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第三章 『図書室の勇者たち』二

夢は見ない。それに匹敵する物語を聞いたからだろうか。鈍痛のような衝撃が頭から離れない所為だ。でもそれは目覚めない理由にはならない。

 朝は訪れた。多くの人にとってはいつも通り、那由多にとってはいつもと違う朝だ。昨日ともまた違う朝。

 目覚めは良好とは言えない。多くのことを考えて、寝付くのが遅れたからだった。部屋に朝日が差し込んで、その眩しさで那由多は目を覚ます。

「おはよ」

 身体を起こすとそこには目を疑うほどの美少女が居た。それですぐに意識が覚醒する。

「おはようございます」

 ちょっとばかり違う朝。しかしいつも通りに簡単に朝食を用意する。

 今朝は目玉焼きとベーコン。サラダにパンと簡単なものだがルーデリカは喜んで食べる。どんなものであろうとも彼女は関係なく美味しいと言う。感謝は忘れることはない。

 それは生命をいただくという意味ももちろんある、それを作った者への感謝も。しかし最も感謝を贈るのがアーサー。

 ルーデリカは本来、食事をする必要がない。外部からの生命力を補給する必要のない完全な命を持っているからだ。しかしそれでも食事をする。それはひとえにアーサーの代わりに人の営みを感じるためだ。

 アーサーはルーデリカと同様に食事は必要ない。だが同時に彼はその肉体の形状の都合から生物としての器官すら持ち合わせてない。簡単に言えばアーサーには口がなく、胃もない。だから食事そのものができない。

 そんなアーサーの代わりに食事を取り、味を知ることがルーデリカの食事をする目的であり、食事へ感謝はそんなアーサーへ向けたものだ。

 いただきますとごちそうさま。ルーデリカは那由多に合わせて日本で馴染み深い挨拶を行なっていた。

「そうだ」

 ルーデリカは唐突に声を上げた。それは那由多が制服に着替えている最中に発せられた。彼女の視線は那由多ではなく、その制服に向かっている。

「その制服って予備とかない?」

「一応ありますけど?」

「今日、着て行っていい?」

 そんなことを言う姿はどこか可愛らしい。わがままを言う妹のようだ。

 那由多は二つ返事で了承するとルーデリカは喜んで制服に袖を通した。背丈が同じくらいだからサイズは問題ない。

「似合う?」

 制服を着たルーデリカは普通に一般人のように見えた。海外からの美少女転校生というところか。通常の衣装がこちらの世界ではコスプレに見える。ルーデリカはコスプレをすると逆に通常の学生に見えるという現象が発生していた。

「思ったより似合いますね」

 那由多がそう言うとルーデリカはご満悦だ。顔を綻ばせるとニタニタと笑っている。

「じゃあ行こう!」

「あ、剣は持っていくんですね」

 ルーデリカは制服を着ていようと二振りの剣を携えていた。あまりにアンマッチだったので普通の学生から急にコスプレ感が増した。

「これはあたしの唯一の得物だからね。一応携帯しておかないと」

「それはそうですね」

 二人は共に家を出る。学校まではすぐに辿り着くがルーデリカはどこか早足だ。

 一刻も早くアーサーにその制服姿を見せたかったのだろう。那由多は気がついていたが口にすることはなかった。

 不審者騒ぎの所為か昨日よりもさらに人が少ない。同時に学校も人が少ない——というより全くいない。

 昨日と同じようだが少し違和感がある。最初に気がついたのはルーデリカだった。校門前から学校を全体を見渡すとルーデリカは走り出す。

 学校には敷地全体を覆い尽くすほどの広大な結界が張られている。ルーデリカはようやく気がついた。

 結界は目視できず、魔力を感知できるルーデリカにしか見えない。この規模ならば那由多の家に居ても感知できるはずだが、何も感じない。それには彼女が感心するほどの隠密性を持たせてある。

 結界は目に見えない壁のように存在するわけではなく、建物に紐づけられている。建物そのものが結界として機能している。校門は開きっぱなしで簡単に敷地には侵入できた。だが校舎となるとルーデリカでも阻まれる。

 コンコンとノックするようにルーデリカは結界を叩く。しばらく「うーん」と唸りながら結界の強度を伺う。すると那由多もちょうど玄関口に辿り着く。

「どうかしたんですか?」

「結界が張られてるんだよね」

 そう言われても那由多には見えない。窓などに関しても鍵が掛かっていて開かないのか、それとも結界で開かないのか判別がつかない。

「あーアーサーが閉じ込めらてる感じか。もしかしてあたし待ち?」

 結界の種別を瞬時に判断した。そこから内部の様子を考察した。ルーデリカは考えるのは苦手だがこういうことなら頭が回る。

「なら早く助け出さないと!」

「そだねー」

「でもアーサーさんが脱出できないって相当すごい結界なのでは?」

 那由多の言うことはあながち間違ってない。だがルーデリカの前では敵ではない。

「まず結界の性質を解説してあげよう」

 結界は物理的に破壊し難いものだ。そういう構造になっている。だが外部からの攻撃を防ぐ役目なのか。内部のものを閉じ込めるものなのかの用途によって強度は大きく変わる。

「今回の結界は後者ね。あ、校舎だけに後者ね?」

「はい」

「あ、うん。えっとだからね。この結界は内部的破壊は難しいけど、外部からなら簡単に壊せるんだ」

 それに加えて結界は壊すより解除する方が圧倒的に楽だ。結界は金庫のようなもので、金庫を物理的に破壊するよりも鍵を解除した方が容易いのと同じ理屈だ。

 結界は術者の定義した解除するための条件を鍵として設定しなければならない縛りがある。その鍵を解明し、その条件を満たすことでも解除は可能。というよりそっちの方が正攻法だ。

