第一章 『浦島太郎への考察』二
不審者が出た。そういう知らせを聞いて大徳寺は図書室から姿を消した。貴重な男手として要員されたのだ。
時刻は午後二時。お昼ご飯はおにぎりだった。もちろん那由多のお手製。エネルギーの補給を終えると作業に戻る。そんな時の知らせだった。
なんでも全裸の男が校舎を徘徊しているらしい。女子水泳部が目撃し大騒ぎになっていた。そんな変態を捉えるために多くの教員と警察官が動員されていた。
那由多は一人、図書室で取り残されていた。彼女の瞳はもう異なる世界を見ることはできない。
どうにか見れないかと那由多は全身脱力して遠くを見ている。その様子を側から見るとポカーンとしているようだ。あるいはボーッと。またあるいは放心。
図書室の扉が開かれた。この寂れた図書室に来客とは珍しい。通常時でも生徒はほとんど図書室へは近寄らない。
それほど大きな規模でもないし、蔵書数もお世辞にも多いとは言えない。なので生徒が立ち寄る理由はほとんどない。那由多がここへ来るのは高確率で本を読むためではない。静かで勉強が捗るからだろう。
そんな来客に那由多自身は気がついてない。
来客は本棚を見て図書室をくるりと一周する。その現代社会では珍しい足音だけが響いた。がしゃん、がしゃんと音が鳴り、それがだんだん那由多のところへ迫っていく。そしてピタリとその足音が止んだ。
ちょうど那由多の目の前でその人物が足を止めたのだ。机に手を着き、ゆっくりと机上にあるものを観察する。
「ふむ、浦島太郎か」
と声を出す。その時に初めて、那由多は図書室へ来た来客の存在に気がついて顔を上げた。
「それはどんな話なんだ?」
「……えっと」
那由多は咄嗟に言葉を紡ごうとしたができなかった。視界に入った人物に魅入られたからだ。思考が途切れ、言葉が消えた。一瞬で蒸発したように頭が空っぽになった。
「ああ、悪い。俺は怪しいもんじゃない。アーサー・バルトメロイ。冒険者だ」
そこに立っているのは夢を通して見た存在。それがそのまま実現していた。
竜の素材を使った鎧を纏った男。竜の騎士。真紅に染まった全身の鱗と鋭く尖る棘、人の形をした竜——否、竜という種族を人の形まで極限に圧縮したと形容するに相応しい鎧だ。その質感まで那由多にはハッキリ見える。まるでまだ生きているかのように。
兜についた穴からこの世のものとは思えないほどに美しく、淡く輝く青色の瞳が那由多をジッと見ていた。
ここに居る。異界の竜騎士、アーサーは確かに那由多の目の前に立っていた。故に彼女は言葉を失ったのだ。
「あー聞こえてるか?」
「あ、はい!」
ようやく那由多は通常の思考力を取り戻した。ハッとなって立ち上がると深く頭を下げた。
「私は片桐那由多と申します」
「ああ、よろしく那由多」
言ってアーサーはおもむろに那由多の正面に腰掛けた。
「助かったよ。こっちに来てからまともに人に会わないしさ、せっかく見つけてもなんも答えてくれなくて」
ふうーとアーサーはこれまでの苦労を吐き出すように溜息を漏らす。
「どうやら言語は通じてるっぽいな」
「はい。普通に日本語ですね」
アーサーの言う通り、彼が使っている言葉は日本語だった。当然の如く那由多にも聞き取れるし、意味を理解できる。多分、彼が避けられた理由は言語が通じないのではなく、その容姿だけが原因だろう。
「ニホン語、ということはここはニホンという国……島? それとも大陸か?」
「島……で合ってると思います。大きな大陸近くにある小さな島国です」
「なるほどな。ニホンね」
アーサーはポーチから取り出した手帳に情報を記していく。見た目の割に細かい。その仕草や話し方までやはり那由多の見た夢の中の住人だ。
「その様子だと、もしかして俺がこことは違う世界から来たって……理解してるのか?」
「そ、そうですね」
「もしかして結構来る?」
「いえ、少なとも私は初めて見ました。そして恐らくこの世界で初めて観測したかと思われます」
「そりゃそうか。俺も初めて来たし。そもそも世界なんて早々行き来するものでもないだろうし」
ん? とアーサーは疑問に思い思考する。
それは目の間の少女がこれまで出会った人間と明らかに違うこと。
「じゃあ、なんでお前はそんな冷静なの? というかよく信じたな」
「全然冷静じゃないです。凄すぎて硬直してますし。疑っては……ないですね」
それが那由多の正直な感想だった。実際問題、内心がグチャグチャだが、アーサーから見ればそれは十分に冷静に見える。
