プロローグ:「俺」と「私」
ピピピピピピピ!!
けたたましい目覚ましの音が心地よい眠りを妨げ、最悪な朝が来た事を知らせてくれる。
「……うるせー……」
俺はイラつきながら朝の使者を平手で乱暴に黙らせる。薄目で確認すると時計の針は6時を示していた。
(クソッ、新作ゲームにハマり過ぎたせいで二時間しか寝れてねぇ)
俺はゆっくりとベッドから降りると気怠げに自室を出て階段を降りた。
「……腹減ったな」
一階の廊下からリビング、そこからキッチンに向かい冷蔵庫を開ける。
「何かあったっけか?って昨日食べ残したピザぐらいしかねーな……。ま、いっか」
冷蔵庫から食べかけのピザが乗った皿を取り、そのまま電子レンジに放り込む。適当に温めている間にリビングの机にあるリモコンを取ってテレビを点ける。
「昨日からア之市内で目撃されている大きい猪のような謎の未確認生物ですが、依然として正体が分かっておりません。政府は市内の山に生息している熊と見間違えた可能性を考えて、注意を呼びかけています」
ピピピー!と電子レンジの温め終わった合図が聞こえ、ピザを取りに行き、再びリビングに舞い戻る。その後、眠たい意識を起こしながら何とか食べ終えた。
歯を磨き、顔を洗い、髪を整えてから制服に着替える。
日常のルーティーンをこなした俺は、全教科の教科書が詰まった万能の鞄を肩に掛けると、欠伸をしながら家を後にした。
「りょーーくーん!おっはよーー!」
学校の教室に着いてから数秒後、朝の使者の次に喧しい奴が登校してきた。
彼女の名前は朝比奈日和子。俺と同じ市内に住んでいて、小中高と同じ学校に通っている、いわゆる幼馴染という奴だ。
それ故か、コイツはよく俺に構ってくる。
「ねーねー知ってるー?テレビで言ってたんだけど、最近この辺に出てくる変な動物、アレ魔物なんだってー!ビックリだよねー!ねえ聞いてるのー?了くーん!」
「うっさい、聞いてる聞いてるって。あれだろ?魔物が出たってデマにお前が踊らされてるって話だろ?」
「ちっがーう!アレは魔物なんだって!テレビで専門家が言ってたもん!」
他人が言ってるよく分からない仮説をよくもまあここまで簡単に信じるものだ。
(それにしても「魔物」ねぇ……)
魔物。それは昔話に出てくる、悪い神様の瘴気から生まれ、無差別に人を襲うバケモノ。
この世界にもそのバケモノが居たらしい。らしいというのは、俺は実際に見た事はないからだ。昔、興味本位で調べた事があるが、資料を見る限り魔物が最後に確認されたのは70年前となっている。それ以来、魔物の存在は確認されていない。つまりバケモノ共は全て人間に駆逐されたのだ。
「はいはい、魔物ね。そらスゲーわ。んじゃ俺は寝る」
俺は適当な相槌を返した後、机の奥側に開いた教科書を立ててバリアを展開し、顔を埋めて寝る体勢を取る。
