3 薬学研究所
「まずは、書類整理でもしてくれるか? 他にも研究員がいるから、あとで紹介する」
男は名乗りもせず、書類の束が乗った机を指差した。薬学研究所は、明らかに人が足りないのだろう。部屋は広く、机もたくさん置いてあるのに、そこかしこに荷物が床に置かれ、机の上は散らばっている。研究所というより、書類仕事をする部屋のようだ。部屋の中には出入り口とは違う扉があるので、他の部屋に繋がっているようだが、そちらの案内はない。
(書類仕事のさばき方を見てから、合否を決めるとか?)
それはあり得る。男はがっかりとしたというより、うんざりとした顔でオレリアを見やっていた。
前に働いていた人が女性で、嫌なことがあったのかもしれない。
そんなことで、仕事ができないとは思われたくない。
できるってところを見せてやると、オレリアは袖をまくり、書類の束をさばきはじめた。
書類はばらばらで、報告書や、観察記録など、さまざまなものがある。
(すごいわ。各地の薬学植物園で行われている研究の報告が、全部ここに集まってきているのね)
初めて知る研究や、その結果。分析。それ以外にも、新種の薬草の発見やらなにやら。無関係のオレリアが勝手に読んでよいのかというものばかりだ。
こんな簡単に、これらの書類が見られるなんて、夢みたいだ。
やっぱり、ここで働きたい。その思いがむくむく広がった。ここには最高の研究が集まっている。
オレリアは興奮したまま、研究結果をまとめ、書類の一覧表を作り、分析結果を集めた。
「ーーーで、女の子が来たんですか?」
「参ったよ。貴族だって言ってたから、性別を聞かなかった」
「女の子で研究員希望は珍しいですね。あまり身分が高くないのでは?」
「父親は、若手大臣」
「え、お嬢様じゃないですか。なんでまた、女性の少ない薬学魔法士なんかに」
「学生だから卒院のためだけだろう。長くて半年。使えなかったら、すぐに送り返す」
オレリアが書類整理を終えて、ガバッと顔を上げると、そこには人が二人増えていた。人が来たことに、まったく気付かなかった。書類整理に没頭しすぎたようだ。途中から物騒な会話が聞こえたが、これだけ書類整理をやらせておいて、追い返されるのだろうか。
「あの、終わりました」
「すごいね。もう終わったの?」
メガネをかけた男が、オレリアにやんわり微笑む。
「へー、見せて。見せて。俺、こっち確認しますよ」
もう一人の若そうな男が、書類を見始める。ボサボサ頭の男は、無言で確認しはじめた。
「ここ。なんでこうまとめたんだ?」
メガネの男のニコニコ顔の隣で、ボサボサ頭の男がオレリアに問うてくる。
「この種類は、季節や温度で咲き方が変わるので、季節でまとめてあります。こちらは生息する虫に合わせました。花粉を運ぶ虫の種類で、薬草の出来が違うので」
「ふうん。ここは?」
「これは、近くに住む動物の種類によって、成長の速さが変わってしまうので、」
男は何度も説明を求めてきた。聞かれるたびに、その理由を答えていると、考えるようにしてから、机の上に並べた書類を軽く見回した。
「上手いまとめ方するなあ。これ探しやすいですよ。これで本棚に並べよーっと」
若そうな男が嬉しそうに書類を運び始める。ボサボサ頭の男はそれを確認するかのように目で追ってから、軽く頷いた。
「いいよ。合格」
「え、本当ですか!?」
「今日からよろしく。次、そこのまとめてくれ」
「いえいえ、待ってくださいよ。まずは、私たちの紹介をしてください」
メガネの男が割って入ってくると、男はため息混じりで隣の部屋にいる人を呼んだ。三十代くらいのふっくらとした女性だ。女性もいるのならば、なぜオレリアを嫌がったのだろう。
「俺はここの局長をしている、セドリック。このメガネはベンヤミン。そっちの小さい男がディーンで、最後にリビーだ」
「小さいとか言います!?」
ディーンががなる。たしかにあまり大きくないが、オレリアより大きい。小柄で黒髪。研究員というよりは、見習い騎士に見える。エヴァンより年下に見えるが、ここで研究員をしているということは、オレリアより年上のはずだ。
「オレリアさんは、局長のことを知っているかしら?」
唯一の女性、おっとりとした雰囲気のリビーに問われて、オレリアは首を傾げる。
オレリアは大臣の娘。王宮に顔を出したこともあるため、知っている顔はいるだろうが、すべての人を覚えているわけではない。都に帰ってきてから、パーティに参加もしたが、この四人の顔は見たことがなかった。
パーティでは庭園の植物に夢中だったので、ほとんど顔を見ていない、の間違いだが。
だから、セドリックのこともまったく知らない。
「では、王の甥って知っているかしら。第二継承権を持っていらっしゃる方よ」
「存じてます。セドリック・ラブラシュリ様。すごい美形で、歩くだけで女性が倒れ、婚約済みだろうが人妻だろうが、立場関係なく惚れられてしまうとかなんとか。一度拝見したことあります。ご挨拶はしなかったですけれど」
セドリック? 自分で言って、まさかな。と打ち消す。
都に帰ってきてから、一度だけ王宮のパーティに参加した。その時に見たセドリック・ラブラシュリは、オレリアも驚くほどの美丈夫だった。遠目だったが、その存在感は強く、女性たちは近寄れないと言いながらも、頬を染めては側にいる女性たちを羨ましげに見つめていた。
父親から、あれには近づかない方がいいと言われたので、オレリアは一目見ただけだ。きっと近くで見れば、娘が倒れるとでも思っていたのだろう。その頃はまだ失恋の痛手を引きずっていたので、まったくもって興味がなかった。
「どう思ったかしら」
「どう? うわー。大変そう。って、思った記憶はあります」
「それだけ?」
リビーだけでなく、ベンヤミンもディーンも、興味深げに聞いてくる。
それ以外に何か思っただろうか。記憶がない。
「同い年で、騎士を目指している幼馴染がいるのですが、彼も似たような環境にあって。女性に囲まれる大変さは、よく知っているんです。それなので、大変そうだな。くらいしか、感想が」
「オレリアさんは、どこから来たのかしら?」
「ターンフェルトです」
「もしかしなくても、私、その子知っているわ。王宮でも有名よね。エヴァンって言ったかしら。騎士で、練習中もメイドたちがキャッキャ言っているわよ」
「エヴァンが王宮にいるんですか!?」
都に来ているとは思わなかった。エヴァンは地方貴族で、身分は高くない。誰かのツテでもあって、都に来たのだろう。年齢的に騎士になっているはずなので、身分の高い人からの紹介でもあれば、王宮で騎士をしていてもおかしくなかった。
「そっかー。それでその感想ねー」
「かっこいいなどの感想より、同情の方が勝るというも面白いですね」
ディーンとベンヤミンが納得の声を出すが、それでもいまいち話の筋がわからないので、リビーを見ると、リビーはセドリックを見上げた。
「興味がないのならば、いいかしら?」
「リビー。話す必要はないだろう?」
「なにかあれば、クビにすれば良いことじゃない?」
物騒な話に、オレリアは眉をひそめそうになるが、リビーの次の言葉に、口をあんぐり開けてしまった。
「だから、局長は、普段ああやって、顔を隠しているのよ」
「は?」