「助かる。那由多みたいな奴がいるのはこちらとしてもな」
アーサーは手帳を一度閉じて那由多を正面に見据えた。その青い瞳は兜越しに再び那由多を見る。すると那由多はどこか緊張してしまって背筋を伸ばした。
「改めて。俺はこことは違う世界。フロリアから来た冒険者だ。この世界の住人には聞きたいことが山ほどある」
「私も聞きたいことが山ほどあります」
「だろう? だから情報交換と行こう」
そこからアーサーと那由多は多くのことを話した。
アーサーは自らの世界。那由多は自分の世界。その常識や価値観。文化と文明。生態系や地形。歴史に宗教。どんな人々が居て、どんな仕事があるのか。どんな生活、営みを送っているのか。
アーサーは那由多の話を全て手帳に記していた。一方で那由多はメモなどは取らない。記憶力の良い彼女は一度聞けば全てを覚えることができる。頷いてその話を真剣に聞いている。
「こっちとは随分違うんだな。魔法がない。しかし科学というものが発展している。文明レベルは圧倒的にこちらの方が上だ。でもこの世界には神が空想上の存在なのか。魔法も」
こちらの世界の話を聞いてアーサーが感じた最初のことは「どっちもどっち」ということだった。こちらの世界にあるものはアーサーの世界にはなく、アーサーの世界にあるものはこちらにはない。
魔法が顕著な例だろう。アーサーの世界であるフロリアは魔法による独自の発展を遂げている。こちらは真逆、魔法はないがそれに匹敵する科学技術がある。
アーサー曰く「魔力自体はこの世界にもある」らしい。彼はこの世界にやってきた時に感じたのは世界全体を満たすほどの魔力だった。空気中にはそれが充満していた。
次に異なることは人種。こちらには人があらゆる生態系の頂点に君臨している。人種には肌の色や身体能力などに差異はあれど皆、人間と呼ばれる一つの種だ。
対してフロリアには多くの種族が存在する。同じ人と括るのは難しい多くの差異が彼らにはある。ゴブリンやオーガ、エルフ、ドワーフに妖精。
人の戦闘能力は中堅どころで魔法などを駆使しても勝てない種族が多くいる。中でも竜種。ドラゴンはこちらの世界にはない生物の代表例かもしれない。しかし面白いのがそれらは全て物語などでは語られて認知はしているということ。
アーサーは物語として語られているのなら元はこの世界に存在していた。あるいは異界から紛れ込んだりする例はあるのかもしれないと予測する。
那由多が気になったことは先ほど言った言語に関するものだ。アーサーは明らかに日本語を話している。それは間違いない。
それに対する回答はかつて神様が言語を統一したらしい、ということだ。
あらゆる種族、知性を持つ全ての生命体の話す言葉を一つにしたのだ。フロリアの住人は皆この魔法を宿して生まれるらしく、話す言葉は相手に通じ、相手の言葉を自身の言葉で翻訳できるという。
「こちらの世界で通じるかは結構賭けだったけどな」
というのはアーサーの弁。実際異世界へ行ってしまったら無理かと思っていたが案外いけるらしい。
それは素晴らしいと那由多は感心した。しかしアーサー曰く言語統一の目的が対話による相互理解と争いの抑止だったのに対し、会話できることで抗争がむしろ増えたそうだ。なんとも皮肉な話。
魔法も科学も思った通りにはことが進まないらしい。それは神すら制御が効かないほどに。
「冒険者とは、どんな職業なんですか?」
「やはりこの世界にはないか」
次にアーサーは冒険者という職業について話す。こちらの世界にはない。冒険家ならばいるだろうが、彼らの冒険者という職業はいわゆる金次第でどんな仕事を受けるなんでも屋に属する。多分そういう仕事はないことはない。でもそれは裏社会とかで暗躍する人ばかりで表立って活動している人はいないだろう。
「通りで冒険者を名乗っても通じないはずだ」
アーサーの姿では冒険者ではなく、コスプレイヤーと言った方が怪しまれないだろうと那由多は考える。
ある程度の情報を出してアーサーはこちらの世界の常識を把握した。那由多は目の前の人物の話すことを普通に信じて接している。いつの間にか緊張も消えている。それは彼女がこれまで多くの現実離れした夢を見てきたからだろう。見てきたこと、聞いたことが完全に一致している。
那由多はなぜかアーサーに対し夢の話をしなかった。それはなぜかは分からない。彼だけは、アーサーだけは信じてくれるかもしれない。
