第1節 ここより永遠に
『冒険』という言葉には、いつだって心が躍るような輝きに満ちている。
見知らぬ空大陸やそこに住まう人々との出会い。彼らの日々が形作る様々な文化や技術を自らの肌で感じ取り、未知に触れて既知とする喜び。
時にこの蒼い大空に隠された数々の謎を追い求め、時に危険な晶魔の群れに敢然と立ち向かって人々を守り、時に古代の遺跡に秘められし財宝を求める。
数々の苦難を乗り越え、数多の名声を得て逸話を残し、『冒険』を成し遂げた者を、人は『英雄』と呼ぶ。
そうした物語を話に聞き、書物で読み、唄を楽しみ、非日常の驚きと興奮に満ちた日々が冒険の旅路で待っているのだと、多くの若者達は夢を見るのだ。
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「あー……えっと、あたしはこの航空艇の人達から護衛の仕事をしないかって声を掛けられただけでぇ~……」
艶やかな赤味掛かったブラウンの腰まで届く柔らかな後ろ髪と、飾り布の付いた髪留めで束ねた細いツインテールを揺らす少女が、澄んだ空と同じ色の瞳を泳がせつつ両手を上げて弁明する。
しどろもどろと話しながら、泳ぐ瞳で自分の得物であったハルバートが離れた場所で無造作に転がっているのを捉えるが、すぐに目を離した。
「あまり遍歴傭兵の仕事も巡ってこなくて困ってたし、借りてる宿は天井が穴だらけで食べ物は残飯と薄めたスープばっかりだったし。人を守ってお金が稼げるやりがいと笑顔の絶えないアットホームな職場だよって誘われて、つい二つ返事で受けちゃっただけというか……」
彼女の眼前で長晶銃を構える三人の兵士達は、相槌を打つ事もしなければ微動だにもしない。彼らはここ、ゼントファーラン帝国の誇る帝国軍近衛連隊の兵士達であった。
「あの、つまりそのですね……あたしはなんて言うか」
三人の配置と距離、銃の構え、警戒の視線には全く隙が無く、その練度の高さが伺える。反撃しようとしたり逃走しようとする素振りなど見せたら、白磁の人形のように麗しい少女であっても躊躇なく撃たれるだろう。
それを理解したのか、彼女は軽く目を瞑って一呼吸おいた。そして再び帝国兵達を見据えると、形の良い桃色の唇を開き――
「本当に知らなかったんですーッ! いくら世間知らずだってバカにされてるあたしだって、雇い主が後ろ暗い密輸組織だったなんて知ってたら、鼻歌歌ってスキップしながらこんな大捕り物真っ最中の現場にノコノコ近付いたりしませんッ!! だから許して見逃してぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
両手を更に高く伸ばしながら、白地に赤と金の縁取りをした旅装の少女は半泣きで声を張り上げる。
「やだやだやだ!!こんなどうしようもない理由で前科者になるなんて絶対やだぁ!!あたしは冒険したいの!牢屋に入れられて枷をつけられて、変な機械をぐるぐる回すだけの毎日なんか絶対にイーーヤーーッ!!」
せっかく愛らしく整って生まれたのであろう、玉のような美少女と呼んで然るべき顔を台無しにするような全力のグズり。その様を目の当たりにして初めて兵士達に困惑したような空気が漂ったが、続く対応は変わらず毅然としたものだった。
「セシル・バートン、あなたを拘束します。あなたには黙秘の権利と国任弁護官の立ち合いを求める権利があり――」
「なんでこうなるのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!!」
セシルと呼ばれた少女は今度こそ本当に泣き出した。それにも動じる事はなく、帝国兵達は手荒にならないよう手際よくセシルの両手首に手錠を掛け、粛々と軽空艇に乗せたのであった。
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「バートンさん、ご協力に感謝します。ですが、今後は仕事選びも慎重に検討して下さい」
「はい、すみません。お世話になりました……」
警吏所の営門まで同行していた下士官に申し訳なさそうに告げて、セシルは右手を左胸に添える誠礼をした。
密輸艇の発着場で降伏した時に手放していた愛用のハルバートが門番から返却され、重い金属音を鳴らしながら営門が閉まる。
セシルは長く溜息を吐いた後、踵を返してとぼとぼと歩き出した。