「あっ絶対信じてなーい!テキトーに返事すれば私が納得すると思ってるでしょ!大体了くんてこういう話する時いっっつも私の言う事否定してくるよね!そりゃ了くんの言ってる事の方がいつも正しいのは私も分かってるよ?でも常に全否定されて続けたら私のメンタルが持たないっていうか、少しは譲歩してくれてもいいんじゃないっていうかそういう気持ちとか芽生えたりしないのっていう私の魂の叫びが聞こえてないの!?仮にも幼馴染なんだよ?こんな可愛い幼馴染に対して冷たく当たる事なんて普通しないんだよ?だからもっと私に優しくしてよ了くーん!!」
始まった。コイツはキレると長文の駄々を捏ねて、相手が折れるまで圧倒してくる。非常にメンドイ。
キーンコーンカーンコーン
丁度いいタイミングで煩い駄々を上書きするように始業のチャイムが鳴り響く。
「あーもう!続きは後で話そうね了くん!」
(へいへい)
ああ言っていたが日和子はサッパリした性格なので次に話す時には機嫌が直ってるか、忘れているかのどちらかになっているだろう。
(……そういや最近は漫画とゲームに夢中になりすぎてアイツの事全然構ってあげられてなかったな)
ここ最近の自分の行動を振り返ってみると、休み時間は日和子が話しかけても寝てるかスマホで漫画見てるかのどちらかだったし、放課後も日和子の誘いを断って家に直帰してゲームばかりしていた気がする。
(次話す時はなるべく乗ってやる事にするか)
俺は短い反省会を終え、意識を夢の中へと移した。
私は一体何をやっているのだろうか。
私には大好きな幼馴染がいる。
名前は今川了。彼とは小さい時からずっと一緒だ。そして小さい時からずっとずっと大好きだ。
私には今、一つの目標がある。それは高校を卒業するまでに彼と恋仲になる事だ。
「別に付き合うなら卒業して一緒の大学入ってからでもいいんじゃない?」
そう思ったそこのキミ。私の学力の低さをあまり舐めない方が良い。自慢じゃないが、私は勉強が大の苦手だ。赤点を取りすぎて周りからは「赤の女王」と恐れられる程に。
そんなだから大して偏差値が高くないここですら、死ぬ程勉強してやっと入れたレベルなのに大学とか入れる訳が無い。それが、頭の良い彼が入るレベルとなると尚更だ。
だからこそ、卒業して疎遠になる前に了くんは私が仕留めなければならならない。しかし私と彼は現在高校3年生であり、タイムリミットも5ヶ月を切っている。更に近頃は彼との距離は縮まるどころか離れてる気すらする。
マズイ。これは非っ常にマッズイ。
(うあああぁぁぁ私のバカ〜)
私はさっきの会話を思い返して頭を抱える。
(あんな事言っちゃったら面倒くさい女って思われて避けられちゃうよね。ホントは楽しく会話がしたいだけなのなー……何でかな、最近になって了くんが全然構ってくれなくなったし、一緒に帰ってくれなくなったし……ハッ、もしかして既に付き合ってる人とかいたりとか!?冷たい態度を取るようになったのも彼女ができたから!?……いや、いやいや大丈夫大丈夫。落ち着け私。了くんは頭がよくて運動もできて隠れファンが結構いるイケメンだけど、絶望的にコミュ症すぎて学校で親しい人は私以外いないボッチなはず。それに周りも了くんと私は付き合ってるんじゃないかって噂が出回ってるから他の女が擦り寄って来る可能性もほぼ無い。うん!大丈夫大丈夫!……だよね?)