「まあ、今回は面倒だから物理的に破壊するけどね」

「ええええええ!?」

 言いながらルーデリカは拳で窓ごと結界を粉砕した。窓ガラスが粉々になり、一帯に飛び散るがその拳には傷ひとつない。そのまま窓の向こう側へ侵入すると鍵を開けて窓を開放した。

「那由多も早く」

 急かされると那由多も不法侵入者のように——いや不法侵入者として一階、窓を経由して学校へ入った。

 踏み入った瞬間に音が聞こえる。普段学校では絶対に聞くことのない金属と金属のぶつかり合う音。武器と武器が激しくぶつかり合う音だと那由多は知らない。

 走って現場へ向かうルーデリカを那由多は追いかける。しかし追いつけるのは目的地についてからだ。彼女は野生動物も舌を巻く速度で廊下を駆けると階段を一回の跳躍で階段を登り切る。それを三階、彼女は目的地の東棟三階まで辿り着く。

 アーサーと襲撃者の元まで僅か五秒。

「ルーデリカ様!」

 ウラシマが廊下の片隅で座っていた。怪我はなく、彼はただ座って見ているだけだ。ここで行われていた激闘を。

「これどういう状況?」

 ルーデリカが問いかけるのは仕方がないだろう。そこにはアーサーと謎の男が二人立って向かい合っているだけの光景が広がっている。二人は既に戦いを終えていた。

「アーサー様の勝ちです」

「え? はちゃめちゃに意味わからん」

「ルーデリカさん。早すぎ……です」

 ルーデリカが頭を捻っていると那由多がようやく追いついてきた。そこでウラシマは立ち上がり、事の顛末を伝える。

「なるほど、それでアーサーは今の今まで戦ってたわけか」

「しかしこの世界で魔法を使える人間が居たなんで驚きです」

 アーサーと対面する襲撃者の姿は未だに見えない。暗闇で見えないわけでなく、存在そのものが影のように隠蔽されている。朝となった今でも黒い影がポツンと立っている姿は異様だ。

「おう、全員集まったな」

 ここに集った者達の姿にアーサーが気がついた。そして目の前に立つ人物に問いかける。

「もう姿を隠す必要はないだろ?」

 その言葉に応えるように、何も言わずに襲撃者は自身を隠蔽するための魔法を解除する。黒い霧が途端に晴れて、その姿はついに明らかになる。

「やはり人間か」

 襲撃者の正体はごく普通の男だった。白衣姿の男。

「え……」

 一人だけ。この場にいるたった一人だけはその姿に覚えがあった。ズボラなジャージに少しでも良く見せるためのよれよれの白衣。

 衝撃を受けた那由多は口を開けたまま硬直してしまっていた。

「大徳寺先生?」

 見間違えるはずもない。それは間違いなく那由多の担任教師である大徳寺だった。

「知り合いか?」

「私のクラスの先生なんです」

 間違いない。彼は大徳寺賢太郎だ。しかしその表情は真剣そのもので那由多がこれまで見たことがない気迫と覇気を感じさせた。

「まずは図書室に移動するか。話はそこでしよう」

 一行は廊下から図書室へ移動してくる。その間、本来おしゃべりであるはずの大徳寺は一言も発することはない。やはり雰囲気が違う。まるで別人かのように。

 そのことに関して彼から語られることはあるのだろうか。そんな不安を抱えながらも移動中に那由多は大徳寺に対して、何かを尋ねることをしなかった。

 昨夜ずっと戦っていたというが結界のおかげで学校には傷ひとつない。唯一ルーデリカが破壊した窓ガラスを除いて。

破壊した張本人は図書室へ向かう道中、どこか上機嫌だった。鼻歌でも歌い出しそうなスキップで露骨にアーサーの目の前をウロウロしている。

「アーたん、どう?」

「アーたん言うな。どうって何が?」

「服だよ服」

 そんなやりとりを那由多とウラシマは微笑ましいと眺めていた。その姿は完全に年頃の女子高校生のようだ。少なくとも姿だけは。

「服は……着てるな。偉いぞ」

「違う! いや確かによく忘れるけども」

(よく忘れるの!?)

 那由多はツッコミを入れそうになるも、なんとか止まる。それはボケたおすアーサーに対してか、そもそも服を着ないことがあるルーデリカに対してか本人も分からない。

「なんだよ?」

「いや服がいつもと違うじゃん。ほら、これ那由多から借りた制服だよ?」

「そうだな」

「そうだなって……」

 那由多は声を荒げそうになるのを必死に耐える。これは朴念仁というやつだ。噂に聞く鈍感さを持ち、少女の心を弄び破壊していく存在。恐ろしい。

 流石のルーデリカも少しシュンとしている。しかしここで口を出すべきか那由多は迷う。迷って迷って、最終的に黙った。

(すみません。ルーデリカさん。しかしこれはアーサーさんが気が付かなければいけないこと)