「なんなのよ……」
結局、セシルは三日で無罪放免となった。まだ密輸組織に声を掛けられたというだけで、何も知らされず直接関与していなかった事が救いだった。
留置期間中も、彼女が予想していたような『悲鳴と啜り泣きが絶えない小汚い牢獄』や『臭い飯』、『甲高い音を立てて床を打つ、長い鞭を手にした陰険で粗暴な獄吏』といったものを目にする事はまったくなかった。
入れられた独房は手狭ながら小奇麗。簡素ながらきちんとした食事が毎食出され、ここ一月のセシルの生活と比べたら独房の方がマシであったとさえ言える。
しかも、無罪であった事から拘束期間に応じた補償金がいくらか支払われるらしい。帝国の先進的な法制度さまさまである。
だが。
「なんなんのよ一体! これじゃ全然冒険にならないじゃないーッ!!」
全身で納得がいかない、と飛び跳ねながらセシルは叫ぶ。道行く人々は驚いて一瞬彼女を見ると、そそくさと見なかったフリをして離れていった。
警吏所から出てきたばかりの人間が喚き散らして暴れていれば、外面がどれほど美少女でも関わりたくないのが人情である。
セシルは幼い頃から冒険と英雄に憧れており、二月ほど前にとある冒険譚を聞きつけた事で故郷を飛び出し、このミドロンド空大陸にやってきた異大陸人だった。
ゼントファーラン帝国の首都であるファランクスを初めて訪れた時、その歴史的で古風な街並みの威容と、幾つもの航空艇が係留されている発着場、見た事もない晶工学技術の数々が文字通り飛び交う光景が調和している光景に彼女は圧倒されたものだった。
綺麗に整備された街中を行けば、何もかもが未知と驚きの体験の連続であり、それだけでも旅に出る決断をした甲斐があったとセシルは思っていた。
しかし、ここには彼女が思っていたより『冒険』が不足していた。
「ミドロンドは『ロスパール』がすっごい大冒険を繰り広げたって有名な場所だったから、ここからあたしも旅を始めようって思ってたのに! どうなってるのよ、もう!」
セシルが聞いたところでは一年ほど前、ミドロンド空大陸を支える巨大な柱、『大聖柱』に異変が起こり、崩壊が迫るという未曽有の危機に見舞われたのだと言う。
その上、何者かの陰謀と策略で先代皇帝を失った帝国の情勢は内外問わず大いに混迷し、人類史に前例の無い滅亡が時間の問題となりつつあったのである。
その危機を救ったのが、今や世界に名を轟かせる『勇者アーヴィン』と彼の率いる遍歴傭兵団『ロスパール』であった。
「『ロスパール』の人達には会えなくても、ちょっとくらいは同じような冒険が出来るかなって期待してたのに……」
またも力なく肩を落とし、セシルは歩みを進めた。
皮肉な事に、彼女が尊敬する勇者達の活躍によって、ミドロンド空大陸では物語のような冒険の余地はめっきり少なくなってしまっていた。
依然として晶魔の脅威は絶えないが、各地の主だった大晶魔は討伐されていた。現皇帝の方針で帝国軍も国内の治安維持に集中するようになった結果、かつてほど遍歴傭兵の需要も無くなってしまったのである。
更に言えば、かつてはミドロンド空大陸最大の謎とされていた西部の古代遺跡もロスパールによって踏破され、遺跡調査や護衛の依頼も減少傾向にある。
「はぐれ晶魔の討伐があったら良い方で、やってきた事と言えば復興手伝いとか畑の開墾とか食堂の皿洗いとかそういうのばっかりだし……あれ?」
そこまで思い返して、セシルはハッとして口元を左手で抑えた。
冷や汗を垂らしながら、血の気の引いた顔でカタカタと震える。
「あたし、もしかして……冒険どころか、日雇い労働者しかしてなくない!?」
一月も経ってようやく自分の置かれた状況を理解出来たセシルであったが、あまり気付いた事に喜べない事実でもあった。しかし、かぶりを振ってハルバートを強く握り締めると、キッと空を見据えて突き出すように掲げた。
「もうこんなその日暮らしやだ!そろそろ何か大きな仕事を請け負って、穴開き天井の宿と残飯生活とはお別れするのよ!」
あまりにも情けなさが滲み出る宣言ではあった。
それでも、口元に笑みを浮かべたセシルの足取りはとても軽やかなものに変わっていた。
「これからが、本当のあたしの冒険の始まり!」
――『冒険』を、しよう。
――『憧れ』に向かって一歩ずつ、進んでいこう。
その情熱が燃え盛る限り、自分はどこへだって行ってみせると、セシルは己の瞳と同じ色の空に誓った。