第6節:目
クライドは呆気に取られて眺めていた。
出会ってから今まで見せた事が無いほど威勢良く駆け出したかと思えば、洗練された無駄の無い無駄な動きで渾身の決めポーズを取り、言葉の通じない晶魔相手に自信満々の啖呵を切っている少女ーーセシルの姿を。
窪地から伺っているクライドにセシルは背中を向けているが、恐らくは英雄気取りで満面のドヤ顔を浮かべているのだろうと容易に想像出来た。
あまりに自分の常識から外れた一連の行動に、数秒ほど硬直していたクライドだったが、すぐに自分を取り戻す事に成功した。
そして、状況を理解した。
最初の作戦は全て台無しになった、と。
「こォんのオタンコドッコイ野郎ッッ!! 先制攻撃のチャンスが全部パァになっちまったじゃねぇかぁぁぁッ!!!」
クライドの怒声とも悲鳴ともつかない絶叫に驚いたのか、セシルが振り返ってひどく困惑した顔を見せてきた。
「え? え! なんで? あたしのせい!?」
何故怒鳴られたのかも分からず狼狽するセシルの姿に眩暈を感じながら、クライドは彼女の前方を指差す。
「お前のせいだよスカタン娘!! いいから前を見ろ!」
ティンダーハウンド達は人間達の茶番劇など気にも止めず、中央に布陣する前衛の9匹がセシル目掛けて駆け出していた。
それに合わせて、左右の群れも散開しているのがクライドには見えていた。
小賢しい晶魔達は突出しているセシルを包囲すると同時に、クライドにも強襲を掛けるつもりなのだろう。
クライドに迫る影に比べて、恨みを買っている彼女へと向かう数は圧倒的に多い。
だが、それはクライドの計算の内だった。
「埋め合わせはするわ! どう動けばいい!?」
迫りくるイヌモドキの群れを見据えて、セシルはハルバートを右腰に引き付ける。
クライドは肩掛けのバッグに左手を突っ込んだ。
先手は打ち損ねたが、数で勝るティンダーハウンドに対する初手は決めている。
右手の拳銃で自分に迫る左の一団へとおおまかに照準を合わせた。
まだ、引金は引かない。
「先頭のヤツら目掛けて、派手に爆破をブチかませッ!」
「わかった!」
クライドの指示に応えるが早いか、セシルは一瞬深く腰を落とし、迫るティンダーハウンド目掛けて飛ぶように踏み込む。
体のバネを極限まで引き絞り、今にも飛び掛からんとする晶魔に目掛けて右手でハルバートを勢いよく突き出した。
「火の司霊、第一法二編! ヴラム・フレイアァァァッ!!」
ハルバートの穂先が一瞬大きく燃え上がった直後、小石ほどの大きさに圧縮されてから地面を揺るがすような大爆轟を轟かせて炸裂した。
セシルの眼前に迫っていたティンダーハウンドは数匹まとめて爆発に飲み込まれて千切れ飛び、その周囲にいたものも爆風で吹き飛ばされて宙を舞う。
その衝撃と轟音に、散開していたティンダーハウンド達も動きを鈍らせた。
そこに、六発の銃声が響く。
クライドに迫ろうとしている途中で足を止めた晶魔が3匹、その場で仰け反って倒れ込んだ。
多少は銃の腕に覚えがあるクライドでも、月明かりがあるとは言え夜間に、俊敏な動きで迫ってくる相手に正確な射撃を浴びせるような自信は無かった。
だが、相手が爆発の閃光に僅かでも照らし出されて、足を止めたのなら話は別だ。
「怯んでる内に、正面の敵を出来るだけ減らせ!」
「うん!」
ティンダーハウンドはその顎の付け根から伸び、粘液質の体液が絶えず滴る触手じみた感覚器で周囲を探知している。
音の振動、空気の流れ、熱、圧力、臭いなどを鋭敏に感知する事で、暗く木々が密集する森の中を迷わず行動しているのだ。
つまり、爆発でその全てを乱してやれば、一時的にその感覚を奪い取る事が出来る。
そうでなくとも、状況を把握しようと動きを止めざるを得ない。
「……大したモンだ」
弾を撃ち尽くしたシリンダーを拳銃から外し、装填済みのものへと手際よく交換しながら、クライドはそう独りごちた。
セシルが魔導術で爆発を起こせる事は分かっていたが、これほどの威力で放てるとは思っていなかったのだ。
森の中でも『ヴラム・フレイア』とやらを後先考えずに使っていたように思えて、意外と直感的に威力を抑えていたのかもしれない。
「はああああああああああッッ!!」
そして彼女の槍捌きもまた、驚くほど見事だった。
指示を与えてから迷わず、セシルは吹き飛ばされて立ち直れずにいたティンダーハウンド達に目掛けて跳躍し、起き上がる事も許さず頭をハルバートの穂先で刺突し、次の腹をかっさばくように薙ぎ払い、得物を振り上げて隣の首を叩き斬った。
めりこんだ斧部を地面から引き抜いて、再び頭上に振り上げたかと思えば身を捻り、背後で立ち上がり掛けている一匹の首に斜めに振り下ろしてピック部を突き刺し、絶命した晶魔を遠心力のままに振り回して最後の一匹目掛け叩きつけ押し潰したのだ。
「正面のヤツらは全部倒したわ、次は!?」
セシルの凛とした声がクライドの耳に届く。
その声に浮ついたような色はなく、静かな自信と闘志に満ちている。
「せっかく考えた作戦を、よくよくかき乱す女だぜ……!」
彼女の戦闘能力が、自分の想定より遥かに上だった事をクライドは認めざるを得ず、口の端を釣り上げてニヤリと笑った。
