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幕間2『彼女が望んだもの』

一つの惨劇があった。その瞬間を彼女は見ていた。

「ああ……あ」

 言葉にならない、声が出ない。ただ彼女自身も地べたに転がっているだけ。手は届かない。

 賞賛も、感謝も、尊敬も、愛情も、友情も、尊厳すらも踏み躙る行為だ。

 あの人——滅びを待つしかなかったこの国を救った英雄を殺し、その四肢を捥ぎ狂喜に打ち震える民を見て、彼女は思った。

「こいつらを生かしてはいけない。滅ぼさなければいけない」

 怒りではなく、復讐心ではなく、使命だと思った。

 この間違いだらけの国を一片残らず滅ぼさなければいけない。

 家族ではない、同胞ではない、同じ民ではない。醜く群れて、屍肉を喰らう蛆虫より劣る下等生物。

 やがて意識が消えて、彼女も同じような目に遭う。だがそれは終わりではない、少なくとも彼女は確信していた。これが始まりだと。

 レアーナの神。異教徒は生贄となる。二度と厄災が起こらないように祈りを込めて。それをもって長らく封印された邪竜は目覚める。

 しかし、異物が混じった。生贄の一つに過ぎない人間。だがそれは覆す。

 邪竜ヴァン・ウォードの破壊衝動。暴風の化身である邪竜の目的は鏖殺。あまねく全ての生命体を風で薙ぎ払うこと。世界を元の姿へ戻すこと。

 それは上回った。世界を破壊する意思よりも強い衝動。人間という種族一つを根絶やしにするという意思が邪竜の破壊衝動を上回り、それを覆した。

 ヴァン・ウォードは彼女になった。かつてレアーナの王女だった彼女は今、邪竜そのものとなった。

「申し訳ありません」

 人を捨てる前に彼女は自身の所為で死なせてしまった生命に謝罪した。

 咆哮が上がる。邪竜が目覚めたのだ。

 いや、それは発狂だった。人間という種族に絶望した彼女の叫び。

 白銀を纏ったような美しい鱗を持つ竜。民はそれを恍惚とした表情で見つめていた。そして声を上げた。歓喜の声だ。

 グチャ——何かが潰れる音が聞こえる。気にする必要はない。虫が潰れただけだ。

 歓喜が焦燥に変わる。

 虫が潰されていく、一切の抵抗を許さず。腕の一振りで生命だったものは肉片へ変わっていく。気にする必要はない、こいつらも同じことをしたのだから。

 怒りは消えない。消えるはずがない。だってまだ生きている。まだ蠢いている。こんなにも無数に、吐き気を催すほどにこの世界には虫が溢れてしまっている。

 彼女の声が国中に共鳴した。

 最初に雨が降った。恵ではなく、滅びの雨。それは家も生命も何もかも流していく濁流となり洗い流す。

 次に風が起こった。触れれば斬り裂かれる見えない脅威。全てを裂き、それでも止むことはない暴風。

 最後に雷が鳴り響く。ああ、竜の軍勢なんて序章に過ぎない。目覚めてしまえば人なんてこんなもの。簡単に死滅する。

 レアーナは一晩のうちに滅んだ。今度こそ、間違いなく。

 それを見ていた者が一人だけ——一人だけ居た。青年だ。この国を一度は救った英雄。彼はその痛ましい光景を見ていることしかできなかった。しかしこの怒りは、彼女の怒りは止めることはできない。見ていることしかできない。

 レアーナが滅び、彼女は止まった。否——止まりはしない。虫を全て駆除するまで止まらない。そういう機構なのだ。

 もう人としての意思も感情もない。あれは生命体の形をした災害。人を滅ぼすためだけの装置。邪竜ヴァン・ウォード。

 しかし——たった一度だけの奇跡が起こる。

「あなたには復讐する権利がある」

 そう言って彼女は彼に肉体を与えた。邪竜はこの時に二つに分かれた。王女の意思が宿る個体。青年の意思が宿る個体の二つに。

「一緒に世界を滅ぼしましょう」

 裏切られて、酷い殺され方をした。救ったはずの民に、恩を仇で返された。青年には復讐する権利があると彼女は肉体を与えた。

 青年は少しだけ考える。自身が何を思ったのかを。出てくる感情はたった一つ。

「どうして……」

 それは悲しみだった。

「助けてあげられなくて……救えなくてすまない」

 王女を救えなかった。こんなことをさせてしまった。誰も救えず、誰もが不幸になる道になってしまった。それを変える力はあったはずなのに。

 青年はどうしようもなく善人だった。それは禁忌を犯してまで目の前の人を助ける選択をした時点でそうだった。変わらない。

 青年は王女と違い、変わらなかった。邪竜に取り込まれてもなお、王女を想っていた。

「君にこれ以上、罪は犯させない」

 不意を突いて、その心臓を抉り取った。核を失った邪竜は長きに渡る休眠に入る。いや心臓がない今となっては死を待つだけの存在だ。

 彼女は心臓を取り戻そうとするだろう。それは、それだけは許されない。二度と彼女に罪を犯させてはいけない。

 青年は自身の生まれた世界へ戻る。廃墟と化したレアーナを背に。

 そこにはもはや青年のことを知る人間はいなかった。数百年の時が経った世界では守護者の一族は肉体を捨て思念体となっていた。青年が異世界へ消えたことが決定的な要因だった。

