僕の静かな生活が……
僕は高根可憐さんの突拍子もない提案に驚いてフリーズした。
ところがフリーズしたのはそれだけでなかった。
いつまで経っても高根さんは顔を近づけて目を見開いたまま動かない。
あれ? もしかして時間もフリーズしたのか?
だがケシキの声は普通に聞こえて来た。
そして時間が止まったのも驚きだが、ケシキのサードブレイン情報はもっと驚きだった。
『おい、時間が止まったようだぞ。お前が一番やりたくないことを提案されたから、新しいレアスキルに目覚めたみたいだな』
(何のために?)
『時間が止まってる間に考えろってことだろう。つまりこの女はお前と合気道の組手を練習したいが為に、そんな突拍子もないことを言いだしたんだ』
(僕と練習したい?)
『それだけお前の動きが自分と相性が良いことに気づいたんだ。そうさ、組手を練習すれば、なにか新しいヒントが得られてレベルアップするのではないかと期待してるんだ』
(レベル上げる必要あるのか? かなり強いって噂だけど)
『この女は確かに道場では上級者として持ち上げられているが、最近は伸び悩んでいる』
(そんなことまで分かるなんて。伸び悩んでいるのか)
『それを解決する鍵がお前との組手練習にあるのではないかと感じている。だが正直にそのことが言えず発表会の場で一緒にやる為に練習しようという言い方にする積りではないかな』
(なるほど分かったからもう時間は流れてくれ)
再び高根さんが動き出し、話し続けた。
「ねえ、どうです?やってみませんか」
「僕は……人前で披露するのはいやです。目立ち過ぎるのは疲れます。高根さんと練習するのは良いのですが、それを人に見られるのは困ります」
「練習だけなら良いの?」
「誰にも見られたくないという条件つきですけど。そういうのは難しいですよね。だからやめましょう」
高根可憐さんは空中を見つめて考えていた。
そして一人でコクコクと頷くと僕の手を取って言った。
「それじゃあ、道場が休みの時に相手をしてくれる? 道着は用意するから。日にちと時間は連絡するから、ライン登録しよう」
なんだかあっという間に話を決められてしまった。
僕はラインをやったことがないというと、登録もやり方も教えられた。
名前も実名じゃない方が良いというので、『シーン』というネームになった。
華志紀→景色→シーン、というらしい。
因みに可憐さんは、『ネコ』というらしい。ただネコが可愛いからだそうだ。
時間が止まるスキルは本能的に考える時間が欲しくなった瞬間に発動するらしく、自分の意志で時間を止めてその間何か行動するというのはできないようだ。
残念である。えっ、なにか悪いことをしようとか考えたわけじゃないよ。本当に。
僕は合気道の動画を見ていた。
高根さんのスキルは僕もコピーしたけれど、これだけできれば十分じゃないかと思うし、何が不満で伸び悩んでいるのかさっぱり分からなかった。
動画で見る限り、あまり高根さんと差があるとは思わなかった。
ところが合気道の創始者の動画があったので、少し画像が悪いがそれを見て驚いた。
痩せて小柄な老人が見上げるほどの大男を簡単に転がして倒しているのだ。
かと思えば大勢の人間を同時に相手をして次々と倒していく。
僕は思わずこの人間のスキルはどうなってるんだろうと思って、冗談半分で‘閲覧’を起動する真似をした。
生きている人間で実際に目の前にいなければ無理な話だと思っていたので、まさか‘閲覧’ができるとは思わなかった。
そうなのだ。で……できたのだ。
静止画になると消えてしまうので、素早く見なければいけないが、僕はそれを少しコピーしてしまった。そのスキルの情報量は膨大で短時間ではコピーしきれないし、欲張るとオーバーヒートを起こすので、僕は何度も再生を繰り返しながら、少しずつコピーして行った。
全部コピーするのに数日かかってしまったが、それでも相手はもうこの世に実在しない人であり、動画も不鮮明なところもあったので、百パーコピーしたかどうかは自信がない。
そしていよいよ高根さんと約束した日が来た。
地図で教えられた場所に行くと、高根さんが白い道着と黒の道袴のスタイルで外に出て出迎えてくれた。
生垣のある和風の建物で、道場と住宅が渡り廊下で繋がっている造りだった。
住宅には家族がいるらしいが、道場の入り口から入ったので、高根さん以外は誰にも会わなかった。
柔道の道場を想像していたが、実際は剣道のそれと同じく板張りの床だ。
きちんと畳まれた道着と道袴を渡しながら、高根さんは真面目な顔で言った。
「着るのを手伝いましょうか?」
「いや、大丈夫。なんとか自分で着ます」
まさか女子の前で着替えなどできない。
更衣室は二つあって、僕は男子用の更衣室で着てる物を籠の中に入れて、道着を着た。
すると不思議に着方が分かったのだ。
洋服と違って着物は男女差がなく右前に着る。それは右利きの場合懐に手を入れやすいようになっているからだ。
道着も同じで相手から見て襟の形がyに見えるように着るのだが、僕はそれが自然にできてしまった。
初めて道着を着たのにである。
それから道袴も何も考えずに着崩れせずなおかつ動きやすいように着ると、道場の方に向かった。
「じゃあ、早速お願いします」