そのお陰で、この時点で切るつもりだったいくつかの手札を、後の一手に回す事が出来る。
「魔導術はあと何回使える!?」
「全力ならあと一回! 抑えても二回が限界よ!」
もう一度使えるなら十分だと、勝算が大幅に増した事を確信し、クライドは左手で自分に近付いていた群れを指差す。
「左に行け! そっちからきてるヤツらを迎撃するんだ!」
「任せて!」
短く応えると同時に踊る様に身を翻し、セシルはクライドの指差した先に風の様に駆け出す。
既に晶魔達は立ち直っており、右側と中央にいた群れは再びセシルを追って走り出し、左側の集団はセシルを牽制すべく接近する。
クライドに向かっていたティンダーハウンドは二匹残っていたが、それだけでは猛進してくるセシルを止める役には立たなかった。
「邪魔よ!」
ハルバートで一匹を薙ぎ払い、もう一匹を両断すると、セシルは左から突進してくる晶魔の集団に向き直った。
それに加え、右側からも20匹近い群れが迫っている。
如何に戦闘能力に優れたセシルでも、一度にこれだけの数を迎撃するのは危険な賭けになるだろう。
しかしクライドは、彼女にそんな賭けをさせるつもりは毛頭なかった。
「セシル!」
クライドは拳銃をホルスターに収めて叫びながら、窪地の淵に置いてあった球状の物体を手に取り、それに付いたリングに指を掛けて引っ張った。
「合図をしたら三秒間耳を塞げ!!」
彼女の合図も反応も待たず、クライドは自分の正面を横切る怪物共の集団目掛けて、円筒状の軸が伸びた球体を放り投げる。
それは月の光に鈍色に照らし出されながら不格好に宙を舞い、しかし狙うべき晶魔達には全く届く事なく、ゴトリと音を立てて地に落ちた。
「今だ!!」
そう叫ぶと同時にクライドは自分の耳を覆う。
セシルの方を見やると、彼女もハルバートを地に突き立てて耳を塞いでいた。
その直後、所在無げに転がっていた鈍色の球体から驚くほどの大音響が迸った。
その甲高い音の凄まじさたるや、クライドの肌にまでビリビリと振動が伝わってくるほどである。
人間ならば手で耳を塞げば、この頭痛がするような音にも耐えられるだろう。
しかし、舌のような感覚器を剥き出しにしている四足獣型のティンダーハウンド達は、防護する術など全くないまま晒される。
三秒後には音もピタリと鳴り止んだが、晶魔達はその場にうずくまりながら酩酊したかのようにヨタヨタと感覚器を動かしている。
セシルが耳を押さえていた手を放して素早くハルバートを引き抜くのを見たクライドは、すかさず声を上げた。
「食い放題だ、思い切りブチかませッ!!」
「火の司霊、第一法! フレイアッ!!」
森の中で照明代わりに使っていた時とは桁違いの業火がハルバートから吹き出し、一振りごとにティンダーハウンド達が炎の中に飲み込まれていく。
抵抗する事も出来ずに焼き尽くされるものもいれば、下卑た山羊のような悲鳴を上げて火達磨になったまま駆け出すもの、方向も分からないまま這いずるように逃げ出そうとするものもいた。
炎の届いていない範囲にいる残余はクライドが銃撃して数を減らしていく。
既に三分の一にまで減ったティンダーハウンド達は本能的に劣勢を悟ったか、覚束ない様子で駆けながら次々と森に逃げ込んでいった。
しかし。
「気を付けて! 一匹行ったわ!!」
セシルの悲鳴じみた声が響くと同時に、炎の中から一匹、大柄なティンダーハウンドが猛然と駆けてクライドに迫ってきた。
体のあちこちが焼かれながら、舌状の感覚器がその怒りを示すかのように激しく震えている。
全身全霊の、全ての憎悪を叩き付けに行かんと口蓋が大きく開かれ、迸らせた粘液質の唾液で濡れた、歪で不揃いな汚い巨大な牙を剥き出している。
――お前がボスか。
恐らくこの瞬間、クライドと同じ事をこの晶魔も感じていたのだろう。
クライドの拳銃は間の悪い事に、6発全てを撃ち尽くした直後である。再装填を間に合わせる時間的猶予はない。
それに気付いたセシルが顔を引きつらせながら走り出したが、彼女が辿り着く前にイヌモドキの牙がクライドの喉笛を噛み千切っているだろう。
「何やってるの! 早く逃げてッ!!」
一歩、二歩、三歩と、憎悪の塊となったティンダーハウンドが迫る。
そして、今まさに窪地で立ち尽くすクライドに飛び掛かり――
「もっと早くに跳ねるんだったな」
クライドがぼそりと呟くと、大地を踏み締めたティンダーハウンドの足元から光が迸った。
窪地の前には薄い金属の網が敷かれており、それは凄まじい電流を走らせて晶魔の全身を震わせる。
「……なによ、これ」
セシルは驚愕と共に足を止め、その光景を呆然と眺めていた。
「正直に言うと、かなりヤバかったぜ。オレ達に勝ち目があったのは、あの娘にマジで勇者並の才能があった事と」
クライドはほんの目の前で感電して動けないでいるティンダーハウンドから目を逸らさず、顔の前に掲げた拳銃のシリンダーを交換しながら、あえて言葉が通じるはずのない晶魔に語り掛ける。
「……お前らに、目が無かった事だろうな」
銃声が一つ、満天の星空の下で轟いた。