 そんなことを思いながら見届ける。

「ほら、なんかあるじゃん? 可愛いとか似合ってるとかさ」

「そうか?」

 アーサーはまじまじとルーデリカを見るがそんな感想は一ミリ足りとも湧いてこないらしい。なんと薄情な生き物なのだろう。

 那由多が痺れを切らしてようやく口を出そうとしたその瞬間。

「お前はいつも可愛いだろ。なんでも似合うし」

 全てを挽回していったのだった。

「き、急にそういうこと言わないで。ドキッとする」

「なんで」

 那由多は理解した。アーサーは恐らくルーデリカの可愛さ指数のようなものでしか彼女を見てない。ルーデリカは素の可愛さ指数がほぼ上限に達しているので服を変えても化粧をしても上限であることに変わりない。だからアーサーは気が付かないのだ。

「もうなんだよ〜せっかく着替えたのに〜」

 とか言いながらもルーデリカの表情は満面の笑みだった。

 最終的にただのろけを見せられただけに終わった。やりとりをしている内に目的地へすぐに辿り着いてしまう。

 いつも通りの図書室へ辿り着くのにそう時間はかからない。図書室はいつも通り開きっぱなしになっており、そのまま入室していく。

 全員がそれぞれ椅子に座る。大徳寺だけは一人立って皆を見下ろしている。その視線は鋭く、敵意に近いものが満ちていた。しかし同時に戦意や殺意もない。あくまでも交渉のテーブルにたった第三者というべき立ち位置を表現しているのかもしれない。

「じゃあ、約束通りに話し合いをしよう。まずあんたの正体から聞かせてもらおうか」

 アーサーが言うと襲撃者——大徳寺は溜息を一つ吐いた。スッとその視線が真っ直ぐに全員へ向くと彼はようやく固く閉ざされた口を開いた。

 ちなみに夜な夜な戦いながらアーサーが事情を話していたおかげで襲撃者は現状を把握している。それを承知で襲撃は言葉を紡いだ。

「我々はこの世界の守護者。異界の門を管理し、そこから現れたものを排除するのが我々の使命だ」

「だから、襲いかかってきた?」

「その通りだ。貴様らが全ての元凶だと思ったが……他にまだ驚異はある。貴様らは貴様らで驚異的だが、それはとは別の脅威がこの町に蔓延っている。邪竜、それの討伐が貴様らの目的であり、我々と一致した。だからこの話し合いに応じた」

 なるほどね——アーサーの予測はおおよそ当たっていた。この世界における守護者ともいえる立ち位置。異界からの脅威に立ち向かう者だ。

「貴様らの目的はその邪竜の討伐で正しいな?」

 念を押すように襲撃者は尋ねる。独特の威圧感に那由多は緊張する。しかしアーサーはそれに物怖じせずに会話を進める。

「俺たちはそれを倒すためにこちらへ来た。終わったらお前達のお望み通りにとっとと帰るさ」

 帰る。その言葉に那由多だけが硬直した。彼らが異世界から来た者たちでいずれ別れが来ることを那由多は見落としていた。いつかは来るとどこかで分かっていたはずなのにそれから目を逸らしていた。

 ギュッと胸を締め付けられるような感覚。この時間を失うと思うとそれは怖かった。しかしそれを言葉にすることも、彼らを止めることもできないだろう。そう那由多はこの気持ちを抑えつけ、彼らの話に意識を向けた。

「ならば我々は貴様らに協力しよう」

「それは心強い」

「よろしく!」

 邪竜討伐のための同盟がまた一人増える。世界の守護者である大徳寺。

 それはあまりにもイメージに合わない。那由多はこれまで溜め込んでいた疑問を吐き出すように守護者、大徳寺に問いを投げる。

「大徳寺先生はずっと教師をやりながらこちらの世界を守ってきた……ということでしょうか?」

 大徳寺の視線が那由多へ向く。やはりそれは彼女の知る教師のものと違う。

「我々は実体を持たない思念体だ。一種のこの世界を守ろうとする意思に過ぎない。今回の事態には、この大徳寺という男の肉体を借りているだけだ。だから我々にはこの大徳寺としての知識や記憶は持ち合わせていない。同時に我々がこの男の肉体を使用している間の記憶も残らない。そういう一方的な契約だ」

「……つまり幽霊みたいなものですか?」

「貴様らが世間一般で言う幽霊に近しいな。しかし我々には自我はない。世界を守る意思に過ぎない我々は世界の危機にのみ発動し、その時代の人間の肉体を借りることでしか事態に介入できない」

「あー。だからこの世界の人間は魔法を知らねえのか」

 唐突なアーサーの物言いにルーデリカが「どういうこと?」と尋ねる。

 アーサーが言いたいのはこういうことだ。

 現在、この世界における魔法などの超常的力を扱えるのはもはや彼ら守護者だけなのだ。彼らは世界に危機が訪れた時だけ——つまり魔法などを扱う常識を持つ異界の脅威に対して立ち向かう。この世界において魔法はそのためだけ、対異世界への対処法であり最終防衛ライン。そして彼らはその時代の人間らの姿を借りてこれに対処するがその記憶はない。

 同時にあの結界のようなものを使って隠蔽する。これで魔法の存在も異界の者の存在も完全に世界から消える。覚えている者はいないが、世界を守る力だけは安定して世界に存在し続ける。

「なんで思念体になったの? 別に生きたままでもできるでしょ?」

「技術の継承は事故ったりしたら終わりだが思念体、一種のゴーストならずっと技術は内包したままだ。理にかなってると言えばそうだな」

 ルーデリカの疑問に仮の答えを用意したのはアーサーだった。

「でもこの世界にはすまほ? ねっと? とかあるんでしょ。保存なんて簡単なんじゃない?」

「言われてみれば保存媒体は未だに羊皮紙に頼るフロリアの比じゃないな。確かにできそうだ」

 ならば問題は知識継承ではなく。技術そのもの——というよりかは人の才か。

「そちらの世界では神がいるのだろうが我々の世界にはいない。太古の昔、人は神と決別した。以降、人は神の力である魔法を使う才能を失う一方だった。我々は魔法を完全に失う前に守護者全員の意思を一つにし、思念体となる決意をしたのだ」