『異世界から来た彼ならばきっと私の夢を肯定してくれるに違いない』
そう思いながらも口に出せないのは、アーサーさえ否定してしまったら那由多は本当に「おかしい人」になってしまう予感がしたからだ。それを確かめることは怖かった。
那由多は結局、そのことに関しては話さなかった。
最後にアーサーがここへ来た目的。
「とある竜を追ってきた」
フロリアからこちらの世界へ渡ってきた邪悪なる竜を彼は追ってきた。
レアーナ遺跡調査団が編成させ派遣。レアーナ到着後に神殿へ最深部で邪竜と交戦後、邪竜は異界へと逃げた。それが一ヶ月前。部隊再編成やらなんやらでようやくアーサーはこちらの世界へやってきた。
「一ヶ月前?」
那由多が彼らの夢を見たのはついさっき。しかしその光景あはあちらの世界で一ヶ月前。つまり那由多は異世界の過去を見ているのかもしれない。
「何か気になることでもあったか?」
「い、いえ」
唐突に黙った所為で不自然だったが、何もありませんと言って那由多は誤魔化した。アーサーは気にせずに話を進める。
アーサーの目的は速やかにこの脅威——邪竜を討伐し、取り除くこと。しかし一つ問題が発生した。
その邪竜が通って来た異世界へ続く扉を潜ってきた。間違いなく、こちらにいるはずの竜の姿形もなかったのだ。
困ったアーサーは一緒に来た相棒と二手に分かれて情報収集を開始した。それが昨日の話。アーサーは言語が通じない可能性を感じ、書物による情報収集を試みたところ、この図書室を発見。今に至るというわけだ。
これがことのあらまし。
「こっちで暴れてるはずの竜を倒して終わりのはずだったんだけどなぁ」
なんでこんなことになったのか——とアーサーはぼやく。
「そんなのが現れたら騒ぎになってるかと」
「そこなんだよな」
那由多はスマホを使ってネットニュースを漁るがそんな記事は一切出てこない。それは日本だけでなく、世界規模で同様だ。世界は至って平和なままだ。
「まあ相手は普通の竜じゃなくて邪竜。知性もあるにはある。しかし、姿を消すのは妙だ」
「妙とは?」
「邪竜の目的ってのはとにかく破壊なのさ。何を壊すかはソイツ次第なんだが、とにかく破壊衝動ってのを常に抱えている。この世界へ来たなら奴はこの世界で破壊したい何かがあるはず。あるいはそれに勝る衝動だ」
「なのに姿を消して行動を起こさない……ということですか?」
「まさにそれだ。行動を起こさないならまだしも姿を消す意味が分からない。隠れるってことは姿を現していると不都合なことがあるってことだ。それも分からん」
というより「それが分からない」とアーサーは訂正した。
「アーサーさん達みたいな追っ手を警戒してるのでは?」
「そんな思考ないはずなんだけどな」
「では何か機会を待っているとか?」
那由多は素人なりに思いついた疑問をぶつける。
「機会ね」
アーサーはしばらく「うーん」と一人悩む。その後「それの方があり得るか」と小さく呟いた。
「ま、そんなこんなで分かんねえことだらけってわけ」
よっこらせっと呟いてアーサーは立ち上がる。
「どこか行くんですか?」
「邪竜を探しに行くさ。有用な情報は手に入ったし、そろそろ俺も動かないと」
そうしてアーサーは踵を返す。「ありがとう助かった」なんて言葉を残して彼はこのままどこかへ消えてしまう。
あまりにもアッサリとした最後。それは彼が多くの旅をしてきたが故だろう。しかし那由多には唐突で寂しい終わり方だった。
「待ってください!」
だからそれを拒否するために那由多は声を上げた。
「私にも協力させてくれませんか?」
アーサーを引き留めるだけの言葉。だがその言葉は真意だった。彼らの役に立ちたい。だから那由多は急いで続く言葉を紡ぐ。
「私が世界のニュースを監視してますし、邪竜が出たらすぐに報告できます。一つの拠点で活動した方がアーサーさんにとっても都合が良いでのは? この世界のことならなんでも教えられますし。それに私もこの世界にそんな恐ろしい存在いるのは不安で、少しでもお役に立てたらと」
こんなに大きな声を出したのはいつ以来だろう? もしかしたら人生で一番大きな声を出して、人生で一番必死に言葉を発したかもしれない。大義名分を用意して、彼がこの場に留まる言い訳を提供する。「それは彼女じゃなくても良い」と言われたら全て破綻してしまうような小手先の理論。
「ど……どうでしょうか?」
不安げに那由多は尋ねた。
