作者の独り言とこだわり
この独り言には、「廃神-権能の街-『ep.14: 瞬の権能 その6』」までの内容、「創造主美月は勇者になりたい!『ep.5: 天ヶ原美月のスキル』」までの内容に関するネタバレを含みます。ご注意ください。
はじめまして。
初心者のくせに執筆を途中で投げ出したくなる、混川いさおと申します。「継続は力なり」という言葉が苦手ですが、克服できるよう頑張ります。
現在、月曜日と木曜日の1:00に「廃神-権能の街-」と、
適当に気が向いたときにそのスピンオフ作品「創造主美月は勇者になりたい!」
という2作品を連載しています。どちらも、お世辞には好評とは言い難い次第ですが……
楽しんで連載していますので、一緒に楽しんでくださる方がいれば、ささやかなプレゼントを差し上げたいです。
珍能像を3Dプリンターで出力して送れば、喜んでいただけるのではないでしょうか。
……
さて、この度は、私のお話をさせていただきたく、筆を執りました。
つまるところ、「自分語り」というものがしたくなったのです。
そうは言っても延々と話せばキリがないので、作品に込めたこだわりとか、文章力の拙さゆえに書ききれなかったこと、ご意見を頂きたいところなど……オチなく話していきます。
よろしくお願いいたしします。作品をある程度読んでいただいていることが前提になります。
よほど時間が有り余る方以外は、「なに言ってんだこいつ」としかならないので、時間の無駄だと思われます。
●自分語りをしておく意義
そもそも、小説なんてものはある種ただの妄想でしかないですよね。あ、異論は認めません。
物語のほとんどが、その人物の頭だけでできている。それなら、どんな人間による妄想なのか、気になりませんか?
私は気になります。
例えば「美少女の蒸れたストッキングでビンタされたい!」みたいなことを誰が言うかで、全く読み取り方が違うものですよね。ギャグなのか、セクハラなのか。
ある人にとっては前後関係や雰囲気、人間性……またはイケメンかそうじゃないか。発言がどんな印象を与えるかによって、その発言者や思考パターンというのが重要な要素なのです。
それほどまでに、誰が言うかというのは重要です。
おっと、もう少し適切な例えが多分ありました。いったん三途の川でクイックターンを練習します。
……これもダメですね。
こんなクソつまらないボケも、読者の皆様が突っ込んでくれることを妄想して書くわけですし、「だれも突っ込んでくれない」というシチュエーションも、筆者である私の妄想なのです。
話を戻します。だから、こういう自分語りの機会が必要だと思ったのです。「自己顕示欲」……そうですね。私は寧ろ、それが全くない人の方が怖くて、安心して文を読めません。
自分は感受性が豊かだと自負しているだけに、書き手の人間性がわからなければどんな思想を植え付けられるかわかりませんからね。
ここまでの文で、「混川いさおはかなりウザい奴だ」という印象を受けたのではないでしょうか。それがある意味今回の目的です。真に受けずに話を聞き流していただけると幸いです。
それでも、なろう作家の方は、自己顕示をしたところで度々炎上したりしますね。
「こんなに性格の悪い奴の描いた文章は、読むだけで性格が悪くなりそう!むきー!」というのが往々にしてあるわけです。
大前提として、なろうの小説では、作者の人間性が読んですぐわかるというものは多くありません。なぜでしょうか。
私が個人的に考える理由は2つあります。一つは、基本的に物語が事実の列挙だからです。主人公がどんな魔法を使ってズガーンドガーン派手に敵をぶっ飛ばしたとて、そこには作者の心理は介在の余地がありません。
酷いところだと、強いて心理が現れそうな所を挙げるなら、「寂しいって言葉にしているんだから、寂しいと思っているんじゃなかろうか。」くらいでしょうか。本気でそれが全てだと思っている作家さんがいらっしゃいましたら、非言語コミュニケーションという概念を血反吐吐くまで叩き込んでほしいものです。
もう一つは、物語のシチュエーションだけに全てが詰まってしまうからです。例えば、「盗賊に転生したらメタルスライムが大量発生して最強になったww」みたいな作品があったとしましょう。(本当にあったらごめんなさい)