 これに関してはアーサーも上手くできた仕組みだと感心した。しかしそれには一つ問題がある。肉体をその度にその時代に生きる人間から選ぶということは少なからず、魔法などの出力に影響を及ぼす。

 魔力は体外から吸収することもできるが、それを魔法に変換するのは非常に手間だ。必要なのは魔力の炉心、つまりは心臓。フロリアの人間が心臓から魔力を生成できるが、この世界の人間は恐らくできない。

 その魔力をどこから工面しているのか? というのがアーサーの疑問だった。しかし考えているうちに話は進んでいってしまう。

「やはり元は人だったのですか」

「かつては世界を守護する一族だった。その代の当主に魔法の知識を託し、異界の門を監視してきた。一族はその為に生まれ、育ち、死んでいく。この世界を守る唯一の使命とする一族こそが我々だった。だがある時、歴代でも最も優れた才能を持つ当主が一族の禁忌を犯して異界へ渡ってしまった。彼を失ったことで魔法継承は困難となり、こうした処置を取らざるを得なかった」

 気になる単語。ここ数日でよく聞いた言葉だった。「異界へ渡る者」に反応したのはこの場に居る全員がそうだったろう。

「これは偶然か」

 偶然にしては出来すぎている。しかし真実はまだ見えない。

「ところでお前のことはなんて呼べばいい?」

 アーサーが指すのはもちろん大徳寺の姿を借りた守護者のことだ。現状の候補は襲撃者、大徳寺、守護者の三つ。

「我々一族は名を持たない。好きに呼べ」

 大徳寺の姿をしている。しかし中身は別人である。那由多のことも考慮して彼のことは守護者と呼称することが決定した。

「まあとりあえずよろしく」

 そっけなく守護者は「ああ」とだけ返す。那由多曰く、大徳寺の姿でやられると調子が狂うらしい。

 ようやく事態が一段落したというタイミングで図書室の窓がコンコンと外側から叩かれた。

 視線を音のした方向へ向けると、アーサーとルーデリカにとっては見慣れているが、それ以外にとっては見慣れない鳩の姿があった。

「お、ユニーの使い魔」

(ん、妙だな)

 定時報告は夜ごろのはずだ。鳩が姿を現すなら昨日の戦いの最中になる。しかし朝になって姿を現した。時間に正確なユニがそんな真似をするだろうか。アーサーだけが疑問に感じる。そして答えを確かめるために急いで窓を開放した。

 パタパタと羽ばたいて鳩は図書室へ入ってくるとルーデリカを二、三回突いた後にアーサーの腕に捕まる。

「お前はヒルドだな」

 アーサーだけはその鳩の個体名が分かる。ルーデリカは分からない。それが好かれるか、嫌われるかかどうかの違いなのだろう。

 見た目は鳩であるが、そこにいるのは一人の少女。鳩電話でも言う仕組みの魔法。フロリア側の進展を伝える定時報告だ。

「おはようユニ」

「はい。おはようございますアーサー様」

「ユニーおはよう!」

「……」

 ルーデリカに関してだけは完全にシカトを決め込むユニ。しかしルーデリカは落ち込むどころかちょっと喜んでいる。どんな関係性なのか周囲は気になるが口を出している余裕はないらしい。

「さっそくですがアーサー様、前回の定時報告からそちらでは何日経ちましたか?」

 アーサーは一瞬、言い淀む。以前の報告からズレはあるものの、ほぼ予定通りに一日と十二時間ほど。

 少し思考してアーサーはユニの言いたいことを理解した。それは最初にこの世界へ来た時からあった違和感、それと浦島太郎を聞いた時に頭に浮かんだ仮説。

「どれくらいズレた?」

「およそ一ヶ月」

「まあ、許容範囲だな」

 ルーデリカ含め、この場にいる者は彼らが何を言っているのか理解できなかった。しかしたった一人、守護者だけは把握している。それを分かりやすいように口にしてくれた。

「異界の門を潜る際、互いの世界の時間軸はズレる。それは必ずしも一定ではない。数日、数週間、数ヶ月、数年ズレる場合もあるが、今回は一ヶ月で済んだようだな」

「そういうこと。現在こっちの世界とフロリアの時間は一ヶ月ほどフロリアが早く進んでいる。んで? その間なにがあった?」

 ユニを介して鳩へ語りかける。その姿はどこか奇妙だ。しかし電話だと思うと現代人である那由多は既に気にならなくなってくる。不思議だ。

「まず一日ごとに連絡を取ろうと思いましたが、こちらの使い魔はそちらへ辿り着くことができませんでした。一ヶ月経ってようやく到達できたというべきでしょうか」

「そうなると次回報告は数年後になるかもな」

 アーサーは冗談まじりに言ったつもりだが、そうなる可能性は否定できない。唯一のヒントを得られるフロリアの定時報告は今となっては邪竜発見に不可欠だ。しかし逆に一ヶ月間の調査情報を一日で聞くことができると、楽観した解釈もできる。

