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追放者の輪舞曲(ロンド)  作者: Cpl.ヴェルナー
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第10節:橋

 薬材品店の後、クライドと彼について回るセシルは広場にある雑貨商を訪ねていた。しかし、クライドの薬品作りに必要な残りの材料は全て取り扱っているのだが、間の悪い事に入荷が予定より遅れており在庫切れなのだという。


「その内来るはずとか言われてもよぉ。眠気を堪えて待つ身にもなって欲しいぜ……ふあぁ」

「眠らなくて大丈夫?」


 眠気を噛み殺し切れず左手で大きなあくびを隠すクライドの顔を、おずおずと心配そうにセシルが覗き込んでくる。昨夜の救出劇からクライドが一睡もしていない事も、その原因が自分にあった事にも少なからず自責の念を感じているのだろう。


「こんな時間に寝たら、真夜中に目が覚めちまうだろうが」


 セシルから顔を背けて右手を軽く振ると、クライドは広場を行きかう人々の群れをぼんやりと眺めた。空を見れば日が西へと沈み始めており、エンデイルス山脈と街の建物の彩りを少し赤味掛からせている。その先からは黒々とした暗雲が近付いてきているのが見え、今夜には雨が降る気配を漂わせている。


「それよりお前、カネがねぇんだろ。もうじき日が暮れるし、雨雲も近付いてるぜ。オレは頃合いを見て宿に入っちまうが、どうすんだ?」


 ちらりとセシルに視線を向けて、何か考えがあるのかとクライドは問う。これまでの事を踏まえると十中八九、彼女にそんなものは無いと踏んでいたが。


「……どうしよう!」


 セシルは冷や汗を流しながら服のあちこちをまさぐっているが、恐らく何かが都合良く出てくる事はない。だからといって、こんな裏通りの多い街中の屋外で一晩明かすつもりなら、きっとロクな事にならないだろう。彼女自身か、あるいは関わってしまった誰かの方が。


「一応言っとくが、オレはもうお前の面倒を見てやる気はねぇぞ。だからとっとと……」


 どうにか資金繰りをするなり、アテを探すなりしろ、と言おうとした矢先、二人の前に古ぼけた木造の軽空艇がヨタヨタとやって来て止まった。簡素な屋根のついた御者台から茶色のハンチング帽を被った老人が顔を覗かせ、節くれた手でツバに触れて会釈している。


「すまんね、お二人さん。ちょいと急ぎで荷卸しさせてもらうよ」


 老人が「着いたぞ」と言って荷台の板を叩くと、口髭の壮年男性とクタクタのズボン吊りが背中で捻じれている冴えない風貌の青年が、軽空艇の荷台部に掛けられた幌布をめくって現れ、積み荷の木箱を下ろし始めた。


「邪魔してワリィな爺さん。こっちもアンタらの品を待ってたとこでな」


 セシルと一緒に店前を開けながら、クライドは青年の手で店内に運び込まれていく木箱を親指で指す。


「いや、そりゃ迷惑掛けたねぇ。途中の村近くで晶魔(ウィルド)の群れが縄張りこしらえたもんでさ、退治されるまで結構足止め食っちまってなぁ」


 皺の寄った顎先を手でさする老人の言葉に、クライドは引っ掛かりを感じた。つい最近耳にした話で、似たような出来事があったはずだ、と。


「……ひょっとして、その晶魔(ウィルド)ってのはゴーントか?」

「よく分かったねぇ。なんでも遍歴傭兵(ミグナリー)の女の子が一人で追い払っちまったらしいけど、今度はその子が行方知れずになっちまったって騒ぎになっててねぇ」


 クライドがジロリと視線を回すと、セシルは顔を青くして直立していた。これは彼女が一番分かっている事だろう。

 そんな依頼を単独で引き受けておきながら、調子付いた勢いで『帰らずの森』に迷い込んでしまった事を、この街に辿り着くまでの道中で白状していた彼女自身が。


「……すみません、あたしです」

「んん?」


 小刻みに震える手を肩まで上げ、視線をキョロキョロと泳がせながら告げるセシルに、老人は目を向ける。今の一言だけでは意図を掴めなかったのだろう。


「その行方不明の遍歴傭兵(ミグナリー)が、えっと、あたし……です」


 自分の新たな失態を理解した直後で、その迷惑を被った相手を前にしている状況である。さしものセシルでも日頃の元気の良さは鳴りを潜めていた。流石に罪悪感と恥じらいを感じるのか、彼女は目を固く閉じてしまっている。


「ほぉ! こんな可愛らしいお嬢ちゃんがゴーント共を一人でやっつけちまったのかい。そりゃ大したもんだ」


 しかし老人は特に咎めるでもなく、むしろ感心した様子で身を乗り出す。


「しかしまた、なんでコラルディアにまで? あそこからじゃ距離があっただろうに」

「オレがここに向かってる途中で拾ったんだよ。晶魔(ウィルド)を追ってたら道に迷ったとか言うんでな」


 虚実を混ぜて口を挟んだクライドに、セシルは腑に落ちないという顔を向ける。


 老人の疑問はもっともであったが、ここでセシルが『帰らずの森』に迷い込んだのをクライドに助けられた、などと言えば大騒ぎになりかねない。

 そんな話はすぐにでも首都ファランクスまで伝わり、そこから帝国中に広まるだろう。クライドとしては、そんな事態は避けたかったのだ。


「……みなさんにはご迷惑をお掛けしてしまいました。心からお詫び申し上げます」


 セシルはハルバートを左手に持ち替え、右手を左胸に添えた。『誠礼』という世界共通で通じる格式ある作法である。市井の人々に対する謝罪としては少しばかり仰々しいが、老人には彼女の誠意は伝わったようだ。