そのシチュエーションだけで、作者にどんな妄想があるか想像できちゃいませんか?盗賊という法律に縛られない人間になること、経験値を着実に積んで最強になること、に憧れていること……が作者の人間性になってしまいます。願望というものは、人間性を示すためにはあまりにも強すぎるものなのです。だから作中に作者の人間性、価値観を理解する情報がしつこいほどに散りばめられていなければ、「▲▲のコンプレックスがあって○○の願望がある人」という強すぎる情報で固定化されてしまう。価値観を伝える余地もなく、単なる願望を強調するためのスパイスとして片付けられてしまいます。
だから適切……多少過度な自分語りや心理描写がない作品は、ますます作者の人間性がわからないわけです。
そんな自己開示のない文章を書いている人が、いきなり自己開示したところで。ましてやそれが「俺の作品の良さが伝わらないのはお前がダメだからだ!」みたいなクソガキの自己開示だったら。
欲望駄々洩れの妄想と、矮小な人間性がリンクしてしまうわけです。ああ恐ろしい。そうでなくても妄想駄々洩れの小説を書いている時点で、冷めた人間からすれば「ああこいつは冴えない野郎なんだな」という評価を受けます。
私の場合は、それが怖いからこそ、保険のためにこの場で自己開示している節もあります。実は、「廃神-権能の街-」のダブル主人公、伊勢 健之助と日下 萌々奈も、自己開示、つまりセルフブランディングに優れたキャラではありません。それでいて、シチュエーションとしてはどちらも「最強」なのです。これは、先ほど申し上げた「作者の人間性が現れにくい小説」に当てはまります。
だから炎上防止のために、炎上のリスクが限りなくゼロである今の段階から予防線を張っておこう、というわけです。
やはり見てくれる人がいないと、この自己満足は物語に昇華させることができません。そのために数々の賞レースになんの勝算もないとは言え応募しているのですから、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」でいつかは有名になってしまうでしょう。
今から備えて置くことは大事です。後述の都合で、私はキャラデザをしたくないので、任せられる人がいたら嬉しいですし。
自己開示についての話は以上です。前置きが長くなりました。
●解説型、戦略型主人公
さて、先ほど申し上げた通り、伊勢 健之助と日下 萌々奈は、あまり自己開示をするキャラではありません。
どちらかというと、健之助は解説役としての側面が強く、心理戦を得意とします。一方、萌々奈は圧倒的な攻撃力を持つ、超能力バトルの主人公としての側面があります。
細かい話をすると、どちらも、具体的な戦闘をスキルやテクニックで有利に進める、「戦術的」なタイプではありません。
相手の行動に制限を掛けたりする健之助も、一撃で戦闘を終了させる威力を発揮する萌々奈も、大局的な戦闘を有利に進める、「戦略的」なタイプなのです。ぶっちゃけ、小規模戦闘では二人とも結構弱いです。健之助は戦闘力皆無ですし、萌々奈は確殺の力を持ちながら「不殺の誓い」を捨てられません。
対して瞬の権能を持つ敵、速水龍太は極めて「戦術的」なタイプですから、私が終盤まで想定している全ての敵の中で、二人が最も苦戦する相手ということになります。ネタバレですが、以降の敵はほぼ「戦略的」なタイプです。
話が逸れましたが、だからこそ、バトルアクションを考えるにも二人はアクションが苦手だし、心理戦が主になる以上、基本的には主人公の思考プロセスがそのまま戦闘の流れになるのです。
それでも、二人の性格がどんなものか、と問われたら、私はうまく説明できませんし、するつもりもありません。これは、あまりクセが強い主人公だと没入感が下がるから、というのが最大の要因でしょう。他の作品でも、主人公はアイデンティティのない無キャであることが多いです。
自分の作品のキャラがそれを言われたら怒りますが。
その割には、健之助、お前、モノローグがうるさいぞ。というのが皆さんの感想だと思います。実は、そこが私の最大のこだわりなのです。
突然ですが、皆さんは日本語って好きですか?
