2 王宮
「ナヴァールさん。オレリア・ナヴァールさん。教授が呼んでたよ」
廊下を歩いていると同じ学年の子が、オレリアの名前を呼んで、教授が呼んでいたことを教えてくれる。
礼を言って、オレリアは教授の部屋へと足を進めた。
オレリアは十三歳になって、都にある、別の学院に入学した。
もともとオレリアは都に住んでいて、生まれつき体が弱かったことを理由に、叔母の屋敷に療養のため厄介になっていた。叔父は医療に造詣が深く、医療魔法士でもあったので、オレリアの面倒を見るのにちょうどよかったからだ。
叔父の所有する屋敷の一つから、近くの学院に通っていたが、少しずつ健康になったため、失恋を機に、都の魔法学院に入学しなおした。叔父の医療魔法士の仕事を見ていたこともあり、医療に興味を持ったことも理由にある。
魔法学院に女性徒は少ないが、都の学院に入学することに問題はなかった。父親は家から通えと言ってくれたが、父親はこの国の大臣を担っており、研究を行うのにコネだと思われたくなかったので、地方の出ということにしている。
それはまだ周囲に気付かれておらず、女性に珍しい、薬学魔法士希望の田舎の女の子。という体で、オレリアは勉強に勤しんでいた。
もっと薬学を学ぶために頑張りたい。そう思ったのは、失恋のおかげというべきだろうか。
体の弱い子供のために、優しい薬を作りたいのだ。子供の頃は、苦くてまずい薬ばかりで、うんざりしていた。叔父の命を守るための医療にも心を打たれたが、やはり薬について学びたい。
オレリアの体が丈夫になれば、住んでいたターンフェルトの町から離れて、両親のいる都で暮らすことになる。エヴァンとはずっと一緒にはいられない。そんなことはそれとなく叔母に言われていたし、通っていた学院で女性が長く学んでも、家庭的な勉強ばかりで意味がなかった。
だから、魔法学院に入学したことは、オレリアの将来を考えれば、良い選択だっただろう。
今さら、他の誰かと婚約なんて考えられなかったし、両親も驚いていたけれど、これからの時代、女性でも魔法学院に行くことは良いかもしれないと、賛成してくれた。きっと叔母がオレリアの気持ちに気づいていたから、両親を説得してくれたのだ。
エヴァンに伝えた時は驚いていたし、急に進路を変えたことに訝しんでいたけれど。
けれど、あの学院にいて、二人が一緒にいる姿なんて見たくもなかったのだ。
魔法学院に入学してから、彼女とどうなったのか気になって、何度かエヴァンに手紙を出したが、戻ってこなかった。もう彼女のことで頭がいっぱいなのだろう。そう考えたら、むなしくなって、勉強に集中することができた。
薬学魔法士科。魔法を使いながら、薬草などを研究する学科である。
この学科を突き進めていけば、王宮で薬学魔法士として働くことができる。それは一部の人間にしか入れない狭き門だけれど、王宮の薬学植物園で働ければ最高だ。
薬学植物園は、色々な薬草を育てている場所である。各地にあるが、王宮には珍しく、他に手に入らないような多くの植物が植えられているそうだ。
オレリアは現在、十七歳。もうすぐ学院は卒業だ。薬を作ることも大事だが、その素材になる薬草を育てることも大事だった。良い品種を育てたり、品種改良の研究をしたり、それで子供向けの薬を作る。そういった仕事に没頭できればいいのだが。
「失礼します。オレリア・ナヴァールです」
「待っていたよ。ナヴァール君。卒院の単位取るために、薬学研究所での実習訓練、希望していたでしょ。君に勧めたい場所があるんだよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「あまり人を取らないところなんだけれど、急に欠員が出て困っているらしいんだよ。僕のところにいい人がいないかって、連絡があってね。とても水準が高い研究所だけれど、君なら問題ないと思うんだ。教え子のところなんだけれど、君にとっても、良い環境になるよ」
「ぜひ、お願いします!」
「うんうん。場所はね」
教授に渡された資料を見て、オレリアは一瞬口を閉じる。
「王宮!?」
なんて僥倖。嬉しくて小躍りしたくなる気持ちを抑えて、オレリアは王宮へ向かった。教授の紹介状を片手にして。
「ここよね」
近くには、薬学植物園がある。そこで働かせてもらえるかもしれない。そう思うと、胸が高鳴った。
オレリアは研究所の扉をノックする。男性の声の返事があり、扉が開いた。
「は、初めまして。教授より紹介いただいて参りました、オレリア・ナヴァールと申します!」
手紙を両手で差し出したまま、バッと頭を下げた。
その手紙を開く音が聞こえて、そろりと顔を上げると、目の前には、ボサボサの長い黒髪を適当にまとめ、整えてもいない顎髭を伸ばした男が、唇を歪め、嫌そうな顔をして手紙を読んでいた。長い前髪の隙間から、森のような深い緑色の瞳が見え隠れする。
「はー。教授の推薦って言っていたから、安心していたのに」
あからさまに、がっかりしたような態度をされて、男はもう一度大きなため息をついてくる。
(え? 感じ、悪すぎない??)