第四章 『世界を視る瞳』三
何が起こったのか、那由多は未だに理解できていない。
「ルーデ、ウラシマを頼む。俺は守護者を」
アーサー達はもう行動を開始している。そうだ、先生が襲われて、ウラシマさんも刺されて——でもそれをやったのはルーデリカさんで。そもそも先生を襲ったのはウラシマさんで。なんで、なんでこんなことに。
「那由多!」
「は、はい!」
アーサーの声が聞こえて反射的に那由多は声を上げた。そして校舎へ入って行く、二人の姿を見て咄嗟に追いかける。ぬかるんだ地面が足を掬いそうになる。少しだけフラついて那由多は校舎へ入る。
「っ!」
廊下には血が滴っている。二人の血だ。それを踏まないように那由多は一階にある保健室の方へ歩いて行く。
保健室に辿り着くとウラシマと守護者はベッドに横たわっていた。
ウラシマの方は完全に意識を失っている。しかし出血をはもうしていない。しかし、まだ剣は刺さったままだ。だが守護者の方は心臓を抉り取られたというのにまだ意識を保っていた。
「大丈夫だ」
そんなわけはない。しかし守護者は胸の傷さえなんとかさえすれば助かると言う。
ルーデリカは魔法を扱えるが治癒はそこまで得手ではない。とりあえずの応急処置程度しかできない。
ベッドにある布団を使って大量の血を堰き止めている間に、治癒魔法を施す。胸にはやけどのような傷跡が残ったがとりあえず傷は塞がった。しかし失った心臓が戻るわけではない。
「この程度では死なない」
そう言った守護者は身体を起こす。平気ではないがとりあえず命に別状はないらしい。実際に彼は心臓を失ったにも関わらず行動できているし、会話もしている。
「ウラシマは邪竜に呑まれたのか?」
「どうかな。まだ意識は残ってそうだったけど」
アーサーとルーデリカは眠るウラシマへ視線を向ける。ルーデリカは言いながらウラシマに突き刺さった二本の剣を引き抜いた。その横顔は那由多の知る彼女のものではなかった。
なんで——那由多はそう口にしようとしてやめた。ルーデリカのした行為はきっと反射的な反撃に過ぎない。
見た目がまだ十代の少女、それに加えて感情表現豊かなルーデリカの一つの側面を見ただけで那由多は勘違いしていた。彼女は優しい。しかしそれはきっと仲間という非常に狭い区分にだけ向けられている感情だ。一度敵対してしまえば彼女はそれを排除する。
正直に言えばなんの躊躇もなくこれまで一緒に居て、会話をしていた存在に刃を突き立てたルーデリカを那由多は怖いと思った。しかし同時に納得した。彼女がなぜ冒険者クランと呼ばれる組織をまとめるに至ったのか。これまではアーサーの方が向いていると思っていたが違う。
この異常なまでの判断能力。リーダーの器は間違いなくルーデリカにあり、またアーサーはその行動を補佐するのに特化している。
ルーデリカの瞳は鋭く、これまでと全く違う気配を纏っている。覇気というのか、そういう類のものだ。
「どうする? 殺す?」
無感情にルーデリカは剣を片手にアーサーへ聞く。那由多と守護者にはきっとその言葉は向けられていない。ルーデリカの判断を覆せる者はこの場においてアーサーだけなのだ。
アーサーは考えているのか黙っている。表情の読めない彼が今何を思案しているのかは那由多には分からない。ルーデリカのように冒険者としての視点で考えているのか、それともこれまで通りの仲間としての視点なのか。
「スッキリしねえよな」
アーサーは那由多を見て言った。それはまるで那由多の心を代弁したようだった。
「ウラシマはここへ何しに来たのか。俺たちはまだ知らないことがあるんだ。あいつは言った。真実を求めてください。これがウラシマ自身の言葉にしろ、邪竜の言葉にしろ、俺たちは知る必要があるだろう。ここまで介入した俺たちにしかそれはできない」
「んじゃ、そうしよっか」
ルーデリカは簡単に納得して笑った。きっと答えを分かっていてのだろう。
パッと表情を変えて那由多は二人へ駆け寄って「ありがとうございます」と告げていた。那由多の意思を尊重してくれたように聞こえたから出ていた言葉だった。
「それでいいよな?」
その言葉は守護者へ向けられたものだ。彼は「好きにしろ」と言って再びベッドに仰向けに倒れた。