私は好きじゃないです。日本に生まれたから日本語を使うのが一番楽ってだけで、英語や中国語の方が言語として優秀だと思ってます。ちなみに日本語しか喋れません。
嫌いな理由は、「非言語型」コミュニケーションを是とするからです。だから、小説でも読む人がその情景をよく見て、察することが前提になっている。
それで、特に日常会話では、察せなかった人に対しては、「空気が読めない」とかいうレッテルを張ることが許されている。そんなことが、本当に読み手に取って優しいことだと思いますか?それは、口頭筆記問わず表現者としての怠慢だと思うのです。
確かに全て伝えることはできませんし、出来たとしてもスピードが遅くなります。それでも、全ての人が、自分と同じ世界を見ていると、どうして言い切れるのでしょうか。
私は、読み手の情景と、書き手の妄想とのギャップをできるだけなくしたいと思っています。だからこそ、健之助には語れるところを語りつくしてもらうつもりですし、日本語のアホみたいな無駄にバカ多い語彙を逆手にとって、より正確な心理、情景を伝える他ないと思っています。
一方で、あまりに情報量が多いと、読み手が情報のすり合わせをするための労力を費やしてしまう、という懸念もあります。
そこについては。健之助がどのようなビジュアルをしているか、わかる人ー。
……いませんよね。そうです。私は彼のビジュアルについて、全く説明していません。脳内で情景を作るのに最も労力を費やすのは、ビジュアルなのです。
ビジュアルには、テンプレートがありません。「現代の閑静な住宅街」「石造りの西洋風の街並み」「うっそうと木が生い茂った森」と違って、ビジュアルはイメージするための労力が半端ない。
読者が物語に集中するには、脳内で映像を構成するための情報は少ないほうがいいです。これは、「察して」の意味ではなく、「ご自由にどうぞ」という意図です。
逆に、中には王女様のオッパイの大きさまでご丁寧に説明……いや、指定している作品もありますね。オエッ。ああいうのは私的にダメです。
話を戻すと、その一方で、モノローグはできるだけ丁寧にしています。なぜなら、例え情報量が多くとも、読者の皆様にとってはビジョンを構成する必要がないからです。その状況を読んで脳内に保存しておく必要はほぼなく、その感情を文章として受け取って、「ああ、そうなのか。その時そう思ったのか、なるほど。」と受け流して、即忘れてもらうのが正解です。人間の感情は移り変わるものですから、覚えてなくても物語を読むことに支障はありませんし、何ならコロコロ変わる方が楽しいと思います。
また、本当に覚えてほしいことは要所要所で繰り返し出します。それが、本作ではモノローグがうるさくなる理由です。
繰り返しにはなりますが、この作品での戦いは「戦術」ではなく「戦略」です。つまり、その時何を考えるかが何よりも大事なので、感情論を追ってもらうことこそが、この作品の核になるということです。
あ、いちおう、猫崎 唯と日下萌々奈のビジュアルをちゃんと決めたことはありました。
唯については、時代背景が2000年ということから、当時のトレンドを色濃く反映しそうな人物に、その設定を手伝ってもらうためでした。今思えば、そこまでちゃんとしなくてよかったと思います。まあ、彼女にスポットライトの当たる物語が今度必ず出てくるので。
萌々奈については、「気になる相手の前で自分の恰好がいつも以上に気になってしまう」という、ありがちな心理描写をやらなきゃいけなかったからです。彼女については、「赤黒い髪」だけ抑えてもらえればOKです。
●世界観と表現
話は逸れますが、なぜ2000年を舞台にしたか、です。理由は5つあります。
1つ目は、現代に登場する娯楽が概ね揃っていること。
2つ目は、スマートフォンが存在しないこと。
3つ目は、携帯電話含む社会システムが現代とそう大差ないこと。
4つ目は、2chやニコニコ由来のインターネットミームが産まれていないこと。
5つ目は、西暦、年齢の計算が簡単なこと。
