42.ある男から見た帝国
巨大な窓から西日が薄暗い執務室に入り込む。1人の若い男がその中で黙々と書類に向かい合っている。清閑な部屋に羽ペンを走らせる音だけが響き渡る。
「ふぅ……」
最後の書類に記入を終えたその男は、深く椅子にもたれかかり、ため息をつく。数時間にわたる雑務がようやくひと段落したところだった。そうして数分がたったころ、ふと立ち上がり、執務室と接しているバルコニーに出る。薄暗い執務室とは異なり、傾きつつある茜色に染まった空が視界一面に広がっている。
「美しいな……」
疲れているからだろうか、普段より一段と夕焼けに見惚れてしまう。ここ1年は非常に忙しかった。国内で密かに同志を集め、地位と権力、ツテを活かして武具を揃えて、帝王の座を奪った。次に侵略戦争の始め、短期間で付近の4カ国を支配下に置くことができた。
そして今、侵略を一時中断し、消耗した軍の立て直しとーーー召喚した勇者たちの育成を行なっている。
「悪くない……。計画通りだ」
勇者の召喚に失敗するなど、少々の誤算はあったものの、完全に失敗したわけではない。17人の勇者の召喚には成功しているのだ。計画が崩壊するほどのことではなかった。
下を見る。闘技場にも見える円形の訓練場の中で、今も数人の勇者が訓練を積んでいる。ここひと月で急成長を遂げている彼らの力は凄まじいものだ。100メートル以上離れたこのバルコニーまで、魔法の爆発音や鋼同士がぶつかり合う衝撃音が微かにだが響いてくる。
「あと1年……あと1年で、全て終わる……」
自身に言い聞かせるように呟いてから執務室に戻る。それとほとんど同時に誰かが部屋の扉をノックする。
「……じぃか」
「よくお分かりになられましたな、陛下」
「じぃ」と呼ばれた年老いた執事は、複数の書類を脇に抱えて部屋に入ってきた。
「当然だ。何年の付き合いだと思っている?」
「今年で27年目となりますな」
茶化す執事に対して、その男は小さく笑った。
「それで?要件はなんだ?」
再度椅子にもたれかかり、彼から書類を受け取る。支配下に置いて国での反乱や最前線の物資不足……課題は山積みだ。そして、その中でも最も重要なものがーーー。
「やはり勇者絡みか?」
「その通りでございます」
「見つかったか?」
「いえ……。『カラス』と『フクロウ』を当てておりますが……未だ発見には至っておりません」
だろうな、とため息を吐いた後、男は続けて言った。
「どこまで調べ終えた?」
「属国と支配下国内は粗方調査を終えておりますが、特にこれといった情報はございませんでした」
「そうか……」
渡された書類に目を通しながら短く呟く。
「外国は?」
「そちらに関しては現在も調査中でございますが……確定した情報はございません」
ほぅ、と男が初めて興味を示した。
「確定した情報はない……つまりは、可能性があるものはある、ということか?」
「その通りでございますが……しかし……」
「構わん。話せ」
男が催促すると、執事はすぐに胸ポケットに手を伸ばし、手のひらに収まるほどの手帳を取り出した。
「それでは、より可能性の高いものからお話いたします。1つ目は剣聖国内で、『森の中でに水精霊が現れた』というもの。2つ目は神国内で、『聖女が召喚された』というもの。そして3つ目がーーー」
執事は一呼吸置いてから再び話し出した。
「再び聖剣国内で、『王女が見慣れない護衛と行動を共にしている』というものでごさいます」
男が腕を組み、考え込んでいる様子を見て、執事は次のように補足した。
「これらの情報は全て、聖者召喚の儀以降に広がったものでごさいます。可能性は決して低くはないかと……」
男はしばらく無言で考え込んでいた。
「全て調査させろ。『カラス』も『フクロウ』も好きに使え。調査に当たらせろ」
「かしこまりました」
「こちらにいる勇者たちの様子はどうだ?」
「上々……と聞いております。しかし、私はただの老ぼれ。その件に関しては、指導に当たっている騎士団長に直接お尋ねになるのがよろしいかと」
「そうだな……」
報告を終えた執事が部屋から去った後、男は部屋の隅に目をやった。
「『フクロウ』か?」
「はっ」