愛の告白はこんな感じなのだろうか——と思う。不安で不安でたまらない。自分はなんでこんなに執着しているのか。彼が自分と同じ「普通じゃないもの」だからだろうか。それとも「普通じゃないもの」に焦がれているからだろうか。
上目遣いで自身を覗く那由多に対しアーサーは両腕を組んで考える。
「良い提案だ。ならお言葉に甘えようか」
全身が力が抜けるのを感じる。それらを吐き出すように「ホッ」と那由多の口から安堵が零れ出てきた。
「良かった」
聞こえないような小さな声で那由多は呟く。
「じゃあしばらくの間よろしくな」
アーサーは再び那由多の前まで歩いてくるとその手を差し伸べた。
こうして近くで対面するとその威圧感は大きかった。これが本当の騎士という奴かと思っているうちに、那由多はその手を握り返す。
那由多の小さな手はアーサーの手にすっぽりと収まる。肌ではないから温度を感じない。冷たさと独特な質感が伝わってくる。よく見ると彼の籠手はそれこそ爬虫類のように鋭い爪があり、指まで金属のような黒い鱗で覆われていた。
「よろしくお願いします」
ここに異世界間での協力関係が結ばれた。邪竜を倒すという共通の目的のために。
「もうこんな時間だ」
那由多が時計を見ると既に時刻は午後の七時。そろそろ陽の高い夏場でも暗くなる頃合いだ。それに学校が閉められる時間。那由多は急いで荷物を纏める。
「アーサーさん。ここもう少しで閉まっちゃうんですよ」
「あーそうなのか」
「もしよければ私の家で泊まりますか?」
那由多の家にはちょうど両親もいないし、空いている部屋もある。アーサー一人くらい来られても寝床も食糧も、風呂も提供できる余裕がある。
「ありがたいが、そこまでの気遣いはいらない。寝床くらいは自分で探すさ。それに若い女の子の家にはおいそれと上がれない」
「そ、そうですか」
アーサーは男性だったと今になって那由多は思い立った。少し迂闊だったかもしれない。彼もいきなりこんな提案をされて困ったかもしれないと心の中で彼女は反省した。
「ではまた明日の朝にここに集合で良いですか?」
「ああ、それで構わない」
何かデートの約束をしているような感覚だった。なぜか那由多の心は弾んでいる。
「じゃあ、また明日」
手を軽く振ると那由多は図書室を後にした。
「また明日」
そんなこと言ったのいつ以来だろう。那由多はなぜか少し駆け足で帰路へ着く。
文字通り夢に見た者との邂逅は彼女の心を数年ぶりに突き動かした。大徳寺の言う「やりたいこと」や「やる気」が今なら溢れている。
那由多は海の見える道で足を止めて今まさに沈もうとしている夕日を眺めた。
この世界、この町に本当に邪竜なんているんだろうか。平和だ。世界は平和そのもので異界の訪問者がやって来ても誰も気づいてない。那由多だけがそれを認識している。
この胸の鼓動。弾む鼓動だけは嘘ではありませんように。那由多はそう祈る。
・
アーサーは那由多と別れた後にちょっとだけ遅れて学校を去った。闇に紛れるように。
海沿いまでやってくると、那由多が夕日を見るのと同時期くらいに彼もちょうど海を見ていた。ただし見ているのは夕日ではなく、その向こうから来るもの。
それは一匹の鳩だった。
周囲が暗闇に包まれようとする中でも着実にアーサーの腕目掛けて飛翔してきた。パタパタと羽を羽ばたかせると上手く対空して腕に着地する。
「まさかお前が伝達役とは」
鳩は異界。今アーサーがいる世界とは違う世界よりやってきた伝達役。正確には鳩はその伝達役が遣わせた使い魔の一体に過ぎない。しかし無数存在する鳩にもちゃんと個体名はある。
アーサーは鳩の特徴をじっくりの眺める。
「お前はスルーズか。羽の模様が少し違う」
スルーズは喜ぶように羽を広げて見せた。そして口を開け
「お見事です。アーサー様」
そう口にした。声は可愛らしい少女のものだったが、確かに鳩であるスルーズから発せられたものだ。しかしアーサーは驚くことなく会話を続ける。
「久しぶりだな。ユニ」
「はい。ご無沙汰しております」
この声はスルーズを操る主人のものだ。それをスルーズは意思伝達し、彼女の代わり発声しているに過ぎない。アーサーがこちらから話した内容はあちら側にいる別の鳩が主人へ言葉を伝えている。
こちらの世界で言う電話のような技術。使い魔を介した会話はフロリアにおいても可能とするのはたった一人。アーサーの仲間であるユニ・バルトメロイ。天才的なテイマーだ。
