#拡散希望
こまち@komachi1177
【拡散希望】
実家の母から火事が起きたと連絡をもらいました。
住所は◯◯市××町5-25なんですが、まだ消防車が到着するまで時間がかかるそうです。
母はなんとか外に出られたみたいなんですが、パニックのせいか会話が成り立ちません。
近くにいる方はいらっしゃいませんか?
二階建てで赤い屋根が目印です。
至急母の様子を見に行ってくれる人を探しています。もちろん私もすぐに向かいます。
お願いします。
#拡散希望
#救助希望
#火事
#◯◯市
「また何も無かったな……」
「ええ、これでもうおれら三回目ですよ」
何の異常もない家を見ながら一回り年上の先輩が呟いたので、おれは思わず回数を答えてしまった。
「なんだ、数えてたのか」
「そんなつもりはないんですが頭に残ってしまって……」
「そうだよな、気にするなと言いたいけど難しいよな……」
ここ一ヶ月間、火事の出動要請が出て現場に急行しても何も異常がないことが続いている。悪質ないたずらだと思うのだが、時間や曜日に規則性などなく、通報してくる人も毎回違う。しかし、火災が発生していると通報があるのはいつも決まって同じ空き家なのだ。
残念な話だが、119にかかってくる電話に誤報やいたずらは0件ではない。誤報は通報者に悪意がないのでまだ許せるが、いたずらには本当に腹が立つ。特に短期間に何度もいたずらをされた時には、犯人を見つけ出して晒し者にしてやろうかとさえ思う。
消防への嘘の通報はもちろん犯罪だ。犯罪者に優しくしてやる道理なんてない。
しかし、今回の件は規則性が全くないのでいたずらの可能性が低い気もしている。でも、そのせいか余計に気味が悪い。先輩もおそらく引っかかっているのだろう。助手席に座る先輩の顔は、今日の天気と同じように曇っている。署までの帰り道、しんどい空気が車内を満たしていた。
当直明け、朝日を背中に浴びながら家に帰る。結局、昨日は例の空き家の通報以外に出動要請がなく平和な一日だった。誤報はあったが、火災も事故もなかったのだからよしとしよう。
家に着くと同時に疲労感がどっと襲ってきた。もうこのまま寝てしまいたい。おれは思いっきりベッドに倒れ込む。
おれは寝転がりながら、ポケットからスマホを取り出してSNSのアプリを起動した。特に何かを見たいと思ったわけではないが、癖というか、なんとなく起動していた。すると、起動と同時に気になる投稿が表示された。
アカウント名は「こまち」。投稿日は昨日、内容は明らかに誤報のあったあの空き家のことで、火事が起きていると書いてある。拡散希望のハッシュタグのせいだろうか、かなりの人数に拡散されている。もしかして通報してきた人はこの投稿を見たのだろうか?
こまち、一体これは誰なんだろう? アイコンには何も画像が設定されておらず、投稿もこの一つしかない。空き家に注目を集めるためのいたずらなのか、情報が少なすぎてわからないことだらけだ。
スマホをベッドの隅に投げ捨て、目を閉じる。しかし、空き家のことが気になって一向に眠れそうにない。ああ、SNSなんて見るんじゃなかった。
20分ほど粘ったがダメだった。重たい体をベッドから引き剥がして、おれはスマホと財布をポケットに突っ込むと家を出た。
例の空き家まではうちから歩いて15分ほどだった。職業病とまでは言わないが、自分の署の管轄エリアの地図は全て頭に入っている。おれは目的地まで特に迷うこともなくたどり着いた。
表札は外されていて、見上げると二階の窓に『売却中』と紙が張られている。改めて見ると家はまだそれほど古くなく、外壁も塗りたてとは言えないが比較的綺麗だ。もっと怪しい家かと思っていたが、思っていたより普通だった。
「お兄さん、このお家に何か用かい?」
空き家を眺めていると突然後ろから声をかけられた。振り向くと2、3メートル離れた所にお婆さんが立っていた。綺麗な白髪に控えめな化粧、すっと伸びた背筋。お婆さんからは品の良さを感じた。
「いや、用というほどじゃないんですが、前を通った時になんだか気になりまして」
「あら、そうだったの。気になるのは仕方がないわ、だってあんな事があったんだもの……」
「あんな事?」
