けるも、何の返事も無い。

 閃夜はテーブルの上に組んだ腕に顔をうずめ、いびきをかいていた。

「店長!」

 今度は少し声を荒げてみたが、

「Zzz……」

 微動だにしない。その姿に凪は呆れ果て、諦めた。

(お客が来てからでいいか)

 そう思いながらテレビに視線を戻す。


 バッ


「うわ!!」

 戻した瞬間、突然閃夜は頭を上げた。だが見ると、目は閉じたままでいる

「ぅを客しゃん……」

 それだけ呟くと、また顔をうずめ、寝息を立て始めた。

(……寝言?)

 いきなりの閃夜の言葉に凪も驚いたが、またすぐに眠ったのだから、寝言に違いない。

 と、思ったのだが、

(まさか、本当にお客が来てたりしないわよね?)

 いつもの閃夜の姿にまさかと思い、店頭に出ることにした。


(……えぇ! うそ!?)

 店頭に出た時、本当に客が来ていた。咲がマンツーマンで相手をしている。

 黒色の短髪、青く光る瞳、咲より遥かに長身で、黒の半袖から逞しい二の腕を露出させ、薄く顎鬚を生やした、いかにも『アメリカ人』という見た目の中年男性。

「あー、あー……」

 英語で黙々としゃべる相手に対し、咲は無意味な発音を繰り返していた。英語と言う、よく聞くにしても一般の日本人学生にとっては難解極まりない言葉を繰り返された者としては、それは当然の反応と言える。

 それを眺めている凪自身、英語の成績こそ良いものの、実際に英語で会話することは、テストで英語の問題を解くのとは訳が違う。高速で発せられる発音の山は何を示す単語か聞き取れないし、話すことはなお無理な相談である。

 助けてやりたいのはやまやまだが、どうすることもできず眺めているしかない。

 外国人の客が話し終わる。最後の発音が上がっていたため、疑問文で言い終わったことだけは双子にも分かった。

「あー、あー……」

 咲は相変わらず言葉になっていない声をこぼしている。咲も、客も困り果てていた。

「あー、お客さん?」

 そんな気まずい空気を破ったのが、目を擦りながら奥から出てきた閃夜である。

「店長……」

 咲は今にも泣き出しそうな声で、閃夜を呼んだ。

「どうしたの? ……あー、はいはい」

 どうやらその一瞬で全ての状況を把握したらしい。素早く、咲と客の間に立った。

「Excuse me? I am the storekeeper here.(私がこの店の店主です)」

(なに!?)

(なに!?)

「Welcome to ARINOSU.(ARINOSUへようこそ)」

「Oh! Can English be spoken? (おお! 英語が話せるの?)」

「Yes. What are you looking for ant? (はい。本日は蟻をお探しでしょうか?)」

 まるで当たり前のように英語で会話する閃夜の姿に、双子は共に呆然としていた。

 そんな二人をよそに、閃夜は男の案内を始めた。内容こそ全く理解できないものの、閃夜が英語で蟻の説明をし、男もそれに英語で答え、会話する。時折二人が大爆笑している様から、閃夜が会話の中にジョークも織り交ぜているのが分かる。閃夜が蟻を容器からケースに移す場面では、男はかなり驚嘆していた。

 結局双子が呆然と見ている中、閃夜は男の求めた蟻と、その蟻のカードを手渡して会計を済ませた。そして別れ際、

「Thank you. Good bye.(ありがとう。さようなら)」

「Moreover, please come in when.(またいつか来て下さいね)」

 互いにもはや友人と言って良いほど親しくなった様子で、別れの挨拶を終えた。


「さーて、じゃあ俺は部屋に戻ってるから。お客さんが来たらまた教ぃいえてね」

(あ、噛んだ)