 今は喜ぶべきだろうとルーデリカも言うだろう。内心でそう納得しながらアーサーはユニの言葉を聞く。

「一ヶ月の調査でかなりの進捗があります。まずレアーナ周囲の砂漠です。砂に埋もれているだけでそこにはかつて建造物があり、数キロ先に至るまで砂漠全体が巨大な城下町であったことが判明しました」

「長い時間で砂で埋もれた……というのは妙か」

「レアーナ地帯はそもそも砂漠地帯ではなく、緑豊かな地であったと壁画に記してありました」

「あ? なんで壁画に」

 レアーナ遺跡、王宮内部の壁画にはこう描かれていたらしい。

 かつてこの地は枯れ果てた地であった。しかし周囲の村民が水を求め、井戸を作るために穴を掘り進めると巨大な神殿を発見した。村民が藁に縋る思いで神へ祈ると地下より光が溢れ、それが天へ届くと雨を降らせた。

 雨は何日も続き、大地を潤し、濁流は巨大な川を形成した。以降、神殿には神様が眠ると信じ周囲の村々は集い、ここに一つの大きな町を作った。するとどうだろうか、潤った大地はみるみる森となり、畑は豊作になり、人々は飢えることなく生きることができた。さらに周囲から人が集まるとやがてこの地は巨大な国を形成する。

「それがレアーナ」

考古学者の通訳と解釈が混ざっているが、おおむね正解だとしてこの案がアーサーらに報告された。

「しかしその神様こそが邪竜だったということか」

 ユニは低いトーンで答える。「はい」と一言だけ。

「これは王宮内部の記述。神殿内部は全く逆の記述でした」

 神を滅ぼす暴風の化身をここに封じる。神に仇なす刃に人の子は備えよ。やがてそれは其方らの前に姿を現すだろう。

 神殿は本来、邪竜を封じるための存在だったが、いつしかそれが神として崇められるようになってしまったわけだ。

 その勘違いから生まれてしまった国家こそがレアーナ。しかしそれから数百年の間、レアーナの地で国民は繁栄したのだから感謝すべきか。最終的にはその邪竜に滅ぼされてしまったわけだが。

「まあ伝説の考察はどうあれ、レアーナは緑豊かな地から砂漠地帯へ変貌したわけだ。ちっと妙だよな。暴風の化身が破壊した国家だぞ。水浸しの湿地ならまだしも真逆の砂漠ときた」

「たしかにあそこって平原のど真ん中に唐突に砂漠があるよね。なんで?」

 ルーデリカの記憶は正しい。レアーナの地形は自然では出来上がらない不自然なものだ。周囲は森林やらで覆われ、草原が広がる平原が続いている。そこにポツンと穴が空いたように砂漠地帯がある。

「さあな」

 誰もが言う「なぜ?」に対してアーサーはそう答える。分からないのだが現状だ。そしてユニもまたその答えを知らなかった。

「それとレアーナ周囲にはもちろん、レアーナ内部にもドラゴンが生息していた痕跡は発見されませんでした」

 生態調査班曰く、脱皮痕、爪や鱗、牙はもちろん。食料から糞尿まで見当たらなかったらしい。辛うじて外壁などに爪痕などは発見できたが古いものばかりでいつのかは特定はできない。少なくともここ数年のものではない。

 以上がフロリアでの進展だった。報告だけを終えるとユニの使い魔であるヒルドはすぐに姿を消した。

 ヒルドは異世界を渡るほどの優秀な使い魔であるが同時に扱っているユニの負担が大きい。この定時報告は彼女だから辛うじてできる芸当であり、常人には決して真似ができるものではない。

 無茶をさせていることを謝罪しながらアーサーはヒルドを窓から空へ放っていた。

 アーサーは少し考えるように図書室を歩くとこの場の全員を見渡した。

「な、なんか分かった人〜」

 彼自身は分かったことはほとんどなかったらしい。

 実際、今回分かったことと言えばレアーナ建国の背景と必定の滅び。そして謎の砂漠化だ。

 ピースは集まっている。しかしまだまだ足りない。

 そこでウラシマは一人手を挙げる。

「こんな時に言うのはどうかと思いますし、非常に申し訳ないのですが、少し眠って良いですか?」

「あーそういえば寝てなかったな」

 人の感覚を捨てていたが故にアーサーは完全にそんなことを忘却していた。ウラシマは真剣な表情だったがその表情には確かに疲れが出ている。

「よし、お昼寝の時間にしよう」

 言ったのはルーデリカだ。彼女自身言った瞬間に有無を言わさずに眠った。

 そういうわけで唐突な休憩が設けられた。瞬間にウラシマは机に突っ伏して眠ってしまった。よほど疲れていたのだろう。

 ルーデリカを見て那由多は不思議に思った。確かに彼女は昨日眠っていない。那由多の護衛であり、夜通し起きていたはずだ。しかしルーデリカは自身で言っていた通り眠る必要がない。

 那由多は眠っている二人を起こさないようにアーサーの元へゆっくりと近づいて、小声で耳打ちした。

「ルーデリカさんって眠る必要はないのでは?」

「なんだ気づいてたのか?」

 那由多はルーデリカから二人の話を聞いたことを話すべきか迷う。しかし、アーサーはその態度からすぐに察した。

「あールーデが話したのか」

 そう言われると那由多は反射的に「すみません」と謝罪していた。だが謝る必要はないとアーサーは笑う。

 ルーデリカが話すに値する人間だと判断した。アーサーはそれを信じるだけ。というよりアーサーもいつかは打ち明けるつもりだった。だから手間が省けた。

「あいつはよく寝るよ。よく食べ、よく寝る。ずっと子供みたいなやつなのさ」

 そこまで言われて那由多はようやく理由を理解した。「ああ、きっとルーデリカはアーサーの分まで眠っているのだろう」と。彼が失った部分を保管する。彼女は彼と共に苦しみを分かち合うのではなく、アーサーの想いを優先したのだ。

