映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』について語る
このところ、週末に地上波で『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下BTTF)三部作が放映されています。
1作目が1985年公開とかなり古い映画ですが、リマスター版はテレビ初放送だそうです。
でも、自分はこの期間のその時間帯に、絶対にそのチャンネルにアクセスしないように気をつけています。
何故なら──途中からでも観始めたが最後、絶対にラストまで観ずにはいられないからです。
皆さんにはありませんか?
今までに何度も観て、結末までの展開の全てを熟知しているのにもかかわらず、観始めたらついついラストまで観てしまう作品が。
自分には何作品かあって、そのうちのひとつが、このBTTFなのです。
未視聴の方のためにネタバレは出来るだけ避けますが──。
話自体は、はっきり言ってよくある話です。
初老のマッドサイエンティスト、ドクが作ったタイムマシンで30年前の過去に戻った高校生の主人公マーティは、うっかり自分の両親の出会いを妨害してしまったため、それを元に戻そうとあがくという──時間テーマSFのテンプレともいえる内容です。
上手く歴史を修正できたと思うのも束の間、思いも寄らぬ展開によってさらにピンチが訪れて──。
そう、R・A・ハインラインの『夏への扉』の焼き直しと言ってもいいでしょう。もはや手垢の付きまくった陳腐な話です。
それでもつい1作目に見入ってしまうのは、オールディーズの空気感への憧憬と音楽の力、そして主人公の行動が歴史にどう影響を与えたのかが次々とわかっていく楽しさからです。
それが特によく現れているのが、クライマックスのバンド演奏シーンです。
ダンスパーティーのステージで、主人公はこの頃まだ存在していない曲『ジョニー・B・グッド』を演奏します。その前衛的ともいえる斬新なギター・プレイを聴いて、バンド・メンバーが慌てて舞台袖で従兄に電話をかけます。
「おい、チャック! 新しいサウンドを探しているって言ってたよな? これを聴いてみろよ!」
──このバンド・メンバーはマーヴィン・ベリーと名乗っています。とすると、彼が電話でマーティの演奏を聴かせたチャックというのは──まさか、後に『ジョニー・B・グッド』を生み出したあのチャック・ベリーなのか⁉ と、オールディーズ・ファンならここで気づくわけです。
いったいどっちが先なんだよ、という話ですけどね。
こういった時間SFならではのネタが随所に散りばめられているのです。
そして、1作目のラストには『to be continued』の文言が映し出されます。
これは劇場公開時にはなく、ビデオ・ソフト化される際に付け加えられたシャレだったそうです。
ところが、これを見たファンから続編への問い合わせが殺到し、急遽、続編の企画が通ったのです。
『2』『3』は続けざまに制作されました。
元々続編は1本の予定だったが、アイデアが膨らみ過ぎたため2本に分けたそうです。
1作目ではオールディーズの時代が描かれていましたが、『2』ではそれに加えて近未来、そして第三者によって改変されてディストピア化してしまった現代が描かれます。
そして『3』で描かれるのは、何と昔懐かしい西部劇の世界です。この辺りも、アメリカ人のノスタルジーをくすぐった要因のひとつでしょう。
見どころは色々あります。
本シリーズでいうところの『現代』は1985年ですが、『2』で描かれる30年後の『近未来』──実はもうリアルではとっくに過ぎてしまっているのです。1985年当時の未来予想がかなり外れているのを見るのも楽しすぎます。
ちなみに、主人公の行動を阻む敵役ビフのモデルが、当時ビジネス界で台頭し始めていた某前大統領であることは、観ればすぐにわかるでしょう。そっくりだし。
また、『3』で描かれる西部劇シーン──これ、実は『現代』からたった100年前の光景なのです。その間にこれほど文明が進歩していたのかということにも大いに驚かされます。
BTTFシリーズの最大の魅力は、様々に散りばめられた伏線がどんどん回収されていくあたりにあります。本エッセイを書くために少し調べてみたんですが、今でも『え、そんなところも伏線だったの?』という発見がいくつもありました。
特に、『2』『3』はほぼ同時期に作られたため、伏線の張り方やその回収の仕方は完璧と言ってもいいでしょう。
物書きのはしくれとしては、大いに学ぶべきものがあります。
ただ一点、BTTF三部作を通して惜しい点があるとすれば──。
主人公には他人から『臆病者』と罵られたらブチ切れて見境がなくなるという欠点があるのですが、この点について1作目では全く語られていないのです。
まあ、1作目は続編を意識せずに作られていたので、仕方がないと言えばそれまでなんですけど。
『2』で初めて語られ、『3』の大団円に向けた大きな伏線となっているこの欠点が、もし1作目からちゃんと描かれていたら、もうこれ以上ないほど完璧な作品だったのに──。
このように、BTTF三部作は、物書きの目線からも、単純に映画を楽しみたいという目線からも、大いに楽しめる作品であることは断言します。
未視聴な方はもちろん、観たことがある方も、ほんのちょっと伏線を予習してから観てみてはどうでしょう。きっと違った楽しみが味わえると思いますよ。