絞り出せばもっとありそうですが、すべてを説明する必要はないと判断しました。
まず1つ目。現代にも概ねあるエンタメや、通じる価値観があるという前提のためです。あまり過去すぎてもイメージ湧きづらいですし。
2つ目にスマートフォンが存在しない状況を作るためです。感情の動きによって物語が展開される今作では、SNSなどの統制されない情報は考えなければいけない要素を増やし、思想の動きが予測不能になります。ましてや神流町ではド派手な出来事が起こるので、ネットでの拡散は避けられません。
珍能像は写真に撮られ、重厚かつ下品な神性の象徴であったはずが、あっという間にネットのオモチャになってしまうでしょう。
登場人物がどれだけネットを頻繁に使うかも規定しないといけなくなります。
3つ目は、社会システムの近さです。電気ガス水道が通ってないと生活の苦労がでてきてしまいます。
4つ目は完全に私の都合です。もしも2ちゃんがある時代なら、健之助は間違いなくスレで情報収集をしたでしょう。でも私は彼を、何故かそういうキャラにはしたくなかったのです。それに、ドナルドとか、阿部さんとか、ムスカ大佐とかのミームが登場するのは2000年代後半です。もしその時代だったら、私が大好きなそういうネタを多用してしまう危険性が高かったからです。2010年代でしたら、間違いなく淫◯ネタを擦りまくっていました。想像しただけで寒気がするゾ。
でも、もしネットミームが使えたら、使いたい。それが混川いさおという男です。現に奇跡の権能編では「爆発オチなんてサイテー!」をまさに「奇跡」のお告げ、未来からの言葉として、だいぶ無理して言わせました。
これについては完全に失敗でしたね。そもそも爆発しないんですから……サイテー過ぎて爆発しない、という理由付けは出来たと思いましたが、機会があれば削除したいシーンです。
そのために健之助は予知能力という新たな「奇跡」を起こす羽目になりました。それは瞬の権能編でも大いに役立ったから死に設定ではありませんし、どうせ彼の権能は何でもアリのぶっ壊れになっているので、大した問題ではないのですが。
長くなりました。
5つ目は、年齢の計算が簡単だからです。とはいえ、数値情報は読む人に頭を使わせてしまうので、あまり作中には出さないように心がけています。
それでも、人物の視点が切り替わる時に日付を使う癖があるので、「あれ?いま何日の話だっけ?」と振り返りたくなってしまうかと思いますが、じつは日付は全く関係ないポイントです。なんなら「あ、戻ったな?」みたいなのも気にしなくていいと思います。
作者が自分で整合性やリアリティを持たせるためだけの表記です。ガチガチに時系列を整理しながら読みたい方にとっては物足りないはずです。
●脳内メモリの節約
覚えておいていただきたいです。廃神は小難しい話ですが、読む人ができるだけ考えずに、雰囲気で理解できるように作っています。(そのつもりです。)脳内メモリの占有率は割と低いはずです。
そのぶん、語彙が増えてしまうのがネックではあります。同じ意味の言葉でも、ニュアンスによる違いは無視できません。例えば「剥がす」と「引っ剥がす」みたいな。動きの激しさとかが端的に伝わりますね。あとは、「直感的に知っていた」とかは、「知っていた」でもいいのですが、何か閃きめいた印象を与えます。
本編では例を挙げればキリがないのですが、少しでも読む人の脳内メモリ容量を減らすため、雰囲気で感じ取れるような表記を心がけています。
前言撤回します。日本語が大好きです。
もちろん、ちゃんと読み込めばガッチリ理論武装されたコンテンツでもあります。武装しきれない部分は「奇跡」の権能でどうにかできちゃいます。
……そこにこの権能の本質がありますね。まさに不可能を可能にする能力です。
「脳内メモリ」というのは、私自身が軽度ADHD持ちだからこそ意識し続けている概念ではあります。
専門家ではありませんがざっくりまとめると、「一時的に保持しておける思考量がそもそも多くないのに、同時に多くの思考が強制起動するから、結局オーバーフローして何も覚えてない」みたいなアレです。