 アーサーはルーデリカが人らしく生きているところを見ることに幸せを感じる。互いに通じ合っているのは羨ましいと那由多は思う。

 那由多とアーサーは図書室から出ると近くの窓で二人並んでいた。中に居る人間を起こさない配慮だ。守護者もまた空気を読んでいつの間にか姿を消していた。

「アーサーさんはルーデリカさんのこと……」

 二人になって那由多は口を滑らせそうになった。しかしそこまで言って逆にチャンスだとその先を口にした。

「好きなんですか?」

 勢い余って出た言葉。那由多がこんなことを人に尋ねたのは初めてだ。他人の気持ちなんてどうでもいい、何を思っていようと関係ないと考えていたのに。今となってはアーサーの気持ちが気になって仕方ない。

 知ってるくせに。

「好きでもねえ女のために全部投げ出せるほど俺は寛大じゃねえな」

 彼らのことなんて何にも知らないけれど、話を少し聞いただけで分かるものだ。

 大好きだ。これが愛なのだろうと那由多は初めてその実態のない存在を感知した。

「恋人になりたいとか……思わないんですか?」

「そいういうのじゃないんだな、これが。あれは俺の親みたいなもんだし、師匠みたいなもんでもある。人で言う形の夫婦とかが俺たちにとって適切な形とは限らない」

「そういうものですか?」

「そういうもんだ」

 那由多にはよく分からない感覚だ。

 繁殖の必要がないからであろうか、生物として完全な彼らは番を必要としないからか。しかし愛はあるという歪な形。

「それとは別に恋人が欲しいとは思わないんですか?」

「よく分かんねえな。一緒に居たいとか、仲間に欲しい、とかは違うのか?」

「違う——と思います」

 その発言に那由多本人もあまり自信はない。

「でも美的感覚は人のままなんですよね?」

 さきほどアーサーはルーデリカを可愛いと称していた。ならば那由多の言う通り、人としての美的感覚は残っているはずだ。

「確かに感性は人だった時のままだ。価値観とかもな」

 そう言いながらアーサーは那由多の顔を覗き込む。

「だから那由多が可愛いのも分かるぞ」

「わ、私なんて全然!」

 こういう不意打ちをアーサーは行ってくる。那由多は顔が熱くなるのを感じながら窓の外へ視線を向ける。

「那由多はモテるだろ? 容姿も良いし、知的で優しい。お前なら学校でも人気者なんじゃないか?」

「そんなことありませんよ。本当に私なんて」

 本当にそんなことがないから、那由多はなぜか申し訳ない気持ちになった。

「ふーん。見る目がない奴らだ」

 アーサーはどこか特別感で得意げに胸を張った。

 そんなことを言うのは彼だけだ。那由多は性格が明るいわけでもない、自己主張は苦手だし、人の輪に入ったことなどない。どこにでもいる窓際の女子。でも誰からも孤立する哀れな少女。

「那由多の話を聞かせてくれないか?」

「私のですか?」

「俺たちの話を聞いたんだ。等価交換しよう」

「でも話すことなんか」

「いいから」

 えっと——那由多は少しだけ言い淀んで自分の話をした。

「私は……」

 幼少期、五歳ほど。何度も夢を見て、それを周囲に話していた。両親は夢見がちな子供としてまだ可愛がられていた頃。アーサーらの夢を見たのはこの時だった。

 十歳ごろ。小学生に入った頃から塾に通い、そこでは満点ばかり取って天才と呼ばれていた。しかし同じように夢を見てその話をしていた。その頃から友人付き合いが徐々に減少していくようになる。話が合わないんだそうだ。

 十四歳。中学生になっても勉強、運動共に万能だった。しかしクラスでは浮いていた。夢の話をすると両親に色んな病院へ連れて行かれるようになる。

 十五歳。塾はやめた。必要ないからだ。受験は難なく成功する。夢の話はしなくなったが同時に両親との距離感が掴めなくなる。海外へ両親が行く時、那由多は一人で地元へ残ることを決める。「この町が好きだから」と嘘を吐いたことをずっと頭に焼き付いている。あの時の両親はどんな顔をしていたかは思い出したくない。

 こうして振り返ってみると実に暗い人生だ。自分で言っていて悲しくなってくる。

「カッコいいな」

 だがアーサーはそんなことを言う。慰めかとも思ったが違う。

「なんの寄る辺もなく、頑張って。踏ん張って、孤高に生きてきたんだろ。カッコいいよ。尊敬する」

「そんな」

 そんなことを言わないでください——と那由多は言おうとしたが言葉になってなかった。

 ポンとその硬い手が那由多の頭を撫でる。優しく撫でられると那由多はもっと言葉が出なくなる。視界もぼやける。アーサーの姿ですらまとも見えない。

「みんな変だって……おかしいって」

「俺には分からん。それの何が悪い。なんで悲観する? 俺はそういう奴が好きだ。変な奴ほど、おかしいやつほど見てる世界が違う。話が違う。何もかも違ってそいつらの知識と思考は最高にイカれてて面白い。変な奴が内包する世界は神秘的で美しい。俺はこの世界のことをなんでも知ってるお前を尊敬してる。一人でも頑張れるお前を本気でカッコいいと思った」

