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『勇者リリアと迫り来る魔王の軍団』 Eden Force Stories II(第二部)  作者: 瀬尾 碧


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『第二話・3:灰鎧の将、名を問う影』

霧の中で、影がゆっくりと形を得ていく。

肩の装甲は岩のように盛り上がり、胸甲には深く抉られた斬痕が幾筋も刻まれていた。

斬られた跡は、ただの傷ではない。

幾度も死地を越えてきた証──戦いそのものが刻んだ“記憶”の痕だった。


沈黙のなか、鎧の隙間から黒い靄が立ちのぼる。

それは血ではなく、まるで眠る獣の吐息のように、静かに、確かに生きていた。

冷えた空気の中で靄はゆらりと脈動し、見る者の呼吸を奪う。

金属の表面はくすんだ灰色で、光を受けるたびに微かな冷光を返す。

その反射は刃を弾く瞬間の記憶を呼び起こし、耳の奥に金属の悲鳴がよみがえる。


霧が少し動くだけで、音もなく圧が生まれた。

そこに立つのは、存在そのものが“武器”であるかのような影──。

踏みしめた大地がわずかに沈み、霧の粒が震えるたび、

世界の心臓がもうひとつ、そこに打ち始めたようだった。


けれど次の瞬間、その鼓動すら凍りつく。

灰鎧の将は、ただ在るだけで、時を止める。

その静けさは祈りにも似て、そして何より──恐ろしく美しかった。


(……間違いない。ガルヴェインだ。)


霧の向こうに立つ影は、かつて画面越しに見た“ボス戦”のシルエットと寸分違わない。

ただ一つ、決定的に違うのは──今、この音、この距離、この匂いが“現実”だということ。


(……いや、“匂い”までリアル演出とかやめろよ。ホラー体験版かよ……!)


鼻腔にまとわりつくのは、錆びた鉄と焦げた魔素の匂い。

かつてはモニター越しの演出だったものが、いまは肺の奥で現実の熱を持って蠢いていた。


かつて、ゲームの中では、魔王ルートの途中で戦い、秒殺したボスだった。

経験値とドロップを稼ぐためのひとつの戦いにすぎなかった。


理由を探るより早く、胸の奥でセラフィーがかつて口にした名が甦る。


『“魔王カルマ=ヴァナス”──魂の記録を歪め、死という定義そのものを塗り替える異端。』


(もしあいつの“定義破壊”がこの領域に及んでいるなら──

消し去ったはずの存在さえ、記録の書き換えひとつで蘇ることがあり得る。)


そんな悪い予感が、霧よりも先に心を覆っていった。


リリアの胸の鼓動がわずかに跳ねる。

それは恐怖でも戦意でもなく、“この世界の理が壊れつつある”という確かな実感だった。


ガルヴェインは、剣を抜かなかった。

ただ、重く、確実に、一歩ずつ近づいてくる。


踏みしめるたび、霧の色が濃くなり、まるで大地そのものが呼吸するように波打った。

空気はぴんと張り詰め、遠くで雷鳴の気配が立つ。


剣を構える前から、空気そのものが刃に裂かれるような緊張を孕んでいた。

皮膚の表面に、見えない無数の切り傷が走ったような痛みが散る。

呼吸するだけで、世界が薄刃のように軋んだ。


──存在そのものが、すでに武器だった。


足が地を踏むたび、土がわずかに沈み、霧の粒子が衝撃に震える。

その微かな震動が、胸の奥の鼓動と重なり合う。

世界の鼓動と自分の心臓が、一瞬、同じ拍で鳴った。


『……来たか……。』


それは声ではなかった。

鎧の奥から響く金属の共鳴が、言葉の形を取り、脳に直接触れてくる。

空気そのものが軋むような低音で、体温がひとつ奪われる。喉が詰まり、息が止まった。


(……聞こえた? いや、これは“声”じゃない。意志そのものがぶつかってきてる……!)


反射的に、リリアは剣を構える。

霧がわずかに鳴り、音のない衝撃波が世界を撫でた。

空間が一瞬だけ息を止め──

何かが、意識の奥で弾けた。


次の瞬間、視界の端が揺れ、まったく別の景色が割り込んできた


──石畳の訓練場。

銀髪の少女が木剣を構え、真剣な瞳で前を見据えていた。

その頬にはまだあどけなさが残り、握る手は小さく震えている。

それでも、踏み込みの姿勢だけは、誰よりも凛としていた。

背後では、大柄な鎧の男が腕を組み、ゆっくりと頷いている。


(セラフィー……そして、あれが──)


幻影の中、幼いセラフィーの声が響く。


『師匠! もう一度お願いします!』


澄んだその声に、灰鎧の将の胸甲がかすかに震えた。


それは、長い眠りの底に沈んだ意識が、呼び名を思い出そうとするような震えだった。

靄の奥で、鎧の隙間から一筋の光が漏れる。


次の瞬間、景色が音もなく裂け、灰色の靄が流れ込む。

遠くで金属の鳴る音が、誰かの記憶のように微かに響いた。


色彩はすべて呑まれ、再び冷たい霧の中へ引き戻される。

足元の土の感触、胸を締め付ける湿った空気が、ここが現実だと突きつけてきた。

記憶の残光が、まぶたの裏でかすかに揺れた。

それでも脳裏にはまだ、セラフィーの視線が残っていた──

「あの人を救って」という無言の願いと共に。


灰鎧の将の低い共鳴が、霧を震わせた。

『お前は……誰だ』


(これは……名前を聞いてるんじゃない。“お前は何者か”を試してる)


(でも……答えることは、同時に“セラフィーの師を斬る”覚悟を固めることでもある。

 救いと破壊──そのどちらも、きっと痛みの形をしている。)


リリアは剣を構え、霧を切るように一歩踏み出す。

金の瞳が、巨影をまっすぐ射抜いた。

その瞬間、霧がわずかに後退し、言葉を待つように静まった。


「わたしはリリア=ノクターン。魔王の封印を壊しに来た。そして……あなたの魂と誇りを取り戻しに来た!」


霧の奥で、失われた心がひとつ、微かに脈打った。

ガルヴェインの足がわずかに沈黙し、霧そのものが息を呑んだように感じられる。


その沈黙の奥で、鉄の仮面がほんの僅かに揺らぎ──

遠い記憶の名を、風の向こうに探すように、空を仰いだ。

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