5 エヴァン
「オレリア?」
声をかけてきたのは、淡い金色の髪をした男。一瞬鋭く睨んだ目がみるみるうちに細目になって、満面の笑顔を向けてきた。
「エヴァン?」
「オレリア! なんて久しぶりなんだ。会いたかったよ!」
オレリアは一瞬面食らった。エヴァンはいきなり抱きしめてきたのだ。身長はオレリアより高く、オレリアの目線がエヴァンの肩くらいで、オレリアが知っているエヴァンとは体格が違う。離れようとしても腕の力が強く、オレリアはばたばたとエヴァンの背中を叩いた。
幼馴染とはいえ、兄妹でもないのに遠慮というものを知らない。
「ご、ごめん。オレリア。会えて嬉しくて、つい」
エヴァンは恥ずかしそうに言うが、離れようとは思わないらしい。オレリアの手を握ったまま、離さない。
どうしてここに。そう問おうとして、リビーからエヴァンが王宮の騎士だと聞いたことを思い出す。セドリックの話で、エヴァンが王宮にいることを、すっかり忘れていた。
(毎日が楽しすぎて、忘れていたわ。王宮にいるんだから、会ってもおかしくなかったのに)
そう考えると、自分は失恋からしっかり立ち直ったのかもしれない。
「手紙をくれればよかったのに。ずっと心配していたんだよ?」
「手紙? 私は何度か出したわよ? エヴァンが返事をくれなかったんじゃない」
「ええ、もらっていないよ!? 僕が騎士見習いになるために家を出たから、それで来なかったのかな。僕も手紙は出したんだけど、届いてなかったってこと?」
「届いてないわよ。だから、手紙を出すのは、とうの昔にやめたのよ」
エヴァンからの手紙は、一度だって届いたことはない。オレリアもエヴァンも手紙を出していたが、手違いでどこかに行ってしまったのだろうか。お互い住む場所も変わっているので、行方知れずになったのかもしれない。
「僕、おばさんに連絡先聞いたんだけれど、間違っていたのかな。ところで、オレリアは、どうして王宮にいるの? まさか、王女の侍女とか??」
「そんな格好に見える?」
「ううん。見えない」
それはそうだろう。薬学植物園に行く可能性も考えて、オレリアはパンツ姿でブーツを履いている。上着代わりに白衣も羽織っており、王女の侍女として王宮に来るような格好ではない。
「じゃあ、どうして?」
「薬学研究所で実習訓練をしているの。単位を取るために」
「すごい。王宮の薬学研究所で実習なんて! オレリアは薬草に興味持っていたから、納得の就職先だね。こんなところで会えるなんて思わなかった。すごく嬉しいよ!」
エヴァンはなぜか頬を染めて、喜びを見せてくる。
こんな顔をしてくるのだから、オレリアは勘違いをしたのだ。
エヴァンは子供の頃とは違い、身長も伸びて、手足が長くなっていた。丸かった顔も少しだけ面長になって、大人になりかけのような、少年と青年の合間の成長期を見ているよう気がした。丸かった目も少しだけ切れ長になっていて、可愛い笑顔が爽やかな笑顔に変貌している。
その子供の頃よりも、大人びながら、照れたような笑顔に、オレリアも恥ずかしくなってきそうで、視線を逸らした。
「ごめん。そろそろ帰らなきゃ。学生寮の閉門時間になっちゃう」
「そっか。学院の生徒だから、学生寮に住んでいるんだね。でも、研究所にいるってことは、王宮でまた会えるんだよね? 今度、ゆっくり話そう」
エヴァンは笑顔のまま、オレリアに手を振って、オレリアが見えなくなるまでそれを続けた。
子供の頃から変わらない、無邪気な笑顔。オレリアだけに向ける、気を許した表情。
けれど、今はきっと、あの顔を好きな女性に向けているのだ。
(会いたくなかったのに)
ずっと会っていなかったから、久しぶりに会うと、昔のことを思い出してしまう。
(大丈夫。大丈夫よ。だって、エヴァンのことなんて、忘れていたでしょう?)
また勘違いをして、あんな思いはしたくない。
オレリアにしか見せなかった笑顔を、別の女の子向ける。そんな姿を見て、胸の中が真っ黒になる瞬間を、感じたくはなかった。
「オレリアさん、わからないところでもある?」
ベンヤミンの声に、オレリアはびくりと肩を上げた。
「あ、ごめんなさい」
ベンヤミンに頼まれて、薬草の種類分けをしていたのに、ぼんやりしていた。
急いで種類分けの速さを上げる。
薬草は、専門の人間が摘んできたものだが、時折もどきが混じっている。同じ場所に群生して、形もそっくりなので間違えやすいのだ。混じりものがあると効果が薄れるので、集中して行わなければならなかったのに。
「ちょっと、休憩しようか」
ベンヤミンはなにか察したか、作業の手を止めてお茶を淹れてくれる。オレリアがやろうとすれば、やんわりと断られて、座ってゆっくりするように言われた。
王宮にエヴァンがいると思うと、会いたくない気持ちでいっぱいになる。エヴァンは一人で王宮に来たのだろうか。それとも、彼女ともう婚約して、一緒に来ているのだろうか。もしかしたら、結婚しているかもしれない。
そんなことを考えては、頭の中で否定する。そんなことどうでもいいじゃない、と。
それなのに、気づくと同じことを考えてしまう。
こんなことで、仕事に支障が出るなんて。
(なにが、吹っ切れた。よ。全然成長してないじゃない)
「なにかあったのかな?」
「いえ、その……」
「話すと、少しは気が晴れるかもしれないよ?」
気を遣ってもらうような立場ではないのに。ベンヤミンの優しさにホッとして、オレリアはポツポツと話し始めた。
「じゃあ、その幼馴染くんと会っちゃったのか。リビーさんが有名な子だって言っていたからね。王宮は広くとも、会う可能性がないわけじゃないだろうし。オレリアさんは、その子のことは、まだ好きなの?」
「そんなことないです。ただ、久しぶりに会って、成長した姿を見たから、ちょっと驚いただけだと。仕事の支障にならないように、気をつけます」
「気にすることはないよ。久しぶりに会えば、気になるでしょう。それよりも、朝ごはんはちゃんと食べたのかな? 顔色が悪いよ。お菓子はいらない?」
ベンヤミンは柔らかく笑って、お菓子も出してくれる。焼き菓子を常備しているらしく、薬草棚から出てきた。
優しいお兄さんといった感じに、オレリアも肩の力が抜けて、話しただけで気が楽になった気がした。
「あ、ちょっと、それ気を付けてね。危険物も入っているから」
お茶をしていれば、リビーが知らない男と一緒に部屋に入ってくると、何かを運び出していた。ここに四人以外の人が入るのは初めて見る。
「他の研究員の方ですか?」
「今の人は、配送専門の人だね。危険物もあるから、専用の場所で廃棄するんだ。そうそう、これが終わったら植物園を案内するよ。管理について、話さないとね」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
念願の植物園に案内してもらえる。それでは、すぐにでも薬草の種類分けを終わらせなければ。
遅れた分を取り戻すがごとく、オレリアは集中した。その作業はあっという間に終わり、薬学植物園に案内してもらえることになったのだ。