 いきなり普段使わない言語で話すと、下が回らなくなるのだろうか。

 双子が同時にそんな疑問を感じた所で、閃夜はスタッフルームに入っていった。

「……」

「……」

「……また『店長の不思議』が増えたね」

「……うん」

 咲の言葉に、凪も頷く。

 閃夜とこの店には多くの謎がある。咲がそれを総合して『店長の不思議』と名付け、以降、二人でそう呼んでいた。過去にもいくつもの不思議が発見され、そのどれもが不可解な物ばかりだった。


店長の不思議

 『その一、店の中にいるにも関わらず、お客が来る十秒前には来店を予知している』

 『その二、膨大な蟻の知識と共に、蟻と心を通わせている?』

 『その三、どれだけ食べても太らない ※最重要』

 『その四、私達より遥かに勉強ができる』


 そして今日の出来事、『その五、英語が話せる』。

 これ以降も不思議は増え続けるだろう。二人は確信していた。



「お疲れー」

 閉店時間、いつものように二人に声を掛ける。一日の仕事の終わりを告げるその声とその顔は、たっぷり眠ったせいか実に艶やか見えた。

「これ、お給料」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 同じ言葉を閃夜に返しながら、笑顔と無表情という対照的な顔で給料袋を受け取る。こんな光景も今や恒例となっていた。

「にしても、店長が英語で会話してたのには驚きましたよー」

「そーお? まあ勉強してたしね」

 咲の言葉に気を良くしたらしく、閃夜は満面の笑みを浮かべていた。

「もしかして、他にも喋れたりするんですか?」

「他にも?」

 そう問われた閃夜は、なぜか天井を仰ぎ見た。双子ともそんな姿に疑問を感じ、その数秒後、また双子に目を向けた。

「そうね……日本語も含めて大体十三ヶ国語くらいなら」

「はあぁあ!?」

「はあぁあ!?」

 衝撃の事実に、双子は同時に叫んでしまった。

「いや、だって……」

「日本語でしょう、英語でしょう、フランス語、中国語、韓国語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語……フランス語……?」

「フランス二回言いました」

 咲のツッコミに、閃夜は折っていった指を再び伸ばした。

「日本語、英語、フランス、中国、韓国、ロシア、ドイツ、イタリア、スペイン、アラビア、ロシア……」

「今度はロシアを二回言いました」

 また咲が突っ込みを入れ、もう一度元に戻して指折り数える。

 五分くらいそんなやり取りが続いたところで、

「日本語、英語、フランス、中国、韓国、ロシア、ドイツ、イタリア、スペイン、アラビア、スワヒリ、ヒンディー、ポルトガルの十三ヶ国語だ」

 ようやく言い切ったというその顔は、一種の『ドヤ顔』という奴である。

 だがそんな満足げな顔を見せる閃夜に対して、双子が向けたのは疑惑の眼差し。

「本当ですかそれ?」

「もちろん。嘘は言わないよ。まあ、当然いくつかは片言だけどね」

「……」

「……」

 謙遜する閃夜を見ながら、双子は顔を見合わせる。

 閃夜が普段嘘をつかないような人間であることは二人ともよく分かっている。そして今も、その屈託の無い表情に嘘偽りは見られない。

 だが、そんな無垢な表情だからこそ、何よりあまりにも突拍子の無い話しに、嘘ではないかという疑いを感じずにはいられない。

「じゃあ、何か話してみてくれますか?」

 言葉を話せると言い、それが真実であると確かめるならば、その言葉を聞くのが一番早い。双子が考えたのは、結局は誰もが最終的に到達する解決策だった。

「良いよ」

 そして、その解決策に応えるため、閃夜もまた口を動かし始めた。

「咲ちゃん、凪ちゃん」

『はい』

「Deux personnes sont très proches.(二人はとても仲が良いよね)」

「あれ? 英語、じゃ、ない?」

 先程話し、そしていつも聞く英語とは全く違う発音。それに凪は敏感に反応した。もっとも、さすがにそれがフランス語であるという結論に至るまでの知識までは有しておらず、理解できない言葉が耳を通り過ぎるだけ。

「Es ist sehr beneidenswert wenn zwei immer werden nahe Personen gesehen.(いつも仲の良い二人を見ているととても羨ましく感じるよ)」

