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追放者の輪舞曲(ロンド)  作者: Cpl.ヴェルナー
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第4節:邂逅

 ついに恐れていた状況になってしまったと、セシルは震える両手で膝を抱えて後悔していた。

 『帰らずの森』は夜闇の中に沈んでしまったのだ。


 「なんで……なんで、こんな事になっちゃうのよ」


 先ほどまで襲い掛かってきていたティンダーハウンド達は姿を消していた。恐らくは態勢を立て直して、今度こそ仕留めに掛かってくるつもりだろう。


 既にセシルの周囲は数歩先まで漆黒に染まっており、時折差し込む月明かりはあまりに頼りない。

 本来であれば、今頃はミドロンド空大陸北西部の境にある農村でゆっくりと歓待に預かっている予定であったため、彼女は灯りになるようなものを持ってきてはいなかった。


 帝国首都ファランクスで引き受けた依頼は、この農村近くに縄張りを持つ晶魔(ウィルド)の群れを撃退して欲しいという内容であった。


 主だった遍歴傭兵団(ミグランツ)は別件で対応中か休養中であった事。

 討伐対象が『ゴーント』という脅威度の低い種であった事。

 そして、セシルは己の槍術の力量に自信があった事。


 その全てが重なった結果、駆け出しの遍歴傭兵(ミグナリー)セシル単独での晶魔(ウィルド)討伐作戦と相成ったのである。


 実際、ゴーント退治は順調そのものであった。力は一般的な成人男性と大して変わらず、柔軟な体躯故に愛用のハルバートであれば容易く致命の一撃を与える事が出来た。

 低空を飛翔する点が厄介であったものの、ファランクスに滞在する遍歴傭兵団(ミグランツ)にも一目置かれるセシルの戦闘技術であれば、さほど苦戦する事はなかった。


 そして、勢いに乗って全て討伐してやろうと追撃を仕掛けるセシルを挑発するように、あの忌々しいイヌモドキ達が森から姿を現したのだ。


 しかし、そこまで思い返すとますます自分の迂闊さを責めたくなってしまった。


 あの時、もっと『帰らずの森』に近付いている事を意識していれば。

 あの時、誰か自分を止めてくれる人がいれば。


「なによ……結局、あたしが単にバカだっただけじゃない……!」


 セシルは自分が『冒険』を甘く考えていた事実に打ちのめされ、悔しさのあまり涙をこぼした。


 初めの頃、他の遍歴傭兵(ミグナリー)達に勧誘された事は何度もあった。実際に手合わせをし、その実力を見せ付けた事だってある。


 だがセシルは、そうした誘いを軒並み断っていた。


 まずは、自分だけの力で『冒険』が出来る事を証明したかった。

 誰かに頼りにしてもらえる実力がある事を確信したかった。


 数々の冒険譚、英雄譚の主人公達のように。憧れと熱意に促されるまま、自分にもきっと出来ると信じていた。


 それがただ、慢心でしかなかった事に気付きもせず。


「……す、けて」


 幾度となく繰り返した晶魔(ウィルド)との戦闘、森から抜け出せない焦り、不安、恐怖。

 どこまで行っても逃れられないティンダーハウンドの悍ましい舌先が、今もどこかで不気味に追っているようにすら感じた。


「たす、けて……」


 何時間も休みなく、そういった無数の重圧に晒されたセシルの体には、次の交戦を退けられるような余力は殆ど残ってなかった。

 子供のように震えて膝を抱え、己の無力さと愚かさを嘆く事しか出来ない情けなさ。

 刃物のように尖った鼻面、巨大で不揃いな牙、歪に湾曲した鎌のような鉤爪。それらに肌を裂かれ、肉を喰い千切られ、臓物を(なぶ)られながら迎えるだろう、恐ろしい末路の予感。


