表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/13

第零話 女王誕生

これでラストです。


 獰猛で、巨大な蟻の伝説は、不思議なことに、世界各地に存在する。

 北インド地方の砂漠地帯には、砂を掻いて金を彫り上げ、人が金を掘りに来た時には、臭いを嗅ぎ付けて襲ってくる蟻がいたという。

 日本でも、かつて、ある寺にあった仏像の首が、千匹もの巨大蟻によって噛み砕かれ、地面に落ちていたという。

 当然誰もが、嘘か、ただの伝説だと思うだろう。

 だが、俺はそうは思わない。なぜなら俺は、その伝説の根本にある、巨大蟻の生まれてくる理由を知っているからだ。



「もし、一生の内に一万匹の蟻を殺したら、その人間は呪われ、人間の大きさのまま蟻にされてしまう」


 八歳の時、お婆ちゃんの家に遊びに行った時に、お婆ちゃんからそんな話しを聞いた。

 後で分かったことだが、蟻の巣一つに住む蟻の数は、種類にもよるが、大方数千から数十万。つまり、一万匹という数値は、ちょうど蟻の巣一つに住む蟻達の命の平均の数だ。

 だがそんなことを知っていたとしても、その時の俺は初めから信じてなどいなかった。

 そして、その話を聞いて一年後、お婆ちゃんは死んでしまった。

 別段、特別な思い出があったわけじゃない。だから、あまり悲しいとは思わなかった。


 その半年後、父さんが事故で死んだ。

 さすがにこれは、九歳になりたてだった当時の俺には相当効いた。

 だがそれは、ただのきっかけだった。

 父さんが死んでから、母さんはいつも泣くようになった。励まそうと声を掛ければ乱暴に突き飛ばされる。それでケガをしたこともあったが、母さんは構わず泣き続けていた。

 まるで、息子の存在など忘れてしまったかのように、狂ったように、大声を上げて泣いていた。食事を作ったり、風呂に入ったり、父さんが死ぬ前には当たり前にやっていたことの一切をしなくなってしまった。

 俺はそんな母さんといるのがとにかく嫌で、そんな憂鬱を、自分の家の庭に巣を作っていた蟻にぶつけた。巣穴から蟻が出てくる度、その蟻を捕まえては指で丸めて殺していった。面白くも何ともない行動だったけど、他にすることも無かった。毎日、何時間もそれを続けた。


 十歳になって、一ヶ月経った時だった。

 母さんが始めて、突き飛ばす以外の暴力を振った。生まれて初めて母さんに殴られた。俺にとってショックだったそれが、母さんには快感だったらしい。息子の俺に対して、何度も、何度も暴力を振るった。それは毎日繰り返されるようになった。やり返してやろうと思った時もあったけど、なぜか、母さんを殴ることは俺にはできなかった。

 だから変わりに蟻を殺し続けた。毎日毎日、家にいなくなったら他の場所に蟻の巣を探しに行った。そして、殺し続けた。他に遊びと呼べる物を知らなかった。


 家では殴られ、外では蟻を殺し続け、そんな毎日で、気が付くと十一歳になっていた、ある日のことだった。

 いつものように蟻を殺していると、突然体中が痛くなった。見ると、段々体が黒く、硬くなっていくのに気付いた。

 その時、ようやくお婆ちゃんの話しを思い出した。だから必死になってもう一つを思い出そうとした。もし蟻に呪われた時、助かるための唯一の方法。それを思い出した俺は、それを夢中になって繰り返した。


「私があなた方の家となり、母となります。一生を懸けてあなた方を幸せにすると誓います」


 何度もその言葉を繰り返しているうち、意識を失った。


 目を覚ました時、体の見た目は人間のままだった。夢か、とも思ったが、すぐ異変に気付いた。何やら手の甲がむずむずする。見ると、そこから見たことの無い、真っ黒で綺麗な色をした蟻が出てきた。その後も色は同じだけど、形が違う蟻が何匹も出てきた。

 その蟻をじっと見ていると、蟻も俺を見た。そして、その蟻と目が合った時、その蟻が何を考えているのかが分かった。試しに、その蟻に「戻れ」と命令してみた。蟻はそれに従い、出てきていた蟻達全てが体に戻っていった。

 体の異変はそれだけじゃなかった。見えないはずの場所の風景が、どう言うわけか目の前に広がった。まさかと思って歩いた先には、その見えた風景が広がっていた。それは、耳に聞こえた音と、匂い、それによる物なんだと、後々理解していった。

 そしてもう一つ、嫌に手の平が湿っていた。見ると、爪の間から、何か透明な液体が漏れ出ている。一体何かと思い眺めていると、一匹の犬が俺の前まで寄ってきた。俺が手の平を差し出すと、犬はそれを舐め始めた。しかし、一度舐めた瞬間、犬はその場に倒れ、それきり動かなくなった。