 私はそんな良いものじゃない——そう言う那由多の言葉を遮ってアーサーは続ける。

「そうだ、お前は変な奴だ。こんな変な鎧に協力して異世界の話を信じて、仲間になってくれた。お前が変だから俺たちは出会えて、こうして一緒にいる。それはお前にとって悲しいことなのか? 嫌なことなのか?」

「違い……ます」

 誇らしい。彼らは異世界において英雄であり、こうして彼らと話し、仲間のように振る舞っているこの時間は那由多自身がずっと求めていたものだ。それはきっとクラスメイト、両親とはできない。

 必然のような偶然。那由多が最も恐れるおかしさのおかげで、那由多は最も求めるものを得てしまった。

 自分がおかしいことを受け入れていた。変な人であることも。普通であることを諦めた。それを肯定したのは人ではない存在だった。

 ああ、彼に言われてしまっては仕方ない。

『私はどこかおかしいのだ』

 でもなぜだろう。全然嫌じゃない。悲しくない。孤独じゃない。

 泣いてはいない、だが今の顔を見られたくない。そんな思いで那由多は目の前のアーサーに抱きついた。金属鎧の感触が伝わる。冷たくて硬い。なのにこんなにも温かい。これまで触れてきたどんな生命体よりも確かな温もりを感じた。

 しばらく那由多は何も言わず、アーサーから離れることはなかった。それをアーサーは拒むことはない。


「取り乱しました……」

 冷静になった那由多は「穴があったら入りたい」ではなく、「穴を今すぐ掘って隠れたい」気分だ。

 自分は一体なにをしているんだ。自分はなぜあんなことを。人はそんな後悔をよくする生物ではあるが那由多の場合、これは初めて経験で顔から火が出るほどの羞恥だった。

 誰かに弱みを見せたことがないのだろう。片桐那由多には基本的に弱点がない。だが弱点があることを知らなかっただけなのだ。結果として、こうして見事、那由多に黒歴史が刻まれたのだった。

「お手洗いに行ってきます」

 廊下は走ってはいけないというルールを従来なら守る那由多も今回ばかりはそんな場合ではない。全力疾走で廊下を駆ける。見た目からはあまり想像できないが彼女は五十メートルを六秒で走ることができる。

「はっや……人間にしては滅茶苦茶早くないか?」

 ちなみに六秒台ではなく、六秒ジャスト。五十メートル女子の日本記録は六秒四、ギネス記録で五秒九なので思いっきり世界記録に匹敵している。それを承知の那由多は学校内で本気で走ったことはない。

 さらにちなむとこの記録は那由多が興味本位で制服姿で測ったものなので、本気で走ればもっと早い。

「力を無意識に使っているのだろう」

 アーサーの疑問に答えを出したのは意外な人物だった。彼はこれまでどこに居たのか。姿を消したと思ったら知らない間に戻ってきた。

 守護者はアーサーと共に那由多を見送るような位置に居た。最初からこの場に居たのかもしれない。

「力って魔力のことか?」

「ああ、こちらでは色々な呼ばれた方をする。霊力、妖力、気、単純にエネルギー。それこそ魔力なんて呼ばれたかもするだろう。それは実際にこの世界のあらゆる場所に存在し、人も持っている。しかし、現代人はそれを使う能力と才能、技術を持たない」

「電気があるけど家電製品がない、みたいなことか?」

 そう言ったアーサーに対し守護者はなんとも微妙な顔をして、訝しげな視線を向けた。

「なんだよ?」

「いや……随分とこちらの世界に被れてるなと」

 それで——とアーサーは先ほどの言葉。その続きを急かす。

「あの娘は生まれつきに力を持っている特例だ。無意識に力の使い方を覚えている」

「それがあの並外れた走力か」

「稀有な存在だ」

「それで?」

「魔力については……」

「魔力についてじゃなくて、なぜ俺の所へ来た。このタイミングで来たということは俺にだけする話があるんだろ?」

 アーサーが先ほど「それで」と言ったのはこのことだ。守護者は「あーそういうことか」と理解して、少し遠回りしたことを後悔した。溜息を一つ挟むと守護者はアーサーを睨むように見る。

「貴様なら既に気付いているはずだ」

「さて、なんのことやら」

「とぼけるな。お前は最初から気がついている。ウラシマと呼ばれるあの男——全ての元凶はあいつだ。貴様らが追っている邪竜とはあいつだろう?」

 数秒の沈黙。その果てにアーサーは「だろうな」と呟いた。

 白状すると最初から理解している。なぜなら怪しさ満点だ。邪竜騒ぎ、異界の門を超えた先で出会った記憶を失った青年なんて都合の良い存在。それを疑わないほどアーサーはお人よしでもバカでもない。

 アーサーが昨夜、彼と行動を共にしたのは二人になれば行動を起こすかもしれない。そんな可能性があったから。しかし彼は何もしない。

「なぜ殺さない? 殺せばお前らの任務は達成できる」

「俺自身、初めてのパータンで戸惑っている。今、ウラシマを殺して本当に何か解決するのか。いや解決はする。でもそれだと真実は一生闇の中に隠れてしまう予感がした。元々俺らの依頼はレアーナ伝説の調査だ。その依頼を達成するためにウラシマの記憶を取り戻すと俺は勝手に決めただけだ」