私は不安で頭がいっぱいになり、次の休み時間にさり気なく聞いてみようと決意した。
……が、了くんは次の休み時間もその次の休み時間も昼休みが始まってもずっと寝たまんまだった(因みに了くんの教科書バリアは私が張り替えてあげた)。
「了くん!起きて了くん!」
「んぁ?日和子?」
「もうお昼の時間だよ!一緒にお昼食べよ!」
「あー、もうそんな時間か。あいあい分かりましたよっと」
眠気が残っているのか、体が少しフラついてる了くんは私と共に教室を出た。向かう先は学校の屋上。ここが私達のいつもの昼食会場なのだ。
「今日は晴れてて風が気持ちいいね〜!」
「ふあぁぁあ、そうだな、心地良すぎて寝そうだ……」
「これからお昼なんだから寝ちゃダメだよ!ハイこれお弁当!」
私は手に持っていたピンクと青の布袋の内、青の布袋を差し出す。
「おう、いつもありがとな」
袋を受け取った彼は、その場で座って中の弁当と箸が入ったケースを開ける。
「うむ!感謝しながら食うがよい!」
私も彼の向かい側に座って自分の弁当を食べ始めた。
今日の弁当は海苔ごはんと唐揚げ、野菜の煮付け、タコさんウインナー、卵焼き。どれも全て私が早起きして作った力作だ。
「……」
黙々と食べる彼を見ながら、私は例の事を聞こうか悩んでいた。
(やっぱり聞く勇気も無いし、これ以上気まずい雰囲気になるのも嫌だからやめとこうかな)
私は「はあ」と溜め息を吐きながら自分の弁当を眺めていると、不意に声を掛けられた。
「どうしたんだよ、弁当とにらめっこして。悩み事なら相談に乗るぞ」
「え!う、ううん!何でもないよ!」
私は慌てて手を振って誤魔化そうとする。けれど心の奥を見透かしたように了くんはフッと笑みを溢した。
「な、何で笑うのさ!」
「だってお前、嘘吐くのヘタすぎるからさ」
「うー……」
表面上は少し頬を膨らまして怒る私。だが、
(やっぱり了くんは気づいてくれるんだ)
内心では悩んでる事に気づいてくれた事に嬉しくなる自分がいた。
「それで、お前は一体何を抱えてんだ?」
了くんはふざけた態度を改めて真剣な眼差しを向けてもう一度私に問いかける。……こうなったら、もういっその事聞いてしまおう。例えどんな結果でも私ならきっと大丈夫。私は勢いのままに抱えてたものを彼にブン投げた。
「……正直に言って欲しいんだけどさ、了くんて最近親しくなった人とかいるの?」
「は?」
素っ頓狂なレアボイスを上げる彼に対して私は畳み掛けるように同じ問いを繰り返す。
「だーかーらー!親しくなった人とか居るのって聞いてんの!」
「いやいねーけど……」
「ホント!?良かったー!!」
親しい人はいない。つまり、今まで通り了くんには私しかいないと言う事実に私の心は踊りに踊った。
「で、それの何が良かったんだ?」
意味が分からずに不快感を表情に出す彼に私は慌てて説明する。
「ご、ごめんね!この頃了くんがあんまり構ってくれないから新しい人でも出来たのかなーって思って!」
理由を聞いた了くんはバツが悪そうに目を逸らした。
「あ、ああ、そういう事か。いや最近は漫画とかゲームにハマっててな。お前にあんまり構う暇が無くて……悪かったな」
「そうだったんだ……ううん!大丈夫だよ!私こそ変な事聞いちゃってごめんね!」
私と彼の間に穏やかな空気が流れ出す。しかし、それを遮るように空気が読めない校内放送が流れ出す。
「えー、三年二組の朝比奈日和子、今すぐ職員室まで来るように。繰り返す。三年二組の朝比奈日和子、今すぐ職員室に来るように」
「職員室に呼び出しって、日和子お前何したんだよ……」
さっきまで柔らかかった了くんの目線が一気にキツくなる。
そういえば忘れていた。昨日の放課後、先生に呼び止められて明日の昼まで進路についての提出物を出せと言われていた事に。
「実はー、ワタシ進路がまだ決まってなくてですねー」
「おま、まだ決めてないのかよ!」
彼からの迫真のツッコミが心に刺さる。
「だって、決められないんだもん」
「決められないって……行きたい学校とか無いのか?」
行きたい学校は、あるにはある。けれどそれは絶対に私の手の届かない場所にある。