 魔法が消えたこの世界に守護者の力を継承するために青年は自身の心臓を残し、体験を元にした物語を残す。そしてやがてこの世界に心臓を取り戻すために現れるだろう彼女との決着のために海の底で長い眠りにつく。

 青年の予想通りに彼女はまだ生きている。瀕死の肉体でありながらも、自身に課せられた使命を果たすために。周囲の生命力、魔力を吸い上げて生き残る。

 ヴァン・ウォードが世界を渡った理由は二つ。

 一つは自身の半身を殺して取り込むこと。もう一つは心臓を取り戻すこと。しかしその為には大きな障害があった。

 二人の冒険者と呼ばれる存在。超越者二人の追跡はヴァン・ウォードにとって予想外の外敵だった。

 渡った世界で活動するのにこれほど邪魔な存在もいない。心臓のない肉体では勝利は難しい。だからこそ彼女は息を潜めた。

 心臓がどこにあるのか。探すためにヴァン・ウォードは現地で偶然にも発見した千里眼を持つ少女を利用する。まず彼女に夢を見せた。普通ならば夢を通して世界を見るはずの那由多が図書室で千里眼を使用できたのはそういうことだ。

 そこに冒険者、自身の半身が合流する。ヴァン・ウォードは記憶を失った半身を利用し、千里眼を使用させ記憶を取り戻させることを選択。同化後に記憶を辿って心臓を探すことに決める。

 結果、ヴァン・ウォードの目論見通りにことは進み、半身にわざと喰われることで彼の記憶をトレースし、より強い意志を持つ彼女が肉体の主導権を取り返す。元より彼女の慈悲で生み出された半身には強い意志などはない。

 そう思っていた。半身は彼ではない。自身を裏切った邪竜に過ぎない。もう、彼はどこにもいない。

 そのはずだ。

「那由多戻れ!」

 声が聞こえる(聞こえない)。しかし止まれない。その先にある想いを——彼女は求めてしまった。

 片桐那由多の千里眼は万象を見通す瞳である。本来ならば神、あるいは神に属する者しか持たない魔法の宿った瞳。

 あらゆる事象を俯瞰的に見ることができる。それは過去、現在、未来さえも見通し、さらには並行世界すらも見通すことを可能とする。

 なんの間違いか、彼女はそれを生まれながらに与えられた。しかしあり得ない話ではない。

 魔法のないこの世界でも特殊能力を持つ者は点在する。それはかつて神がこの世界に君臨していた証であり名残。

 こちらの世界で呼ばれる北欧神話。そこにおける最終戦争により神が敗北したのがこの世界。人は神を捨て、自らで生きることを決めた。

 それらの力が今も残っているのは当然なのだ。那由多のそれもまた隔世遺伝に近い。

 本来ならば魔力を扱うことのできない那由多は千里眼を持っていようとそれを腐らせてしまう。普通に生きている分にはその力は一切発動することはない。

 偶発的に幼少期に夢を見る。たったその一回で彼女は本能的に千里眼を使い方を学んだ。彼女の生来与えられた記憶力の良さのおかげだ。しかしその能力は彼女の興味である異世界と過去のみに限定される。故に普通の人間でありながらそれを可能とした超希少な個体。

 千里眼を持つ人間などフロリアにも存在しない。

 それ故に彼女はもう見ることができないだろう。連続発動の負担は彼女自身が思っているよりもずっと重い。しかし彼女の瞳はここで進化を果たす。

 それは見た光景。そこにいる人物らの心情すらも物語を読むように感じ取ること。それが分かってしまえばより没入していく。

 那由多は聞こえたはずのアーサーを無視した。違う、もはやアーサーの声が届かないところへ彼女は到達してしまったのだ。

 力には当然、代償が伴う。何かを得るには何かを失わなければいけない。超越した力には孤独と差別が付き纏い。完全な不死は生物の形を失わせ、全てを見通す瞳を得るのに払う代償は。

 理解している。次に目が覚めないとしても構わないと思えたなら良いのだろう。何を失ったとしても。

 後悔はない。

 プツン——と何かが失われる音が聞こえる。すると彼女の視界は黒く塗りつぶされた。


「■う■も■■だ■ない」


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