第9節:誤解
「結構賑わってるのね! 鉱山都市って言うから、もっと重苦しい雰囲気で疲れ切った顔をした人達が、道端に力なく座り込んでる廃墟みたいに寂れた街なんじゃないかって思ってたから、見直しちゃったわ!」
ミドロンド空大陸北西部の鉱山都市『コラルディア』に着くなり、高揚を隠さず屈託のない笑顔を浮かべながら、失礼極まりない発言をするセシル。
それが聞こえていたのか、門の守衛に立つ帝国兵達が苦い顔をしてセシルを見ている。その一部始終を目撃していたクライドが、口元をひくつかせながら頭を右手で抱える。
「お前はまず、その偏見まみれで非常識な発言を臆面もなく口に出せる自分の神経を見直せ!」
赤茶色の長い髪を踊らせるようにあちらこちらを眺めてはしゃぐセシルが、ゼントファーラン帝国の地理や経済などに明るくないという事実を強調するよう、彼は眼前で雄大に聳える山脈を指差して少しばかり解説してやる事にした。
「あのエンデイルス山脈は他の鉱物資源に加えて、良質な晶鉱石の産出地って話だ。要するに、コラルディアは帝国の経済と晶工学産業を支えてる重要都市の一つって事だぞ。そんな悪徳領主が牛耳ってる鉱山街みてぇな寂れ方してるワケねぇだろ」
晶鉱石は人類の生命線とも言うべきエネルギー源だ。通常は不可視で触れる事など出来ない晶力が、何らかの作用で結晶状の鉱物として凝固した物質であるとされる。
クライドの持つ聖晶火筒のような小さな導具から巨大な航空艇まで、今や人類の生活文化に欠かす事の出来ない晶工学の根幹をなす重要資源なのだ。
ましてや世界でもトップクラスの技術力を誇り、その軍事力と経済力の裏打ちとしているゼントファーラン帝国における重要性は言うに及ばない。
「ねぇねぇ! あれはなんなの!? あんなの見た事ないわ!」
しかし、セシルはクライドの話を聞いていたのかいないのか、木造の牽引車を引いている、毛むくじゃらの間抜けな顔から4本脚が生えたような動物を指差して騒いでいたのであった。
「お前はよぉ……」
目頭を人差し指と親指でつまむように押さえてクライドは嘆息するが、この好奇心の赴くままに振る舞っている少女といつまでも一緒に行動していなければならない理由は彼にはもう無い。
「ま、いい。そんじゃ、街までは連れてきてやったからな。あばよ」
ぴょこぴょこと尻尾を振りながら飼い主の脚にじゃれついている黒毛の子犬を見掛けるなり、微妙に引きつった笑顔を浮かべて硬直しているセシルを置いて、クライドは賑わいを見せる大通りの人混みの中に紛れていった。
紛れていったはずだが、しばらくすると背後から駆け寄ってくる足音が聞こえた。首だけ回して後ろを確認すると、ハルバートをピッタリと身に寄せながら頬を膨らませているセシルの姿が視界に入る。
「……なんでついてきてんだ。あとは自分で勝手にやりな」
「だから、勝手にやってるの。あたしはあたしの理由でついてきてるんだから、別にいいでしょ?」
「良かねぇよ」
素っ気なく言い捨てたクライドはそれきり押し黙り、通りに並ぶ看板を見渡しながら歩き続ける。セシルもコロコロと表情を変えながら周囲を見物しているが、特に話し掛けるでもなく彼の後を追っていく。
そうしている内に、クライドは目についた一軒の店に立ち寄って扉に手を掛けた。古びた木製の扉を開くと掛けられていた鈴が安っぽい音を響かせる。セシルもその後に続いて店内に入ってくるなり、独特の臭みが充満している事に気付いたのか目を丸くする。
「何この臭い……薬?」
セシルが棚や机に所狭しと並ぶ植物の葉や根、木の実や干物、瓶詰の粉末などを物珍しそうに眺めていると、店の奥から大男が顔を出した。
大きな傷跡が残る頭は綺麗に剃り上げられ、黒革の眼帯で左目を覆っており、右の二の腕に気取った字体で「300は永遠なり」と入れ墨が彫られている。筋骨隆々の長身を覆うツナギとちょこんとした小さな前掛けがアンバランスで、薬材品店の店主というより荒くれ者の用心棒にしか見えない。
「いらっしゃい。あんたら、見ない顔だね。遍歴傭兵かい?」
「似たようなモンだ」
強面の厳つい髭面ながら、意外にも愛想の良い笑みを浮かべて気さくに声を掛けてくる店主。対するクライドは特に表情を変えもせず、肩掛けのバッグから使い古された革手帳を取り出して開き、それを見せた。
「おやっさん、このリストのヤツは置いてあるか?」
「どれどれ……」
顎に手を当てて手帳を覗き込んだ店主は、ひとしきり内容を確認すると頷いて顔を上げる。
「どれもありふれた品だし、だいたいは揃うよ。このあたりはウチには無いが、中央通りを行った先の広場にある雑貨商辺りならあるかもな。しかし……」
意味深げに言葉を切ると大男の店主は、棚に並ぶ色とりどりの液体を見比べているセシルに目を向けてから、クライドを真顔で見やる。
「なんだよ?」
「いやぁ、なんだい兄ちゃん。精力剤でも作るのかい?」
店主は腕を組むと、ニヤニヤと冷やかすような笑みを浮かべた。流石に薬材品を取り扱っているだけあって、クライドの手帳に記された品々にどのような効能があるのか理解しているのだろう。
もっとも、それはクライド自身にもよく分かっている事だった。まして今は、容姿だけなら疑いなく可憐な美少女であるセシルを連れているように見える。
それでもクライドにとって大事な商売道具の材料であり、あながち間違いでもないので仕方がないと諦めた。
「……似たようなモンだ。とりあえず、あるヤツだけ3セット分くれ」
「まいど!」
3セット分と聞くや大仰に残った右目を見開いて相貌を崩し、どこか楽しんでいる様子のむくつけき大男が商品を取りに行く。小さく溜息を漏らして帝国通貨で代金を用意するクライドにセシルが軽やかな足取りで近付き、袖を引いた。
「ねぇ、『せいりょくざい』ってどういう薬なの? それを作るの? そもそもあなた、薬が作れたの!?」
興味津々といった様子で質問を畳み掛けるセシルに、クライドは冷めた視線を向ける。どう考えても答えにくい質問であり、正直に教えたら、それはそれで余計な誤解と騒ぎを生むだろうという事は想像に難くない。
「お前に教えてやる義理はねぇ」
「なによ、ケチ~ッ!」
品物を携えて戻ってきた店主の顔には、いよいよ隠し切れない如何わしい笑みが浮かんでいた。