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『勇者リリアと迫り来る魔王の軍団』 Eden Force Stories II(第二部)  作者: 瀬尾 碧


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『第七話・5 : ほどけるのは、紅茶か、心か』


店内に、ほんのり甘い匂いが満ちていた。

リリアもセラフィーも、ようやく肩の力を抜く。


――その時。


「お、女神はん……そういえば、あらためて、わ、ワイの真名は……“カース・──」


「ブッくん」


「…………は?」


リリアは髪をかき上げ、切っ先のように冷淡な声で言い放つ。


「呼びにくいのは要らない。今日からあんたは“ブッくん”。」


「ちょ、ちょい待ちぃな!? ワイまだ“呪いの王”って名乗る準備──」


「却下。 ブッくんで、いいのよ。」


煤けた頁がばたばた宙を舞い、表紙が泣き顔のように折れ曲がる。

「な、なんちゅう横暴やぁぁ! 王の威厳が吹き飛んだやないかぁぁ!!」


(いや……元から威厳ゼロだったろ。“ケーキ乞食ゾンビ”やってた時点で地に落ちてたし……)


セラフィーは涼しい顔で肩をすくめる。

「ふふ。“ブッくん”のほうがしっくりくるわ。ねえ、リリア?あなたあだ名つけるの天才的ね!」


リリアはそっぽを向き、鼻を鳴らす。

「……別に。どうでもいいんだけどね」


「どうでもよくないやろぉぉぉ!!」

本は表紙を床に叩きつけ、抗議の太鼓のようにバンバン響かせた。


リリアは腕を組み、冷酷な眼差しを向けた。

「……まあ、見せてもらうわ。役に立つのかどうかをね。

 立たないなら──ここで終わり。」


ブッくんの頁が、かすかに震えた。

それは、従うしかないと知っている者の震えだった。


「わあった! ……わ、ワイの初仕事、見せたるでぇぇ!目ーかっぽじいて見ときや!」


ぱらぱらと頁がめくれ、魔法陣のような光が床を奔った。

灰を巻き上げたその輝きは、紅茶の蒸気に文様を浮かび上がらせる。


「デルモンテー!!」

ブッくんが叫んだ!


次の瞬間──どさっ! と三段トレーが現れる。

その横には、金細工の脚を持つ丸テーブル。

さらに、ふかふかのクッションがついた椅子まで揃って召喚されていた。


金縁のティーカップは、光をひとつ受けるたびに透明な鐘の音みたいに静かにきらめいた。

紅茶の香りは、花でも果実でもない──“午後そのもの”の匂い。

おしゃれなティースタンドには、サンドイッチ、スコーン、マカロン。

タルトは、触れれば崩れてしまいそうなほど繊細な光沢をまとい、

苺は滴る甘さをひっそりと忍ばせている。


「おー!!!!すごいじゃん!! ブッくん!!」

リリアとセラフィーは、同時に声を上げた。


「これぞ英国風アフタヌーンティーセットや! ワイの初仕事、どうやぁぁ!」


(おい待て、椅子とテーブルまで!? ここ古書店の床だぞ!? ジャンル転換早すぎて逆に怖ぇよ!!)


セラフィーは目を瞬かせて、思わず吹き出す。

「呪いの王が出したの……よりによってアフタヌーンティーって……しかもフルセット……!」


リリアは一瞥し、椅子に優雅に腰かける。


「……まあまあね。

 あんたにしては、上出来。」


(おしゃれすぎる……ケーキ屋どころか、これ完全にホテルのラウンジだろ?……)


ブッくんは表紙を震わせ、必死に胸を張る。

「甘味こそワイの生き様! 女神はん、どうぞ召し上がってぇぇ!」


リリアはカップを取り、一口すすると、静かに目を細めた。


「……悪くないわ。アッサムね。

 渋みが舌に触れる前に、香りが先にほどける。

 甘さじゃなくて……“余韻”で心を和らげる紅茶。」


(お、おお……やばい……!

 ただの紅茶って思ったのに、アッサム特有の丸い香りが喉を先に通って、

 味があとから追いかけてくるやつだこれ……!

 “上質な茶葉は香りが味より先に通る”って、あれマジだったんか……

 なにここ、ホテルラウンジか???)


ブッくんは頁をばたばた震わせ、

今にも輪飾りでも吐き出しそうなほど喜びに沸き立った。


「そ、そそそれそれぇ!!

 女神はん、茶葉の“香りの筋”まで分かるお人やったんやな!?

 ちゃんと味わって、受け取ってくれたんやぁ!!」


そして——声が裏返る。


「ワイ……生きとってええんかぁぁぁ!!!」


リリアはそれには答えず、視線をそっと移し、次に三段トレーの上段に並ぶ菓子へと指先を伸ばした。

淡い桜色――マカロン。


壊れそうなほど薄い殻に、ほんのり艶が差している。


(……この手の菓子って、甘さが強すぎたり、香料だけ浮いてたりするんだよな。俺マカロン好きじゃないんだよなー。

 でも――)


そっと、歯を立てる。


ぱふ、と小さな空気がほどける音。

続いて、中のクリームが舌に触れ、静かに溶けた。


「……あ。これ……」


サクでもなく、ねちでもなく、

ただ“ほどけて消える”だけの食感。


「甘さが……追ってこない。」


言葉は自然に零れた。


「最初にそっと香りが立って……

 甘味は、残らず消える。

 “美味しさで心を埋める”んじゃなくて……

 “余白を綺麗にする甘さ”。」


 (うわ……やられた……

 食べたあと、喉に何も残らないやつ……)


喉の奥で、たったひとつの甘い余韻だけが静かにほどけていく。


(これ、“高級パティスリーの仕上げ”……。

 “幸福の証拠”じゃなくて、“幸福の余韻”だけ残す味……)


指先が、そっと緩んだ。


(……なにこれ。

 ただ美味しいって思うだけで……

 胸の奥が、あったかい。)


(この甘さ、逃げも誤魔化しもない“本物”だ……。)


ブッくんはそんなリリアの様子に感極まって、表紙を床にバンバン叩いた。


「うおおおおお!! “余白の甘さ”を言い当てたぁぁ!!

 女神はんの味覚、とんでもなく繊細なんやぁぁ!!

 ……ワイ、生きとってええんやなぁ……」


セラフィーはそんなリリアの様子を、横で小さく目を丸くして笑っていた。

「……リリア、そんなに美味しい??」


リリアは、そっぽを向く。


「べ、別に……普通。」


(……いや普通じゃねぇわ……こんな美味いマカロン初めて食べたわ!つうか、マカロンってこんなに美味い食い物だったのか?……)


セラフィーは小さく肩をすくめ、微笑む。

「……スイーツ魔王と従僕ブッくん、ね。ふふ」


リリアはそっぽを向いたまま、カップを持ち上げる。


「ブッくん。紅茶、おかわり。」


頁がぱっと跳ねた。


「は、はいぃぃ!! 女神はん!!!」


ふわりと湯気が揺れた。

紅茶の香りだけが、そっと場を包む。


三人はしばらく言葉をなくし、ただ静かに紅茶の香りだけが流れていた。


セラフィーは湯気の向こうで、そっと微笑んだ。

「……よかったわね、リリア。」


ワン太は湯気の向こうで、ただしずかに尻尾を揺らしていた。

その揺れは、誰よりも早い「承認」だった。


香りは甘さを主張せず、ただ静かに余韻を残していた。

――その余韻の中で、誰も何も言わなかった。

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