「今回の緊急事態に際し、私が伝令役のために馳せ参じました」
「少し勿体なくないか?」
「いえ、アーサー様の補助ならば世界のどこであろうと参ります。もちろん異世界であろうと。それに今回の件ならば私が適任かと」
「どちらにせよ心強い。感謝するっても不要って言うかお前なら」
「その通りです。感謝は不要、仕事ですので」
久々に話す仲間の声はアーサーに元気を分け与えてくれる。相変わらずクールな子だが仕事熱心。遠路はるばるレアーナの地まで馳せ参じてくれたわけだ。
言葉は淡々としており会話越しだと機械のようだが、これがユニだ。むしろこの喋り方や声にアーサーは安心感を覚える。
「じゃあ早速仕事の話をするか」
「はい。私がレアーナ調査の情報をそちらへ送りますので、アーサー様は現地で得た情報をお願いします」
アーサーは今日あった出来事を話した。現地協力者とこちらで得た情報だ。
「厄介な状況になっているようですね」
「ああ、これまでにない個体だ」
「その協力者……信用できるんですか?」
「悪い子じゃない。でも何か普通ではない気配はある。多分、互いに引き寄せあったんだろう。たまに働くのさ、そういう力が。俺たちが出会った時みたいにな」
「そういうものですか……」
そうそう——とアーサーは肯定する。そういう力はこちらでは引力というのだと、先ほど得た知識にあったと思い出す。しかし、今は余計な話をしている場合ではないと、アーサーは思考と会話を切り替える。
「んで、そっちその後はどうよ?」
「遺跡の調査進度は一割程度。瓦礫の撤去はほぼ終了していますが、建造物の耐久性がギリギリで慎重に作業を進めています。消失している部分も多そうなので手こずってるのかと」
そりゃ残念とアーサーは呟く。しかし落胆はほぼない。実際にそれほどの期待はしていないのだ。遺跡の調査が邪竜捜索に役立つとも限らない。やること自体は変わらないのだ。
「しかし最深部の壁画一部を解読した結果。封印されていたものの名前だけは判明しました」
「名前か、確かに呼称は必要だな」
「封印されていたものは邪竜ヴァン・ウォード。現地レアーナの言葉で暴風の化身を意味します」
「暴風の化身ね」
空は快晴。星も見える。風も少ない。
「本当に居るのか?」
それすら疑わしくなってきた。奴はどこに居る? 奴はどこへ逃げた? アーサーの思考は回転するもすぐに詰まる。材料があまりにも少ない。
「奴が潜んでるなら、遺跡調査は何かしらのヒントを出すかもな」
「はい。こちらも全力で調査を進めて参りますのでアーサー様もお気をつけて」
あーとアーサーは思い出したように声を出すと、飛び立とうとしたスルーズ(ユニ)を引き留めた。
「悪いけどルーデリカに今の話と、例の学校で落ち合おうって伝えてくれるか?」
「え……私じゃないとダメですか?」
「いや露骨に嫌がるなよ」
明確にユニはめんどくさそうに尋ねる。
ユニはルーデリカが嫌いなのだ。過去に少しばかり確執があってルーデリカはユニが好きだが、ユニの場合は完全に逆で凄い嫌いという構図になっている。嫌っているというより苦手なのだと認識しているのはアーサーだけだが。
「お願い」
「アーサー様のお願いなら聞かないわけにはいかないです(不本意ですが)」
「ありがとな(呟いたことは聞かなかったことにしよう)」
では——そう言い残すと伝達役のスルーズは飛び立って、また海の向こうへ羽ばたいて行った。
「もう少しなんとかならないかね」
仲間の不破というのはあまり気持ちの良いものではない。それはアーサーとて同じだ。
アーサーは不意に空を見る。
もう夜。世界は暗闇に包まれていた。しかしこちらの世界は電気を使った灯りのおかげでそれほど視界は悪くならない。
「こちらの世界の夜は恐怖を感じないな。むしろ風情があるな」
空に大きく聳える月だけではなく、町中に配置された灯りは世界を照らし続け、夜はこの世界にはないかのようだ。
安心感を覚える平穏で静かな世界。だからこその違和感。
「な〜んか妙なんだよなぁ」
今回の件は色々と予想外のこと、想定外のことが多過ぎる。そして同時にこの先を予測できないでいる。アーサーの勘が言っている。このままでは終わらないと。
「ま、なんとかなるでしょ」
楽観か、経験故の余裕かアーサーはそんな風に独り言を呟く。
「あ、そうだ。那由多に浦島太郎の話聞くの忘れた」
明日聞こう。アーサーはまたどこかへ歩き出す。