『第七話・2 : アナイアレーション・ケーキコード』
「――《断罪》起動詠唱!」
「律よ、醒めよ。沈黙の頁に、審きの光を。」
「天よ、律を照らせ。地よ、印を記せ。」
「封ぜられし頁よ、沈黙を破り、雷の名を告げよ。」
「偽りの文字に宿りし声よ、真なる頁へ還れ。」
「祈りは刃、言葉は火――交わりて断罪を成せ。」
「――《符号展開》……《環境固定》……《元素、雷と火を重ね、刃と槍を成せ》」
(おお、また始めちまった。この詠唱のときだけ急に“勇者様モード”発動すんのな俺……!
いや正直、ちょっと気持ちいいんだけどな!)
「――《断罪》、降ろす。」
世界がきぃんと鳴り、時が止まった。
音も色も、いっせいに世界から抜け落ちる。
古書店の天井から**雷光と炎が絡まり、**魔法陣が花のように咲き誇った。
その中心で、雷と火が一本の槍へと融合した。
**閃光の奔流が縦に裂け、**影を断ち、世界の頁ごと、呪いの本の身体を貫く。
雷鳴が轟き、床が沈み、空気が白に塗り潰される。
そして――静寂。
――世界は、再び音を取り戻した。
焦げた紙の匂いが鼻をくすぐり、魔法陣の残光が微かに揺らめく。
呪いの本は、ピクリとも動かなかった。
「ケーキも食わせてもらえねぇで、呪いかけられて、こんな茶番とか、やってらんねぇだろ!」
(やばっ! 完全に男言葉で喋っちまった! てか“茶番”ってチョイス、ヤンキー兄ちゃん丸出しじゃねぇか……俺!!)
(……あ、やべ。今の、絶対聞かれてる。)
セラフィーが眉をひそめる。
「ちょっと待って。最近のあなた、話し方……なんか、妙に“男くさい”んだけど!」
「そう? 私は普通に話してるつもりだけど……」
(ほらバレた! “普通”の基準がそもそも完全におかしいんだって!!)
セラフィーが勢いよく指をさす。
「普通じゃないわよ!“やってらんねぇだろ”なんて、日本全国の“やから兄ちゃん”代表よ!」
「もうちょっと女神らしくしなさいよ!」
「……はいはい、日本代表で結構です。」
笑い声の残滓だけが、空気の中でかき消えた。
一瞬、空気が静止する。
焦げた匂いがまだ残る古書店で、リリアは光槍に貫かれた呪いの本を見下ろしながら、掌に漆黒の魔方陣を浮かべた。
「……存在自体がうざい。お菓子くれくれうるさいし、呪いの素だし。完全消去するしかないね」
(いや待て俺! “存在がうざいから消去”って、理由ガバガバすぎだろ!!)
ふと、喉の奥がくすぐったくなる。
自分で言っておきながら、笑いそうになるのを必死でこらえた。
「ちょっと、やめなさいよリリア! やりすぎよ!」
雷の残響が消え、空気が一瞬“無”になった。
セラフィーの声はもう遠くにあった。
リリアは静かに息を吸い込み、掌に滲む魔法陣へ視線を落とす。
光が息を潜め、世界が耳を澄ませた。
「――《全消去魔導式・零因数》……起動詠唱。」
言葉がこぼれた瞬間、背筋にぞくりとする快感が走る。
世界の構造が、まるで指先ひとつで書き換えられる錯覚――。
胸の痣が熱を帯び、符号の痛みが、静かにゆっくりと甘い陶酔に変わっていった。
脈が呼吸に溶け、意識の底が甘く滲んだ。
床板の隙間から光の線がにじむ。
古書店全体が低い唸りをあげ、ゆっくりと揺れた。
埃がふわりと舞い上がり、天井の梁さえ不気味に軋む。
空気は急に重くなり、まるで大気そのものがざわめいて抗議しているかのようだった。
「――因果律よ、逆転せよ。存在の式を零に還元し、過去も未来も塵と化せ!」
(やっべえ……今、完全にラスボス化してるじゃん。 俺、何ノリノリで世界消そうとしてんだよ!? たかが呪いの本一冊のために!?)
そこへセラフィーが慌てて身を挺して割り込んだ。
腕を伸ばして光の縁を叩き落とすように遮り、声を張る。
「――はっ……やめなさいってば! 本気で街ごと消す気!? あなた馬鹿なの!?」
「“勇者”って肩書き、どこ置き忘れてきたのよ!?」
(ぐはっ! 正論パンチきた!! おい俺、自分がヤバすぎるって冷静に考えようぜ!? いくらうざいからって、たかが本一冊で世界滅ぼす奴、いるか?)
魔方陣はひび割れたように霧散し、雷鳴の残滓だけが空気を焦がし、やがて消え入る。
静寂の中で、砂糖の焦げ跡だけが残った。
リリアは思わず息を吐き、こめかみを押さえた。
そのとき、呪いの本の残骸がかすかに蠢いた。
「参りましたわ、女神はん! あんた強すぎやろ!?
ワイ、逆立ちしても勝てる気せぇへん!」
「せやけど……最後に……ケーキ……ひとくちでええねん……砂糖……砂糖さえあれば……ほんま頼むわ……」
「まだ喋んのかよ!!」
リリアが即座に怒鳴る。
(いやしぶとすぎだろコイツ!! 最後まで“ケーキ乞食ゾンビ”か!! んなことより、さっさと呪い解けよ! 痣のところ、なんか痒いんだよ!)
セラフィーが深くため息をつき、肩をすくめた。
ひと拍おいて、淡々と告げる。
「……笑えないわね。あなたも結局、ケーキのためなら世界滅ぼすでしょ?」
(ぐはっ! トドメきた!! 俺もう“勇者”でも“魔導士”でもなく、ただの“ケーキで世界滅ぼすヤベー奴”認定……! どこの世界にそんな職業あんだよ!?)
古書店の奥では、まだ焦げた砂糖の匂いが静かに漂っていた。
焦げ蜜の香りがゆっくりと夜気に溶ける。
――そして、その余薫の奥で、誰かがそっと、新しい菓子の名を囁いていた。
それは、甘くて残酷な、“次の呪い”のレシピだった。