「じゃあ隠してることを、今度こそ全部話してもらおうか」
アーサーは責めるような強い口調で守護者に迫る。それに対し、目を逸らすことを守護者はしない。数秒、睨み合うように二人は硬直し、先に守護者が折れた。
仕方ないと言うようにため息を吐くと一言、「玉手箱だ」と小さく呟いた。
「玉手箱って浦島太郎に出てくるあれか」
玉手箱——浦島太郎という物語終盤にて登場する乙姫が最後に浦島太郎へ渡したもの。その中身は謎が多く、「決して開けてはいけない」という約束を破って彼はそれを開けて、老人になってしまった。
「存在するんですか?」
那由多は思わず守護者に迫る。その不確かで謎の多い存在があるとは驚きだった。守護者は隣のベッドで眠るウラシマへ視線を向け、口を開く。
「我々、守護者は思念体となった。世界を守る。その魔法技術を継承するために。しかしそれを扱うのはいつだって肉体そのものだ。肉体に宿る才覚と魔力量で魔法の質も決定する。思念体である以上、この性質から逃れられない。だから我々は玉手箱と呼ぶ、とある耐性を持った人間の肉体を選ぶ。これにより魔力量と魔法の質は格段に向上し安定する」
「それが今の肉体か」
「大徳寺先生が……でもその耐性ってどんな?」
言っている途中で那由多は気がついた。ハッとなって守護者の顔を覗くと彼は疲れたように笑った。
「邪竜の心臓に適応する人間。それが玉手箱の正体だ」
ヴァン・ウォードが失った心臓。それを誰かがこの世界へ持ち帰り、守護者へ託したのだ。
「ああ、玉手箱は一族の血を持つ者なら大抵そうだ。この大徳寺もまた邪竜の心臓と適合する個体だった。貴様らがやってきたことで我々はこの男の肉体へ邪竜の心臓を同化させ、守護者として運用した」
彼らが膨大な魔力の宿る核のことを邪竜の心臓と知ったのはほんの最近のことだ。とある予感、この世界へ来た邪竜と心臓の魔力の質は同格であることでそれを悟った。
「とんだ仕組みだな。お前らの掟を破る行為だろう?」
「世界を守るためならば手段を選ばない、それもまた我々だ。悔しいが、もやは現代において邪竜の心臓なしで守護者としての使命を果たすことはできない」
そこまで聞かされたアーサーは納得したように「あーだからか」と呟く。そして守護者の目の前まで移動するとその眼前まで顔を近づけた。
「だからウラシマを殺すことを躊躇したんだな。真実なんてどうでもいい。お前らが危機としたのは大切にしている心臓の本来の持ち主が死亡してしまえば、世界を守る力も消えてしまうということだけだ」
守護者はその言葉を肯定した。彼らの危惧は最初からそれだった。というより最悪の選択を迫られたというべきか。
世界を守るために邪竜を排除しなければならない。しかしそれをすれば邪竜の心臓は失われ、以降世界を守る力は完全にこの世界から失われる。詰みの状況に追い込まれ、多くの守護者の思念体は選択を迫られた。しかしその決定を下すことはできないままに今日まで来てしまった。
それはそうだ。思念体になろうと彼らも元は人間だ。現状維持を続けた。彼らが接触してきたタイミングとアーサーやウラシマがこちらの世界へ来たタイミングにズレがあったのはそういう事情だ。
本来ならばあり得ないイレギュラーに世界を守るシステムはエラーを起こした。そして機能不全を起こしたままに玉手箱である大徳寺は選ばれ、守護者と行動を開始する。最後まで迷ったまま。しかしそこで出会う。希望に。
「我々は希望を見出したのだ……アーサー。貴様に」
人の側へ付いた邪竜。自らの意思を保ち、生きる存在。アーサー・バルトメロイこそが唯一の希望だった。
無数にある守護者の思念体は一つの結論を下す。アーサーへ協力し、事態を見届けること。その結果は問わない。
淡い希望なのだ。あのウラシマと名付けられた邪竜が人間と仲良く話す。そんな未来があれば世界はこのまま守ることができる。そんな希望的観測。
そんな甘い結論を下したが為に事態は最悪へ向かってしまった。
玉手箱は決して開けてはいけない——これはつまり邪竜に取り返されてはいけないことを意味する。一族にとっての最大の禁忌。それは今、成されてしまった。