このお婆さん、わざと気になるような言い方をしたな。でも、無視できるほどおれも賢くない。つい知りたそうな顔をしてしまったんだろう。お婆さんはおれを見て、一瞬だが少し嬉しそうな顔をしてから話し始めた。
「このお家はもともと山崎さんちだったの。若い夫婦と小学生のかわいい女の子が一人、三人家族だった。三人とも挨拶をちゃんとしてくれるし、ご近所付き合いも良くてねえ。いい人たちだったわ」
「そうなんですね。その山崎さん一家は今どちらに?」
「それがね、わからないの」
「わからない?」
「そう、消えちゃったのよ、突然ね。きっかけはたぶん、いえ、絶対にこまちちゃんへの虐待よ」
「虐待……ですか?」
いい人たちだったという情報からは考えられない言葉に驚いて、おれは思わず聞き返してしまった。すると驚くおれを見て、お婆さんはどことなく満足そうな顔をしているようにも見えた。
「そう、虐待。一人娘のこまちちゃんにお父さんがストレス発散で暴力を振るっていたらしいのよ。一度ね、この辺りで夜に子どものすごい悲鳴が聞こえて騒ぎになったのよ。それで私、しばらくご近所さんを注意して見ていたらね、こまちちゃんの顔に痣が……」
お婆さんはそう言うと、持っていた手提げかばんからハンカチを取り出し目に当てた。きっとかなり酷かったのだろう。聞いていておれもなんだか悲しくなってきた。
「思わずびっくりしちゃって……私駆け寄って何があったか聞いたの。でも、あの子……あの子は何も答えてくれなかったわ。笑顔で『なんでもない』としか言ってくれないの……」
泣きながら話される悲しい過去に、おれは胸が痛くなった。テレビでよく聞く児童虐待のニュース。実際に起きている話だと頭ではわかっているのに、いつもどこか遠い世界の話のような気がしていた。でも今、目の前で涙を流す老婆を見て、自分のすぐ近くにもある現実なのだと突きつけられた。
「なんでもっと早く気づいてあげられなかったんだろう……そんなことがあった次の週よ。夜逃げしたみたいに気がつけば家族三人引っ越していたわ」
「あの、こまちちゃんは無事なんですか?」
「さあ、無事でいて欲しいけど、誰もどこに引っ越したのかさえわからないのよ。もう一年以上前の話よ……」
知らぬ間におれは両手を力強く握りしめていた。過去の話だとはいえ、今何もできない自分自身に腹が立った。
おれが見た奇妙な投稿のアカウント名と女の子の名前が一致したのは偶然ではないだろう。何の根拠もないが、彼女はきっともう……
おれはお婆さんに礼を言って帰ることにした。
「私はちょうどこのお家の裏に住んでいるの。またどこかで見かけたら声をかけてくださいな、消防士のお兄さん」
別れ際にそう言ったお婆さんの目は赤く腫れていた。おれは直視する事ができず、「ええ、もちろん」と言うのが精一杯だった。
沈んだ気持ちを切り替えるがことができないまま、おれは自分の家に着いてしまった。せっかくの休みなのに全く楽しい気分じゃない。
ごそごそと鍵を開け、ドアを開けようとした時に、ふと足元に何かがあるのを感じた。見ると一枚の便箋のようなものが落ちていた。
あのとき だれも きづいてくれなかった
鉛筆で書かれた子どもの小さな字。おれはその手紙を見て動けなくなった。この手紙はきっと……
急に視界がぼやけだしたと思ったら、おれは泣いていた。近所の人にこんなところを見られたくないので慌てて家に入る。家に入っても涙は止まらず、次々と溢れて頬を流れた。
ひとしきり泣いた後、テーブルの上に手紙を置き、おれは一日ただ何もせずぼんやりと寝て過ごした。
家の中にはおれしかいないはずなのに、帰ってからずっと側に人の気配を感じた。たまに視界の端に映る姿から子どものような気がする。
初めての経験に最初は少し驚いたが、おれは不思議と怖いとは思わなかった。この子なら家にいてもかまわないとさえ思った。過去に戻る術を持たないおれには、もうこの子の命を救う事はできないのだから……
翌朝、おれが眠りから覚めると、家の中から子どもの気配はなくなっていた。
こまち@komachi2277
【拡散希望】
火災が発生しています。近隣の方はご注意ください。
赤い炎が見えました。
住所は◯◯市××町5-25