 毒だと、その時ようやく分かった。危険ではあったが、これも意識さえすれば出てこなくなった。


 家に帰ると、相変わらず母さんからは暴力を受けた。けど、それでも妙な満足感を得ていた。自分は他の人間とは違う。その優越感が気持ち良かった。

 甘いお菓子を食べると、蟻達が喜んでいるように感じた。それが面白かった。転んだり殴られたり、それでケガをすると、蟻達がすぐに治してくれた。それが嬉しかった。これは本当に呪いなのだろうか、そんな疑問さえ感じていた。そして、呪われてから一ヵ月後には、自分の授かった能力の全てを把握することができていた。


 十二歳になった時、母さんからの虐待はより酷いものになっていった。

 暴力だけにとどまらず、体の随所に針やタバコ、アイロンまで押し付けたりしてきた。皿やガラスを投げつけてくることもあった。


 そしてとうとう、ずっと耐えてきた俺の、堪忍袋の尾が切れた。

 その日、本気で母さんを殺そうと思った。


 強く思った。


 母さんを、殺す……殺す……殺す……


 殺せ!!


 そう思った瞬間、俺の体の、あらゆる部分から無数の蟻が湧いて出てきた。蟻は母さんの体にまとわりつき、母さんはそれを気持ち悪がっていた。必死に蟻を振り払おうとしていたけど、あまりの数の多さにそれは不可能だった。

 蟻が母さんの体の全てを覆った時、


「ぎゃああああああああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」


 つんざくような悲鳴が聞こえた。悲鳴と共に母さんは、体中から血を噴き出し、その血が俺に降りかかった。

 それがなぜか、心地よかった。

 けどすぐ我に返り、蟻に「戻れ」と命令した。

 蟻の中から出てきた母さんは、人間としての原型を何とかとどめていながら、もはやその肉の塊が何者であったか、という検討はつかなくなってしまっていた。

 警察を呼んだ。俺が殺したのだから俺は捕まる。十二歳ながらその覚悟はできていた。

 しかし警察は、俺のやったという可能性は無いと結論づけた。俺の体に血がべっとりついていたのに気付かなかったのか。いや、気付いていたはずだが、特に問題視するべきでは無かったということか。いずれにせよ、たかが小学生の自分にこんな真似ができるわけが無い。そう思ったのだろうと、後になって理解した。

 別に、罪を償おうとか考えていたわけじゃないし、逮捕されることは無いと分かったからそれは良い。けどこのことがあってから、俺は警察が嫌いになった。


 中学に入るのと同時に、俺は施設に預けられた。そして俺は、中学で空手を習い始めた。母さんの時のように、何かをされても黙ってそれを受け入れているような、弱い人間でいたくはない。母さんの時のように蟻を使えば簡単だが、なぜかプライドがそれを許さなかった。

 強くなるために、何でもやった。勉強もスポーツも、自分を強くしてくれるもの全てに手を伸ばしていた。するとなぜか、いつもトップの成績だった。三年間、それは変わらなかった。


 高校に入って、やはり俺は自分自身を強くするために、勉強、スポーツ、新たに語学、そして空手も続けた。自分は強くなっているのか。それを疑問に思いながら毎日やっていた。

するといつの間にか、俺は空手部の中で一番強く、全国にまで行けるようにさえなっていた。また、高校から独学で始めた語学も、三年になった頃には日本語を含め、十三ヶ国語まで話せるようになっていた。

 俺は強い。全てにおいて強い。ようやく納得した。


 そんな高校生活を送っている中、一人の女子から告白を受けた。『津野田(つのだ) (れい)』という名前だった。

 誰かから愛される感覚などほとんど忘れていた。だがその女子は、俺を好きだと言った。

 けど、その気持ちへの答え方が分からなかった。だから、その女子の言うことには極力従ってみた。望む物は与え、望むことは極力叶えてやった。ずっとそれを続けた。すると、向こうが急に別れようと言い出してきた。

 その女子が言うには、

「あなたは何でも自分の我がままを聞いてくれる。聞いてくれ過ぎて、不気味」

 意味はよく分からなかった。ただ、とにかく望みを何でも聞いてやったのが悪かった。それは理解した。

 理解して、自分を愛してくれた人を失って、今までに無い喪失感を覚えた。


 大学は、有名大学の医学部に進んだ。より強い力を手に入れるために。人を治したいとかそんな気は一切無い。俺はただ、強さが欲しかった。そのために選んだ職業が、医者だった。

 そこでも俺はトップであり続けた。いつからか『天才』とも呼ばれるようになった。

 だがそんな生活が三年も続くと、医学部だからあと三年も残っていると憂鬱な気持ちになった。あと三年もこんな退屈な日々が続くのだと。

 既に、色々な物に冷めてしまっていた。


 そんな時、その人は突然俺の前に現れた。

「人殺しが好きなのだろう」

 『門口(かどぐち)』と名乗ったその人は、俺にそう諭して来た。正直な所、俺にもよく分からなかったが、「殺し屋になれ」という誘いには応じることにした。


 俺は門口さんから殺し屋としての心得を習い、初めて人殺しの仕事を受け、そこで、ターゲットを殺してみた。その時、俺の中で、何かが弾けたような感覚を覚えた。

 そして、自覚した。

 俺は、人殺しが大好きなんだ。

 今まで力を求めていたのも、そして、あの時蟻に呪われ、力を得たのも、全てはきっと、このために。

 そう思うと、殺し屋稼業が楽しくなった。それからは蟻の能力も使うようになった。集中することでターゲットの居場所を見つけだし、毒と腕力、更に医学の知識を駆使して殺し、逃げる時は、翅を広げて空を飛ぶ。これで大抵の仕事はそつなくこなすことができた。