『フクロウ』と呼ばれた漆黒のコートを着た女が、男が見つめていた場所から突然現れる。フードを深く被っており、その表情を見ることは出来ない。彼女の担当は聖剣国内での諜報活動、特に暗殺を主に担う人物だ。
「お呼びのようでしたので参上いたしました」
「話が早くて助かる。では、言いたいことはわかるな?」
「聖剣国王城に侵入、王女の護衛についての調査、及び必要に応じて暗殺……のついでに水精霊についての調査……でお間違いないでしょうか?」
返事の代わりに男は小さく笑みを浮かべる。我ながら優秀な組織を作ったものだ、と。
「すぐに向かいます。……その件でご相談があるのですが……」
「ほぅ?」
『フクロウ』が相談……か。珍しいこともあるものだな。
その内容を聞き、許可した後、その女は影に溶け込むように姿を消した。
「明日は雨……いや、豪雨かな?」
すっかり日が暮れ、分厚い雲が月明かりを遮断している光景を眺めながら男はぼそりと呟いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数時間後。再び扉を叩く音が部屋に響いた。先ほどとは異なり、力強い音だ。
「誰だ?」
そう言って扉を睨む。
「帝国騎士団団長、アルノス=ロイドラインでございます!」
「入れ」
「失礼します!」
じぃとは違い、大きく張りのある声のスキンヘッドの大男が部屋へと入ってくる。硬い表情から緊張感が伝わってくる。
「よく来てくれた。お前に聞きたいことがあってな」
「はっ!なんでしょうか?」
アルノスは何を聞かれるのかと内心ヒヤヒヤしていた。やましいことは何もしていないが、国のトップに指名で呼び出されると、どうしても不穏な考えが頭の中に浮かんでしまう。
男はそれに気づいていないのか、気づいていてあえて触れないのか、そんな彼の様子を気にも止めずに淡々と書類に向かっていた。
「勇者たちの様子はどうだ?」
顔を上げることなく、男が訊ねる。
「……ほとんどの勇者がステータスを大幅に伸ばしています。1等兵と互角に渡り合う者もおります」
それを聞いて、男は「ほぅ」と関心を示した。
1等兵と言えば、この国の軍隊の中ではエリート中のエリート兵士だ。相当な実力がなければなれないものだが、勇者の中には既にこれに匹敵する者がいるということだ。
「今回は豊作だな……それで?兆しはあるか?」
ようやく顔を上げた男がアルノスを見つめながら言った。別に怒っているわけでもないのに、どこか威圧感を感じてしまう。そんな強烈な視線を受けながら彼は口を動かした。
「まだ確定とは言えませんが……現段階では5名ほど、その兆しが見えております」
「すばらしい……!!」
男が感心のため息を吐く。
「よろしい。……これより約半年時間ができる。その間に前線に投入できるレベルにまで育てておけ」
「は、半年……?しかし、陛下!現在、我が国は戦時中であります!この戦況では半年ともちません!!」
実際、帝国は1年足らずという短期間で付近4カ国を支配下に置いた。このことだけを聞けば、帝国が強大な軍事力を背景に周辺国を支配したと思えるかもしれない。しかし、帝国と国境線で繋がっている2ヶ国は信帝国のため、戦闘らしい戦闘などなかったも同然だし、残りの2ヶ国も『カラス』や『フクロウ』が内部から国政を徐々に崩壊させて、弱ったところに戦争をちらつかせて脅しただけに過ぎない。
そして、最前線には現在も多くの兵士が次の侵略予定国と睨み合っている。たった1発の銃声で大規模戦闘が始まりかねないほど緊張が走っている状況だ。その上、既に支配下に置いた国でも帝国の支配に対する反乱が多く起きている。各国は協力関係を結んで抵抗力を強めている中、帝国は最前線への物資の補給すら上手く出来ずにいる。そんな不安定な状況が半年など保つはずないのは、火を見るよりも明らかなことであった。
だが、男はそんなことわかっている、と言わんばかりにアルノスを宥めた。
「アルノス、時間は作り出すものだ。……ここを使ってな」
そう言って男は自分の頭を指差す。
「よく見ていろ。これから戦況は面白いように変化するぞ」
不気味に笑みを浮かべる男を眺めながら、アルノスは固唾を飲み込むのだった。