「……了くんはもう大学合格したんだよね」
「ん?ああ、倍率はクソ高かったが推薦だったし何とかなったな」
さすが学年どころか全国模試でも1位を取った了くんだ。何でも無いみたいなカンジで言ってるが、誰でも耳にした事がある難関大学を合格したのなんて私の周りでは彼以外に聞いた事がない。
「ねえ、私って今から勉強すれば了くんと同じ大学に行けると思う?」
「いや無理だろ。絶対無理。天地がひっくり返ってもそれだけはありえん」
「分かってたけどそこまで言わなくてもよくない!?」
「百歩譲って入試問題ができたとしても、成績が終わってるお前には絶対に無理だ」
既に合格してる了くんが言うんだから間違い無いのだろう。つまり、私には彼と同じ場所に居る資格が無い。
「そっ、か……」
分かっていた事なのに改めてその事実を突きつけられた時、私の目からは涙が溢れた。
「うぅ……うぐっ、ぐすっ」
「お、おい、どうしたんだよ?そんなにあの大学に入りたかったのか?」
「違うよぉ!私は了くんと一緒のとこに入りたかったの!了くんと離れ離れになるのが嫌なのー!!」
「俺と……?」
「あっ……」
言ってしまった。もう告白と受け取られても言い訳できない程の事を言ってしまった。さっきとは違う意味で顔が赤くなっていく。
「もしかして中学の時、この高校を必死になって受験したのも……」
「……」
私が無言で俯いてると、了くんは「はー」と溜め息をつきながらポケットからスマホを取り出した。そして、手早く何かを操作した後、私に画面を見せてきた。
「……これって?」
スマホの画面には料理の専門学校のホームページが表示されていた。
「お前、料理得意だしここなら余裕で入れるだろ」
「……でも」
そこに了くんが居ないなら入っても楽しくない、そう言いかけた私よりも先に、彼は続けて話す。
「俺もそこに入る」
「えっ?……はあ!?」
今何て言いました?入る?了くんが?料理の専門学校に?私と?
「だっ大学、は?」
「辞退する。あーあ、推薦だから先生方に頭下げまくらねーとなぁ」
「なん、で……」
「何でってそりゃあ」
了くんは赤い頬を人差し指で搔きながら視線を逸らす。
「お前の為、だから……」
「りょ、了ぐ〜ん!!」
私は了くんに抱きつき、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を何度も彼の制服に擦り付ける。
「寄るな離れろ!せめて顔拭いてからにしろ!」
「ゔぇぇぇぇん!!私今すごい幸せだよぉぉぉ!!」
「全く……ん?」
彼は恥ずかしいのか顔と視線を横に逸らした。そして逸らした先を凝視していた。
「んぇ?どうしたの?」
私は気になって了くんに抱きついたまま、顔だけを横に向ける。この学校の近くには山があり、屋上のフェンスの先には鬱蒼とした山林が目に映る。
「……いや、なんでもない。ただの目の錯覚だ」
先程まで赤かった彼の顔は、この一瞬で青ざめていた。
「大丈……」
大丈夫?と聞こうとした時だった。見てしまった。彼の後ろ。大きな牙を生やした大きな猪。
「え?……」
今日何度目かの驚きの声。でもこの時の声が今日一番の驚きに満ちた声音である事は間違いない。
だってありえないから。何?いきなり学校の屋上に巨大な猪って?ドッキリ?それならそうと早くネタバラシをして欲しい。私は、私達はこれからが幸せなるんだから。それを邪魔しないで欲しい。
「な……!?」
了くんも恐る恐るといった感じでゆっくりと首を後ろに向けて猪の姿を確認する。すると私の肩を掴んで叫んだ。
「逃げろ!日和……」
「フシュアアアアア!!!」
聞いた事が無い咆哮が彼の言葉を遮る。お腹が熱い。息が苦しい。視線を上に向けると、大好きな了くんが血を吐いたまま私の顔を凝視していた。大変だ。助けを呼ばないと。でも、私の体は動かなかった。……違う、動けなかった。今度は視線を下に向ける。
了くんと私のお腹が一本の太い牙のような物で繋がれていた。
あはは、は……なにこれ。
「了……く……」
振り絞るように彼の名を口にした後、私の瞼と一緒に人生の幕は降りた。




