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追放者の輪舞曲(ロンド)  作者: Cpl.ヴェルナー
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第2節:迷える森の非情

「……戻ってきちまったんだな、ここまで」


 ミドロンド空大陸北部で唯一の発着場を抱えるポートスミットの街を背に、クライドは赤茶色の瞳を暗く淀ませ、蝋細工(ろうざいく)の人形のような生気の無さで空を忌々しそうに見上げる。


 ここはゼントファーラン帝国の領内では小都市と呼べる規模であるが、交易や商業の盛んな土地でもあり、顔を見られず喧騒に紛れて抜け出すには好都合な街であった。


 彼の様子とは相反するかのように空は青々と澄み渡り、昇ったばかりの朝日は穏やかに彩りを与え、心地良いそよ風が彼の白っぽい灰色の髪と頬を撫でつける。その傍若無人な爽やかさがどこか癪に障り、クライドは足元の小石を強めに蹴り飛ばした。

 しかし、八つ当たりされたその小石すら、喜ぶように小気味良い音を立てて飛び跳ね、青々と生い茂る草むらの中に消えていったのだった。


 チッと舌打ちしながら、クライドは四つ折りにしていた地図を開いて方角を合わせた。

 かつて愛用していた『レンザパス』という方位計は磁力や晶力(フォトン)に狂わされず、即座に正確な方角と太陽や月の位置まで検知してくれる便利な古導具(レガシー)だったのだが、あいにく今はありふれた安物しか持っていない。


 針のブレがようやく落ち着いたところで地図を睨み、目指すべき発着場までの経路を選定する。

 これも以前なら、大まかな距離と時間の予測が出来る古導具に助けられていた。

 とは言え、今ここにないものを恨んでも何も進展しない以上、自力で算出する他なかった。


 しかし、それが分かっていてもクライドの苛立ちは募る一方であった。

 

「……ファランクスを避けるルートだと、西に迂回して南のポートフラグまで行くしかねぇな。西部は西部で、出来れば近付きたくねぇが」


 地図を折り畳んで肩掛けのバッグにしまうと、クライドは後ろ向きに被っていた帽子をツバを前にして被り直した。あちらこちらが擦り切れ穴が開き、破れた箇所を手荒に縫い合わせた緑のショートコートのフードを被ると、一度大きく溜息を吐く。


「ここには、来るべきじゃなかったかもな……」


 ぽつりと漏らした独り言を誤魔化すように、背負った大きなバックパックの肩紐を調節し直すと、クライドは北西の方角に向けて歩き始めた。



――――――――――――――――――――――――



 ミドロンド空大陸北西部には『帰らずの森』と呼ばれる危険地帯がある。

 曰く、森の中では鬱蒼とした背の高い木々に空が遮られ、方位計すら狂って道どころか方角すら見失ってしまう上、晶魔(ウィルド)の類が近隣一帯と比べて手強く数も多い。

 帝国軍最精鋭と言われる特殊戦技兵(レンジャー)中隊でもなければ入ろうとする者はほとんどおらず、その特殊戦技兵達ですら、万一の場合に部隊全体で脱出する方法を教育する程度に留まる。


 帝国の民なら誰でも童謡で聞かされており、決して立ち入ってはいけないのだと異大陸人にもしばしば警告されている場所である。

 常識的に考えれば、そんなところに人がいるはずがない。


 常識的ならば。


「嘘でしょ? 嘘でしょ! 嘘でしょお!?」


 しかし今、ここにその常識を覆してしまった少女がいた。

 一目見て業物(わざもの)であると分かる立派なハルバートを両手で抱え、蒼褪めた形相で必死になって森の中を駆ける白と赤を基調とした旅装。

 つい先日、帝国首都でここから自分の『冒険』を始めるのだと決意を新たにし、透き通るような水色の瞳を希望に輝かせていたセシルである。


「ここってやっぱり、あの『帰らずの森』なの!? なんで! ああっ、もう! どっちに行けばいいのか全然分かんない!」


 理屈の上ではまっすぐ走ればいつかは抜け出せるはずだが、本当に『まっすぐ走る』事すら出来ているのか疑わしい。

 『帰らずの森』は正確に測定されていない事から地図上でも大まかな外周部しか描かれていない。

 かなり広大な森林地帯であり、時に切り立った丘が現れ、時に深い断崖が現れる。そして、一番方向感覚を狂わせるのが。


「また来た! しつこいのよ、アンタ達!」


 調律を狂わせた耳障りな弦楽器のような鳴き声を上げて、森の暗闇から長い鼻づらが剣先のように尖った犬型の晶魔(ウィルド)が4匹も現れる。

 その晶魔、ティンダーハウンド達は顎の付け根辺りから伸ばした舌の様な器官を絶えず動かしており、それは次第にセシルのいる方向に収束してきた。

 目のような器官が見当たらないところを見るに、この舌で周囲を感知しているのだろう。


「アンタ達のせいで、また道が分からなくなっちゃうじゃない! さっさとどこかに行きなさいよ!」


 どこか嘲笑う声にも聞こえる不快なリズムで喉を鳴らすティンダーハウンドの一匹に、セシルはハルバートの穂先を素早く向ける。セシルは森に踏み込んでしまって以降、何度か同じように囲まれた事を思い出す。