「あれ、変わった?」

 フランス語からイタリア語に。言葉の雰囲気こそ似てはいるが、発音や口調は全く異質なもの。言葉の意味こそ理解できずとも、その明らかな違いは咲にも分かった。

「有各自的个性和优点,也认为互相那个是二人。(二人ともそれぞれの個性と長所があって、それを認め合ってる)」

「おわ、中国語!?」

 西洋の言語から東洋の言語へ。テレビで数度聞いた程度でも、その変化と雰囲気からどの国の言語かは分かった。

「매일 그런 두사람을 보고 있으면, 끈끈한 유대를 느끼게 할 수 있어요.(毎日そんな二人を見ていると、強い絆を感じさせられるよ)」

「これは韓国だね」

「うん間違い無い」

 一昔前の韓流ブーム等、それも比較的聞く回数が多かったため、その違いも二人は理解できた。

「I also wanted such a family.(俺もそんな家族が欲しかったなぁ)」

「あ、英語に戻った」

 ようやく自分達が最も聞く回数の多い外国語が出てきたことで、聞き慣れない言葉に苦悶を感じていた二人の心に、一種の安心が宿った。

「どう? 信じてくれた?」

「はあ……いや、まあ……」

 理解はできずとも、少なくとも出鱈目に発音しただけの言葉にも聞こえない。半信半疑な気持ちを消すのは難しいが、少なくとも信用することは二人ともができた。

「……それだけ喋れれば世界中旅行できるじゃないですか」

「そうね。少なくとも旅行目的ならこれだけ覚えてれば大体の国では不自由しないよ。二人も頑張れ」

『無理です』

 双子からのそんな同時の返事に、閃夜はただ笑顔を浮かべるだけだった。

(……この人って、本当に何者なの?)

 双子の『店長の不思議』のその五が、『英語が話せる』から、『十三ヶ国語が話せる』に変わった瞬間だった。


「ちなみに何て言ってたんですか?」

「う~ん……愛の告白」

「え……」

「え!」



 都会の夜は明るく、同時に賑やかである。列を作って走りゆく車のエンジン音に加え、これから飲みに行こういう仕事帰りの中年の男達や、部活帰りらしい学生服を着た若者もいれば、中にはちゃらちゃらした若者もいる。

 そんな光景を、赤信号に捕まったバイクから眺めていた。

(まったく、ただでさえ今の世の中物騒なんだから、学校の用じゃないなら子供は早く家に帰りなさいっての……て、俺もあまり人のこと言えた義理じゃないか……)

 自分のことを鑑みて、そう結論づけながら前方に視線を向けた時だった。

(ん?)

 それは、(はた)から見て何ら不自然な光景ではない。だがそれは閃夜の目から見れば、この場所という環境では十分に不自然極まりない、そんな光景に他ならなかった。

(……)

 もっとも、そんな不自然さえも日常茶飯事と化している閃夜にとって言えば、今更気に留めるまでも無い光景でしかない。信号が青信号になったのを見届け、バイクのアクセル握り直した。



