エピローグ
レアーナの地。調査団が派遣されてから数ヶ月が経過した。
現地に集った学者らはほぼ遺跡の解析を終わらせていた。そして、ここから飛び立った脅威である邪竜ヴァン・ウォードを討伐した英雄らによってレアーナのお伽話の真相が解明された。
調査団はこの長期に渡って行われた調査の編纂のために撤収が決定。今まさに、その最後の馬車が出立する瞬間だった。
その馬車に乗るのはたった一人、例外的な要因でここへ招集された少女。
絹のような美しい白髪を二つ結びにした幼い少女。宝石の如き青い瞳、透き通った白い肌。人間離れした容姿を持つ少女の傍には巨大な蛇が眠っており、少女はそれを椅子のようにして腰掛けていた。
ユニ・バルトメロイ。彼女は異世界へ渡り邪竜を討伐した二人の英雄の仲間である。
何を考えているのか分からない無表情の少女は、馬車の中ではなく屋根の上に自身の使い魔と共にぼんやりと空を眺めていた。
美しい青い瞳が同じく美しい青空を映している。しばらく空を眺めていると彼女の予想通り、使い魔の一羽が姿を現した。
鳩に見えるそれはフェニックスの幼体だ。異世界をも越えることのできる肉体の頑丈性はこの世界随一の通信技術を可能とする頼れる家族。
「あら、おかえりなさいリンド。早かったわね」
細く可愛らしい声でその名を呼ぶとリンドは嬉しそうに羽を広げた。
リンドは現在、こちらとは違う世界に存在するもう一匹、イルスと繋がっており、そこにいる人物との会話を可能としている。
リンドはその人物の声を複製して、その人物の言葉をそのままユニへ伝えてくれる。
前回の報告から僅か数日、思ったよりも早い。最長で一ヶ月も連絡できなかったから、それ以上も覚悟していた。
「そちらの様子はどうですか? アーサー様」
使い魔を通して向こう側の人物へ語りかける。それに慣れた相手は「久しぶり」と声をかけてくれる。
ユニの表情はピクリともしないが内心では満面の笑みを浮かべているつもりだ。顔が感情に追いついてないだけなのだ。
自身を狭い世界から連れ出してくれた恩人の声が聞こえる。そのことに安心する。本音を言うとすぐにでもこっちの世界へ帰ってきてほしいのだが、そうもいかない。
「事後処理は守護者と協力してほぼ終了した。邪竜がいたこともこの世界の住人は知らないままに終わった。壊れた校舎も元通りだ」
「それで協定の方は?」
「ああ、それも上々。そのうち、ギルドから派遣されるだろう。詳細はそこで決めるとさ。まあ当面の問題は時間のズレだろうがな」
協定というのはフロリアの冒険者とあちらの世界の守護者と結ばれた協力関係。
今回の件で守護者は邪竜の心臓を失い、その防衛力を著しく下げた。結果的にとはいえ失われた力を補填するべく、守護者とアーサーとの中で交渉が行われる。
守護者らは様々な掟を改定し、フロリアの冒険者を緊急時に派遣してもらうこと。代わりに魔法技術をフロリアへ提供するという協定を結ぶ。
科学技術は残念ながら危険すぎる為に秘匿。代わりにそれまであった魔法技術のみという結果に落ち着いた。
本格的な話し合いはギルドが派遣するお偉方が決めることだ。アーサーはその架け橋に過ぎない。
「ギルドは承諾するでしょうか?」
冒険者ギルドは世界中に点在するクランを総括する組織。各地から依頼を集め、報奨金を設定し、クランへそれを回す。国家に属さない独立した存在であるが故に、今回の協定も希望があるとアーサーは考えていた。
「レアーナの件は少なくともこっちの世界の守護者の力がなければ解決はできなかっただろう。そこを失念するほどギルドもバカじゃない。それに俺たちが介入すれば話はすんなり行くだろ」
「まだ面倒ごとを持ち込みましたね。皆様に怒られますよ?」
「構わんさ。恩は返さないとバルトメロイの名が泣く。それに我らがマスターが決めたことだ。逆らえん」
発案者はルーデリカ。それを聞いてユニは溜め息を吐いた。またあの人はアーサーの気も知らないでと内心憤慨するが、アーサーはそれすらも受け入れているのが羨ましいと思ってしまう。そしていつものことだと、ユニも受け入れてしまう。
ずるいひとだ。
「畏まりました。こちらでも各員に通達、協定の締結に向けて準備を進めておきます」
「いつもすまんな」
「そう思うなら少しはルーデリカ様にも言っておいてください」
「ああ、よく言っておくよ」
アーサーはいつもの口調だったが、少しずつ声が低くなっていった。彼の中で心残りがあったのだろうとユニは察する。
「現地協力者、片桐那由多はどうしましたか?」
少しの沈黙を挟むとアーサーは話す。