組手が始まって僕は可憐さんが何故伸び悩んでいるのかがなんとなく分かった。
体の脱力が不十分なのだ。
それは殆ど気づかないほどの『力み』なのだが、それが動きの滑らかさを妨げているらしいのだ。
それは僕が名人のスキルをコピーして体を慣らして来たからこそ分かることなのだ。
僕は一応悪役になって、技をかけられ倒される側になった。
技をかける側になると名人の技量差がわかってしまうかもしれないからだ。
組手のワンセッションが終わるごとに僕は合気道のスキルの中の『脱力』に関したスキルを小刻みに彼女に貼り付けて行った。
「不思議だな。久住君と組手をしていると、少しずつ体がほぐれて無駄な力みが取れて行くような気がする。やっぱり一緒にやって貰ってよかった。ありがとう」
脱力を完全に授けた後、組手を続けて行くと今度は別の問題点が見えて来た。
恐らく気づく人は誰もいないかもしれないが、右半身と左半身のバランスがほんの僅か狂っているのだ。
これは‘体幹’スキルを少しずつ貼り付けて行く事で、改良して行った。
早朝から借り切った今日の練習が昼になって終わったとき、高根可憐さんは目を潤ませて僕を真っ直ぐ見つめた。
「な…・・なにか?」
「私……久住君にどれだけ感謝してもしきれないよ。今日午前中だけ一緒にやって貰っただけで、もう五年分も十年分も修行したみたいに何かを掴めた気がする。きっと久住君には私の中の可能性を引き出す力があるんだね、きっと。だから、ありがとう。本当にありがとう」
その後昼食を一緒に食べて行って欲しいと懇願されたけれど、あまりご家族と会って顔を覚えられたくないので固く辞退した。
そして、僕は組手の練習は今日限りにしてほしいと彼女に断った。
高根さんは十分得ることがあったので、それでなっとくしてくれた。
そして暫く会えないとも伝えた。
一人でしたいことがあったからだ。
それは動画からのスキルコレクションだ。
それから僕は映像の中の人間を閲覧して、スキルを吸収することを続けた。
もちろんオーバーヒートにならないようにコピーしていたが、副作用がある。
それは体を動かす関係のスキルをコピーして貼り付けた後は、やたらと体を動かしたくなることだ。
意識の上ではスキルが示す動きを知っているのに、実際の体はそれに伴って動いてくれない。
その落差がもどかしさとなって、常に動き続けないと気持ちが収まらないのだ。
あの後、柔道で十段になった名人のスキルをコピーしたり、キックボクシングや空手の達人の動画を見て閲覧したりした。
けれどその後必ずヘトヘトになるまで体を動かし続け、そのままダウンして翌朝まで寝ていたということがよくあった。
そして今まで使ったことのない筋肉も含めて全身が筋肉痛になって動けなくなったことが頻繁にあった。
それでもいわゆるマッチョにはならなかった。
筋肉と筋肉の境目は滑らかで、いわゆるセパレーツ状態にはならないのだ。
いわゆる一つの武術を極めた人のスキルを貰うと、他の武術にも通じる何かを得るのか、合気道の後にコピーした柔道などは比較的短い時間で取れた。
本人に会わなくても動画からスキルが取れるのだからすごく習得が楽なのだ。
そして僕は秘かに楽しむタイプなので、スキルを集めることそのものに興味を持って、それを使って人前で見せたり自慢するというような気にはならなかった。
但し同じ格闘技でも動きが近いものを再現できても、体格や素質から見て合わないものもある。
極端なことを言うと僕が相撲の横綱のスキルをとったとしてもプロの序の口の人に勝つことも無理だということだ。
格闘技にウェイト別の階級があるように、体格によってパワーが違って来るからだ。
そう言う意味で合気道は僕に一番合っているのかもしれないが、合気道にはキックやパンチなどの攻撃手段がなく、咄嗟の自衛のための護身術なので、無敵ではない。
そして、肉体系のスキルの副作用を避ける方法を新たに授かった。
それはブレイキングという激しいダンスのスキルをとった時のことだ。
体を動かしたくてうずうずしていたが、体が疲れてしまうので我慢していると、『貼り付け』の下に『一時的に保管』という項目ができたのだ。
そこをクリックすると、体を動かさずにゆっくり休むことができた。
それ以来、保管を解除して体を動かし、また保管したりすることによって、体を酷使しないように気をつけるようになった。
中国の拳法に長拳というのがあるが、あれを何時間もやるのは不可能だ。
せいぜい十分もやれば息があがる。それでも大したものだ。
一時保管ができるようになって、体に無理をかけないようになったのは助かった。
映像を見て閲覧しコピーできるようになったので、歌手や俳優、芸人のスキルも取ろうと思ったこともあったが、時間は無限ではないので時間がかかり過ぎるのでやめた。
僕は部活動は帰宅部なので、放課後は直帰だし、殆どは家や近くの公園で過ごすのだ。
だから学校に行く以外はほぼ引きこもり状態に近いと思う。
スキル収集を始めてからは、なるべく誰とも会わないようにして、そっちの方に専念していた。
そんなとき僕は静かな生活を脅かされるような目にあったのだ。
いつだったか僕に因縁をつけた笹暮という男が仲間を連れて放課後家に帰ろうとする僕を呼び止めて校舎裏に引っ張って行ったのだ。
続きます。