「よう、早速で悪いが仕事だ」

 閃夜がバーに入った瞬間の第一声。

「本当に!?」

 閃夜もまた聞いた瞬間、興奮を隠すことなく指定席まで走り、座った。

「武器の密輸団のニュースは知ってるか?」

「ああ、今ニュースで話題になってる奴ですか?」

「そうだ。たった今連絡があってな、密輸組織はこの街に隠れてるらしい……」

 まだ最後まで話し終えていないその話しに、閃夜はもう満面の笑顔を浮かべた。

「分かった! そいつらを皆殺しですね!」

「いや」

「……え?」

 テンションMAXで聞き返してのこの切り返しに、つい力がガクッっと抜けてしまう。

「そいつらが準備を終えて逃走するまで三日。それまでにリーダーを捕獲して欲しいってのが今日の依頼だ」

「……え、捕獲? 殺すんじゃないんですか?」

 どうやら予想通りの反応だったらしく、門口は上手くいったという笑みを浮かべた。

「依頼主がな、どうしても生け捕りにしたいんだと」

「えぇー!!」

 かなり嫌そうな顔をしながら、かなり嫌そうな大声で唸った。

「なにそれ~。そういうのって警察の仕事でしょ~。俺達の仕事じゃないじゃないですか~。警察に頼んで下さいよ~」

「……」

 そんな閃夜の言葉に、ただでさえ緩んでいた門口の頬が更に緩む。

「……? ……え?」

 そんな悪戯っぽい微笑みから、その結論へ辿り着くのはむしろ必然だった。

「え、まさか本当に?」

「……」

「警察から!?」

 正解だと、口の代わりに更に明るくなった笑顔が語った。

「俺らみたいな裏稼業の人間に助けを求めるほど、日本の警察も落ちぶれたってことだな」

 その言葉に閃夜も溜め息をこぼし、顔をしかめ、ひじに顔を埋めた。

「俺探偵じゃないんですけど」

 いつもは決して見せない、不機嫌な声で唸る閃夜を前に、門口はいつも行う作業をこなしていく。

「ま、変わりに見つけてくれれば報酬はたんまり出すって言うし、見つからなくても手数料込みでそれなりに礼はするって言ってるんだ。別にいいじゃねーか」

 言いながら閃夜の前にチョコレートサンデーを置く。しかし閃夜は顔をしかめたまま、サンデーには見向きもしない。

「どうした? 今日はいらねーのか?」

 いつもなら喜んでむしゃぶりつくのに、今の閃夜は黙って不機嫌そうに顔を背けている。

「そもそも何で俺?」

「そりゃあお前は文句無しにうちのナンバー1だからな。殺しはもちろん、人探しもな」

「かぁー!」

 殺し屋という、ある意味で言えば世界一特殊な職業の人間達。そんな人間達にも当然組織は存在し、一つの集団として成り立っている。そんな集団にも当然それぞれの役割はあり、門口のような仲介役はもちろんだが、最多数の存在が、閃夜のような殺し屋。

 そして門口の言うように、特殊な力による物とは言え、それなりに腕が立ち、捜索に長けた人間という条件下、閃夜が選ばれるのはむしろ当然の結果である。

「もぉー! これだから最近の若い者は!」

「お前もうちの殺し屋の中じゃ十分若手なんだがな」

「あ~あぁ……獲物の特徴とか分かってるんですか?」

「何だ? ブーブー言ってた割にやるのか?」

「門口さんの仲介じゃなきゃ断ってますけど」

 スプーンに手を伸ばしながらそうぼやく閃夜の姿だが、閃夜のその言葉には、門口は素直に嬉しかった。

 嬉しさを感じつつ、閃夜の姿を眺めながら、懐からいつものように封筒を取り出した。

「分かってるのは、この組織のリーダーの男は、今は仲間と離れて単独で行動してるってこと。名前は『リチャード・ルイス』。アメリカとフランスのハーフだそうだ。これが写真だ」

 机に置かれた写真の中年の男は、茶髪で首まで髪が伸びており、落ち窪んだ青い目に、無精髭を蓄えている、いかにも『小悪党』という言葉の似合う風貌の中年男性。

「写真は一年前に写したそれ一枚だけだとよ」


 ブゥゥゥゥウウウウッ!!