人間の脳に、一度に補完しておける容量には限界があるし、その量には個人差がかなりあります。
故に、私は情報量の多いラノベを読めません。パソコンに例えながら言うと、登場人物の見た目という画像データを都度描写して適用したまま、物語の世界観という情報をインストールして、その上で登場人物の動作をモーションデータとして読み取り、心情の推察まで行う処理というのは、まあ無理です。
理系にしては国語の点数だけが謎に良かったので、それは私の読解力のせいではないと思っています。自慢です。そういうマルチタスクを要求されない、教科書的な文章なら私は案外読めます。
一方で、その場の雰囲気や言葉が与える印象は、記憶に残らなくても余韻として残ります。これについては理論的な説明ができないのですが、私はそんな言葉の力を信じています。
言葉が与える印象と、それによる小さな感動の積み重ねが、雰囲気に訴えかける文章を作り上げるのでしょうか。
この概念、提唱していきたいですね。私はまだまだ未熟ですが、この概念を体現できるように、文章力を少しずつ鍛えていきたいところです。
書き手の皆様、一緒に目指していただけるとありがたいです。ADHDフレンドリーな小説を。
●群像劇は難しいのか?
脳内メモリ容量を節約した、読んで簡単な文章を書きたい、との思いで執筆を始めた私ですが、1つ、世間一般に難しいとされる要素を使っています。
「群像劇」という描写形態です。なろうではかなりレアです。その他には「天の声」「一人称」がありがちです。
これは、単に私の表現力の不足ゆえ、群像劇しか取れなかったというだけのことです。地の文、天の声で全ての人物の心情を説明するには、私の言語センスが圧倒的に足りていません。
また、一人称視点という手段も取れなくはないのですが、これだと主人公が2人いる「廃神」とは相性が悪いです。「天ヶ原美月は勇者になりたい!」は美月の妄想から始まる物語なので、逆に一人称視点以外はありえませんでした。
「廃神」に話を戻します。この物語では、敵にも感情移入することが大きな目的です。これは、そういうエンタメとしてではなく、他人の気持ちを思いやる人間になるために、という自戒の意味が最も多いです。
敵の視点からしか見えないものもあります。
それに、三人称視点で書くとして、「天の声」というのは、結局誰なのでしょうか。
私ですか?嫌です。自己顕示欲が暴走してお話の邪魔になりそうです。
神様ですか?遠い将来、宗教のネタをぶち込もうと思っているのに。それはダメです。
他には……未来人とかでしょうか。未来人も物語の中に登場させる予定ですので、無理な話ではないですが。
故に、天の声方式は「廃神」にはあまり適していません。
では、群像劇を書くのは難しいか……と言いますと、実はそれほど難しくないです。ただ、注意すべき点は3つほどあります。
1つは、物語の軸になにを置くか、でしょうか。複数の人物が1つの物語に絡み合うわけですから、全ての人物が認知しているような、物語を1つにまとめる共通の軸が必要です。
「廃神」ではそれは珍能像にあたり、全ての主要人物がそこにまつわるドラマを持っています。かなりシンプルな構図になっています。それがない物語は確実に崩壊します。全然違う方向を向いて居る物語なんて、とっ散らかって朽ち果てるだけですからね。
2つ目は、物語の登場人物が、その事象をどこまで知っているかの把握が困難なことです。珍能像という主軸1つとっても、健之助と萌々奈では理解度が異なります。誰がどこまで知っているか、という把握は、筆者にも、読者にも、登場人物が増えてくると難しいのです。群像劇では、それを明確にしないといけない。
読者に優しいを謳っている本作でも、誰がどこまで知っているかを確認する術はないのです。これについては、まだまだ対策が練れていないところです。