 街で見かける愛くるしい犬達と違って生理的嫌悪感満載の毒々しいイヌモドキ達は、意外な事に積極的に攻撃してくる事はなかった。それが罠だったとセシルが気付いたのは、迂闊にも逃げる晶魔(ウィルド)達を追って森の奥にまで迷い込まされてからである。


 ティンダーハウンド達を見渡しながら、セシルは周囲を素早く判別しようとした。


「……どっちから来たんだっけ」


 今回は意識して振り返ったお陰で、おおまかには分からなくもない。しかし、やはりどこもかしこも同じような木、似たような草むらが密集していて自分の足跡すら満足に追えない。

 この状況で晶魔(ウィルド)との戦闘に集中すれば容易く方向を見失ってしまう事を、セシルは既に痛感させられている。


「アンタ達、こうやって延々と獲物を追い回して、疲れて動けなくなったところを頂くつもりなんでしょ? 晶魔(ウィルド)のクセに回りくどい事するじゃない!」


 言葉が通じるとは思っていないが、まだ自分には余裕があるのだと見せ付けるつもりで、セシルは語り掛けながら口角を釣り上げ不敵な笑みを浮かべた。ハルバートの穂先を誘う様に左右に振りつつ、一番手近なティンダーハウンドを見据える。

 と、いつの間にかセシルの後方に回り込んでいた一匹が素早く近づき。


「そこよっ!」


 腰を落とし、素早く握りを持ち替えてハルバートの柄尻を突き出し、その先端で迂闊な晶魔(ウィルド)の鼻づらをしたたかに打ち据える。

 野太くした豚の鳴き声のような悲鳴を上げて、その一匹は木々の影に飛ぶように姿を消す。それと同時に手近に迫っていた一匹と、左に回り込む一匹が同時に接近してくる。


「ハアッ!!」


 セシルは一番近いティンダーハウンド目掛けて、ハルバートを短く持ったまま踏み込み突き出した。

 晶魔(ウィルド)は攻撃を察して横に飛び避けようと四肢を踏ん張るも、次の瞬間に高速の突きが体に深々と突き刺さり、鮮血を吹き出しながら苦悶の絶叫を上げる。

 その直後、続く左の一匹が小柄な少女を鋭利な鼻づらで切り裂こうと飛び掛かる。その姿を素早く見据えたセシルは、得物を引き抜きながら上段に振り上げて飛びのいた。


「やぁぁぁぁぁあああッ!!」


 四つ足のバケモノが地面に脚を着ける寸前、セシルは裂帛と共にハルバートを振り下ろし、穂先と一体になった斧部でその首を正確に捉え斬り飛ばした。

 首を失い悲鳴を上げる事すらままならず、力を失った体はその場に崩れ落ちながら、断面から血を吹き出す。宙を舞っていった首は草木の中に転がっていき、たちまち森の中に消えていった。


 セシルは再び武器を構え直し周囲を見渡した。

 浅くリズミカルに呼吸を繰り返して整えながら気配を探る。


「……逃げたみたいね。そろそろ狩り時だとでも思ったんでしょうけど」


 致命傷を与えたのが一匹、健在なのが二匹。


 なんとか無事に撃退出来たものの、いよいよ襲い掛かられるようになると話は変わってくる、とセシルは予感した。

 これまでは牽制程度に飛び掛かってくる事はあっても、攻撃と呼べる行動は控えていたように思えた。先程は強がって余裕を見せてはいたが、実際のところはセシルも徐々に参り始めている。


 先の見えない森の中を独り、いたずらに彷徨う事で積み重なる疲労も。


 いつ襲い掛かられるのか分からない緊張感も。


 この鬱蒼(うっそう)として薄暗い森の中がいずれ夜の帳に包まれて、一歩先すら見通せない暗闇と化すかもしれない不安も。


 それらが少しずつセシルの身も心も蝕んでいる事は、否定のしようがない事実であった。


「ここで足を止めてたってどうにもならないわ。次はアイツらも数を増やして戻ってくるかもしれないし……」


 この森に迷い込んで、もうどれだけの時間が経つのかも分からない。セシルは考える事を止め、再びあてもなく歩き出した。


 考えれば考えるほど、不安と恐怖と孤独に心が押し潰されてしまうから。


 例えそれが彼女の焦がれる『冒険』の、決して切り離せない暗い事実の一端であるのだとしても。

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