 一年前という単語を聞き、まだ口に残っていたサンデーを、一気に門口に向かって吐き出してしまった。

「これ一枚って、しかも一年前!? 逃げてるならとっくに顔変えてるでしょう!?」

「……まあな。俺もそう言ったんだが、だからこうして頼んでるんだと」

 盛大に吐かれた後、顔を近づけられて更に顔に飛んできたサンデーのクリーム等をハンカチで拭いながら、門口は返事を返した。

「なぁにそれ~……」

 返事をしながらスプーンを机に置き、まだ残っているサンデーの器の口を右手で塞いだ。

「うわ……」

 その光景に、門口はつい、不快な声を上げる。

 器の口を塞いだ右の手の平。そこから大量の蟻が現れ、器の中に入っていった。

「お前、前にも言ったが、それ気持ち悪いぞ」

「仕様がないでしょう。蟻ってのはこういう生き物なんだから」

 蟻を眺めながら帰ってきたその声には、まるでやる気も生気も、そして力も感じられない弱々しい声。

 実際閃夜は、全くやる気を感じていなかった。

 今までも仕事上気に入らない依頼はいくつも受けてきたが、今回の依頼ほど気に入らない物も他にない。殺すことができず、手掛かりがほぼ皆無に等しい。ただ、それだけの状況ならまだ頑張ろうという気概が起きた。

 問題なのは、その依頼が、警察からのものであるという事実だった。昔から、警察という組織は大嫌いだった。そして、そんな大嫌いな組織が、自分達の本来の仕事を放棄し、むしろ天敵と言っていいはずの自分達に依頼をしてくる。

 もはや、呆れて笑うしかないそんな事実が、閃夜の中のやる気を根こそぎ奪っていた。

「……」

 しかし、結果の良し悪しに関わらず報酬が出る。何より、依頼を断るということは、その依頼を受諾し、わざわざ自分を選んでこの依頼を持ってきてくれた門口の顔を潰すことになる。その事実が、なお更閃夜を憂鬱にさせた。

「……何で門口さんに依頼したんですかね」

「どういう意味だ?」

「……仲介役が門口さんでなきゃ、あっさり断れたのに……」

「……」

 門口が、無言で微笑みだけを浮かべた時、器の中の蟻達は、閃夜の中へ戻っていった。

 サンデーの入った器は、まるで洗ったかのようにピカピカに輝いていた。


「……あ」

「ん?」

 ずっと顔をうずめていた閃夜が、突然顔を上げた。

「……部屋借りますね」

 言いながら閃夜はカバンを持ち、店の奥へ向かった。

「おい、何か分かったのか?」

 門口の呼びかけを無視しながら、閃夜は部屋へ入った。



 着替えが終わり、黒い衣装に身を包み、二本の触覚を振わせながら外へ出る。そこは裏路地になっていて、人はほとんどおらず、いつも通り誰かに見られている様子も無い。

「さて、飛ぶか」

 背中から翅を広げ、そのまま真上へ飛ぶ。

 そんな閃夜の様子を見た者は誰もおらず、飛んでいる光景も、全身真っ黒な服装であるため、下から見ただけでは、よほど視力の良い人間が、よほど目を凝らさなければまず見えはしない。閃夜は堂々と大都会の空を飛び、目的地へ向かって羽ばたいた。



   ◆



 人気の無い倉庫の中に、四人の男達がいた。

「It will be time soon.(もうすぐ時間だ)」

 男の内の一人が、時計を確認しながら呟く。全員がその瞬間を、今か今かと待ちわびていた。


 ガララ……


 ドアが開く音が響き、一斉にそちらに顔を向ける。

「Boss!(ボス!)」

 入ってきた男に向かって、四人のうちの一人が叫ぶ。

「The result is how?(首尾はどうだ?)」

「It is satisfactory.(問題ありません)」

「Arms?(武器は?)」

 ボスの問い掛けに、男達は倉庫の奥に置いてある木箱を抱え上げ、ボスの前に置いた。そして蓋を開けると、そこには大量の武器。

 拳銃、機関銃、それらの弾薬、手榴弾、およそ日本ではまず見掛けることの無い武器の山々。

 それを前に、ボスの口元が妖しく吊り上がる。

 これだけの武器があれば、組織は潰れてもまだやり直せる。今目の前にいるのは、上手く逃がすことができた、部下の中でも特に優秀だった四人。彼らと共に、そして、金払いの良いこの国でなら、この武器を元手にゼロから新たな組織を作り上げることも不可能ではない。