 門口さんが初めてこの能力を知った時は、驚いていたけど、それ以上に喜んでくれた。


 それからはずっと、昼は大学へ通いながら、夜は殺しの仕事を続けた。

 そして殺すのは。過去に殺人を犯したことのあるような、極力『悪』と呼べる人間と決めた。別に、正義の味方になりたかったんじゃない。ただ、殺される覚えの無い善人より、殺されて然る人間を殺す方が、なぜか楽しいと感じたからだ。そのことには文句一つ言われることはなかった。

 だから、心置きなく人殺しを満喫し、大学ではトップの成績であり続けた。


 そして、無事に主席で卒業。最後の三年間は実に充実していた。


 門口さんは、卒業する前から常に俺に言っていた。

「正体を隠すために表の仕事を何か考えろ」

 医者になる気は全く無かった。

 そこで俺は、母親を殺して以来ずっと意識することがなかった、自分の中の蟻を商売道具にしようと考えた。蟻ならいくらでも自分の中で生まれてくるし、自分も楽をして生活していけるのでは、と思った。

 実は大学に通っていた頃から、蟻についての勉強もしていた。その時の知識のお陰で、自分の中の蟻がどんな物かを知り、それを普通の蟻に変える方法も覚えた。更に、素人にも売ることのできる蟻を選別し、売る時に渡そうと種類に必要な事を記したカードも作っておいた。

 そして、今までの殺しで溜めてきた金で、なるべく大きな自分の家と、店の物件を買った。そうして大学を卒業するのと同時に、無事店を開くことができた。


 だが、店を開くと同時に一つ、分かったことがあった。

 俺の中で、蟻達は生まれ続ける。そして、俺の中で生き続け、やがては寿命が来て俺の中で死ぬ。外の世界を全く知らずに、一生を俺の中で迎える。何より俺の中で生まれた蟻達は、力を持ち過ぎていて、本来なら『存在してはならない者』達。

 そんな蟻達が、今この瞬間も俺の中で生まれている。そして、今店に並べられたこの蟻達も、突然外の世界に普通の蟻として放り出され、持っていた力の全てを奪われている。


 彼らは、何のために生まれてきた?


 そう疑問を持つようになった。

 そして、確信した。

 それを見つけてやることが、俺の役割なのだと。

 彼らはこれからも、俺の中で無尽蔵に生まれてくる。俺はそんな彼らを、『家』として護っていきながら、『母』として、生きる意味を与えていかなくてはならない。これから売られていく蟻達にも、自分の中に残る蟻達にも。

 全ての蟻に、分け隔てない愛情を注ぐこと。それが、蟻の巣一つ分の蟻を殺した人間に対する、この呪いの正体なんだ。

 そう、確信した。

 そして、本来なら蟻の巣ではなく巨大な蟻になるのも、自分自身が『巨大蟻』という『存在してはならない者』となることで、身を持ってそれを感じるためではないのかと。

 それが受け入れられないから、過去に巨大蟻になった人々は、ただ怒りと絶望に身を任せて人々に襲い掛かり、やがてそれが巨大で獰猛な蟻の伝説となった。


 本当は全く違うのかもしれない。けど俺はそういうふうに思った。

 ただ、母さんからの愛の記憶がほとんど無い俺に、母親として彼らを愛することができるのだろうか。そんな不安も感じた。

 だが同時に、自分の母の愛を知らないからこそ、俺は、俺という母親としての愛を子供たちに与えてやることができる。そう思った。

 蟻に呪われて十四年経ち、俺はようやく彼らを『蟻達』ではなく、『子供達』だと思った。


 その思いを忘れないために、何より子供達に生きる意味を与えるために、彼らにも殺しの仕事の手伝いをさせることにした。もちろん、一匹だって死なせはしない。親の言うことを聞くしかない、大切な子供達を、母親として守る責任が俺にはあるから。


 同時に、ある掟を自分に突きつけた。


 蟻には手伝いをさせても、直接人間を殺させることは一切しない。


 ただ俺の言うことに従い、動くだけの彼らに、親の罪を押しつけないために。


 そしてもう一つ。

 俺は母親として、殺しをする際はできる限り彼らと同じ姿になろうと考えた。

 全てが黒色のスーツとワイシャツ、革靴にネクタイ、髪を目一杯伸ばして、ヘアワックスで前髪を固めて触覚を作った。

 そして、その時の姿の俺自身に対し、名前を付けた。

 彼らの『家』。そして『母親』。それらを意味する言葉を組み合わせ、作ったその名前。


「名前は、『クイーン・アントネスト』」





これでこの小説は完結です。

最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