36 身分
あの時のことを思い出すだけで、顔が熱くなってくる。
セドリックはオレリアの手を弄ぶかのように口付けて、細目にする。
からかわないでほしいと言えば、からかっていないとすぐに返答されて、何を言えばいいのかもわからなくなった。人を呼ぶと言っているのに、いつまでも手を離してくれない。
これが終わったら、話したいことがある。そう言って、セドリックはオレリアの手に、もう一度口付けたのだ。
(話したいことってなに!? なんなの!?)
あの後、セドリックは医療魔法士に診てもらい、体力が戻るまでに数日かかると言われた。大人しく休んでいたのだが、今朝、さっそく出勤しようとしていたので、ブルーノたちと止めたのだ。まだ完全に治ったわけではないので、大人しくしていればいいのだが。
セドリックは、今までの事件について、調べてわかったことがあると告げてきた。休んでいた間に報告を受けたらしい。けれど、まだ確実ではないため、それが確かだとわかったら教えてくれるそうだ。その件も含め、まだ確認することがあるから、早く王宮へ行きたいのだとぼやいていたが、それよりも自分の体調を優先してほしい。
(あの時、ディーンさんがいなかったら、どうなっていたか。私では、すべては治しきれなかったわ)
もっと、薬学魔法士として腕を上げたい。医療魔法士の基礎魔法は薬学魔法士でも学ぶが、それほどではない。研究所の皆は薬学魔法士でも、医療魔法士の資格も持っている。その方が、仕事が行いやすいからだ。医療を学んだ方が、薬学をより良い方向で役立てることができる。
そのためにも、多くの努力が必要だ。
気合を入れて、オレリアは仕事を行う。いつもの日課の、薬学植物園でリビーと魔力を注ぐ仕事をしていれば、警備から声が届いた。
「エヴァン……」
「そ、その。怪我をしたって、聞いたんだ」
「私じゃないわ。局長が怪我をしたの」
「そ、そっか。よかった」
(よくはないのだけれど)
エヴァンは胸を撫で下ろした。怪我をしていたら、植物園に来るわけがないのに、オレリアを探しに来たようだ。
カロリーナについて言い争いになってから、しばらく会っていなかった。このまま会わなくなるかと思ったが、エヴァンからやって来たので、カロリーナのことでなにかあったのかもしれない。
エヴァンは心配したと言いながら、どこかそわそわと落ち着かない様子を見せる。仕事途中に来ているのだろうか。けれど、騎士の格好をしているが、荷物を持っている。
「騎士の仕事は大丈夫なの? 今は休憩時間ではないんじゃない? どこかへ行くの? 私も仕事中だから、話があるなら仕事終わりにしましょう?」
「ご、ごめん。でも」
人の目を盗んでここに来ているならば、帰った方がいい。そう言ったのだが、エヴァンは騎士を殺した犯人について聞いてきた。
「犯人は捕まったわ。亡くなった騎士と、同じ所属の騎士よ。自分で自然毒を手に入れて、仲間を殺したの。エヴァンの方が知っているんじゃないの?」
あの騎士たちと所属は違うが、演習所の水場の水を飲んで食中毒になったのだ。それについて騎士の中でも話題に上がっただろう。今後このようなことがないように、講習が行われたと聞いている。
「犯人が牢に入れられたのは、知っているけど」
何か言いたいことでもあるのか、エヴァンはやけに周囲を気にして、足踏みするように体重をかける。ゆらゆら体を動かすので、オレリアが怪訝な顔を向けると、わざとらしく咳払いをした。
「エヴァン。何か言いたいことでもあるの?」
カロリーナと別れ話ができたのだろうか。そう問おうとする前に、エヴァンが矢継ぎ早に話し始める。
「ええと、その牢屋に入れられた犯人が、騎士殺しを、オレリアのせいにしたって聞いたんだ。その、オレリアは、前もそんなことがあったよね。なにか、恨まれているんじゃないかな」
「どういう意味?」
恨まれているなんて心外だ。なぜ、エヴァンにそんなことを言われなくてはいけないのか。エヴァンになにか知っているのかと問えば、視線を泳がせた。
「別に、なにか知っているわけじゃないけど。でも、それで襲われたんでしょう?」
「そうだけれど、私のせいにされる理由が思いつかないわ。顔も知らない騎士に、どうして恨まれて、襲われなければならないの?」
「わからないなら、家に帰ったほうがいいんじゃないかな? ねえ、そうだろ? その方が安全じゃないか。僕と、帰ろう」
「何を言っているの、エヴァン。家って、ターンフェルトに帰る気?」
エヴァンは頷く。王宮で騎士をしているのに、ターンフェルトに戻るなど、あり得ない。騎士の仕事を辞する気なのか? 騎士になるのはエヴァンの夢で、最初はオレリアを助けるためだと言っていたけれど、それでも努力して騎士になれたのだ。
それなのに、それを捨てるというのか。
どうしてそんなことが言えるのかわからなかった。オレリアが学院を去り、エヴァンから離れても、ターンフェルトを出て、王宮の騎士にまでなれたのに。
「バカなことを言わないで、冷静になりなさいよ。どうしてそんなことが言えるの? 私は大丈夫よ。私を陥れようとする人たちについては、ちゃんと調べてもらっているわ。まだわかっていないことは多いけれど、局長もわかってきていることはあると言っていたもの」
「ダメだ! 僕と帰ろう!!」
「いたっ! ちょっと、離して!」
エヴァンは焦燥を露わにすると、オレリアの腕を引っ張った。握られた腕が痺れるほど力が強い。血が止まりそうだ。そのままオレリアを引きずるようにする。
エヴァンの様子が変だ。何かに怯えているのか、手が震えている。それでも力強く腕を引くので、オレリアは痛みに声をあげそうになった。
「エヴァン、手を離して!」
「何をしている! 手を離せ!」
「局長!? どうしてここに」
「資料を取りにきただけだ。こんなところで、オレリアに何をする気だ!」
「あなたには関係のないことです!」
「いい加減、オレリアにつきまとうのはやめたらどうだ。あの元侍女と恋人同士なんだろう? オレリアの悪い噂を流すような真似までしていたんだ。侍女を辞めさせられて何をしているのか知らないが、オレリアと故郷に帰るなどという前に、あの女を誘え」
セドリックはエヴァンの腕を払うと、オレリアを背に隠した。
腕がジンジンと痺れる。セドリックがすぐに癒しをかけてくれた。それだけで痛みは消えたが、それ以上に、セドリックが来てくれたことに安堵した。オレリアはセドリックの背後で、離れないように服の裾を握りしめる。
「か、彼女は……、僕は、」
「エヴァン。私はターンフェルトには帰らないわ」
「どうして!? 君はずっと帰っていないんだろう? おばさんだって寂しがっていた」
「それはそうだけど。私の家は元々こっちだもの。帰るとしても、ターンフェルトじゃないわ」
「知っているよ。でも、君の家はあそこだろう?」
幼少、オレリアは体が弱くてターンフェルトに住むことになったのは、エヴァンは知っている。ターンフェルトに住んでいた頃、叔母のことはちゃんと叔母と呼んでいたのだから、母親ではないことも理解している。けれど、なぜかエヴァンは、オレリアの家はターンフェルトだと思っている。
セドリックも眉を顰めた。話が通じていなくないか? と言いたげにする。