 もちろん、政府や警察は必死に自分達を探しているだろうが、顔も変え、二重三重の煙幕や罠は貼ってある。

 絶対に捕まりはしない。ボスにも、四人の部下にも、その思いが表情に表れていた。


「Good evening.(こんばんは)」


『!!』

 突然、入り口の方から陽気な声が聞こえた。部下の男達がとっさに銃を抜いたが、ボスはそれを制した。

「Who are you?(誰だ?)」


「Although you will not know me, I heard your thing generally and know it.(あんたは俺を知らないだろうが、俺はあんたのことは大体聞いて知ってる)」


 星の光に照らされ、徐々に真っ黒なスーツ姿に、触覚を生やした男の姿が現れた。

「Be caught gently. Richard Lewis.(おとなしく捕まりな。『リチャード・ルイス』)」

 スーツ姿の男が言った直後、ボス、『リチャード・ルイス』は顔をにやつかせ、男を指差した。

「Foolish. Die here right now.(バカが、今すぐここで死にやがれ)」

得意げになり、そして、

「Shoot!(撃て!)」


 ……


 何事も起こらない。その空間は、変わらぬ静寂に包まれたまま。

「Shoot!(撃て!)」

 ……

「It did what?(どうした?)」

 奇妙に思い、周囲の部下を見て、初めて気付いた。

 部下は四人ともがその場に倒れ、気を失っていた。

「What! It is why!?(なに! なぜだ!?)」


 コツ……コツ……


 叫んだ直後、男は微笑みながら、こちらへゆっくりと歩いてきた。

 とっさに自分の銃を取り出し、迎え撃とうとした。

「!!」

 だが銃を取った時、ずっとポケットにしまっていたはずのそれは、なぜか粉々に分解されていた。

 それを捨てて急いで部下が持っていた銃を拾おうとするが、地面に転がっている銃全てが分解されている。

 慌てて売り物である木箱を確かめるが、そのうちの一つを取った瞬間、バラバラと崩れ落ちる。別の武器を取ろうと木箱を漁るも、それだけで武器は壊れてしまった。

「……」

 銃は愚か、武器一つ無い状態。

 こうなると、ただ目の前に立つ男に脅え、震えることしかできない。

 今までも、数々の修羅場を潜り抜けてきた。だが、部下達も、武器も、全て自分の見ていない間に使い物にならなくされている。こんなことは、過去に一度も経験したことが無い。

 男は一歩ずつこちらに近づいてくる。逃げようかとも考えた。しかし、総身を縛り付ける恐怖がそれを許してくれない。

 そうしている間に、男は顔がくっつくほどの距離まで歩いてきていた。


「Don't point at people in Japan. Keep it in mind.(日本では人を指差すもんじゃないぜ。覚えときな)」


 呟くようにそう言われた瞬間、首筋に、ちくりと小さな痛みが走った。

 直後、急に気が遠くなり、足の、全身の力が抜けていく……



   ◇



「よし。戻って来い」

 閃夜の呼びかけに、ルイスと、その部下の首筋にくっついていた蟻達は閃夜の元へ歩いた。

 以前、ビルに侵入した時と同じく、蟻に相手の噛む位置を指示し、そこを噛ませることで気絶させた。また、ルイスの持っていた銃、落ちていた銃、木箱の中の武器の全てを分解したのも蟻達である。

 蟻が全て体に戻ったのを確認し、携帯を取り出す。それをしばらくいじった後、電話を掛けた。

「……あ、門口さん? 依頼主に獲物を捕まえに来るよう連絡して下さい。場所は今メールで送った所です。顔は全然違いますけど、銃を持ってるんで逮捕するには十分でしょう。全部バラしちゃったけど……」

『早いな! 何でそんな早く見つけたんだよ?』

 閃夜はその反応がよほど嬉しかったようで、満面の笑みを浮かべながら、倒れているボスを眺めた。

 黒色の短髪、青く光る瞳、長身で、黒の半袖からたくましい二の腕を露出させ、薄く顎鬚を生やした、いかにも『アメリカ人』という見た目の中年男性。

「こいつ、運の悪いことに、昼に俺の店に来た客だったんですよ。多分アリバイ作りか何かの意図だったんでしょうね。ただまあ、明らかに拳銃隠し持ってるのが匂いで分かったんで、その時点で妙だなとは思ってたんです。面倒だから普通に接客して返しましたが」