付け焼き刃ではありましたが、瞬編では車内で情報共有をする、といった作者的に都合のいい流れがありました。これも効果的だったと思っているので、似たようなことを適度にやるつもりです。
3つ目は、登場人物の見えている世界や口調が違うことです。詳しくは後程言及しますが、口が達者なキャラクターほど情景を説明するのが上手いです。
それらを踏まえると、群像劇では、登場人物の視点が可視化されるわけですから、面倒が増えるだけで書き手にとって難しくはありません。
視点が切り替わる文章なんて読む機会は多くないので、読み手に取っては難しいですが。
●注意書きについて
「宗教関連の」うんぬんかんぬん、といった注意書きがあります。毎回同じなので一度はご覧になったかと思いますが、読み飛ばしていただいて結構です。
宗教の話してないじゃないか!というツッコミもありますね。広義には、既にしてます。
まず、「珍能像」というシンボルが、極めて宗教的なニュアンスを持ちます。詳しくは、瞬の権能編の次の章、綿の権能編で触れるつもりです。
日本含めて世界各国に男根信仰というのはありまして、子孫繁栄のような祈りを込められていることが多いですね。偶像崇拝と言ったものです。
対して仏教では「魔羅」なんていいます。それは悟りに進むための修行の邪魔をする、悪神の名前です。
キリスト教、イスラム教では明確な表記は確かありませんが、肉欲の象徴としてやんわり忌避されるものではあります。
端的な話、アイコニックな男根によって授けられた権能や男根そのものに対して、本作では明確に「不気味」「禍々しい」「キモい」といった表現をしています。
その時点で、男根が関係するとある宗教を信仰している人にとっては、十分に侮辱的なニュアンスを与えるかも知れない、という可能性は捨てられないわけです。
侮辱する意図は全くありません。信じてください。
もう一つ宗教の話をしているというポイントがありますが、それについては大規模なネタバレになるので、言及を避けたいと思います。
話が進むにつれて、「この宗教のことを言っているのかな?」と思うタイミングがあるかもしれません。
この話はやめましょう。
●天ヶ原美月という少女
「廃神」という物語に登場する(予定の)人物の中で、私が明確に特別扱いしている、超優遇キャラがいます。ポケモンでいうリザードンですね。
天ヶ原美月という女性です。彼女がタイトル名に入ったスピンオフ作品まで出ているのですから、この作品が有名になれば「優遇されすぎて嫌い」といった人も多くなるでしょう。
彼女についても触れておかなければなりません……言ってしまえば、高校1年生ではありますが、精神的にはそれよりも幼いです。
その理由は、青春だの愛だの恋だの、現実の話に現を抜かすタイプのキャラにならないようにするためです。本当に残酷ですし、そのためにたくさんいい思いをさせてあげたいのです。
ただひたすらストイックに、自分の殻に閉じこもって妄想するキャラであって欲しかった、というのが本音です。本当に残酷です。
というのも、彼女は廃神という物語を思いついた段階で、最初に存在していました。「世界」の権能ですから、超能力バトルが極限までインフレ化しないと登場させられないのは想像に難くないと思います。
つまり、本編で彼女が登場したら、「終わりが近いんだな」と思っていただいて構いません。
なぜこれほどまでに早い段階でスピンオフを作ったかと言うと、彼女の登場に彼女自身のコンディションを間に合わせるためです。そこに間に合わないことの方が、「世界」の権能をネタバレしてしまうことよりもリスクが高いと判断しました。
先程も申し上げたとおり、妄想や想像力で力を増す権能である以上、そこに深みを持たせるためには、自分の殻に閉じこもって、ストイックに妄想だけを続ける女の子であって欲しいのです。
思春期の女の子は、多分妄想するのがあまり得意ではありません(ド偏見)。それは、創作の都合で現実の対人関係に目が向くからです。そうならないために、現実逃避をする理由が明確にあり、外に目を向けない美月は、その副次的作用で精神的に遅れをとる必要が出る。ごめんね。
