表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
名前のない星で、君を待つ  作者: 波浪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/6

第二章 星見の丘で、名前を呼ぶ

星見の丘は、街の南端にある小さな高台だ。


 かつては恋人たちが星を見に来る場所だったらしいが、

 今では〈忘却予備地〉と呼ばれている。


 忘れられかけた人間が、

 最後に「自分がここにいた証」を探しに来る場所。


 丘の中央に、少年は立っていた。


 年の頃は十四、五歳。

 灰色の外套に身を包み、夜でもないのに空を見上げている。


 ユウが近づくと、少年はすぐに気づいた。


「君、記録官?」


 その声は不思議と澄んでいた。

 忘却が始まっている人間特有の、

 言葉の輪郭の曖昧さがない。


「そうだ。ユウという」


 少年は一瞬、目を見開き、

 それから小さく笑った。


「名前、あるんだ」


「……失礼だな」


「ごめん。でも、よかった」


 少年は胸に手を当て、

 まるで大事なものを確かめるように息を吸った。


「僕はレイ。多分」


「多分?」


「昨日までは、ちゃんと分かってた。

 でも今は……音がする」


 ユウの指が、無意識に記録帳の端を握りしめる。


「どんな音だ」


「ガラスが、ひび割れるみたいな」


 同じだ、とユウは思った。

 消える直前の人間が、皆そう言う。


「発症はいつからだ?」


「三日前。朝起きたら、母さんの顔が思い出せなかった」


 淡々と語るが、

 その声の奥に、必死に抑えた震えがある。


「父さんは?」


「知らない。

 ……多分、最初からいなかったんだと思う」


 忘却は、世界を改変する。

 記憶が消えると同時に、

 “存在していた事実”そのものが薄れていく。


 ユウは記録帳を開いた。


「記録を始める。

 君が消える前に、できるだけ多くを残す」


「ありがとう」


 レイはそう言ってから、

 急に真剣な顔になった。


「ねえ、条件がある」


「条件?」


「僕が、君の名前を忘れても……

 君は、僕の名前を呼んで」


 ユウは息を呑んだ。


 それは記録官にとって、

 禁忌に近い願いだった。


 記録官は、記録対象に執着してはいけない。

 名前を繰り返し呼ぶことは、

 忘却の進行に“干渉”する恐れがある。


「それは――」


「分かってる。

 でもさ」


 レイは、空を指さした。


「僕、ここで星を見た記憶だけは残ってる。

 名前を呼ぶって、

 誰かをこの世界に繋ぎ止める行為なんでしょ?」


 ユウは答えられなかった。


 代わりに、記録帳にペンを走らせる。


 ――氏名:レイ

 ――年齢:推定十五

 ――発症から三日

 ――特徴:自己の消失を自覚している


 書きながら、ユウは思う。


 この少年は、普通じゃない。


 白化症の進行が遅い。

 記憶の欠落に対して、異様に冷静だ。

 そして何より――


「ねえ、ユウ」


「なんだ」


「もし僕が全部忘れて、

 完全に消えたらさ」


 少年は、ユウをまっすぐ見た。


「君の記録帳に書かれた僕は、

 “生きてる”って言えるのかな」


 その問いに、

 記録官としての答えは、用意されていない。


 ユウは初めて、

 仕事ではなく、一人の人間として言葉を選んだ。


「……少なくとも、

 俺が生きている限りは」


 レイは、ほっとしたように笑った。


「それで十分だよ」


 丘の上で、また音がした。


 だがそれは、

 完全な崩壊の音ではなかった。


 何かが、かろうじて繋ぎ止められた音。


 ユウは気づいてしまう。


 この記録は、

 世界のルールそのものに触れている、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