「その後門口さんから、獲物はアメリカとフランスのハーフだって聞いて、こいつの英語がフランス(なま)りだったのを思い出したんです。で、アメリカ人とは言え日本で拳銃なんてあり得ないし、間違いないなって思って、見つけ出したんですよ」

 一連の話しに、電話の向こうから門口の感心が伝わってくる。だが、

『よくもまあ、そんな都合よく物事が運んだもんだなあ』

 そう皮肉を籠めたように言った。

 確かに、これらの結果は全て、偶然が都合よく積み重なって起こった奇跡である。

「ま、昔から運は強い方でしたからね」

『なんーだそりゃ』

「たははは……」

 こうして、まだ仕事中だというのに、二人はしばらく電話を挟み、笑い合っていた。

「じゃあ、今から戻るんで警察に連絡お願いしますね。まあ、心配せずとも明日の朝までは起きないと思いますけど」

『誰も心配してねえよ』

「たははは……」

 そして、携帯を切り、懐にしまった後、もう一度ルイスを見る。

「……」


「俺の売った蟻は、どうした?」


 その声と、表情は、直前まで電話で話していたそれとは一変していた。

 それは、怒りだった。それも、普通の、怒りどころでは無い、憤怒と、憎悪。

 それを、声に、表情に、そして、体全体で露わにしていた。

「……」


 ドッ


 ……

 …………

 ………………


「Danke. Überdies, kommen Sie bitte. (ありがとうございます。また来てくださいね)」

 閃夜は、金髪の中年女性に蟻を渡しながら言った。

「Danke. Auh Widersehen.(ありがとう。ではさよなら)」

「Auh Widersehen.(さようなら)」

 満足した様子で女性が挨拶し、閃夜も挨拶を返しながら女性を見送った。

 そして双子は、そんな様子を無言で眺めていた。

「……凪、今のは何語?」

「……さあ」

 咲に尋ねられた凪はそう答えるしかなかった。

 フランス語やイタリア語と同じく、ドイツ語もまた、よほど専門的な学校でもないと授業で習うことも無ければ、そもそも日常生活で聞く機会自体が少ない。なので、昨日と同じく、二人には何を言っているかはもちろん、何語で話しをしているか、判断できかねた。

「さーてとーん……」

 そして、接客を終えた閃夜は、容器を見て周ろうとレジから出る。

 その時ちょうど、スタッフルームのテレビが点けっぱなしになっているのが見えた。


『兼ねてから、アメリカ政府によって捜索されていた銃の密輸組織が、一昨日の夜、遂に逮捕されました。組織のリーダーの名前は『リチャード・ルイス』。捜索されていた時とは整形手術で顔を変えておりましたが、拳銃を所持して倒れていた所を警官に押さえられ、身元調査したところ、本人であることが確認されました。また、発見された際、持ってあった銃その他の武器は全て解体されており、リーダーである『リチャード・ルイス』の顔には、靴で踏みつけられたような跡が複数見られていたとのことで……』


 ブッ


「……」

 テレビを消しながら、昨夜感じた以上の、憂鬱な気分に襲われた。

「……蟻は毎日休まず働いてるのに、お前らは他人に仕事丸投げかよ」


「店長」

 呼びかけが聞こえ、振り返ると、凪が入口に立っていた。

「大丈夫ですか?」

 そんな心配そうな顔に、瞬時に笑顔を作った。

「うん。ありがとう。大丈夫だから、咲ちゃんと一緒にレジにいて」

 その笑顔に安心したらしく、凪も微笑を浮かべながら、言われた通りレジに座った。そして閃夜もスタッフルームを出て、引き続き容器を見て回った。





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