「あいつは何も覚えてない。守護者の予想通り、記憶を失ってしまったらしい。千里眼も使われた形跡はない。もうあいつは俺たちのことを……」
ユニは何かを言おうとしたが言葉にはならなかった。不器用な彼女はアーサーへの慰めの言葉を持っていない。同時に片桐那由多への想いもない、共感もできないユニには何かを言う資格はなかった。
「死ななくて良かったよ。俺たちのために死なれたら、もっと落ち込んでた」
アーサーは事実上の不老不死。その性質から生きている中で多くの死を見てきた。それは何度遭遇しても決して慣れることはない痛みだった。
逆に言えばその痛みだけが、アーサーがまだ人間だったことを証明している。
「どうされるのですか?」
ユニはあえてその選択を迫った。アーサーは黙る。
「怖いんだよ。誰ですか? なんて純粋な目で言われたら……俺はどうしたらいい」
数日とはいえ彼らは同じ目的に向かって行動を共にした。アーサーにとって長い付き合いだけが絆ではない。
人はすぐ死んでしまう。人の生はアーサーにとってはあまりに短い。彼が何を思い、どんな付き合いをしたか、アーサーは気に入った人間をそこまで作らない。別れを告げるのが嫌だからだ。
そんなアーサーが気にかけるのだ。片桐那由多という少女はもうアーサーにとって特別な人物だったに違いない。
ユニにとってそれは複雑だった。彼女は自分が嫉妬深いと自覚している。だからこそアーサーの相棒であるルーデリカを毛嫌いするし、その那由多という少女もあまり良く思ってない。
「私は……アーサー様が他の女にうつつを抜かしているのは我慢なりません。ずっと私の側に居てくれれば良いのにとずっと思ってます。けれど、誰かの為に行動するアーサー様が私は好きなのです。アーサー様のお好きになされば良いかと私は思います」
ユニはアーサーを想うからこそ彼に賛同し、冒険者となった。彼を縛ることはしたくない。
それは背中を押す行為であり、同時に告白だった。
ユニは無表情のままだったが頬が少しだけ赤く染まっていた。慣れないことはするものではないと少し反省している。
コホン——とユニはわざとらしく咳をする。
「アーサー様。今後の予定ですがルーデリカ様とアーサー様はこの先、一ヶ月程度は依頼が入っておりません。たまには休暇を楽しむのもいかがと」
では——と言ってユニは一方的に会話を終了させる。魔法を解除すればもう相手の声は届くことはない。
「アーサー様のバカ、女たらし」
・
「なんだこれは?」
時は九月一日の話。船城高校の新学期が始まると片桐那由多は早々、職員室へと呼び出された。
今日のスケジュールは全校集会のみ。一時間の退屈な行事が終われば、生徒らは自由の身になる。夏休みボケが治らない学生らは久方ぶりの抑圧を脱して、まるで刑務所を釈放された受刑者みたいな解放感と喜びに打ちひしがれて学校を去っていく。
那由多もまたその一人になるはずだった。担任教師に夏休みの課題を全て提出した結果、そのまま職員室へ直行だ。
不本意ながらも那由多はついていく。そしてその担任教師、大徳寺が言った言葉が「なんだこれは?」だった。
大徳寺の手には紙の束。原稿用紙百枚くらいを適当にホッチキスで止めたものだ。
「読書感想文です」
正直に那由多は答えた。これは夏休みの課題、最大の難関だった読書感想文。数日かけてようやく完成させた自信作だった。
「いや、あの……規定破りすぎだろ。なんだこの量は」
読書感想文の規定は原稿用紙一枚。那由多が用意したのは百枚。百倍。
「筆がのって」
「というかちょっと読んだんだが、これ感想文じゃなくて小説だよな?」
「見えてしまったのだから仕方ないです」
「あ、何が?」
「いえ、言い間違えました。思いついてしまったのだから仕方ないです」
ゴホンと那由多は誤魔化す。はぁ——と深い溜息を吐いて大徳寺は感想文を那由多へ手渡した。
色々と言おうと思ったがまともに言葉が思いつかない。
「あーとにかくこれはボツ。やり直しだ。一クラス三十人、百二十九人分の感想文を見る側にもなってくれ」
単純計算、読書感想文の検閲だけで百倍の時間をかけるわけにはいかない。新学期はすぐにテストも始まるのに課題を見ていたら教師の秋が終わってしまう。
「それは考慮してませんでした」
渾身の一作はあえなく撃沈。
すみませんと言いながらも那由多は不服そうな顔だった。感想文を受け取る寸前で大徳寺はそれを止めた。
「これは俺が処分しておく、ほら」
そう言って大徳寺は新しい原稿用紙を一枚だけ那由多に手渡した。
「今度は一枚だからな。あとこの内容もボツだ。課題は読書感想文だぞ」
違和感。しかし那由多はそれを思い出せない。大徳寺の言うことに素直に「わかりました」と返す。