消防車はまだ来ておらず、サイレンも聞こえません。
#拡散希望
#火事
#◯◯市
「あの家のことがわかったぞ!」
翌日、署に着いてすぐ先輩が声をかけてきた。やはり先輩も気になっていたようだ。おれも知っていること、家に落ちていた手紙のことを話そうとした。その時だった。
「あの家、うちの娘の友だち家族が住んでいたらしいんだ。去年一人娘が東京の会社に就職して家を出たみたいで、夫婦二人じゃ一軒家は持て余すからって駅前のマンションに引っ越したらしい」
先輩の発言内容を理解するのに、おれは少し時間を要した。世間は狭いと言うがここまで狭いなんて。先輩と山崎一家が繋がるなんて誰が予測できただろう。でも、昨日聞いた話となんだか噛み合わない。
「先輩、そのご家族の名前は山崎さんですか?」
「山崎? 誰だそれ?」
「いや、その空き家に住んでた先輩のお子さんのお友達の……」
「いや、たしか鈴原だったはずだ」
「そうなんですか? あの、東京に行ったお子さんの名前ってもしかして『こまち』さんですか?」
「違うぞ、たしか友美ちゃんだったはずだ。さっきからどうしたお前、何かあったのか?」
おれは頭の中がぐちゃぐちゃになった。先輩が嘘をついているようには見えない。でも、住んでいた人の名前が違う。しかも生きている? じゃあ、こまちちゃんって一体誰だ?
おれは昨日空き家を見に行ったこと、お婆さんと出会ったことを先輩に話した。家の前に落ちていた手紙のことは何となく言えなかった。
おれの話を聞き終えて先輩が口を開いた時、出動要請を告げるアナウンスが鳴った。おれたちは何とも言えない表情で顔を見合わせた。しかし、二人とも話すのをやめて急いで準備を済ませると消防車に乗り込んだ。
行き先はまたあの空き家だった。
重苦しい気持ちのまま出動し、先日と同じように空き家の前に着く。やはり何かが燃えている様子は見られない。何も異常がないことを確認してから消防車に戻ろうとした時、視線を感じて振り返ると先輩がおれを手招きしていた。
「お前、昨日ちゃんと見たのか?」
おれは何を言われているのか分からず首を傾げていると、先輩は空き家を指差した。
「この家の裏に住むお婆さんから話を聞いたって言ったよな?」
「ええ、昨日ちょうど今立っているこの辺りで話しました」
「よく見てみろよ、この家の後ろに家が見えるか?」
「あの、何言ってるんです? ……え?」
おれは空き家の後ろの景色を見て先輩が言いたいことを察すると、そのまま思わず走り出した。
昨日、お婆さんと話したんだ。お婆さんは空き家の裏の家に住んでいるって言っていたんだ。だから、家がないはずがない。あのお婆さんがおれに嘘をついたとは考えられない。だって涙を流していたんだぞ、嘘なはずがない。
角を曲がり赤い屋根の家の裏手に来た時、おれは全身から力が抜けていくのを感じた。赤い屋根の家の裏は雑草が生い茂った空き地だった。
足音がしたので振り向くと、先輩が心配そうな顔でおれを見ていた。心配して追いかけてきてくれていたようだ。
「空き家の裏は何年も前から更地だよ。土地が高すぎて買い手がつかないんだと。おれの妻が不動産屋で働いてて教えてくれたんだよ。友美ちゃんが住んでた家の後ろの空き地はなかなか売れなくて、この界隈の不動産屋じゃ有名な話だって」
「そんな馬鹿な……」
なら、おれが昨日話したのは誰だったんだ? こまちちゃんの話はでたらめなのか? じゃあ、あのSNSの投稿は誰が何のために……
いや、それだけじゃない。おれの家に落ちていたあの手紙は? 昨日一日中感じた気配は何だったんだ?
「おい、大丈夫か?」
先輩がかなり心配そうな顔でおれを見ている。すぐに、大丈夫です、とは答えられなかった。自分の口なのに上手く動かすことができない。やっとの思いで頷いたものの、とても大丈夫と言える状態ではなかった。きっとそれは先輩にも一目で分かっただろう。より一層心配そうな顔をしている。
少しでも先輩を安心させようと思い、笑ってみせようとした時だった。
「ばれちゃった。面白くない。もうお前いらない」
後ろから聞き覚えのあるお婆さんの声が聞こえた。
振り返る間はなかった。ぎゅっと心臓を握られ、そして潰されるような感覚と共におれは意識が途切れた……