思春期前の女の子でもいいじゃないか!という意見もご尤もなのですが、あまり年下すぎる子供は、その言葉で情景を十分に説明することができません。
だから、言語スキルはある程度高いものの、対人スキルが終わってるキャラである必要があります。
しかし、本作の主人公、健之助と萌々奈は複雑怪奇なストーリーの進行を担っている都合上、どうしても年相応以上に成熟したキャラになります。
そんな中で、妄想しかしないガキが入っていっても……微妙な雰囲気になるばかりで、物語がギクシャクしてしまうのは想像に難くありません。物語のクライマックスにおいては、人材育成に割けるリソースは残ってないのです。
だから、そんな美月が権能を遺憾無く発揮するための幼さを持ちつつも、成熟した1つの人格として満を持して物語を動かしていく……
そんな願いを込めて、彼女を異世界に飛ばしました。研修期間です。彼女にはあの異世界で、一人の女性として健やかに成長してもらいたいものです。
加えて、先ほど言語スキルがある程度高い必要がある、と申し上げました。これが、一人称視点や、群像劇視点の物語を作るうえで、私がこだわっているところになります。
本編、スピンオフを通して、各登場人物のモノローグごとに、文体が異なっているのはお気づきでしょうか。登場人物が複数登場する物語において、別段難しいことではありませんが、欠かせないポイントとなのです。冷田篤志のモノローグなんかはわかりやすいと思います。
実際、混川よりも言語スキルが高いであろう健之助と、最も言語スキルが低い美月との間には、かなり言語表現の解像度が違うように、各人物が使用可能な語彙などは一応考えて書いてます。
健之助のモノローグを書くときはちょこちょこ辞書を引きますし、逆に美月のモノローグはお酒飲みながらフワっとしたテンションで書いてますからね。
とはいえ、書いているのは混川いさお一人なので、ちゃんと分けられているかはまた別の話です。
●異世界転生が嫌いな私
話したいことはたくさんありますが、あまり長いと読み切れないので、これを最終章にしたいです。
私が天ヶ原美月を異世界に行かせた理由。彼女の育成のためというのは副次的なもので、本来は、「異世界モノが嫌いだから」です。
嫌いならなぜ書く、ということではありますが、私は前提としてあの世界観が好きです。
それでも、やれチートやら、やれハーレムやら、不純物があまりにも混ざりすぎています。その現状に嫌気がさしていたというだけの理由です。
私の好きな世界を荒らされたくない、それなら、私だけの私の好きな世界を作ろうじゃないか、お願い美月チャン。ということです。
実際、あの話を書くのは、まあまあ難しいです。特に、ギルド受付のエリナによる説明パートですね。
なろう系ヨーロッパ、通称ナーロッパはメタ的な共通認識によって成り立ちますから、世界観の説明は基本ありません。特筆すべき差異があれば、雑に書いておくくらいですよね。
私は、その不親切な構造に異議を唱えたいと思いました。
だから、森の中に美月がやってきて、親切なボルドー夫妻のもとで生活する中で世界観に慣れ、その状態で「ギルド」「ステータス」「スキル」といった、説明が必要なシステムをまとめてぶっ込みました。
私自身、世界観を長々と説明するのが好きじゃないからといってテンプレの世界観をそのまま使っているのに、説明しないで進むのは不親切だから嫌だ、という最大の自己矛盾により生まれたパートです。
まあ、お察しの通り、あのステータス一覧も覚えておくべき事は全くありません。あのシーンを長々載せたのは、「私はちゃんと世界観考えてるよ」という単なるアピールです。あとは、「こんなの長すぎて覚える気にならねーよ!クソが!」と思ってもらうためです。あんなこと覚えるくらいなら元素周期表でも覚えましょう。
なんなら、エリナが国の構造を説明するパートも覚えておく必要ありませんね。必要ならその都度出しますので。