「いやいや、お陰であの辺が通れるようになったし、お嬢ちゃんも無事だったなら良かったじゃないかい。なんなら戻るついでに、村の連中にもあんたさんの無事を伝えとくよ」

「ありがとうございます……」


 控え目な礼を告げるセシルをよそに、納品を終えた壮年男性と青年が荷台に乗り込む。老人は再び帽子のツバに触れて会釈し、「達者でな、お二人さん」と残すと軽空艇をヨタヨタと前進させて去っていった。


 クライドが雑貨店に戻り買い物をしている間も、セシルは店内には入ってこなかった。彼女はずっと、あの老人に礼を言った場所で俯いて立ち尽くしたままだった。辺りはすっかり茜色に染まり、雨雲が近付いているためか人通りはかなり減っていた。


「……お前でも、ちったぁ礼節ってモンをわきまえてんだな」


 明らかに落ち込んだ様子のセシルにどう声を掛けたものかと帽子越しに頭を掻いて思案した末、クライドから出てきた言葉はそんな皮肉めかしたものだった。

 励ましの言葉を掛けてやる仲でも、厳しく叱咤してやるような関係でもないのだから、他には思い付かなかったのだ。


「それくらいはね……」


 セシルは振り返りもせず、ポツリと呟くだけだった。


 気に病むな、とは言い難い。実際のところ、彼女の甘い考えが自分だけでなく他者にまで迷惑を及ぼした事は明らかだ。

 しかし、好奇心が元気を着て暴れ回っているような彼女が暗く沈んでいると、クライドはどうにも落ち着かなかった。


 いつまでも関わってやる必要など無い。そのはずだったのだが。


「ま、あのお人好しの爺さんのお陰で、お前にもめでたく報酬が入るってワケだ」


 軽い口調で話し掛けながらクライドが歩き出すと、少し遅れてセシルも続いてきた。目的があって歩いている訳ではなかったが、なんとなく人通りの少ない方に向かって進んでいく。


「何日か掛かるが、ここの斡旋所でも申請すりゃ受け取れる。そういう行き届いた制度のある、帝国さまさまだな」

「……そうね」


 二人はしばらく押し黙ったまま街中を歩いている内に、幅広の川に掛けられた石橋に辿り着いた。立ち込める暗雲に茜色の陽射しが少しずつ飲まれ、周囲が暗くなり始めている頃だった。


「ねぇ、クライド」


 不意にセシルの声が耳朶を打ち、クライドは足を止めて振り返る。彼女は橋の欄干にハルバートを立て掛け、橋の欄干に両手を乗せて立ち止まっていた。その表情は変わらず晴れないまま、燦然と煌めく川面を漫然と見つめている。


「あたし、また他の人に迷惑掛けてた」

「そうらしいな」


 きっと、この少女には自分が遍歴傭兵(ミグナリー)として『冒険』の道を歩んでいく事に漠然とした自信があったのだろう、とクライドは思う。

 実際に彼女の戦いぶりを目にした者として、その自信のほども分からないではなかったのだ。


遍歴傭兵(ミグナリー)なんてのは所詮、どこの空大陸でもゴロツキや山賊と大して変わりゃしねぇ存在だ。だからこそ、この仕事は信用ってモンを第一にしなきゃ成り立たねぇ」


 そう言いながら、クライドはセシルから数歩離れたところまで近付き、バックパックを下ろすと腕を組んで欄干に背を預けた。


「今回は運良く丸く収まったから良かったがな。考え足らずで面倒を被るのは、何も自分だけじゃねぇって事は覚えておきな」


 右手だけ天に向けて肩を竦め、クライドは言い聞かせるように言葉を紡ぐ。肩を落として目を伏せている少女に対してだけではなく、自分自身にも聞かせているような語り口であった。


「うん……」


 セシルの力ない相槌は、風の音を聞き間違えたかと疑うほどか細かった。


 川面の輝きが、少しずつ陰っていく。


 クライドはセシルをちらりと覗き見るが、彼女の様子にこれといって変化は見られない。


「で、まだ『冒険』のために、こんな商売を続けるつもりか? それなりに良いご身分の人間なんだろ、お前」

「……どうして分かるの?」


 ようやくセシルは暗く染まりゆく川から目を離して、僅かにクライドの方に顔を見せた。いくらか怪訝そうな目付きではあるが、その瞳にはほんの僅かに好奇の色が浮かんでいる。


「お前の格好や言動を見てりゃ、だいたい察しはつくんだよ。如何にもわがまま放題に育ってきた、世間知らずのお嬢様って感じだからな」


 そう言いながらヒラヒラと右手を振り、口の端を釣り上げて鼻で笑うクライドを、セシルは頬を膨らませ横目で睨んできた。否定出来ないところを見るに、どうやら今の当て推量はそう事実と離れたものでもなく、彼女自身にも思い当たる節があったようだ。


 本当に分かり易いヤツだ、と胸の内で独り言ちながら頬が緩むのを感じるクライドだったが、だからこそと口元から笑みを消した。今なら、まだ間に合うのだと。


「だからよ」


 空に向けるようにそう呟くとクライドは橋から背を離し、セシルと向き合うように立つ。

 ついに雨の気配を漂わせる雲に街中が覆われ、川面の煌めきも失われた。


「悪い事は言わねぇ。お前の『冒険』はもう、ここでおしまいにしときな」


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