「失礼します」
そう言って那由多は職員室を後にした。残された大徳寺は一人、百枚に渡る物語が描かれた原稿用紙をシュレッダーにかける。
「危ない危ない。こっちの隠蔽工作が無駄になるところだ」
肝を冷やした。まさか先日の出来事を覚えているのかと。しかしその様子はない。恐らくは記憶は失っている。
(いや、失われた記憶を少し思い出している)
もう少し様子を見る必要がある。大徳寺——守護者はそう判断した。
職員室を出た那由多は家に帰ろうか、図書室へ向かおうか迷う。読書感想文が予想外にもボツをくらったおかげで課題を終わらせなければならない。ならば本があって集中できる図書室の方が効率が良い。
そういう思考で向かう先は図書室に決定した。他の生徒がどんどん学校を去る中で那由多は一人だけ図書室へ足を向ける。
そんな片桐那由多を見る生徒の目は異様なものを見るようだ。自分とは決定的に違う生物を見る目。それは以前よりも増して強くなったと那由多自身が感じている。しかし気にならない。
変な人であることを那由多は自覚している。
なぜだろうかと少し考えて、分からないと結論が出た。もっと自分は弱かったような気がする。
誰かが肯定してくれた気がする。
やはり夏休みになにかあったのだろう。その半分くらいの記憶を那由多は持ち合わせてない。それを疑問に思っても不安に感じることはなかった。
思い出せない。夢も見ない。断片的には見えるような気がするがほんの数秒で目が醒める。
読書感想文はそんな断片的な光景と自身の創作を入り混じらせた、まさに小説のようなものだった。ボツにされても仕方ないと考えてはいたが本当にボツにされるとそれはそれで傷つく。
それでも書いた。書かずにはいられなかった。なぜかは分からない。
何かがあった。自身の何かを変える出来事が。それを思い出せないのは寂しかった。何万回も頭を回る思考をしていると、いつの間にか目的地である図書室へ辿り着いていた。
扉を開けた時、那由多は無意識に溜息を吐いた。誰も居るはずがない。図書室の中に人影はない、生徒はもちろん那由多が期待するような誰かはいない。
『那由多!』
そう名前を呼んでくれる誰かが居た気がする。そんな仲の友人なんて那由多には居なかったけれど。いざ静寂に包まれた図書室に足を踏み入れると落胆があった。
那由多は特等席へ座る。鞄から適当な筆記用具を出すと先ほどもらった原稿用紙を机に置いてしばらく思案する。
持ったシャープペンシルで机を叩く。一定の感覚で叩くそれは図書室の中でだけで響く。
考えても分からない。那由多が考えているのは読書感想文の内容ではない、自分が失ってしまった記憶。
学校へ辿り着いて確信する。ここで何かあった。しかし失ってしまった。
まるで自分が分裂してしまったようだ。今、那由多はもう一人の自分が体験したことへ意識を向けている。
同じ過ち。
きっと那由多はどこまで行っても未知を求めてしまう。その活動を止めた瞳は再び覚醒する——はずもない。
千里眼は二度と過去も異世界も見ない。那由多の瞳が映すのは図書室の机と原稿用紙。
考えても何も起こらない。変わらない。ならばと那由多は意味もなく図書室を練り歩く。本棚を眺めているだけ。
図書室の構造も、どの棚にどの本があるのかも全て把握している。だからこの行為にあまり意味はない。しかし動いてないと気が済まない。
一冊の本が目に止まる。それをそっと手に取る。
その本とは浦島太郎。誰もが知っている物語。めでたしでは終わらない、なんとも言えない最後。
彼は何を思っただろうか。彼女は何を思っただろうか。那由多はこの物語に登場する二人を思う。
浦島太郎と乙姫。二人は何を思って何を成したのか。その最後はなぜか良いものだと思えた。紆余曲折あってもきっと二人は愛し合っていた。そんな気がする。
あの人はきっと後悔なく、その生を終えたのだと。
何も覚えていない。ただの感覚。それらを書き殴った小説はもう手元にないけど、記録はなくとも覚えている。
彼女だけが紡げる物語は彼女の中だけで終わった。他に誰も知ることのないお話。めでたしめでたしで終わる本当の浦島太郎。
「私も後ろばかりは見てられない」
読書感想文の題材は浦島太郎。それを机に広げ、那由多は書き進める。感想文の名の通り、何を思ったのかをただ書き綴る。
「ふむ、浦島太郎か」
声が聞こえた。ビクッと那由多の肩が震える。覚えないのない声、でも馴染み深い。震えは止まらない。しかし不思議と安心する。
「それはいったいどんな話なんだ?」
「あたしも聞きたい」
那由多は顔を上げる。そこには——
終