ですが、「冒険者になるためには志望動機が必要」という概念は、割と重要ですし、本作では要所要所でついて回ります。
おそらく導入したのは混川が初なんじゃないでしょうか。就活みたいで嫌ですからね。
これはテンプレ世界を採用したこの作品で、1つのオリジナリティであるとともに、その理由となるエリナの発言とそれに対する美月のモノローグが、私の主義主張となっています。以下、引用します。
(原文ママ)
「よくいらっしゃるんですよ、冒険者だからと言って、圧倒的な力を自分のためにしか使わない人とか。
町娘から侯爵のご令嬢までをも誘惑し、『ハーレム』とか言って不埒な関係を作る人もいます。力を誇示するためだけに人や魔物を無駄に殺し、破壊を繰り返す人とか、挙げれば切りがありません。
なんの目的意識もなく力を持った冒険者というのは、往々にして国にとっての害となるのです。」
……この世界に来る前に、そんな感じの主人公が出てくるお話を読んだことある気がする。ちょっと羨ましいと思っていたけど、言われてみると確かに酷い。
(「天ヶ原美月派勇者になりたい!」 ep5.天ヶ原美月のスキル より)
そうですよ。いきなり異世界転生して、俺TUEEEEして、ノリで魔物を虐殺したり、魔法学校の入試で建物ぶっ壊したり。そんなのどこが気持ちいいんですか?
確かに、美月が言った通り最強、というのには憧れます。刃牙の登場人物は必ずそうです。でも、ただ振るうだけでは「酷い」ものなのです。
異世界にも人がいて、命があって、倫理や法律がある。巨乳の町娘にだって尊厳やプライドがある。例えエンタメだとしても、どうしてもそこを無視するつもりにはなれません。そこは私がズレているところなのでしょう。はい。
たとえば転スラのリムルのように、何でもアリのインチキ能力で仲間を助けていく話ならかなり好感が持てるのです。
しかし、無自覚で最強な主人公が目的もなく自分の為だけに力を振るう物語というのは、往々にしてクソだと思いませんか?
まあ、なろうの世界では一般的に、登場人物は舞台装置なのですから、人権もありません。そのため、読者からモブに感情移入されることは想定していませんし、必要に応じてノリで殺しちゃってもいいわけです。
それがトレンドなのでしたら、従うのも手ではありますが。書いてるうちに何か大事なものが欠落してしまいそうですね。
エリナの発言は、私が嫌いななろう世界に、露骨に一石を投じるものです。この作品が話題にならなければ、なにも言わなかったも同然なんですけどね。
でも今思えば、目的意識と倫理観が繋がるような補足説明はなかったので、かなりこじつけ感が出ていたかもしれません。
とにかく、主人公の目的意識、というのが根底にあると思っています。ただスローライフを満喫しているだけでは、使うべき所に力を使えません。
嫌いな話をしていたら、何の話をしていたのか分からなくなりました。
まとめると、大いなる力の前には責任がつきものだということです。目的を明らかにすることは、自分がその力の使い方に意味を見出すことでもあります。
美月には何の力もありませんが、(本作では下位の職業に位置する)冒険者という肩書にも、ある程度責任が伴います。
意味のない力は、暴力にも等しいものです。
私はこれからも、そんなリアリティを追求して、反省する所は反省しつつ、読む人に優しい執筆を心がけていきたいです。
……以上、混川いさおの自分語りでした。
これだけ予防線を張れば、「作者の人そこまで考えてないと思うよ?」と言われる余地がないかもしれません。
もしかしたら、廃神が佳境に入ってきたらまたこういう記事を出すかもしれません。
長々とお付き合いくださり、ありがとうございます。
貴方がここで無駄にした時間が、どうか幸せな時間となって、貴方に返還されますように。
今後とも、よろしくお願いします。
自己紹介でした。
前半の部分は「何いってんだこいつ」感がすごいですね。実際、廃神の後書きではめちゃくちゃ自我出して語ってますし。
混川はリアルでも割とおしゃべりです。安心して読んでいただけると嬉しいです。