もはやヴァン・ウォードは全盛期の力を取り戻した。復活間近にルーデリカが致命傷を与えたことで一時的な休眠に入ったが、聞いていた邪竜の話が本当なら数日か数年で目を覚ます。いや周囲の魔力を吸い上げるヴァン・ウォードならばもっと早いだろう。
「もういいのか?」
「ああ、この世界の人々の命には変えられない。心臓は諦めるしかない。もとより覚悟の上だ」
「でもどうするの? 眠ったままの邪竜を殺ってもいいけど……」
きっとそれが一番手っ取り早い。そして確実。でも本当にそれで良いのか? 那由多は考える。
誰にとっても良いはずだ。この世界は守られる。ルーデリカとアーサーの目的は果たされ、守護者は最善でなくとも使命を果たせる。みんなにとって良いはず。
みんなにとって——みんな——みんなとは誰だ? 彼はみんなに入らないのか? 一緒にご飯を食べて、話して笑った彼は違うのか。
彼は、ウラシマは確かに生きていた。
「それはダメです!」
今度こそ声が出た。怖くない。誰も怖くない。それは視点の話。ルーデリカにはルーデリカの守るものために、アーサーはアーサーの守るもののために、守護者は守護者の守る者のために。当たり前だ。だから那由多も声を上げる。彼女が守りたい、誰かの決着のために。
「私、もう一度見ます」
覚悟を持って那由多は告げた。アーサーは反対するかもしれない。しかしもう残された時間はない、今こそ自身の力が必要だと判断した。その覚悟を示さなければいけない。
アーサーは那由多の方を見る。那由多は目を逸らさない。鎧姿の男は微動だにせずに那由多を見つめ続けた。
「良いのか?」
穏やかな口調。予想外の言葉に那由多は「え?」と間の抜けた声を漏らす。
「死ぬかもしれないんだぞ?」
視力を失った。立ち上がれないほどの頭痛を味わった。嗚呼、それでも那由多は思う。その先にある真実を見なければいけないと。それを知らなければいけない。それは自分のためではない。
ウラシマ——共にいた時間はごく短いけれど那由多にとっては大切な仲間。この学校で共に短い青春を謳歌した仲間。彼のためにしてあげたい、してあげれる唯一のことだ。
「はい。それでも見ます」
今なら座標を確定して見ることができるだろう。レアーナのお伽話のその先へ。
「ルーデ、那由多と俺のパスを繋げろ」
「合点!」
「どういうことですか?」
彼らの言っている意味がイマイチ理解できずに那由多は聞き返す。言ってる間にも二人は準備を進めているようだ。那由多はアーサーにお姫様だっこされると空いていた三つ目のベッドへ連れて行かれる。
「今から俺とルーデ、そして那由多の魔力を繋げる。これで俺たちも千里眼の光景を見れる。その分、俺らにも負担がくる」
「要は三人で負担を分担しちゃえば那由多も楽でしょって話」
「でも……」
いや、これ以上は無粋だと那由多は理解して「お願いします」と一言だけ告げて瞳を閉じた。
「那由多。これだけは約束してくれ、俺がそれ以上見るなと言ったら必ず見ることをやめてくれ。じゃないと」
「大丈夫です。私も死にたくはないですから」
那由多は少しだけ嘘を吐いてしまった。きっともう少しで全てが分かるとなったら、那由多は死んでも見ることを選んでしまうのだと。
アーサーも分かっている。きっと那由多は約束を守らない。だって自分ならきっとそうするから。似た者同士である那由多ならば同じことをする。そういう確信がある。
「じゃあ、行くぞ」
気休め程度にアーサーは那由多の手を握る。それを見てルーデリカはアーサーと反対側へ向かう。
「じゃあ私も」
そう言ってルーデリカもまた那由多の手を握った。
怖いけど大丈夫。一人でも行けたか。きっと無理だったろう。だけどもう大丈夫。背中を預ける仲間って、きっとこういう人たちのことを言うのだろうと那由多は思う。
長く息を吸って吐く。三度ほど繰り返すとスッと意識が消える。そして数秒後に瞳を開くと光景が浮かぶ。
何回も何回も見た。同じように今回も見る。
行こう。これがきっと最期の夢。彼女が見るであろう最後の夢。いつだってそうだ。那由多は望んで異世界をこの目で見てきた。
もう戻ることがなくとも。