 守護者は何も言わない。アーサーは「甘い」だの「お優しい」だの言われることを予想していたが、そんなことはない。彼はただジッとアーサーを見ているだけだ。

 一つの疑問がアーサーの中で浮かぶ。それはウラシマを殺すという物騒な選択肢。

「ならば逆に聞くがなぜお前は最初に遭遇した時にウラシマを殺さなかった? 俺は夜中の時点で話した。お前なら気がついてない訳ないよな? それで解決すると分かっていて、お前はウラシマを一切狙わなかった。お前は何かをまだ話してない、何かを隠している。それを全部、隠さず聞かせてもらおうか」

 守護者はしばらく無言のままでアーサーを睨んでいた。アーサーは言うまで待っているとでも言いたげに睨み返している。

「話しただろう? かつてこの世界を後にした男のことだ」

「歴代でも最高の力を持っていた男だろ。禁忌を犯して異界へ渡ったとかいう」

「そっくりなんだ。その男とウラシマという男の容姿がな」

「情が湧いた……という訳か」

 それは違う。アーサー自身も気がついている。この言葉は必ず拒否される。

 守護者には情などない。それらは彼らの中には必要のないものだ。彼らに必要なものは世界を守るための強さと掟に忠実であること。それ以外は必要ない。名前も感情も友人も恋人もいらない。世界を守る存在に隙は許されない。

 しかし、抗えないものはある。それは知的好奇心。そしてそれは、その男が存在しなければ生まれることははなかっただろう。

「情ではない。お前らの言葉で言うのなら……我々も真実を知りたくなった。あの男が何を思い、何を考えて異世界へ渡ったのか」

「なるほど、俺たちの目的は最初から一致したわけだ。説得は取り越し苦労だったな」

「そうでもない。貴様らが邪悪な存在ならば貴様を滅ぼし、あの男も滅ぼしていた。この肉体を殺すことは我々の本望ではない。しかし敵が強大な存在ならば、ある程度の犠牲は頭数に入れなければならない。そういう覚悟はできている。だが犠牲がでないならばそれに越したことはない。我々は貴様らと組むことで犠牲を最小限に抑えられると判断し、実行している」

 光栄だ——そう言いながらアーサーは守護者に手を差し伸べる。いわゆる握手、守護者はそれに応えることはしなかった。

 予想通りの反応にアーサーは笑う。同盟というよりは利害の一致による一時的な共闘。ここの立場を確認しておかなければ、ここぞの場面で読み間違える。

「ところでその男はなぜ異世界に渡ったのか、お前は知ってるのか?」

 しばし待て。言って守護者は少し考えるように額あたりに手を添えた。

「ある時、異界の扉より女がやってきた。女は助けを求めていた。自国に脅威が迫っていると。掟ならば女を扉の向こうへ返すか殺さなければならない。だが男は女を助ける選択を選び、共に扉の向こうへ消えた」

「そして二度と帰ってくることはなかったと」

 その通りだ——と守護者は肯定する。

「掟を破ったことを恐れたのか、異界で死んだのか。それは知らないがな」

「それはまるで浦島太郎だな。色々と細かいところは違うが」

「まるでというか、そうだぞ」

 一瞬聞き流しそうになるほど自然と会話に混ざる言葉。「そうだぞ」とはどういう意味なのか。

「……は?」

 何を言っているのか分からなくなってアーサーは間抜けな声が出た。「なんだ気がついてなかったのか?」とでも言いたげに守護者は呆れた顔をしている。

「浦島太郎はこの男の話を元にして描いた伝記だ」

 再びアーサーは声を大にして「はぁ!?」と口にしていた。

「じゃあ、あれお前が書いたのか?」

「我々の中の誰かだ。時間が経つにつれてその話は脚色されたがな。本来の物語は浦島太郎が故郷の掟を破って海の底の竜宮城へ向かう、そこで乙姫らのもてなしを受けた浦島太郎が家に戻ると時間の流れの違いからひとりぼっちになる。最期に手渡された決して開けてはいけないと言われた玉手箱を開けて老人になる。そんな話だったはずだ」

「確かに原作は随分とシンプルだな。かなり脚色されてる」

「まあ、そうだな」

 守護者は少しだけ目を逸らす。その仕草はどこか不自然だったがアーサーは流す。まだ何か隠しているような雰囲気は拭えないが今迫っても彼は口を割らないだろうと。

「しかしなんのために書いたんだ? この釈然としない話を」

「約束事を破ることへの咎めだ。どんな事情があろうと約束を破れば相応の報いがある。そういう教訓だろう。実際、男は酷い目に遭った」

「ふーん」

 言い方一つに見てきたような口調が混じる。間違いなく守護者は何かを知っている。そして隠している。だがそれはアーサーを信用していないからか、それともアーサーにも言えないようなトラウマのようなものかは判断が付かない。

 アーサーは深追いをしない。必要に迫られてからでも遅くはない。もし現状が完全に詰まった時、それを打開する手がかりになるかもしれない。

 浦島太郎はやけに約束を破ることを禁忌としている。それは守護者が作ったからか、それとも何か他に理由があるのか。アーサーは考えるが答えは出ない。

「しかし、ジリジリ迫ってきたな。浦島太郎、レアーナの御伽噺、そして邪竜の謎に」

「だがまだ足りないぞ」

「ああ、だが遺跡の調査が進めばこれらの結びつきが見えるはずだ」

 仮眠を取る二人を待ち、三時間が経過する。そろそろ会議じみた話し合いを再開させようとした時だった。那由多の姿はなかった。

 そして、那由多は図書室へ戻ってくることはなかった。


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