 背筋に一際大きな怖気が走り、セシルは膝を抱える両腕に顔を埋めて震える。


「だれか……助けてよぉ……」


 今やそこにあるのは、『冒険』に焦がれていた駆け出しの遍歴傭兵(ミグナリー)の姿ではなく。

 ただ助けを求めてすすり泣く、哀れで無力な少女でしかなかった。



――――――――――――――――――――――――



 何かの破裂音がした、とセシルはうずめていた顔を僅かに上げた。


 「何……?」


 枝が折れる音にしては大きい。だが、それも気のせいであったかもしれないと思い始めた時。


 「この音……」


 今度は間違いなく聞こえた。立て続けに二度。

 先ほどよりもはっきりと聞こえた音に向かって、セシルは顔を上げる。


 ティンダーハウンドは近付くまでは音を消して忍び寄ってくる。他の晶魔(ウィルド)である可能性も否定は出来なかったが、それは直後に否定された。


 「おい、爆破の現行犯!! くたばってたら返事しやがれ! これ以上奥だと、オレも付き合い切れねぇからな!!」


 ほとんど怒鳴りつけるような若い男の声が、破裂音のした方向から届く。


 人の声が聞こえてきた、という安堵感でセシルの胸に熱いものが込み上げてくる。流していた涙にも熱が混じり、ハルバートを支えにして彼女も立ち上がった。


「こっちーーーーーーッッ!! こっちにいるのッ! お願い、助けて!!」


 目を瞑り、肺の空気を全て絞り出すかのような、喉への負担を考えない全力の叫び。


 情けなくてもいい、助けて欲しい、死にたくない。


 絶望と孤独の束縛から解放され、セシルの体を血潮が一気に駆け巡るような感覚が走った。上気した頬は涙で濡れ、泣き腫らした目はみっともなく充血しているだろう。


 そんな顔を誰かに見られるのは嫌だが、今は助けが来てくれた事がひたすら嬉しかった。


「周囲を警戒してろバカ女! そっちに行くまでに死にやがったら、オレも死体に蹴りかましてやるからな!!」


 なんとも酷い言い草だが、要は合流するまで自分の身は自分で守れという事だ。今ならもう少し頑張れると、セシルはハルバートを構え直す。


「まだ火の魔導術が使える!」

「だったらそいつで、今すぐ明かりを作れ! 木を燃やしたりすんじゃねーぞ!」


 どうして男がこの状況で木の心配などしているのか、セシルには一瞬理解出来なかった。だが、とりあえず今は言われた通りにする事にした。


「火の司霊、第一法! フレイア!!」


 セシルがハルバートを地に打ち付けると、穂先の先端部から炎が噴き出す。その火力は最小に抑えているが、森を覆い隠していた暗闇のベールはたちまちに剥がれていき、赤色に染まった木々が姿を現した。


 その中に、出来る事なら二度と見たくなかったイヌモドキ達の姿も混じっていた。


晶魔(ウィルド)に囲まれてる!」


 ざっと数えても10匹はいるが、大声を張り上げていた時に忍び寄ってきたのだろうか。

 幸いにも炎にすくんだのか後ずさりをしているが、気付かなければ本当に殺されていたかもしれない。セシルはゾッとするような悪寒を堪え、炎の維持に注力する。


 すると背後から、爆発するような音が耳をつんざいて鳴り響いた。


 セシルが驚いて振り返ると、炎に照らし出された若い男の姿がそこにあり、その手には銃とナイフが握られていた。

 身なりこそボロを纏ったような小汚さだったが、身に着けた防具の着こなしや銃の構えからも、歴戦の手練れである事が伺える。


「ちょっと、いきなり銃なんて撃たないでよ! びっくりして炎が消えちゃうかと思ったじゃない!」

「そんときゃお互い、このグロ犬のエサになるって事だ。こいつらは暗かろうとお構いなし。滅茶苦茶ひでえ殺され方をするから、気合い入れて松明してろ」


 そう言うと男が続けざまに発砲し、ティンダーハウンド達は次々と絶命していく。危険を察した半数は素早くその場から離れていった。


 二人はしばらく警戒を続けていたが、晶魔(ウィルド)達が別の方角から再度の襲撃を試みようとしてくる気配はない。


「……おい、もう火を消していいぞ」


 男に背中を軽く叩かれて、セシルはハッとして魔導術を中断する。その直後、体中から力が抜け切ってしまい崩れ落ちるように膝を突いた。


「……たす、かった」


 呆然としながら、セシルは絶体絶命の窮地を乗り切れた事に深く安堵した。男が持っている灯りのお陰で、多少は周囲が見える事も安心感に繋がっていた。


 これでもう大丈夫だと、そう思った瞬間。


「へたり込んでる場合じゃねぇ。さっさとここから離れねぇと、最悪の場合はもっとマズい事になるぞ」


 男の顔を見上げると、厳しい表情でセシルを見下ろしていた。

 

「最悪の場合?」


 どういう事か理解が出来ず、セシルは男に聞き返した。


「あのティンダーハウンドって晶魔(ウィルド)は、それぞれの群れが順番で狩りをする。だが、それでどうにもならない相手だった時は……」

「全ての群れで、襲い掛かる……?」


 セシルの回答を聞き、男は皮肉そうな笑みを浮かべた。


「特に、炎や爆発を撒き散らすお前にな」

「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおッッ!!?」


 少し思い返すと、この男はセシルの背後からティンダーハウンド達を攻撃していた。自分の姿を晶魔(ウィルド)達から隠していたのである。


「あなた、もしかして……あたしにだけあいつらの注意が向く様にしてたんじゃないの!? 何してくれてるのよぉッ!!」


 疲労も感謝も忘れて、セシルは勢いよく男の襟首を掴んで揺さぶりながら抗議する。

 しかし、男はあっさりとその手を振り払って擦り抜けた。


「だから、そうなる前にさっさとこのクソッタレな森から出なきゃなんねーんだよ。死にたくねぇなら着いてこい」

「でも、出るって言ったって、どうやって……」


 出ようにも方角すら分からなくなるから『帰らずの森』なのではないのか。セシルがそう言い淀んでいると、男は不機嫌そうに横目で睨んできた。

 

「……何やってんだ、助けてくれって言ったのはお前だろうが。グズグズしねぇで、さっさと助けられやがれ!」

「わ、分かったわよ! 待ってってば!」


 セシルが慌てて駆け出すと、男はそっぽを向く様に背を向けて歩き出した。


 どうにも測りかねる言動の多い男だが、こんな危険な場所に見ず知らずのセシルを助けに来てくれた事は事実である。それにどうも、露悪的な態度の割に信用しても大丈夫なのではないかと、彼女は漠然と感じていた。


 背を向ける直前、男の顔には今にも泣き出しそうな、それでいて心から安心したような、優しくも寂しげな表情が浮かんでいたのを、彼女は見逃さなかったから。

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