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『勇者リリアと迫り来る魔王の軍団』 Eden Force Stories II(第二部)  作者: 瀬尾 碧


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『第五話・5 : 禁呪パティスリ──甘味の体系が世界を喰らう』

「――それは、やめておいた方がいい。」


その声が響いた瞬間、空気の温度がひとつ下がった。

沈黙が、紙の埃ごと凍りつく。


振り返れば、カウンターの影から白髪の老人が姿を現していた。

煤けたローブに細身の体を包み、眼鏡の奥の瞳は曇った硝子のように光を弾いている。


「……ここは、本を売る店じゃないの?」

リリアは自然と本から手を離す。


老人はゆっくり首を振った。

「売るとも。ただし――“読める者”にな。」


「読める者……?」


「禁呪の符号は、ただの文字じゃない。

目に入れた瞬間、その者の中に……縫い込まれる。」


老人は口元をゆがめ、低く続けた。

「ん? おまえ……符号を“読む”んじゃなく、“組んでいる”な?

そんな真似、普通の魔導師にはできんぞ。

何百年かけても辿り着けぬ領域を、なぜ……」


(……そりゃあ、ゲーム時代に何万時間も“詠唱ログ”を解析したんだ。

寝落ちしても、起きれば画面に符号が浮いてるくらいには見続けてた。

……今じゃもう、頭の中に“禁呪の辞書”が丸ごとインストール済みってわけ。)


老人は静かに息を吐いた。

その吐息に混じって、灯火がかすかに揺れる。


「器は操るもの……だが、見誤るな。

 真に強い器は、いつだって“中身を選ぶ”。」


その言葉を最後に、ふっと明かりが陰り、埃の粒子がふわりと宙に舞った。

同時に、近くの古書の頁が一枚、風もないのにひらりと揺れる。

そして次の瞬間にはもう、すべての光とともに――奥の暗闇へと溶けていった。


その瞬間――

本の奥で、何かが弾けた。


白い閃光が空気を裂き、棚の影が一瞬で裏返る。

紙の匂いと熱が混ざり、古書店全体が息を呑むように震えた。


鞄の中でワン太が動きを止め、ぴくりと耳を伏せる。

その一拍の沈黙が、まるで「危ない」と告げているようだった。


リリアの掌に吸いつくように、本は離れない。

表紙の革は汗ばんだ手に張り付くのではなく、

むしろ内側から、じわじわと吸い込んでくる。


「……っ!? 離れない!」


慌てて手を振り払おうとするが、

革表紙はまるで生き物のように指の節をなぞり、

冷たく湿った膜のような感触で、じわりと絡みついた。


ぬめりとも乾きともつかぬその質感が、皮膚の奥を這い上がる。

やがて、血管の流れに沿って――“符号”が内側へ染み込んでいく錯覚。


(クソ、まずい! こいつ、ページを俺に開かせようとしてる……!

……っていうかこれ、よくある“絶対開けちゃダメな本イベント”だろ!)


必死に抵抗するリリアの耳に、「ぱたん」という軽い音が響く。

隣の棚から一冊の本が滑るように床へ落ちた。

反射的に目を向ける――『スイーツ巡礼ガイド』。

表紙のチョコレートケーキの絵が、やけに艶めかしく光っていた。


セラフィーが絶叫する。

「見て! そのガイド本の地図の余白、同じ符号が刻まれてる!」


頁の隅に走る装飾模様が、リリアの手の中の古書と呼応するように淡く揺れた。

同時に、床に落ちた本が――勝手にページをめくり始める。

ざらり、と紙の擦れる音が静寂を裂く。


開かれた頁には、異国の街並み。

ショーウィンドウには、煌めくケーキのイラスト。

だがその余白に描かれた飴細工の線が、ゆっくりと――符号の羅列へと変貌していった。


(……やっぱりな。完全に“召喚陣”のパターンじゃん……! どう見てもヤバいやつだろこれ!)


セラフィーが叫ぶ。

「リリア! 目を逸らして! 見続けたら……!」


だが遅かった。

頭の奥で、“禁呪の辞書”が勝手に反応する。

符号の意味が次々と展開され、カスタードだのガナッシュだの苺ショートだの――

全部スイーツ用語が呪文構文に組み込まれていく。


(待て待て待て! 俺の脳内で“苺ショート詠唱”完成しかけてんだけど!?

 これ発動したらケーキじゃなくて俺が焼かれる未来しかねぇ!!)


次の瞬間。

『スイーツ巡礼ガイド』と『ネクロコード』――二冊の本の符号が共鳴し、

空気がバチバチと裂ける音を立てた。


「……待って、これ……まさか……」

颯太の脳裏に、最悪の可能性が閃く。


(“甘味の体系”そのものが、禁呪の構文に組み込まれていた――ってオチか!?)

(つまり、世界そのものが──“糖衣”で封じられてたってことかよ……!)


本からほとばしる符号の光が、古書店の狭い空間を一瞬で埋め尽くした。

紙の山も、棚も、天井の梁さえも輪郭を失っていく。


(……いやマジで全部砂糖菓子みたいに砕け散ってんだけど!? 誰が片付けんだこれ!? 笑えねぇって!!)


「ちょっ……なに、これ……!」

セラフィーがリリアの腕を掴むが、その指先すら白砂糖に溶け込むように淡く透けていく。


(甘いのか焦げてんのか、匂いまで判別不能だぞ!? どっちだよ!!)


耳の奥では、雷鳴とミキサーの回転音が同時に鳴り響く。

視界はめくれ上がるように反転し、あらゆる色が白砂糖の奔流へと溶けていった。


(……まさか、転移呪文……!?

 これ、完全に“デス・ケーキワールド”直行じゃねーか!!

 ラスボスのおやつタイムに突撃とか聞いてねぇって!!

 ……やば、笑ってる。なんで俺、笑ってんだ……!?)


背筋を、ひやりとしたものが駆け抜けた。

音もなく、世界が――裏返る。


次の瞬間、焼き菓子のような甘い匂いだけが残った。

誰のものとも知れぬ笑い声が、砂糖の粒に紛れて消えていった。

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